【沖縄からの通信】

  沖縄県知事選挙をふりかえって
  敗因を直視し、沖縄民衆の大同団結へ

 去る沖縄県知事選挙(〇六年十一月十九日)は、野党統一候補の糸数けい子が309985票、自民・公明推薦の仲井真弘多が347303票、等の得票結果で、辺野古新基地建設に明確に反対するなどの政策を掲げた糸数候補が惜敗する厳しい結果となった。投票率は64・5%で低いとは言えないが、投票総数の内16・7%を期日前投票(全有権者比では10・6%)が占めるという異常さが目立った選挙であった。
 これにより仲井真新知事と日本政府との間で、昨年日米合意の「沿岸案」建設へ向けた協議が開始しつつあるが、今回の選挙結果によっても、県民の圧倒的多数が基地県内移設と「沿岸案」に反対している事実には何ら変わりはない。軍事基地なき平和な沖縄を求める県民の真情に依拠し、それを全面的に引き出し、闘いに最終的に勝利するためには、今回の県知事選敗北から多くの教訓と課題を得る必要がある。

 平和市民連絡会は十一月二六日、選挙敗北について態度表明し、「その原因は一つではありませんが、最大の要因が、有権者無視の、党利党略私利私略に基づく候補者選考過程にあったといっても言い過ぎではない」、「今回の選挙は、『結果としての反自公』はありえても、政策的対抗軸を曖昧にしてしまう『前提としての反自公』は、百害あって一利なしであることを示しています」と述べている。
 敗因の第一に、この野党各党の党利党略による混迷を挙げる必要がある。民衆の要望から遊離したその混迷を示すものとして、沖縄平和市民連絡会などの市民運動が野党各党や選対に対し、このかん何度も要請を重ねてきたことを知っておくべきである。
 糸数氏の十月一日出馬表明に至る前の段階では、平和市民連絡会は八月二十一日、野党五党と「そうぞう」の六者協議に対して、「五党が推薦する山内氏に絞り込むことが当然の流れ」、「今回は下地氏が譲られご協力されるのが望ましい」とする要請を行なった。
 九月七日には、野党五党に対し、「最終場面では糸数慶子氏が急浮上したが本人に断られ六者協議はついに解散しました。」「今回の混迷は、政治団体『そうぞう』が五党確認の『基本姿勢』を無視して、現職の自公の浦添市長を推薦したり、果ては下地氏本人が出てきて調整にも応じず混乱させたところに原因がある」、「六者協議が解散した現在、各党が五党共闘を再確立して『基本姿勢』を確認し」「統一候補として山内氏を決定し、早急に選挙態勢を確立」することを要請した。
 敗北した選挙戦をふりかえる上で、「四人組」―民主党・喜納昌吉、社民党・平良長政、そうぞう・下地幹郎、社大党・喜納昌春―について第一に取り上げなければ空論になる。かれらは、候補者選考協議から、糸数氏「決定」、選対本部の立ち上げ、11・2〜11・19の選挙戦期間にいたるまでの間を実質支配した。
 今知事選の眼目は、辺野古NOを成し遂げるため、候補者を「一本化」して日本政府に政治戦で打ち勝つことにあった。「一本化」とは、市民連絡会代表世話人の新崎盛暉氏が、「辺野古新基地建設を阻止するという共通の課題」を闘いとるために、〇四年糸数参院選で提起した方法である。糸数参院選でこの方法は試され威力が示された。
 あれから二年、SACO原案は廃棄され、米日軍事再編下の「沿岸案」として原案に輪をかけた悪性のものとして出現し、さらにミサイル戦争を前提としたパトリオット・ミサイルPAC3配備など、恒久基地・戦場化を私たちは強要されているのである。だから「一本化」の方法は一層、必要性を強めている。
 この情勢下で、沖縄の諸政党は「一本化」を民衆的圧力として認識しており、「一本化」を真正面から拒否するものはいない。しかし、「四人組」は直感的に、「党の自由」、その「路線の自由」にタガがはめられる「危険」を感じ取っている。かれらは「一本化」と称して、本来の「一本化」とは正反対のことを、無意識の内に実行している。
 選考過程をふりかえると、糸数側の「例え六党が推薦しても出馬はない」との表明の段階で、実質的には、山内徳信氏に決まっていた。誰の目にもそう見えた。そういう時間帯が確かに存在した。社民党が決定すれば、山内氏に決定されたであろう。
 だが、社民党が民主的手続きを踏んで時間をつぶしているあいだ、まさにその瞬間の九月十五日、「四人組」はかれらに残された最後の手段を行使した。社大党の「党決定」である。この「党決定」は、一旦消えたはずの”糸数”を強引に再度引っ張り出すことであった。選考委に提案する民主的手続きとこれまでの全てのルールを超越した、クーデター的な決定であった。絡まりもつれている事態の中で、このクーデター的強行策に抵抗することはできなかった社民党が、それを受け入れた。社民党の受け入れは、この段階ではすべてを決することを意味し、山内氏も受け入れざるを得なくなった。
 「一本化」とは、日本政府を相手にまわす民衆的方法であり、本来はその過程を通じて認識の共有を拡大し、連帯と団結を固めていくものである。しかし「四人組」によって、その道程はズタズタに引き裂かれていった。「四人組」は衆議員(1人)、参議員(1人)、県議員(2人)であると同時に、四党にまたがり重要な部署を占めている(3名党首、1名は前書記長・現副委員長)。「四人組」は、議員としての住み分けという「私利」、「保守も革新もない」路線への結集を目指すという「党略」をかけ、「一本化」の流れを押しとどめ、政治が自らの手のとどかない所へ行く流れを必死になってくい止めた。かれらにしてみれば当然である。
 日本政府を相手とみなすと同時に「党利党略」を棚上げにすべきもう一つの「一本化」は、実現したと言えるだろうか。こうして、一旦は敗北した、司令塔を持たない分散した多数は、”糸数”を「四人組」から引き離すべく、ベターな戦術に移行せざるをえなくなった。”糸数”は、「四人組」の候補であると同時に、多数派の候補でもあるというような「一本化」となった。
 知事選を戦いながら「四人組」との小競り合いが起こった。六者から除かれた下地は、綱領の違いを理由に「推薦」から「支持」に移った。そして「支持」のためには政策協定が必要だと言って、執拗に糸数候補との協議に押しかけ、そのつど新聞にリークしていった。新聞は彼のリークによって、ありもしない「糸数氏の政策転換」などと書いた。下地は、糸数の十年来の「カジノの導入反対」にまで横暴に干渉して「導入容認」を迫った。また下地たち土建業が犯した「沖縄県発注工事談合に関する罰金」についても「緩和政策」を要求した。下地は糸数氏の権威を傷つけ続け、仲井真の攻撃材料に提供した。「勝つためには下地票が必要」という虚構をバックに、9・15から11・2の告示直前まで粘っこくストーカーし続けた。
 「四人組」は、「一本化のための政策の擦り合わせ」と称して糸数氏をカンヅメにし、十月十八日のテレビ討論で、「県知事の職を踏まえれば、日米安保や自衛隊の存在や役割を認めることは当然だ」と糸数氏に発言させた。この腐敗しきった状態に抗議の声がまき起こった。また一方では、うんざりして逃避が起こった。五党内の一部がやっていることに対し、五党全体として成すすべを失っていた。
 こうした争点隠しの謀略を許さず、平和市民連絡会は二十日、糸数候補らに対し、立場の一貫性を曖昧にするな!と求める「知事選政策論争の進め方に対する要請」を行なった。
 ついに頭に来た後援会会長・池宮城紀夫氏は、下地に対し、「糸数はすでに五党の『基本姿勢』で動いている。下地氏の糸数との政策協定はこれに抵触し許されない。下地氏はすでに五党の『基本姿勢』を認めない存在であり、支持する、支持しないは下地氏の自由である。糸数との政策協定は認めない」ことを確認させた。(十月二七日)
 下地は、「協定がなければ、支持を取り消し自由投票になる」と言い続けてきていた。しかし二七日以降も”支持”をやめることはなかった。糸数選挙を利用して、「下地」と「そうぞう」の猛烈な宣伝を続けた。「分裂選挙」も「自由投票」も脅しであったことが明らかになった。エセ「一本化」を”ぶっつぶす”こと、つぶせないまでも、変質を遂げた、民衆力を失った「一本化」への導入をはたすのが狙いであったといえるのではなかろうか。
 この二七日の池宮城確認以降、ようやく、選挙として闘える体制が確立された。しかし、山内派とのしこりも解けないままで、労働者活動家らの分散も続いた。これらの悪影響が顕著に現われたのが、沖縄市であった。投票率も全市部中最低となり、市長選での四〇%勝ちが二〇%負けになるという大逆転負けをもたらした。市民は、PAC3配備によるミサイル戦争の戦場化を恐れていたが、東門市長は市民の危惧を知事選に連動させるべき当然の感性を持ち合わせていなかった。彼女が言う「基地機能強化」とは、どういう意味をもつのだろうか。市民は一人として、そういうありきたりの言葉は使わない。
 11・2〜11・19まで、選対本部は、糸数氏を「決定」した人々を中心に運営されたが、液状化していた。一号、二号法定ビラは地方では配布不能、大量に破棄された。
 平和市民連絡会を中心に「市民選対」が作られたが、その市民選対責任者・長嶺律雄氏は、総括的感想を次のように述べている。「中央選対との連携プレーがない」、「中央選対の責任者体制が不明、現在でも不明」、「地域支部には街宣車は二台もあるが、人がいず動かない。こちらから派遣したこともある」等々という有り様であった。

 「四人組」がもたらした混迷について長く述べてきたが、県知事選の大きな宣伝戦ではどうなっていたか。日本政府は、「振興策」と「基地受け入れ」のリンク論を流し続けた。県内のマスコミは、「経済振興」か「基地反対」かが争点と報じ、「経済振興の仲井真」「基地反対の糸数」との固定観念を醸成した。稲嶺―悪名高い「県政不況」で大田降ろしをなした―の八年間の一層高まった失業、とくに若年労働者の高率の失業という事実を隠蔽した虚偽報道を繰り返した。
 「県民は振興策を選択した」という敗北後の報道を、そのまま鵜のみにするのは危険である。若い人々の「失業問題、経済振興が最重要課題」という意識は多い。この傾向は強まる。たしかに、これが大きな敗因の一つの背景ではあろう。しかし、今回の場合、糸数敗北の主要な原因はそれではない。投票の数字の客観的な内容を見れば分かる。
 つまり敗因の第二は、期日前管理投票である。票数的には、これが最大の敗因である。
 権力と企業は自由に投票を奪い取り、徹底した強制された管理投票を行なった。その票数は十一万票に達し、投票総数の16・7%を占めた。期日前投票には、いろいろな強制の形態がある。一例を示せば、「仲井真のポスターが貼られた社室に集められカンヅメにされる。”会社の存亡にかかわる選挙”と言い含められる。これを繰り返す。そしてある日、勤務時間中にバスで投票所に運ばれ、入り口の監視に睨まれながら投票行為をさせられる。」――というぐあいである。かれらの意図に叛くことはまずムリである。十人中一人でも叛けばよいほうだろう。
 共同通信ほか数社の投票日当日の出口調査では、各社全部が、2〜5ポイントの糸数リードを算出している。最低ラインの2ポイントで概数的に計算すれば当日票54万7000票(100%)は、糸数28万3000票(52%)、仲井真26万4000票(48%)となる。(屋良候補は得票率1%以下なので計算外とする)。
 この当日投票中の糸数リード票20000票と総投票数65万7000票(当日票54万7000票+期日前投票11万票)における仲井真リード票3万7500票を加えて、11万票を処理すれば、仲井真が8万5000票(78%)、糸数が2万5000票をそれぞれ期日前投票数の中に占めていることになる。期日前投票の中に糸数票が2・5万票を占めること、強制的管理下のいわば「合囲地境」下の22%の不服従率が大きいか小さいか、可能か不可能かは判断が分かれるところであろう。(「合囲地境」とは旧日本軍用語で、敵に包囲され軍管理が全面的に行なわれる地域を指す)。
 11万票という異常な管理強制の期日前投票、この「合囲地境」を開放し自由な投票が行なわれると仮定し、11万票を五分五分に分け合うと仮定すれば、総得票では糸数が33万8000票、仲井真が31万9000票となり、糸数が1万9000票勝っていることになる。敗北票差3万7500票のすべてが、期日前投票の中に含まれている! 敗北の原因は、すべてそれ自身では開票されない、ベールに包まれている期日前投票の中にある。仲井真が3万7500票の差で勝ったのは、糸数支持票1万8700票を強制力によって仲井真票に変えたからとも言える。(糸数5ポイントのリードで算出すると、期日前投票に占める糸数票は7800票、不服従率は7%になる。出口調査の2〜5ポイント差は、期日前投票中の糸数票2万5000票〜7800票の差となる。また期日前投票には、本来の不在者投票としての自由な糸数支持票も少数含まれるから、不服従率は7%〜22%に+α%となる)。
 九七年の名護市民投票以来、権力側の武器となって、遂に16・7%にまで達した犯罪的な期日前管理強制投票の研究は重要であり、対策についても討論が必要だ。

 第三の敗因は、糸数陣営の失業・雇用問題に対する認識の誤りである。世論調査によれば、最優先で重視する政策としては「経済振興」と「基地反対」について、50対30の比で県民意識を形成している。糸数陣営の「やさしさとやすらぎの沖縄をつくる」(公報)、「人々の命キラめく自立・平和な沖縄を作る会」(選対名称)というのも、失業・雇用問題を重視している民衆の現状にてらせば、お上品すぎる。特に選挙戦後半期では重点を失業・雇用・経済振興に移す戦術転換の必要性を、多くの人々が感じていたのではないだろうか。
 マスコミはとくに後半に入ると、「経済振興か基地反対か」調の報道を繰り返した。そういう選択という状況がかもし出された。この状況にどう対応するかを私たちは考えねばならなかったが、第一にはこれは中央選対の仕事である。問題提起は多かったであろうが、どう結論を出したかは今でも明らかではない。
 仲井真は、粗雑にまた簡潔に、「失業を半減にする」と言う。できないし、ウソであるのだが人々の関心の核心点に対してズバリと言っている。糸数は「やさしさ」「やすらぎ」をメーンにしており、民衆の第一級の関心にソッポを向いている。
 「誘致派・稲嶺が八年間でできないことを、どうして仲井真ができるのか」、「むしろ誘致派が経済を破壊している」、「基地あるところに経済の振興は不可能、失業はますます増大する」、「『基地がなくなれば経済がもたない』は、日本政府が長年にたって沖縄の私たち弱者を脅迫し続けて形成された虚構にすぎない」――こうした反論、事実に基づく主張を前面に出すべきだった。この「基地依存経済」という”虚構”で再び三たび県民に脅しをかける仲井真に対しては、怒りのケンカを売らねばならないのだが、選対中央もこの”虚構”にイカレてしまっているのか、糸数に仲井真との握手をさせている。”虚構”が崩れるまでケンカを続けなければならない。それが、沖縄民衆の第一級の問題意識と、基地依存心理の克服にアプローチする常識である。仲井真との握手は革新の腐敗をイメージさせ、「保守も革新もない」ことをイメージさせる。常識を失っている選対中央に対する失望はきりがない。

 最後に以上から言えることであるが、中央選対の具体的まずさとしては、二点を指摘したい。中央選対の液状化状態を最も現しているのは第一に、期日前管理投票について対応を取ろうとしていないことである。十一万票(16・7%)の期日前投票はいまや犯罪的段階に入っている。中央選対が無策・放置すれば、百万有権者はその存在さえ知らないだろう。
 名護市民投票の場合、ヘリ基地反対協は、まず弁護士会議に対応策を聞いた。弁護士会議の討論が長時間要し、結論を待てないので、元市長・渡口祐徳さんの提案により、すべての街宣車を使って、集中してこう訴えた。「あなたのおとうさんが会社で管理投票をさせられている」と、おかあさん達に訴えた。その翌日から管理投票が激減したという経験がある。
 第二に、後半期における戦術転換の欠落である。辺野古NO、基地撤去は知事選の戦略の柱である。しかし、それを終始言っていれば良いというものではない。「経済振興」と「基地建設のNO」とは、相対立する選択課題ではなく、一つの事柄の裏表なのであって、私たちは、軍事基地を撤去して沖縄人の安全保障を確立し、また非生産的な基地対策費依存ではなく自立した経済の繁栄を計ろうとしているのであって、あえて貧乏になろうとしているのではない。戦場化による滅亡の危険こそ、経済振興を真っ向から否定するものである。しかし、日本政府やマスコミが、「経済振興」と「基地NO」は両立しないかのようにデマを流し続けた。
 こうした局面、民衆もまたその流れの中にまき込まれ、どちらを、誰を選択しようか迷っている局面、最大の関心事が「経済振興」に移り、そこでの選択に引き込まれている局面では、戦術の転換がもとめられていたと考える。知事選に勝ってこそ戦略は実現できる。戦術転換ができず知事選に勝てないのであれば、戦略もまた困難な状況を強いられる。

 民衆からの返答、我々の最大の関心事、経済・失業をどうするのか、という返答に、私たちは再提案を行なわねばならない。「基地反対」の裏にある「経済」と、「基地建設」の裏にある「経済」とは別々の異なった二つのものであること、軍事基地なき平和な沖縄の展望を再提案しなければならない。これは、今回の選挙対策的にいえば戦術転換の問題であるが、選挙総括にとどまらない路線問題である。
 民衆への提案―民衆からの返答―民衆への再提案という展開が、民衆のまさに民衆自身の政治的前進を獲得していく。これが「一本化」の思い・方法の根底で躍動しているエンジンではないだろうか。
 小異を残して大同につこう! 沖縄民衆は大同について日本政府と闘おう!(T)