10・29野宿生活者支援統一行動が展開
  野宿脱却へ真の支援策を
           釜ヶ崎越冬闘争は12・23突入集会

 十月二九日、大阪市内で「野宿生活者支援統一行動」が取り組まれた。行動は事前に、「健康・歯科・法律なんでも相談会」として宣伝され、当日は温かい食べ物・衣類も提供します、とチラシが配布された。
 この行動は、昨年十月三十日に一日行程で中之島・淀川河川敷・JR大阪駅前で実施された行動が、何でも相談として野宿生活者に好評であり、また一方で取り組んだ側の各種の専門家の連絡・連携が図られる契機ともなったことから、一年ぶりに実施されたものである。
 呼びかけ団体は、大阪府保険医協会、NPOヘルスサポート大阪、国境なき医師団日本、大阪民医連、歯科保健研究会、大阪弁護士会人権擁護委員会であるが、当日九時から正午まで中之島公園、桜之宮公園(都島区)、毛馬公園(北区)の三公園にテントを張り、さらに拠点より巡回班が周囲での野宿地を回り相談に当たったものである。午後には「まとめ集会」が行われた。
 統一行動へのボランティア参加は百二十名余り、三公園での相談者は百名余、巡回での声かけ・相談は九十名余の野宿生活者に対応、という規模となった。
 行動の目的は、一、さまざまな野宿生活者支援団体や支援者が協力して、一定の期間集中的に医療・歯科・法律・生活・福祉・居住・就労など多様なニーズに応える支援活動とする。二、相談活動の結果をフォローできる体制を確立するために、支援団体・個人のネットワークをより強化する。三、冬季・厳冬期を迎える前に、できるだけ多くの人々が野宿生活を脱するきっかけを作ることとされた。
 医師・歯科医師等による健康相談、弁護士や司法書士による債務問題や年金の問い合わせ、ビッグイシューまた大淀寮や福祉マンションによる就労や居宅相談が行われ、温かい食事が用意された。ふだんは、大阪市の巡回相談員の訪問による相談であるだけに、今回のように、野宿生活者の訴える健康やくらしや仕事について専門家が集中して対応する試みは、野宿生活者にとって必要なものになっている。
 相談結果としての医療「意見書」(福祉事務所・医療機関への紹介状)によって、健康障害に対しては福祉を通しての医療への受診に結びつくことになる。債務や年金未受給についても関心が多く、かつ深刻で、弁護士等の援助は不可欠なものである。
 野宿生活者の数多くの不安・相談に対し、このように専門家達が集中して連携して取り組む行動は、釜ヶ崎地区外で野宿する労働者の力になるものであり、さらに発展させられることが望ましい。なお、釜ヶ崎講座に関わる医療関係者や会員も、統一行動に積極的に取り組んだ。
 なお、大阪市内での野宿生活者に対しては、大阪市野宿生活者巡回相談室の巡回員が巡っているが、この巡回に弁護士や医師が同伴し相談にのる取り組みが、この一〜二年定着化している。府下においては、大阪府のホームレス統合相談事業が大阪府社会福祉協議会に委託され、巡回相談が行なわれているが、府下を四ブロックに分け各ブロックへ年二回、医師・歯科医師、弁護士、司法書士等が巡回相談員と伴に集中して廻り、健康や借金や年金等の問題解決にあたる活動が行なわれている。
 襲撃や、野宿地からの強制排除に対して抗すると共に、野宿からの脱却の糸口になり、現実に命を失うかもしれないおそれ、債務の取り立てなどに対し、解決あるいは対応を強めるこれらの活動はさらに続けられていく必要があろう。
 釜ヶ崎地区では、NPO釜ヶ崎支援機構の健康班を中心に、今年より特別清掃労働者に対する健康相談が始まった。昨年までは「特掃健診」が調査活動の一環として行なわれ、登録者の半数近くが受診し、治療や健康相談を受け、大きな成果があった。今年より調査がなくなり、大規模な健診はなくなったが、健康班が作られ、地域の基本健診を利用したり、社会医療センターで一定枠ではあるが健診が行なわれるようになった。さらに、その結果を健康管理に結びつける「健康相談」が、医師・看護師や歯科医師等によって特掃事務所で毎日行われるようになった。
 特掃には、地区内だけでなく市内各区より西成区以上の労働者が仕事に来ており、福祉部門の相談と共にNPO支援機構の福祉・医療相談が市内の中継点の役割を担ってきていることの意義が大きいといえる。
 ホームレス支援法は来年見直しの年となり、一月には厚労省による全国調査が行なわれる予定である。すでに「虹の連合」による全国の聞き取り調査が全国各地の当事者支援団体との協力で行なわれており、強まる排除に対して抗議しつつ、法見直しを真に支援施策の確立に向けたものにさせていかなくてはならない。
 釜ヶ崎では、十二月二十三日・午後二時より三角公園にて、越冬闘争への支援連帯・突入集会が行なわれる。
 厳しい冬を迎え、越冬闘争にも取り組んでいこう。(関西Si通信員)


11・28米軍再編はいらない!
       戦争国家を許さない!全国集会

   世界反基地ネットが来年三月結成

 十一月二八日の夜、東京・日比谷野外大音楽堂で「米軍再編はいらない!戦争国家を許さない!11・28全国集会」が開かれ、全国各地から約二五〇〇名の労働組合員や市民が参加した。主催はフォーラム平和・人権・環境で、アジア太平洋反基地東京会議が共催。
 この全国集会に先立ち「アジア太平洋反基地東京会議」が、十一月二五日から二八日まで行われている。この「東京会議」は、来年三月に南米エクアドルの首都キトで開催される「外国軍事基地撤廃国際ネットワーク(世界反基地ネットワーク)」の設立総会に向けた、アジア太平洋地域での準備会合である。世界反基地ネットワークは、〇四年にインド・ムンバイで開かれた第四回世界フォーラムでの会合の一つである国際反米軍基地会議(三十四カ国から参加)において、その結成が合意されていたもの。
 韓国、フィリピン、オーストラリア、グァム、ハワイなどから反基地活動家が来日し、アジア平和連合ジャパン、平和フォーラムなどなど日本・沖縄の反基地平和団体とともに、戦略会議・公開シンポジウム・基地視察が行われ、最終日に野音集会となった。
 集会は、「米軍基地の縮小・撤去を実現しよう」、「原子力空母の横須賀母港化反対」の主要課題とともに、臨時国会での焦点である「教育基本法の改悪を許さない」「憲法改悪のための国民投票法案を廃案へ」「防衛庁の『省』昇格反対」「共謀罪の新設反対」を掲げた。
 福島瑞穂さんら社民党国会議員多数の参加のほか、民主党からは近藤昭一衆院議員が国会報告を行ない、彼は「私は省昇格法案断固反対、昇格ではなく小さくし、無くすべき」と訴えて拍手を受けていた。
 国際アピールでは、韓国からはカン・チョルウンさん(民主労総)がピョンタク米軍基地拡張反対闘争などについて、フィリピンからはオクタビオ・ディナンポさん(ミンダナオ州立大学)とコラソン・ファブロスさん(非核フィリピン連合)が、米軍再来によるミンダナオ島南部の対「テロ」戦の戦場化について、またエクアドル設立総会について報告した。ハワイからも、「アメリカ帝国主義の最初の犠牲者」となったハワイでの米軍支配の歴史と基地情勢が報告された。
 日本・沖縄からは、第一軍団司令部移転などに反対する神奈川平和運動センター、名護新基地、パトリオット配備に反対する沖縄平和運動センターから報告。また、原子力空母母港化の是非を問う住民投票の実現のために、現在、横須賀で住民投票条例制定のための署名運動などが行われているが、これへの支援カンパが訴えられた。
 教育基本法改悪案、改憲国民投票法案の阻止のために、高橋睦子さん(日教組副委員長)、高田健さん(許すな憲法改悪・市民連絡会)が特別アピールを行なったあと、国会までのデモ行進を貫徹した。(東京W通信員)
 
 
全障連30周年記念大会・プレ企画
   電気ショックは
       精神医療にいらない


 全国障害者解放運動連絡会議(全障連)の結成三十周年記念大会が去る十月二九日、大阪市のヒューマインド(大阪府福祉人権推進センター)において開催され、障害者解放運動の三十年を総括的に振り返りつつ、今後の日本の障害者運動および全障連の運動方向が提起・討論された
 このかん障害者運動はさまざまな傾向を持ちながらも、当事者自身の運動として進展してきており、その中での全障連の力量の低下ということも否めない現実ではあるが、「障害者の自立と解放」の原点を堅持した全障連の闘いの継続・発展が望まれるところである。こうした大きな総括と今後の方向についてはまたの機会にゆずり、今回はとくに大会プレ企画について紹介してみたい。
 全障連30周年記念大会プレ企画として、「電気ショック療法を切り口に精神医療の<今>を語ろう」と言う題名のパネルディスカッションが大会前日の十月二八日、大阪人権センター(旧部落解放センター)で開かれた。精神病者、医療従事者、身体障害者など約五十名が結集し、盛況だった。
 パネラーとして、このかん、反「電気ショック」の闘いを闘ってきた京都前進友の会の小山通子さん、医師の立場から光愛病院の島田能孝ドクター、自らの親族を電気ショック療法の犠牲にされ、転院を支えぬいた体験をもつ、ほっとハウスの棚谷直巳さんがそれぞれ報告した。
 小山さんは、京都前進友の会の草創の頃に担われた悪徳病院との闘いを原点に、京都市内の病院調査を行なううちに、いわゆる進歩的といわれていた病院で電気ショックが何十年も前から行われていたことを摘発したことを報告し、特に医療改革運動を行なっていた医師が電気ショック療法に手を染めていたことを指弾した。また、こうした医師が行なおうとした電気ショック療法の研究会を実力で粉砕したことが報告された。
 島田ドクターは、医師の立場からなぜ電気ショックはいけないのか、をわかりやすく説明し、とくに副作用、記憶を奪い人の生の連続性を断ち切る(治療にとって重要な振り返りの作業や病識をもつことが失われてしまう)、治療者―患者の関係が支配―被支配関係として強化される、時間をかけて病者のあり方を共有する姿勢が医者からなくなってしまう、などの切り口で理論的根拠を明らかにした。
 棚谷さんは、みずからの叔母が都立松沢病院に四十年も入院させられ、電気ショックの犠牲になっていたのを、病院の妨害をおしきり転院させた体験を生々しく語り、患者とともに生きることの大切さをアピールした。
 会場からも多くの意見や取り組みの報告がおこなわれ、目だった報告としては、全国精労協の仲間から、電気ショックの実態調査の報告がなされ、公立病院の60%ですでに電気ショック療法がおこなわれていることがあきらかにされた。
 そのほか、電気ショックの体験談など、貴重な発言も数多かった。
 最後に、精神病者への殺人未遂なすりつけである宇治小事件の救援と、知的障害者の冤罪事件・野田事件の無実を訴える特別アピールが行なわれた。(大阪A通信員)