野宿者支援法
  支援策拡充へ見直しを
    2・18虹の連合「全国調査中間報告・討論集会」

 二月二十八日、大阪市北区にて「虹の連合ホームレス問題全国調査―中間報告・討論集会」が、約百名の参加で行なわれた。
 〇二年に成立した「ホームレス自立支援法」が施行されて、早や五年を迎えようとしている。国は、同法が十年の期限立法であることより、中間年に、見直しを検討するとし、昨年「ホームレス実態調査検討会」を四回開催し、本年一月から二月に「ホームレスの実態に関する全国調査」を行ない、八月には「法」規定の見直し検討、更には来年〇八年三月には「基本方針」の見直しの上で予算決定を行なうとされている。
 ホームレスは、一〜二割は減ったといわれる中で、国の全国調査・法・方針の見直しが、対策の不十分性をそのままに固定化や後退になることのないように、「虹の連合」(特別代表・松岡徹参議院議員)が、大阪就労福祉居住問題調査研究会(代表・水内俊雄大阪市大教授)に委嘱し、民間の立場より調査し、政策提言もできる実態調査を行なうとして、昨年二月より取り組まれてきた。今集会は、全国的な説明と意見交換の上で七月より調査を開始し、あと数ヶ所を残した時期ではあるが、中間報告と討論を行なったものである。
 本調査は、聞き取り調査を中心とした対話型の性格を持ち、一、畳にあがった人々、かつてホームレスであった人への聞き取り調査より、野宿からの脱却・自立をバックアップし、更に継続させるものは何かを探る。二、各地の支援団体等へのアンケート調査より、自立支援の成果と課題を探る。更に、現在、未だホームレス状態に置かれている人々へのインタビューを行ない、路上での心情、自立の困難性など当事者の声を聞き、伝え、反映させる等を柱としている。
 調査を担当した大阪市大の水内教授が、七月より十二月末までの段階で、野宿から、畳の上に上がった人、六百二十一名、野宿している人、百十名に聞き取り調査を行なったと報告した。
詳しく見ると、野宿生活の経験者の年代は、五十六歳以上六十五歳未満が44・5%を占め、更に六十五歳以上七十五歳未満が20%、四十五歳以上では、85%となったという。性別は、九割が男性である。四大寄せ場(東京、横浜、名古屋、大阪)で、全体の四割、札幌、仙台、京都等の政令指定都市で二割であった。他の地方都市では、四割となっており、分散が進んでいることが解かった。
野宿者間では、「三年以上」が23・8%を占め長期化する傾向の一方、「一ヶ月から六ヶ月まで」が三割を占めており、ここからは比較的短期間で脱却していく層も多いと思われる。
野宿からアパートの畳の上に移った人で、自立支援センター・ケアハウス、一時保護所を経た人が33%を占めた事等がわかった、と説明された。
水内教授は、ここから「支援法」に基づく支援センターなどが一定の効果を果たしているとの説明が行なわれたが、参加者からは「ハコモノ支援」を評価しすぎとの意見も出された。
討論の中で、各地区の特色を持ちながら、支援者が力を添えることで、「自立」を実現する、自力でアパートに移る、NPOなどが運営する住宅を経過して野宿を脱却する人が、三割を超えている事も明らかになった。支援法プログラムだけでは不十分で、ボランティアなどの幅広い支援が加わる必要が浮き彫りとなった。
東京学芸大学の鈴木亘助教授が行なわれ、野宿暦が一年増えるごとに「体調がよくない」とする比率が4%増加する、畳に上がっても健康悪化を引きずっているとの報告があった。また、生活保護を受けられなかった元野宿者は、医療機関へのアクセスが著しく困難である。保護を受けている人は、気になる症状があった場合、そうでない人に比べ通院する確率が二・七倍から三・九倍も高くなる。
逆に、保護を受けていない人は、医療機関へのアクセスが困難であり、生保を受けられているか否かは健康を守る点でも大きく影響を与えるので、政策の中に入れてゆきたいと報告された。
各地域から九名が情況と方向を述べたが、「生保の運用が各地区バラバラで、情報交換や?支援を強める必要がある」、「中間見直しで減少していると縮小につながる懸念があるので、手を抜かず活動を強めよう」との意見が出された。
本集会での意見や、その後残っている地域(神戸等)の調査を踏まえ、早急に分析を加え、五月に東京で最終報告を持つことを確認した。
今調査が「聞き取り」を中心にしている事は、概数調査中心の国の全国調査にはない面を持っており、地域差を乗り越えて、各地域の支援が更に連携して取組みを強化していく必要があろう。本集会は、その一歩を踏み出していく場ともなった。(大阪Si通信員)


相次ぎ提訴
  生活保護老齢加算廃止に抗議
    格差社会に風穴

 生活保護の老齢加算は、昨年三月、完全廃止されたが、これを不服として、東京の十三人をはじめ、京都、秋田、広島、新潟、北九州で相次いで高年の受給者による訴訟がおこされている。(東京地裁には二月十四日提訴、この日は、生活保護裁判として有名な「朝日訴訟」の原告・朝日茂さんの命日という)。
 いずれも憲法二十五条の生存権の侵害を理由としているが、テレビのインタヴューで原告が言っていた、「年金より受給額が高い、などといわれて、弱いもの同士が争ってちゃだめ。高いところに合わせるのが政治というもの」というコメントはまったくそのとおり。ついに炸裂した高年パワーに、筆者はエールを送りたい気持ちだった。
 老齢加算の段階的廃止により、ある原告の場合、03年まで月額9万4千円(住宅扶助を除く)だった支給額が、現在は約7万5千円に減ったという。(東京新聞2月4日)
 二万円いきなり収入が減るというのでは、生活は大変だ、と容易に想像がつく。しかも、今後、加算廃止だけでなく、基準額の見直しも待ち構えている。地域ごとの基準額の差をなくせば、大都市圏の受給者はそれだけで万単位の減額になる。
 こんな暮らしていけない状況を底辺に強いる格差社会には、これからも反撃ののろしがあげられるにちがいない。地域から、格差社会に反撃を!(A)


「過労死は自己管理」「労基署も不要」と労政審・奥谷委員
  無知な暴言に資本家の本音

 柳沢厚労相の「女性は産む機械だ」という、むき出しの女性差別発言にも優るとも劣らないのが、「過労死は自己管理の問題」という資本家のエゴイスティックな暴言である。
 これは、現在、労働政策審議会(厚労相の諮問機関)の労働条件分科会の委員をつとめる奥谷禮子・「ザ・アール」(人材派遣会社)社長の発言である。
 同氏は、『週刊東洋経済』1月13日号で、「過労死も含めて、これは自己管理だと私は思います」というだけでなく、「祝日もいっさいなくすべきです。24時間365日を自主的に判断して、まとめて働いたらまとめて休むというように、個別に決めていく社会にかわっていくべきだとおもいますよ」、「労働基準監督署も不要です。個別企業の労使が契約で決めていけばいいこと。『残業が多すぎる。不当だ』と思えば、労働者が訴えれば民法で済むこと」などとも放言している。
 世間知らずというか、無知と言うべきか、同氏は、現在日本では、有給休暇制度が法律的に保証されているのに、それさえ現実には、機能していない理由を分析することもなく、「過労死は自己責任だ」と、息巻いているのである。有給を自由にとれないのは、それを可能とする人的裏づけがなく、合理化のためギリギリの労働力あるいはやや少な目の労働力しかないこと、そのため有給を自由に取ること自身、仲間に気兼ねして取れないのである。有給休暇どころか人手不足の中で、逆に構造的に長時間のサービス残業に追いやられているのが現状である。
 過労死の場合も、人出が足りない中で、負かされた仕事を誠実にこなそうと、自己犠牲的に献身することにより、過労死のワナにはめられるのである。それはまた、成果主義賃金システムを基盤とする熾烈な競争主義が圧力となり、さらに労働者を使い捨てのように酷使する資本家の目先の利益のみに固執する愚かさも背景にある。労働者の献身性につけ込んで、なりふり構わずに際限のない金儲けに奔走する資本家の本音が吐露されたものこそ、「過労死は自己管理の問題」だという発言である。
 さらに、奥谷氏の無知と「蛮勇」は、「労働基準監督署も不要です……」という発言に発展する。言うまでもなく、労働基準監督署は労働者の賃金・労働条件あるいは労働者の安全衛生など、法律的に規制された基準が施行されている否かを調べ、雇い主である資本家の違法を罰する公的機関である。それが不要だということは、実質的には資本家の法律違反を野放しにしろ!ということである。というのは、中小資本家などの最賃法違反などは全く珍しいことでもなく、サービス残業・偽装請負などは大企業でもしばしば行なわれているのであり、「労働基準監督署も不要です……」という暴言は、それらを取り締まらないということである。奥谷氏は、そういうことは労働者が告発すればよい、というかもしれない。だが、そんなことができる場合は、言われるまでもなく、すでに実施されている。問題は、数多くのケースで、資本家の報復などが怖くて、個々の労働者では告発ができない、という現実である。
資本の専制下では、資本家と個々の労働者の力関係は、圧倒的に前者の方が有利なのであり、だからこそ労働者側が反撃する際の最大の武器は団結であり、その具体的な表現こそが、労働組合である。労資関係のこんな基礎的な事実さえ知らずに、自分勝手な資本家の本音を言い放ったのが、奥谷発言である。
経団連会長の御手洗キャノン会長が、偽装請負を追及され、ならばその違法状態を合法状態にすればよい、という傲慢な態度にしろ、今回の奥谷氏の無知と蛮勇による暴言にしろ、弱肉強食路線の小泉―安倍政権の下で、資本家のエゴイスティックな振る舞いが目に余る。労働者の労働組合運動の原点に立った反撃が問われるときである。(T)