〔投稿〕

6・15日比谷野音へ!
    変化発展の兆し 9条改憲阻止の会
  

         渕上 太郎(6・15共同行動事務局)
  
 来る6月15日「9条改憲を許さない6・15共同行動」が行なわれる。9条改憲反対をメインスローガンに日比谷野音で集会を開き、繁華街をデモ行進する。
 自公連合政府による改憲の策動が進むなかで、昨年の6月15日、「かつて60年安保闘争を闘った世代の者が、この改憲策動を座して見守るだけでよいのか」ということで、ささやかながら政治行動に立ち上がった。経過としてはこの流れのなかに「2007年の6・15」もあると言える。
 昨年の秋以来準備されてきたこの取り組みは、今年3月〜5月の国会前連続ハンスト・座り込みの闘争を経て、大きな変化・発展の兆しをみせている。
 この「兆し」とはなにか。何が「変化・発展」なのか。
 もとより昨年の「6・15」の取り組みは、誤解を恐れずに言えば「60年安保の残党」、もっと端的に言えば「60年安保全学連主流派」によって担われ、一種の同窓会的雰囲気もあり、相当に私的なものであったと言えなくもない。「9条改憲阻止の会」と冠したとは言え、組織もなく、金もない、若干の経験と政治的意志だけはあるという者の集団が、改めて「政治的な闘い」に起とうとしたときの「始まり」は多かれ少なかれ、このような形をとるのはやむを得なかったのではないであろうか。
 そしてまた、集団を構成する諸個人は、政治的にも経験的にも全く異なった経緯のもとにあるというのは当たり前で、かつまた、現存するの諸党派に属する「現役」もいるし、かたや政治活動から遠ざかって暫くたつ者もいる。こうした諸個人が、集まり、討議し、「あしたの行動の一致」だけを目指してやってきたのが「9条改憲阻止の会」であった。
 前述の「流れにある」とは、このようなことである。
 そして、「変化・発展の兆し」であるが、わが国に新しい「改憲反対闘争」というものがあるとすれば、来る6月15日の取り組みがまさにそれにあたる。
 つまり、日本共産党の主導する「改憲反対運動」があり、社民党の主導する「改憲反対運動」もあろう。或いはその他の「改憲反対運動」がある。そして自民党ないしは右翼的勢力の「改憲運動」もある。かつて新左翼と言われた「諸党派」の運動もあろう。そういう政治的局面のなかで「われわれ〈改憲阻止の会〉ないし〈9条改憲を許さない6・15共同行動呼びかけ人会〉」の運動もあると言う事実を申し上げているに過ぎないが、この運動の経過は、本当に意外な反響を呼んだ。
 もちろんこの運動は明らかに「主として60年安保、70年安保世代」によって担われている。年金生活者もかなり多いと思われる。非常に不安定で困難な生活過程にある若いフリーターからみれば、「何んで『改憲』程度のことで、ろくに力もないのに『がんばるの?』『私ら改憲で世の中変わるのを期待してるのよ!』」ということにもなろう。
 正直に申し上げれば、「今日のハンスト者は誰?」「今日の座り込み者は誰?」ということに悩むということもあったのだが、結論的には、全国に散らばっていた「60年安保世代の多くの方々」によってこの運動は支えられ、発展した。これも事実と言ってよい。つまり「9条改憲阻止の会」は到らぬところは無数にあったが、結局のところ「60年安保の世代の人間が呼びかけて、そういう方々が集まって、9条改憲に反対する」運動を始め、そのレベルでの発展があった、ということである。
 世界は、はたしてわれわれのものかどうか、多くの方々が、どのような思いでこの「連続ハンスト座り込み」に共感を頂いたかは別にしても、かつて闘った者が40年、50年して再び、この名誉ある「改憲反対闘争」の主役としてご登壇しつつああるということが「兆し」の真の内容である。
 また発展ということは、明らかに「全学連主流派」という因縁を越えようとしていることである。それを「越えようとしている」のがまさに「われわれ全学連主流派であり、発展はまさに、その全学連主流派の努力による」などという見解は直ちに粉砕すべきである。やっと立ち上がったばかりの、幼い「(わが)改憲反対闘争」は、大事に育てられねばならないのだ。そうしてこそ、これからの大いなる可能性を秘めて運動を継続していくことが可能となろう。
 目下のところ、この「わが改憲反対闘争」は、その理論や戦略展望といったものについて、十分な見解の一致などはもっていない。だからと言って悲観するには当たらない。
 すなわち、それらは実践を通じて、実践の中で鍛えられ確立されていくであろうという楽観主義と諸個人の見解の相互尊重、そして「小異を残して大同に就く」という精神のもとで、これから大いに議論され、可能なことから明らかになっていくに違いない。ことさら慌てることもないが、「あれもない、これもない」として「悲観する」のが一番いけない。
 例えば「護憲じゃダメ」とかという議論も、「もっと落ち着いた場所」で、様々な角度から、冷静に、ゆっくり議論していくべきと思う。また、自民党等の「改憲素案」などについても、全面的な反論を加えていくべきだし、「テレビ討論などでも説得力をもつ『改憲反対の具体的言説』」も確立していかねばならない。インターネットの活用を含む改憲反対の世論を大いに盛り上げていく問題、そして「改憲反対」の「最大限幅広い戦線」の構築も展望されなければならない。
 以後、これらを可能なところから、一つひとつ問題を解決していき、大いなる改憲反対運動の展望を切り開けるのかどうかは、「6・15」に結集するわれわれ自身にかかっている、ということだけはハッキリしている。