安倍首相の思想背景―吉田松陰
  尊皇主義と侵略思想

 安倍内閣が発足した。安倍首相自身が経済政策に弱いことは定評があり、そのことが経済閣僚の顔ぶれにあらわれた。経済関係の「司令塔」が不在なのである。逆に、総裁選での公約で教育基本法と憲法の改悪を最も重視していることが表明されたように、多くの札付きの右派が閣僚や党役員に登場している。たとえば、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(会長が中川昭一氏、事務局長が安倍晋三氏)に所属するメンバーの登用である。中川昭一議員が政調会長に、菅義偉議員が総務相に、高市早苗議員が沖縄・北方相に、下村博文議員が官房副長官に、山谷えり子議員が教育再生担当の首相補佐官に、という具合である。
この会は、一九九七年に発足したもので、日本帝国主義のアジア諸国に対する植民地支配や侵略を認め反省すること自身を「自虐史観」と的外れにも批判し、「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書を採択するように働きかけてきた議員グループである。この会の中心である中川・安倍の両名は、例のNHK番組改編問題の主役であり、下村議員は歴史教科書を“官邸でチェックする”と高言する人物であり、山谷議員はジェンダー・フリーを目の敵とする張本人である。
安倍首相がこのようなグループの事務局長を務めてきたことは、彼の思想性をよくあらわしている。その背景には、一体、何があるのであろうか。それは、かつての「満州国」の高級経済官僚で、東条内閣の商工大臣を務め、A級戦犯容疑者にもなり、戦後は六十年安保条約の締結を強行した岸信介氏を祖父にもったという家庭環境も大きなものであろう。それとともに、明治維新を薩摩とともに牽引した長州閥出身という風土のもとに育成されてきたこともまた、大きな要因である。このことは、安倍首相が郷土の大先輩・吉田松陰を演説や著書のなかで、しばしば引き合いに出すことでも明らかである。吉田松陰に大分、私淑しているようである。
所信表明演説でも、「教育の目的は、志ある国民を育て、品格ある国家、社会をつくることです。吉田松陰は、わずか三年ほどの間に、若い長州藩士に志をもたせる教育を行い、有為な人材を多数輩出しました。小さな松下村塾が『明治維新胎動の地』となったのです。」と述べている。
吉田松陰は、明治維新以降長州において尊崇されているだけでなく、戦前には早くから国定教科書に登場し、専制主義天皇制国家の臣民に範をたれるような人物として、そして熱烈な尊皇主義者として描かれている。では、彼の思想的核心とは一体、何であろうか。
松陰は自らの教育理想を述べた「松下村塾記」で、「そもそも人の最も重しとする所は君臣の義なり。国の最も大なりとする所は華夷の辨(弁)なり。」と言っている。松陰の思想的核心は、尊皇主義と排外主義なのである。(華とは、中華のことで、自国中心主義思想を示し、夷とは、異民族を未開人として差別する意)
幕末という時代状況の下で、排外主義的な「華夷の弁」に裏打ちされた松陰の侵略的な対外構想は、次のように表現されている。すなわち、「今急いで軍備をなし、軍艦や大砲が略(ほ)ぼ備われば、蝦夷(北海道)を開墾して諸侯を封建し、すきに乗じてカムチャッカ・オホーツクを奪い、琉球に諭し、朝覲会同(ちょうきんかいどう)すること内諸侯と比(ひと)しからしめ【琉球にもよく言い聞かせて日本の諸藩主と同じように幕府に参勤させるべく】、朝鮮を責めて質を納れ貢(みつぎ)を奉ること古の盛時の如くならしめ【朝鮮を攻め、昔のように日本に人質を出させ、貢物を納めさせ】、北は満州の地を割(さ)き、南は台湾・呂宋(ルソン)の諸島を収め、次第次第に進取の勢を示すべきである」(「幽囚録」)と。こうして富国強兵策をすすめ、やがて欧米列強に対峙する態勢を構築するというものである。
松陰の「君臣の義」と「華夷の弁」を規定するものは、彼の国体論である。「君臣の義」といっても単なる「君臣の義」ではないのである。すなわち、「漢土には人民ありて、しかる後に天子あり。皇国には、神聖【神聖な天子】ありて、しかる後に蒼生(そうせい *人民)あり。国体固(もと)より異なり。君臣何ぞ同じからん。」(「講孟余話」)と。そして、「およそ皇国の皇国たる所以は、天子の尊、万古不易なるを以(もっ)てなり。」(同前)と、神の子孫である天皇の尊さが、いついつまでも変わらないこと(万世一系思想に通ずる)――これが皇国が皇国たる「いわれ」なのである。
このような政治的というよりもむしろ宗教的ともいえる独尊主義は、次のようなところに根拠をもっている。すなわち、批判者に対して「論ずるは則ち可ならず。疑うは尤も可ならず。皇国の道悉(ことごと)く神代に原(もと)づく。則ち此の巻(『日本書紀』神代の巻のこと――引用者)は臣士の宜しく信奉すべき所なり。其の疑わしきものに至りては闕如(けつじょ *はぶくこと)して論ぜざるこそ、慎みの至りなり。」(同前)と。まさに、真実を追究しないことこそが慎み深さであり、ただただ神話を信奉することだけを至上のものとしたのである(前述した朝鮮について、「質を納れ貢を奉ること古の盛時の如く」の根拠は、「神功皇后の三韓征伐」などの神話である)。このような独善性と頑迷さは、当然にも、そのような国体をもつ日本こそが中華であり、異民族は夷であって、日本に従うべきだという論理に発展していくのである。
このような思想ははるか彼方の昔のこととのみ見ることは早計である。現に「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史観に見られるように、“歴史は科学ではない、物語である”とうそぶいて、歴史的事実を葬りあるいは歪曲し、自己の願望や欲望に従って歴史を創作する傾向が、強まっているのが日本の現状である。また、それを強力に推進する政治家たちが安倍首相を筆頭とする「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」のメンバーたちだからである。  (T)