静岡空港問題
  11・25〜26第六回反空港全国集会で全国的支援を確認
    今春「強制収用」阻止しよう

 昨年は、静岡空港建設問題では、収用委員会で不当な収用裁決が決定され、畑部分ではすでに十二月十九日で明け渡し期限となった。本年は、早々に強制収用が予想される。また北九州、神戸空港が強行開港したが、すでに半年がたち利用者減の実態がさらけだされた。関西新空港では、本年八月の二期供用開始を、国交省が約束を破って表明した。三里塚では暫定滑走路北側延伸が九月に着工され、東峰の森を破壊し住民を追い出す策動が強まった。石垣島白保では新石垣空港の施工式が強行された。
 各地のムダな公共事業、農地と自然を破壊し、最後的には軍事利用となる空港建設に、本年こそ反対を強めよう。迫り来る静岡空港の強制収用に対し、全力で取り組みを強めよう。

 十一月二五日、静岡市の労政会館で「ムダな公共事業・談合を撃て、空港つぶせ!第6回反空港全国集会」が開かれ、全県・全国から約一五〇名が参加した。集会後、市内デモが行なわれ、翌二六日は、建設現場と代執行の対象地に対しての現地調査が行なわれた。集会は、「空港はいらない静岡県民の会」など静岡の反空港八団体が主催し、反空港全国連絡会が共催した。
 吉本健一さん(空港はいらない静岡県民の会共同代表)の主催者あいさつのあと、三里塚芝山空港反対同盟世話人の柳川秀夫さん、静岡空港・建設中止の会、等からのメッセージが紹介された。
 報告と提案として、鎌田慧さんが、「土地の強制収用は前近代的強権国家のやり方だ。収用反対の声をもっと全国化して阻止していこう」と述べた。沼津鉄道高架事業反対運動から加藤益久さんが、運動現況と四月の市議選への取り組みが報告された。静岡の反空港訴訟弁護団より、収用委員会対策と事業認定取消し訴訟での論点が説明され、強制収用に備えての提起があった。
 続いて全国各地からの報告として、新石垣空港問題では、東京の八重山白保の海を守る会の生島融さんが、三里塚については、暫定滑走路に反対する連絡会でじゃがいもの会の大原隆さんが報告を行なった。続いて、羽田空港を監視する会の大道寺さん、泉州沖に空港をつくらせない住民連絡会の根本博さん、新福岡空港ストップの会の牧さんが報告。牧さんはとくに、北九州空港の開港後の、過大な需要予測による問題を指摘した。
 地元静岡空港については、地権者四名の方が報告と決意を一人ひとり語った。「ジャンバルジャンを思いおこして、渾身の力で闘いたい」(桧林さん)、「支援の皆様と共に」(松本さん)、「自信をもって話しができるようになった。人として譲れないものがある」(林田さん)、「嘘とデッチ上げの公共の利益だ。自分らしく闘う」(大井さん)と決意を述べた。
 土地収用攻撃に抗する今後の闘いの提案として、桜井建男・県民の会事務局長が以下の四点、共有地権者の補償金受取拒否、収用裁決取消訴訟の提訴、代執行に対する静岡らしい闘い、〇九年開港阻止までの闘争堅持、を力強く提起した。詳しくは一月八日の県民の会総会で確認されるという。
 最後に集会決議を採択し、共同代表の佐野慶子さんの閉会挨拶で締めくくった。

 以上の静岡での反空港全国集会に至るこのかんの経過を、収用委員会闘争を中心にふりかえり、今年二月にも強行が危惧される代執行の不当性をあらためて確認しよう。
 昨年二月十二日と十三日に、静岡県は土地収用にむけて、県収用委員会に収用裁決申請と明渡し裁決の申立を行なった。
 地権者等は、「地権者の会」「立木トラストの会」「共有地権者の会」がまとまって、「却下を実現する会」を結成し、五月十三日には「取消と却下」の実現をめざす大集会を開き、、また署名運動を起こし闘いに備えた。
 五月三十一日に第一回収用委員会審理が行なわれた。審理をめぐり一方的な指揮に対し、地権者・共有者は抗議し、開催は七時間も遅れた。七月四日に第二回が行なわれ、収用委会長の一方的審理に抗議活動が続いた。きわめて短い間隔での審理日程や、意見書でもって発言を代えるとする指揮、地権者と共有者を分離させる等の指揮に対し、参加者・傍聴者一丸となって審理を闘っていった。
 八月一日の第三回審理には、十七名が空港反対の意見を述べ、九月六日の第四回において初めて地権者三名が意見を述べた。地権者たちは、一方的な建設計画、なんの説明もない計画の推進、強行された測量について抗議し、十八年間の反対の意思を明らかにしていった。一方、土地等の鑑定評価書のズサンさが、鑑定士より明白にされた。以降は、審理指揮の強引さが増し、九月二十日の第五回で再度の地権者の意見陳述をもって畑部分の審理打ち切り、十月六日の第六回で山林部分の審理打ち切りが宣告された。
 十月二十日、収用委員会は本体部分(約3・6ha)のうち畑部分(約0・3ha)について収用裁決を行ない、地権者三名に裁決書が送付された。明け渡し期限は十二月十九日とされ、すでに県は「強制収用」をかけてくる情勢となっているのである。残りの山林部分(3・3ha)についても十一月八日に裁決があり、この明け渡し期限は一月十日と通告された。山林部分は全国一千七百名の共有者・立木トラスト所有者のもので、各所有者にも通告された。
 また一方で、本体以外の用地部(西側制限部分)の第二次収用委審理も十月十一日から行なわれ、十一月十六日、十二月五日と立て続けに組まれ、十二月十五日に結審し、裁決と明け渡し要求が迫っている。
 「公正・中立」とは名ばかりの「収用委員会」であることを承知の上で、「阻止する会」は審理に参加する闘いを取った。県民の世論形成を大目的として、県の一機間にすぎない収用委員会の審理に臨み、毎回圧倒的な参加と、強行審理に対する抗議を続けてきた。鑑定評価のズサンさが明白になっても審理の公開を拒否するなど、県の不当性は明白であり、収用裁決に正当性はひとつもない。
 現実に畑部分、続いて山林部分の収用裁決が行なわれ、さらに用地部についても裁決が予想される。来年早々の「強制収用」は避けられない。
 県は十一月中旬より、地権者・共有地権者・立木トラスト者に対し、一方的に補償金送付を一斉に開始した。地権者らは補償金の受け取りを拒否した。
 さらに県知事石川は十一月二五日、代執行予算の十二月県議会への提案を強行した。土木部が約二千万円(文書・事務・伐採・オオタカの森の家撤去などの費用)で、空港部が一億二千七百万円で内八千万円が警備費となっている。代執行当日の暴力的な警備体制のための予算になっている。
 こうして、収用委闘争を経て作り上げた県民世論と「阻止する会」の結束、さらに全国からの支援をもって、「強制収用」に対しての闘いの準備が急務となった。裁決取消しを求める行政訴訟の準備が進められている。事業認定取消し訴訟のほうもすでに第六回口頭審理を迎えているが、裁決取消し訴訟はこれと併合される可能性があり、予断は許されない。
 こうした中、十一月二五〜二六日に静岡市で行なわれた反空港全国連の第六回全国集会は、静岡空港の強制収用に対する闘いの準備を、全国の反空港の仲間と共有して作り上げていく重要な場となったのである。(東峰団結小屋維持会 渡邊)


三里塚40周年の“たすきわたし”12・3集会
  支援共闘総括し、新たな闘いへ

 十二月三日、「空港建設に反対し、この大地に生きてきた!三里塚四〇年の『たすきわたし』12・3集会」が東京・文京区民センターにおいて、約三〇〇名の全国結集で開かれた。
 三里塚闘争は、一九六六年七月四日に政府がまったく一方的に、三里塚・芝山の地に新空港建設を閣議決定したことから始まった。それから四十年の日々が過ぎた。
 集会は会場に四十年の闘いの写真パネルが掲示されるなか、大原さん(じゃがいもの会)の司会で第一部を映像上映、そして第二部をシンポジウム・討論として行なわれた。
 午後一時半から三里塚の映像上映が、闘いの日々を、生活の日常を映し出した。『抵抗の大地』、『どっこい闘魂ここにあり』では、第一次・第二次代執行阻止闘争、十字路の闘い、岩山の闘い、七八年三月の管制塔と横堀の闘いなどを、また『この大地に生きている 三里塚東峰地区の人々』では、一期の欠陥空港開港下においても、二期阻止・暫定滑走路延伸阻止を生活をかけて闘い、農業生活を日常的に営みながら新たな飛躍をめざす活動を描いている。
 また特別上映として、『やっぱりいらない静岡空港』が九月の測量阻止闘争など闘いの日々を映した。このかんの反空港の全国的な広がり、新しい農民・住民運動の問題提起を受けた。
 三時過ぎからシンポジウムが始まった。司会を兼ねながら、基調的な提起を大野和興さん(農業ジャーナリスト)より受けた。大野さんは、「三里塚闘争とは何か?『たすきわたし』とは何か?」と問い、四十年の歴史をふまえ、再度東峰などでの新しい闘いを今の時代の闘いに、若い人々に、「たすきわたし」していこうと述べた。
 ついでパネラー発言の冒頭として、柳川秀夫さん(反対同盟世話人)のほうから、「九一年に運輸省・公団に”謝罪”させたにもかかわらず、全体として、農業を捨てて移転していった農民、近隣の人々からの『いつまで反対しているのか』という意見が少なからずある。これを変えるには、『新しい価値観・民主主義、新しい社会、世直しの展望』をもって闘う必要がある。たすきをわたすとは、そういうことだろう」と発言があった。
 つぎに平野靖識さん(らっきょうクラブ)は、「中国の文化大革命の影響を受けて、若気の至りというか、三里塚へ来た。それから三十年ずっと住み続けているわけですが」と語りつつ、「反対同盟の闘いが、『九一年の謝罪』を引き出したと思う。それらの闘いの歴史を引き継いで、わたしは最後まで東峰でがんばり、たすきをわたしていきたい」と締めくくった。
 さらに、鎌田慧さん(ジャーナリスト)、菅野芳秀さん(山形置賜農民)、水原博子さん(日本消費者連盟)、松尾康範さん(アジア農民交流センター)等から、三里塚闘争と関わる各々の農民・農業、市民の運動について語られた。
 またさらに、元管制塔闘争被告である中川憲一さんは、損害賠償攻撃に全国の仲間の支援共闘で対処し、勝利したことの意義は大きいと述べ、「三里塚闘争の偉大さを再確認した。最後まで闘おう」と主張した。
 会場からも活発な意見が出されたが、とくに中国の留学生からの「三里塚闘争に非常に感銘を受けた」との発言が注目を引いた。シンポは最後に、石井紀子さん(東峰住民)より、実験村の農・土の闘いと東峰の闘いとを結合して闘っていくとの発言を受けた。
 最後に、静岡空港反対闘争からの特別報告として、「空港はいらない静岡県民の会」の島野房巳共同代表、桜井建男事務局長からアピールを受けた。集会は、強制収用阻止の全国的支援を意志一致した。
 三里塚では現在、〇〇年民営に公団は移行したといっても国策遂行に変わりはなく、ますます露骨に執拗に、東峰部落に対し、暫定滑走路北延伸、二期完成へ向けての攻撃をかけてきている。東峰の森を破壊しようと、騒音を撒き散らし、道路をふさぎ、いやがらせを続け、立ち退きを強要している。
 我々は、四十年来、反対同盟と連帯し、東峰に団結小屋をつくり闘ってきた。我々も、しっかりと総括しつつ、我々の闘いの成果と欠陥の歴史を踏まえつつ、また新しい農・土の全国的闘い、東峰の発する闘いの質を充分に踏まえて、農民と支援共闘の原則的関係のなかで我々の闘いの位置を形成していかねばならない。
 本集会の意義は、歴史的に計り知れないほど大きい。またそれは、主体的に言えば我々に大きな課題を要求するものでもある。(東京Y通信員)


11・19三里塚・東峰現地行動
  「東峰の森」は入会地だ

 十一月十九日、「東峰の森」破壊をやめろ!農地強奪を許さない!11・19三里塚・東峰現地行動が、「三里塚・暫定滑走路に反対する連絡会」主催で取り組まれた。
 集会は一時半より、東峰出荷場に約七十名が集まって開始され、まず石井紀子さんからのメッセージが紹介された。「『東峰の森』の現状変更の禁止を求める仮処分申請を行ない、わたしも債権者として取り組んでいる。空港会社社長は『東峰の森』を共に管理していくなどの約束をしておきながら、北側延伸決定以降は、何でもするという姿勢をあからさまにしている。これを許したら四十年も闘ってきた意味が無い。東峰の地で何人になろうともがんばっていく」。
 続いて、らっきょう工場の平野靖識さんが、東峰の森の歴史とその役割を説明した上で、「空港会社は、入会の実態がないと言っているが、東峰住民が歴史的に入会地として使ってきたことを証明する文書が見つかった。十二月五日には結審する予定で、年内にも判決が出るかもしれず予断を許さないが、東峰は皆一緒に闘っていく」と述べた。
 連帯の挨拶は、元管制塔被告団の中川憲一さん、共同声明運動の林廣治さん、関西・三里塚闘争に連帯する会の渡邊、三里塚四十周年企画事務局、東水労青年女性部、アジア連帯講座などから行なわれた。
 集会後、降りしきる雨の中、天神峰地区へ久しぶりにデモを行ない、市東さんの畑を通り、北延計画の地でデモを終了した。(東峰団結小屋維持会 渡邊)