労働法制改悪三法案、継続審議で今秋の闘いへ
  新自由主義路線の非人間性

        
 小泉前政権を継いだ安倍政権は、いうまでもなく、新自由主義路線を継承している。
 だが、すでに小泉政権の時から、新自由主義路線が労働者人民に押し付ける犠牲により、最下層から、強い不満と怒りが次第に噴出し始めている。
 このため、安倍政権は、前政権以上に矛盾の緩和をあたかも推進するかのようなポーズをとらざるを得なくなっている。
 だが、諸矛盾の彌縫策は全くのマヤカシである。
 例えば、再チャレンジ策などといっているが、資本家階級によって意識的に狭められている正規労働者の総定員枠が拡大しない限り、社会総体でのいわゆる「勝ち組」「負け組」という格差と分断じしんは無くなるものではない。
 成立したパート法改正なるものも、その対象者はパート労働者総体のわずか1%ぐらいでしかないもので、実効性がないだけでなく、新たな格差と分断をもたらすものである。  
 最賃法改正案も、生活保護費との整合性を強調しているが、値上げすべき最低賃金額の具体的数字がなく、これでは生活保護費の切り下げに逆利用されるだけである。
 安倍政権の経済成長による格差是正策なるものも、全くのマヤカシである。これは、企業や金持ちなどが豊かになれば、水が滴り落ちるように社会全体にも成果が行き渡るというトリクルダウン効果によって、格差を是正しようという考え方である。
 だが、この政策はすでにレーガン時代に失敗したものである。アメリカを見るまでもなく、日本の高度成長の結果を見ても、経済成長による格差是正などという考え方が誤りであることは、明らかである。当時、人手不足により部分的に格差は縮まる傾向を示したが、低成長時代に入ると再び格差は拡大傾向に転じた。結局、格差是正は実現しなかったのである。ましてや、今日、温暖化防止など地球環境の抜本的改善が世界的に焦眉の課題になっているのであり、かつてのような高度成長の再現などは全くもって論外である。
 当初「労働国会」とも言われた今通常国会では、昨年来の反対運動によってホワイトカラー時間規制除外の導入が阻止されるやいなや、財界側がやる気をなくし、提出・審議が先行していたパート法改定案のみが成立したものの、時間外割増に関する労働基準法改定案、最賃法改定案、労働契約法案のすべてが衆院で継続審議扱いとなった。安倍自民党が参院選挙目当てで労基法改定案だけでも参院に送って成立を図るか、とも見られたが結局、これら労働関連諸法については参院で廃案になってしまうことを回避し、秋の臨時国会で成立を図るという判断が行われたのである。
 こうした国会対応にも明らかなように、安倍政権がホワイトカラー・エグゼンプションの国会提出の延期や労働契約法の先送りなどをしているのは、ただ世論の動向を見ているだけなのであり、チャンスとみれば再びさまざまな労働法制の改悪をすすめることは、必至である。
 
規制改革会議5・21意見書

このことは、規制改革会議(総理大臣の諮問機関で、規制改革・民間開放推進会議の後継機関)の再チャレンジワーキンググループ・労働タスクフォースが今年五月二十一日付けで出した「脱格差と活力をもたらす労働市場へ ―労働法制の抜本的見直しを―」という意見書でも明らかである。
 この意見書は、労働者の人間としての権利を徹底的に否定し、全面的に資本家の金儲けだけを追求したものである。例えば、「一部に残存する神話のように、労働者の権利を強めれば、その労働者の保護が図られるという考え方は誤っている」と、極めて挑発的に断言する。
 そして、この意見書は、「不用意に最低賃金を引き上げることは、その賃金に見合う生産性を発揮できない労働者の失業をもたらし、そのような人々の生活をかえって困窮させることにつながる」という。しかし、「賃金に見合う生産性を発揮できない労働者」といって、労働者が真面目に働かないことをアブリオリに前提している。労働者を失業させるのは、経営者の経営手腕なのであって(この背景には、中小零細企業の場合、大企業等、より上位の企業の下請け企業に対する収奪もある)、真面目に働く労働者には全く責任はないのである。この論理は全く転倒しており、失業の脅しをもって、最低賃金の引き上げを阻止しようというものである。
 意見書は、「過度に女性労働者の権利を強化すると、かえって最初から雇用を手控える結果などの副作用を生じる可能性もある」という。これもまた、女性労働者を無権利で、低賃金で働かせるための一種の脅しである。「雇用を手控えるなどの副作用」とは、一体なにか。意見書は「副作用」などという言葉の綾を使っているが、女性労働者を雇用しないという脅しで、資本家が許容できるような劣悪な労働条件、途方もなく安い賃金に押し下げる策略を、果たして薬の副作用と同じような「現象」といえるのであろうか。それは、いうまでもなく利潤追求しか頭にない資本家の意図的で利己的な行動である。
 意見書は、「正規社員の解雇を厳しく規制することは、非正規雇用へのシフトを企業に誘発し、労働者の地位を全体としてより脆弱なものとする結果を導く」という。これもまた、同様の論法である。労働者は自らの生活を維持するために、理不尽な解雇を規制するのであり、それは人間として当たり前で、真っ当なことである。資本家たちは、それにインネンをつけ、論理を転倒させて、解雇が規制されるから非正規雇用への「シフトを企業に誘発」(「誘発」などという表現は、加害者を被害者に仕立てあげる姑息な手法)させる、と非正規雇用の増大を正当化する。これでは、労働者の当然の権利行使は、かえって「労働者の地位を全体としてより脆弱なものとする」から、何にもしないで、資本家たちのお情けにすがって、ただ従順に従っておるのが一番という反動的な主張である。まさに封建主義的なアナクロニズムそのものである。
 意見書は、「一定期間派遣労働を継続したら雇用の申し込みを使用者に義務付けることは、正規雇用を増やすどころか、派遣労働者の期限前の派遣取り止めを誘発し、派遣労働者の地位を危うくする」という。これもまた同様な論理である。ここでも、意見書は「期限前の派遣取り止めを誘発」といって、資本家たちの一方的な行為をとがめもせず、逆に当然視している。そして、これを脅しのタネにして、「雇用の申し込みを使用者に義務付けること」を解消させようとしている。だが、労働者にとってみれば、正規雇用のほうがはるかに賃金労働条件は良いのであり、より人間らしい生活を欲する労働者が正規雇用を望むのは、あまりにも当然のことである。
 意見書は、「長時間労働に問題があるからといって、画一的な労働時間上限規制を導入することは、脱法行為を誘発するのみならず、自由な意思で適正で十分な対価給付を得て働く労働者の利益と、そのような労働によって生産効率を高めることができる使用者の利益の双方を増進する機会を無理やりに放棄させる」という。
 ここに至って、意見書はとうとう「脱法行為を誘発する」として、「脱法行為」までをも当然視するかのようである。意見書は、「労働者の権利」を否定的に見るのみならず、金儲けのためには「脱法行為」にも寛容なのである。今日、長時間労働(その上、サービス残業も多い)により、カロウシ、自殺、精神障害などが頻発している事は、よくニュースでも報じられている。それを知りながら、意見書は、「長時間労働の規制」を否定し批判するのである。まさに、人間の命よりも、ただただ金儲けを主張しているのである。これこそが、資本の本性である。
 意見書はまた、「自由で適正で十分な対価給付を得て働く労働者の利益」というが、この間、理不尽な長時間労働によって自殺した労働者、カロウシした労働者、限界労働で精神的な病に陥った労働者たちが、数多く出現しているのを見れば、とても「自由な意思で適正」な労働をしていたとは、言えないはずである。労働者は首切りを恐れて、低賃金はおろか、苛酷な労働にも文句一つも言えないのが現状である。

意見書後押しの経団連

 この意見書は、全体的に、「労働者の権利」を否定するだけでなく、資本家と労働者を比較すれば、生産手段を所有しない労働者が圧倒的に不利な状態に置かれていることに無知か、あるいは知っていても無頓着に振舞っている。だが、歴史をみるまでもなく、このような「非対称」であるからこそ、団結権、争議権など数々の「労働者の権利」が必要なのである。この肝心の点について、この意見書は、全く回避し逃亡している。
 なお、経団連の『規制改革の意義と今後の重点分野・課題』(二〇〇七年五月一五日)は、「日本経団連は規制改革の推進を最重要課題の一つに掲げており、規制改革会議の活動を引き続き支援していきたい」と、述べている。そして、六月二十九日、経団連は、07年度「規制改革要望」を政府に提出し、14分野二〇五項目におよぶ要望をあげている。その中には、@労働者派遣法で、派遣制限期間を超える場合、派遣先企業は正規労働者としての雇用申込みの義務があるが、この義務を廃止すること、A請負に対する規制を緩和し、「偽装請負」を合法化すること、Bホワイトカラー・エグゼンプションの早期導入などを求めて、労働法制の改悪を要望している。(T)