【沖縄からの通信】

参院選沖縄選挙区−予想外の大差で糸数さん圧勝
  「集団自決」改ざんへの怒り広く

 七月二九日午後八時、投票終了。直後、糸数当確の報が流れた。異変。最終結果は糸数慶子376460票、西銘順志郎249136票で、12700票の大差での圧勝。キツネに鼻をつままれた状況。このような結果は誰も予想しえなかった。異変の出現である。
 今回は、至上命題の候補一本化が早い時期に保障されていた。一対一の対決構図がまたもや作られた。「勝つ」前提条件は作られていたが、野党五党の結束はない。司令塔も不在に近い。自公・西銘派の組織戦は一応昨秋の知事選なみであった。(公明の取り組みがゆるんだ可能性は大であるが)。
 この両陣営の選挙情勢決定力を低下させ、思わぬ大差をもたらしたもの、圧倒的な数による政治的傾向を形成したものが、このかん安倍政権から侮蔑を受けた沖縄民衆であった。なぜそう言えるのか。
 「消えた年金」という全国的追い風が沖縄にも吹いたが、とうてい、この歴史的大差をそれによって説明するのは無理である。沖縄特有の反安倍の怒りが、参院選を通じて表明されたものとして受け取るのが合理的説明であろう。
 「沖縄特有の反安倍」ということは、言うまでもなく、「集団自決」の日本軍による命令・強制・誘導の教科書からの削除、この沖縄戦の歴史改ざん問題への怒りである。これまで筆者は幾度も、沖縄人の日本政府に対する反感の意識が脈々と流れてきたこと、それは沖縄戦の歴史的体験によって形成されたものであると述べてきた。今回の「集団自決」問題では、これまでの間接的反映ではなく、直接的にもろの形で、沖縄人の戦争体験とそれによって形成されたアイデンティティーそのものが日本政府によって否定されるという、特異な状態に沖縄民衆はおかれたのである。
 五〜六月にかけて四十一の全市町村議会が、文科省に検定意見撤回を要求する決議を上げた。6・9には、高教組、教組を中心に「沖縄戦の歴史歪曲を許さない県民大会」が開かれ、これには実行委参加者をはるかに越える一般市民参加者があった。6・23「慰霊の日」には、超党派の著名有志による声明、「政府が沖縄住民の意思を尊重し、これ以上犠牲と差別を強いることがないよう」訴える沖縄宣言が表明された。
 6・9以降、一気に炎が燃え上がった。県議会の決議ができそうで、できないでいた。これは、自民党若手議員が「裁判係争中で、見守る」という鈍感状態にあったからであるが、戦中派は炎の広がりを理解できた。6・9は県議会を動かし、六月二十二日に決議が成った。しかし安倍政権は、県議会要請団を軽くいなして帰した。怒った県議会は、異例の二度目の決議を行なった。この二度目の決議の手交は、参院選で中断されたが、近日中に行なわれるはずである。
 6・9を発展させての、第二段の県民大会が行なわれるはずである。実現すれば、九五年の十万人大会から十二年ぶりの超党派県民大会となる。炎は広範に波及しており、婦人会連合会など七団体から開催要求が県当局に出されている。
 6・23の全戦没者追悼式に来た安倍首相は、能面のような無表情で、「教科書検定問題は、学術上の検討をしている」と言った。「集団自決」現場を偶然に生き延びた人々を前にして、「学術上の問題」と言える心理は理解できない。安倍もまた、沖縄人の琴線部分に土足で踏み込んだ自らの行動の意味を理解しないであろう。
 こうして沖縄は、はげしい怒りに落とし入れられた。この怒りが選挙では、反安倍、反自民、反西銘に転化していくことは、うなずける。「西銘に投票しなければ」と理性が主張しても、安倍への怒りでそれができなかった保守票も多くあっただろう。「アキサミヨー」になった。「反安倍」によって、自民安定票の六〜七万が糸数に投じられたとしたら、計算が合う。
 糸数選対は、この民衆の空気にはるかに遅れていた。一号ビラは、この空気をひとかけらも反映していない。選対は、「自公」に対して、年金問題を始め一般的な政策で対決しようとしている。民衆に「反安倍」が燃え盛っていることに気づかない。糸数さんのマスコミ対応は多かったが、「私の政策を支持してくださった〜」「私の〜」「私の〜」で満ちている。今現在、闘いの渦中にあるという自覚が感じられない。沖縄民衆の安倍への怒りを代弁すること、与えられたチャンスに言うべきことを言っていない。候補者が民衆を代弁するではなく、民衆は選ぶだけの側であるかのようであった。
 これに対し、比例の山内徳信候補は、アピールするチャンスを逃さず、「辺野古新基地は絶対に建設させない」、「文科省が教科書改ざんを取り消さないならば、超党派の県民大会の開催や、抗議団で包囲する」と明確にアピールしている。彼には、「一挙手・一動が、連帯を作り、闘いそのものである」という感じがある。有権者として百点をあげられる対応であった。
 また沖縄の民衆は、それが民主党への政権交代であれなんであれ、一刻も早い自民党レジームの打破を願っている。糸数さんも山内さんも、実質的には社民党的存在であり、民主党政権の成立には国会で賛成票を投じるだろう。政権交代、これも大きな課題であり、沖縄民衆はその特有の立場からではあるが、強い関心を抱いている。革新党派が、民主党に対する「たしかな野党」「党の独自性」の文言を繰り返し、事態を大きく変えようとしないならばまったく反民衆的である。
 沖縄の市民運動はどうだったか。平和市民連絡会は、辺野古での違法な「事前調査」との対峙状態(非暴力実力闘争の水中戦など)、また米軍ヘリパッド基地建設阻止のための東村高江地区での座り込みという情勢に制約されて、選挙戦では主導性を奪われていた。
 七月二十三日、選挙戦の只中で、平和市民連絡会は新基地反対市民共同行動とともに討論集会を開いている。米軍北部訓練場(主要ダム群を含む)でのダイオキシン含有枯葉剤散布事件、米軍掃海艇の強行入港、下地島空港基地化策動などなど続発する諸問題を総体的にどう考えるのか、また那覇から百キロも離れた高江への派遣をどうするか、と課題が提起された。
 この反基地の集会では、「集団自決」軍命削除の撤回の運動については提起がなかった。この運動は文科省から具体的回答を得て解決させるまで発展するものとおもえるが、基地撤去運動の側からはどう考えるのか。この歴史改ざん撤回の闘いの矛先は、反基地と同じく安倍政権という共通項を持っている。また、安倍政権をつぶすエネルギーを持っている可能性もある。そこから生まれる力と情勢の転換は、辺野古にも高江にも有利な局面を生み出す。また新しい政治的方法を与えるかもしれない。
 民衆運動として柔軟性・主導性を持ちつづけて「集団自決」改ざん撤回を闘うならば、自治労や教組の大量のOBの活性化という、いわば埋蔵文化財を掘り当てることも可能である。今回の選挙で歴史的大差の勝利をもたらした広範なエネルギーは、辺野古や高江にも必ず活かすことができるのではないだろうか。両者の怒りが共通性をもって反安倍の闘い、一つの闘いとして共有されていくのではないだろうか。(T)


7・27大阪
大江・岩波沖縄戦裁判、証人尋問の山場に
  注目される那覇出張法廷

 七月二七日、大阪地裁において大江・岩波沖縄戦裁判の第十回口頭弁論が、午前十時半から午後四時半までに渡って行なわれた。
 この裁判は、沖縄戦での元守備隊長らが「新しい歴史教科書をつくる会」など極右グループの支援の下に、住民「集団自決」での軍命はなかったとし、日本軍の名誉回復を意図して、大江健三郎氏と岩波書店を不当にも訴えたものであるが、〇五年十月二八日の第一回口頭弁論から十回目でいよいよ証人尋問に入った。当日、地裁には傍聴券を求め二百名の行列ができた。
 証人尋問は、原告側からは皆本義博氏(渡嘉敷島の赤松隊中隊長)、知念朝睦氏(赤松隊副官)、被告側からは『母の遺したもの』の著者・宮城晴美さんに対して行なわれた。(原告側は、この『母の遺したもの』での座間味島守備隊長・梅澤裕に関する記述の一部を利用し、軍命がなかったと主張している)。
 裁判後、午後六時半から大阪市内のエル大阪にて、7・27裁判報告集会が大江・岩波沖縄戦裁判支援連絡会の主催で行なわれ、沖縄、東京の同支援する会の人たちも含め約150名が参加した。
 集会では、傍聴者と証人からの裁判報告、また沖縄在住の小説家・目取真俊さんによる「沖縄戦裁判と歴史歪曲の背景」と題する講演が行なわれた。
 最初に裁判報告では、岩波書店の岡本厚さんが次のように報告した。裁判は最大の山場を迎えている、九月十日には那覇地裁で出張法廷が実現されることになり、渡嘉敷の強制集団死の生存者である金城重明さんが被告側証人として立つ。十一月には、原告の梅澤裕と赤松秀一(赤松隊長の弟)が、被告側からは大江健三郎さんが証人尋問に立つことが決まっている。十二月に結審、来年三月の年度内に判決が出る。
 秋山幹男主任弁護士は、次のように報告した。大問題となっている今春の教科書検定の以後も、いろいろな人から証言が出ている、あの島々は特攻舟艇の秘密基地であり、日本軍の「軍官民共生共死」の方針の下、軍の命令・強制があったことははっきりと立証できた。今日の法廷では、宮城晴美さんから、宮里助役が軍の「命令」があったことを証人の家族に話していた事実がきちんと証言されたことは、重要な意義がある。また那覇出張法廷の金城重明さんの証言は重要だ、九月十日の那覇地裁をたくさんの人が取り囲んでもらいたい。
 高島伸欣さん(琉球大学教員)は、教科書検定と原告側支援グループの関係などについて発言した。
 そして宮城晴美さんが次のように発言した。私の書いた本が原告側に悪用されてしまったが、それは母の意図したものではない。裁判で原告側は、沖縄戦の悲惨、「集団死」の悲惨さを何も思っていない、ただ「名誉毀損」だけを言っている感じで、怒りを感じる。
 目取真俊さんは講演で、沖縄戦の歴史歪曲の背景にあるものとして、現在の沖縄での自衛隊の強化策があると述べた。
 さて、三月三十日に文部科学省は、この裁判を理由に、〇八年度高校教科書から沖縄戦・住民集団死における軍の強制の記述を削除することを検定結果として明らかにした。それ以降、沖縄を中心とする教科書検定意見撤回要求の闘いと、この裁判とは連動した闘いとなっている。
 六月九日には沖縄で、「沖縄戦の歴史歪曲を許さない県民大会」が開かれ三五〇〇人の大結集であった。この県民大会実行委員会は六月十五日には、四十名近い代表団を東京に送り、教科書書き換えを元に戻すことを求める署名の一次分・九万二千余を文科省に突きつけた。沖縄県議会も検定意見撤回を日本政府に求める決議を六月、七月と二度に渡って、全会一致で採択している。
 沖縄戦での日本軍の住民に対する虐殺・虐待(これについては八十年代に検定意見を撤回させた先例がある)、軍命による「強制集団死」も歴史的事実である。この史実を、住民は天皇のため、国のため、皇軍に協力して死んでいったとする「殉国美談」にすりかえる歴史の修正・歪曲は許せない。その歪曲の先には、新しい戦争がある。
 また、その皇軍は「軍隊慰安婦」「朝鮮人強制連行」「南京大虐殺」などアジア太平洋戦争で何をしたのか、その全体の中で沖縄戦の教訓を見つめるべきである。(N)