前号訂正と反省

 本紙前号(九月一日号)の三面の記事――「秋篠宮紀子の出産でまた マスコミが差別を再生産」の中の、「また、ハンセン氏病患者を抹殺するために隔離できたのも『伝染する』という誤った宣伝にある。」という部分を撤回し、削除する。
理由は、同記述が、「ハンセン病は感染力が弱いとはいえ、伝染病である」という基礎的事実を明確にせず、また、「『伝染する』という迷信」の一例とすることは、科学的事実に反すること――にある。このように不正確で、事実関係の誤認に基づく主張は、ハンセン病患者・元患者への差別と偏見をなくす運動にとっても有害だからである。
なお、ハンセン病の原因は、中世日本では一般的に仏罰による病と考えられ、江戸時代には家に伝わる血脈の病(遺伝説)と考えられた。それが、一八七三(明治六)年、ノルウェーの医師・アルマウェル・ハンセンが「らい菌」を発見し、日本でも一八八〇年代から感染説をとる医師が出現してきた。そしてその後、「遺伝病であり、なおかつ伝染病である」という矛盾した考えが残ることとなった。だが、ハンセン病患者に対する差別は、「遺伝」という偏見(「家の恥」なるもの)を残しつつも、次第に「感染」への恐怖へと変質していく。この背景には、ハンセン病の感染力が微弱であるにもかかわらず、「恐ろしい感染症」と宣伝し、ペストやコレラを引き合いに、患者の隔離政策を推進する国家権力の活動があった。一九〇七(明治四十)年に「癩(らい)予防ニ関スル件」が制定され、強制的な隔離収容がはじめられるのであった。
第一次世界大戦(一九一四〜一五年)後には、国家は優生政策を推進しはじめ、すべての患者を生涯にわたって隔離する「絶対隔離」の方向に向けて動き出す。また、ハンセン病患者は、天皇の即位や大喪など皇室の重要行事の際には、とくに徹底して取締りを受け抑圧された。
一九三一(昭和六)年に改定された「癩予防法」では、隔離の対象がすべての患者に拡大され、また、官民一体となった「無癩(らい)県運動」が進められ、差別・偏見はいっそう強められた。また、「民族浄化」の考えが患者にまで浸透させられ、その後「優生手術」などによって患者抹殺政策も強められていく。
患者自身による人権獲得や隔離反対などの運動は、戦前はもちろん厳しく弾圧されたが、戦後においても、「公共の福祉」の名の下に抑圧された。戦前から推進されてきた国家による強制隔離と抹殺政策を公然と合法化した「らい予防法」(一九五三年)が廃止されたのは、ようやく一九九六年であった。
われわれは、今回の誤りを反省し教訓にするとともに、ハンセン病患者・元患者の皆さんにご迷惑をかけたことをお詫びいたします。(編集部)