編集部だより

▼三十七年前「よど号」をハイジャックして朝鮮民主主義人民共和国にわたった元赤軍派の九名の一人、田中義三がこの元旦に亡くなった。末期ガンのために年末執行停止となり、刑務所から娑婆の病院に移って間もなくであった。冥福を祈りたい。▼一九六九年大菩薩峠に登る前日の隊長会議が、彼との別れとなった。振り返ればそれは、その後の人生のあまりに大きな別れ道となってしまった。▼昨日、当時の田中をよく知る友人に会う機会があった。田中にとって「大菩薩」の直後は、わたしの想像をはるかに超えて辛いものだったようである。朝鮮に渡って赤軍派の破産を総括し、路線転換を果たすことで、生き返ることができたのだろうと思う。▼あれから四十年近くの歳月が経った。日本の政治が岐路に立っている。東アジアが固唾を呑んで注視している。この国の政治の転換へ、縁あり朝鮮の人々の世話になった者として、独自の役割を果たすことが出来たろうし、本人も意欲的であったに違いない。無念であったろう。▼同じ世代の知る者の死は、年とともにこたえる。社会的諸関係の総体としての自己の消滅過程を実感させられるからなのかもしれない。しかし、「死」を背後にすることから起こるエネルギーというものもあるようだ。おもしろいものである。▼今年は、個人的にも波乱含みの幕開けとなった。(深山和彦)