8・13集会
 平和の灯を!ヤスクニの闇へキャンドル行動(8・11〜15)
   韓国、台湾、沖縄、日本の民衆が

 八月十三日、韓国・台湾・沖縄・日本から約一千名が東京神田の日本教育会館に集い、「平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動8・13集会」が開催された。
 開会のあいさつとしてまず内田正敏さん(弁護士、ヤスクニキャンドル行動実行委事務局長)が立ち、「小泉首相の靖国参拝は、侵略戦争と植民地支配の肯定を世界に発信するもの。靖国神社の解体に向けて運動を進めていきます」と発言。続いて李ソクテさん(民主社会のための弁護士会・元会長)が、「日本の侵略戦争に加担させられ、戦死した韓国人が靖国神社に合祀されている。これは韓国人の意志にそむくものだ。ただちに靖国神社は、合祀を取り消せ」とあいさつした。
 第一部の講演と証言に入る。
 最初に韓国から来日した国会議員九名が紹介され、代表して金希宣さんが「東北アジアの平和をつくる方途を見つけるために訪問した」と発言。
 講演に立った高橋哲哉さん(東京大学教授)は、A級戦犯分祀論について「二十一世紀の戦争神社、第二次国営靖国神社の創設」へと向かう危険性を孕む主張として警鐘を鳴らした。
 李金珠さん(光州遺族会会長)が、「私の夫は天皇のための侵略戦争に、家族と祖国を捨てて進んで命を捧げるような愚かな人では絶対にありませんでした。A級戦犯によって強制動員され願わない死を強いられたのです。侵略戦争を正義の戦争とみなし、戦没者を戦争の英雄を崇める靖国神社に祀るのは、夫に対する冒涜です。小泉首相が平和にそむき、朝鮮人戦没者を侮辱する靖国神社の参拝をただちに止めることを強く要求します」と発言。
 金城実さん(沖縄靖国違憲訴訟原告団長、実行委共同代表)が、「八十人が原告となって沖縄靖国違憲訴訟を行っている。沖縄戦で犠牲になった人は、お国の為に死んだのではない」と発言。
 高金素梅(チワス・アリ)さん(台湾立法院議員、靖国アジア訴訟原告団長、実行委共同代表)が、「台湾原住民族は日本軍国主義の侵略を受け、五十年間にわたり支配され、苦汁をなめさせられた。消滅させられた民族の歴史を取り返すこと、日本政府に植民地支配の責任を取らせるために『首相の靖国参拝違憲訴訟』を起した。大阪高裁で参拝を違憲と認定する判決があった。しかし小泉首相は、この判決を無視して参拝に行った。それで八月十一日に『靖国神社に対する高砂義勇隊犠牲者の削除要求』の新たな裁判を大阪地裁に訴えた。過去四年間、台湾原住民、韓国、琉球、日本の平和を愛する友人たちとともに、日本政府と靖国神社に対してたたかってきた。今後も平和・人権の確立のために行動を起していこう」と発言。
 最後に、李煕子さん(合祀取消訴訟韓国人遺族代表、実行委共同代表)と今村嗣夫さん(弁護士、実行委共同代表)が、小泉の靖国参拝と靖国神社を厳しく批判し、第一部をしめくくった。韓国から参加している「元軍隊慰安婦」の三人が紹介され、会場から連帯の拍手がおくられた。
 第二部はコンサート。台湾の原住民の人たちが結成したグループ「飛魚雲豹音楽工団」による合唱と演奏、韓国の子どもたちによる歌、在日の朴保のライブで、会場は大いに盛り上がった。
 集会終了後、靖国神社に向けて千人がキャンドルを手に「靖国反対」デモを行った。
 なお、この集会に先立つ八月十一日には、首相参拝中止を求めて首相官邸前で抗議行動、その後弁護士会館での集会と霞ヶ関キャンドルデモを行ない、十二日には銀座キャンドルデモを行なった。そして十四日には明治公園でのキャンドル人文字行動など、十五日に早朝抗議行動を展開した(二面に記事)。
 また、以上の靖国キャンドル行動には、韓国から約二二〇名、台湾から約五〇名という多くの来日参加があったことを特に記しておきたい。(東京M通信員)

今こそ平和のためにキャンドルを灯そう! in明治公園
  民衆の力示したキャンドル人文字

 靖国キャンドル行動の四日目、8・15前日の十四日には、一連の行動の山場と言ってもよい「8・14今こそ平和のためにキャンドルを灯そう!in明治公園」が行なわれた。
 「YASUKNI NO」のキャンドル人文字を約一千二百人で実現したことを始め、延べ約二千人の労働者・市民が東京・明治公園での集い・展示・コンサートに参加した。
 正午から展示が始まり、台湾代表団、韓国代表団、「合祀イヤです訴訟」、日本の市民団体などなどのテントが張られた。盆休の千駄ヶ谷界隈というと人通りは閑散としているものの、各展示への人だかりがしだいに増えてきた。
 大型トラックを使ったステージでは二時から、韓国・台湾・沖縄・日本のコンサートを織り交ぜながら、各アピールが始められた。
 最初に、韓国実行委員長の李海学さんが、「本来隣国どうしは理解し合い、仲良くせねばならない。しかし日本は逆行し軍国主義化をすすめている。日本の人々に、また小泉首相の良心にも訴えるためにキャンドルを掲げよう。北東アジアの平和のために、人類の平和のために、キャンドルを高く掲げよう!」と力強くアピールした。大挙状況した関西の諸団体、金城実さん(沖縄靖国訴訟原告団長)、西野瑠美子さん(女たちの戦争と平和資料館)、そして靖国関連真相調査団の韓国国会議員、台湾立法委員のチワス・アリさん等々がアピールした。
 韓国のシャーマンによる儀式(靖国に捕らえられたアボジの魂を故郷に呼び戻すということのようだ)が始まった夕刻には、多くの人々が公園に集まってきた。
 暗くなった七時すぎ、人文字づくりが開始された。七時半、配置に付いた人々は次々にキャンドルに点火し、靖国NOの人文字が浮かびあがった。
 最後に、「平和の灯を!靖国の闇へ」キャンドル行動共同アピールを参加者一同で拍手採択し終了した。このアピールは、日本政府に対しては、強制合祀の即時取り下げの措置をとれ、戦争神社・靖国参拝をやめよ、憲法改悪の試みを捨て平和主義を遵守せよ、を要求している。
 このように韓国、台湾からも犠牲者遺族を始め多くの人々が来日し、連日、小泉首相に靖国参拝をやめるよう求めたにも関わらず、八月十五日の早朝七時四十分、小泉は六度目の靖国公式参拝を平然と強行した。
 この日、キャンドル行動の最後の日程は、朝八時半、茅場町・坂本町公園集合の小泉参拝反対早朝行動であった。参加者の誰もが、騒々しい報道に頭にきながら公園に向っただろう。台湾の人々は、靖国神社前に早朝から座り込んで抗議行動をやりきり、その後坂本町公園に合流した。七百名の怒りのデモが、日比谷公園まで貫徹された。
 なお、この日八月十五日にはキャンドル行動以外にも、午前中には平和遺族会全国連絡会の主催による「小泉首相は靖国神社参拝の中止を!アジアの平和と和解・共生をめざそう!8・15集会」が神田で行なわれ、正午から靖国神社周辺で平和行進を行なった。
 また午後からは、反天皇制運動連絡会などによる実行委員会によって、「小泉は靖国に行くな!国家による『慰霊・追悼』反対!8・15集会とデモ」が水道橋で行なわれた。
 小泉から安倍への反動潮流は、居直り的な靖国参拝を強行したものの、それを許さない東アジア民衆の国際的包囲が力強く発展しつつあること、それを行動で示した数日間であった。(東京W通信員)


大阪8・10集会
  アジア民衆と共に問う
     靖国東京総行動へと850名

 八月十日の大阪市では、靖国東京総行動(8・11〜15)の前段として、「アジア民衆とともに8・15を問う!小泉靖国参拝を許さない8・10大阪集会」が行なわれた。
 この集会は北区民センターの大ホールで午後六時半から開催され、労働組合、市民団体など八五〇名が参加した。主催は、大阪平和人権センターおよび、日朝日韓連帯大阪連絡会(ヨンデネット大阪)と大阪ユニオンネットワークの呼びかけによる日朝日韓民衆連帯8月行動実行委員会。
 集会は、森田実さん(政治評論家)による「小泉政治全面批判―8・15と靖国」、朴一さん(大阪市立大学教員)による「アジア戦争責任と靖国」と題しての、お二人の講演から始まった。
 森田実さんは、米国に従属した小泉政権はイラク自衛隊派兵など憲法9条の違反を堂々と行ない、また資本家のしたい法題の深刻な格差社会を作り、日本をとんでもない国にした、ここからの転換をと訴えた。
 朴一さんは、あの戦争で朝鮮人・台湾人の人達が参戦させられた、靖国神社には朝鮮人の人達二万人以上が合祀させられている(台湾人は約二万八千人)、靖国とは多くの無駄死にさせられた人達へ、無駄死にじゃない、国のために死んだのだと意味を与えるもの、そして靖国にはその無駄死にさせた責任のある人達も合祀されている、とりわけ朝鮮人遺族が被害者・加害者一緒の合祀を決して許さないのは当然だと述べた。
 つづいて小泉靖国参拝違憲アジア訴訟団、また靖国アジア訴訟原告団長のチワス・アリさん(台湾立法委員)のアピールが行なわれ、台湾現住民族による靖国神社への合祀取り消しを求める闘いのビデオを上映した。また、翌日十一日に大阪地裁に提訴する「合祀イヤです訴訟」の原告からもアピールが行なわれた。
 そして、小泉靖国参拝反対、憲法9条改悪反対、イラク反戦、日米軍事同盟反対などの内容を含む集会決議が採択された。
 首相・閣僚の靖国参拝を止めさせることはもちろん、戦争神社・侵略神社・人殺し神社で、天皇制の柱である靖国神社の解体へ、A級戦犯分祀による「解決」ではなく靖国神社そのものの解体へ向け、反戦・平和の闘いを進めていかねばならない。(関西N通信員)


大阪地裁
  「合祀はイヤです訴訟」8・11提訴
    靖国神社と国に合祀取消を請求

 八月十一日、「靖国合祀はイヤです訴訟」が大阪地裁に提訴された。正式訴訟名は「霊璽簿からの氏名抹消等請求事件」という。靖国神社に親族を勝手に合祀されている台湾・日本の軍人・軍属の遺族九名の原告が、戦争神社・侵略神社に対し「合祀を取消してほしい」といっているものである。
 被告は、靖国神社と、一方的合祀に積極的に加担している国である。訴訟内容は、一、被告は連帯して原告各自に百万円の損害賠償を支払え、二、靖国神社は、合祀者一覧表の原告名に対応する合祀欄記載の氏名を、霊璽簿・祭神名表から抹消せよ、とするものである。
 原告らは次ぎのように述べる。靖国と国は共同して日本軍の戦争に参加させられた兵士らの死を一方的に意味づけてきました。すなわち、その「霊」に「感謝と敬意(ありがとう)」を捧げて、後に続くものの養成をしてきました。これこそが国民が侵略戦争に組み入れられる仕組みでした。この仕組みの中核を切り崩す、最も本質的な反靖国闘争が始まります。この訴訟において、遺族たちは「宗教的に」美化されてきた戦死者の利用を、「宗教的に」否定します。この闘いが成功裏にすすんで、それが、まだ立ち上がらない多くの遺族、未来に徴兵されるかもしれない若者、そしてその遺族となるかもしれない人びとに、のろしとなって伝わり、すべての人が宗教的に靖国を拒否する日を目指しましょう。これ以外に靖国が本質的に消滅することはありません。(訴訟提起の経緯より)
 更に、この闘いが、国立追悼施設の新設という策や、とりあえずの外交的配慮を超えて、真に「ころさない、ころさせない、ころされない」闘いになるはずと訴えている。
 過去何十年も前から合祀取消しを要求してきた遺族に対し、靖国は拒否をしてきた。日本、沖縄、韓国、台湾の遺族被害者を多く含めてこの間闘ってきた小泉靖国参拝違憲訴訟の共闘の上に、台湾の方を入れて原告を遺族の少人数にしぼった今回の訴訟が提起されたのである。
 なお、靖国神社を被告とすることに関わる論点の一つについて、訴状は次ぎのように述べている。「合祀の取消なる行為は、被告靖国神社の教義上は合祀そのものと同様ひとつの宗教行為であろうから、裁判所が宗教法人である同被告に、判決によってこれを命じることは適当ではないと思われる。よって、原告らはぎりぎりの請求として、書類にすぎない霊璽簿、祭神簿、祭神名票からの本件戦没者の氏名の抹消を求めるものである。」
 同日夜、訴訟決起集会と「ともに闘う会」の発足集会が開かれた。(関西 SI通信員)


靖国問題
  波紋広げる天皇「富田メモ」・・・「A級合祀」処理しても
    戦争推進装置の本質は変わらず

 一九七八年、A級戦犯が靖国神社に合祀されて以来、昭和天皇は同神社への参拝を中止してきたが、その理由が今回の富田メモによってより明白なものとなった。
 富田メモによると、一九八八年、昭和天皇は、「私は 或る時に、A級が合祀され その上 松岡、白鳥までもが、……だから私あれ以来、参拝していない、それが私の心だ」と述べている。
 従来、保守論壇は、この問題について、天皇の参拝中止とA級戦犯の合祀とは関係がない≠ニいう態度をとってきた。そして、岡崎久彦氏にいたっては、(A級戦犯合祀によって天皇の参拝が中止されたという見方は)は「全くの嘘のプロパガンダ」であり、真相は「(三木元首相が)『私的』参拝などと言い出した結果」(『諸君!』〇五年八月号、安倍晋三氏との対談)などと身勝手な憶測を撒き散らしてきた。
 この問題での事実関係は、従来、徳川義寛元侍従長らの証言などにより既に明らかにされていたのだが、今回の富田メモでよりリアルに論証された形となった。
 今日の政治情勢の下で、富田メモの公表は、さまざまの波紋をもたらしたが、ここでは二点の問題について述べてみる。
 一つ目は、いまや「国論を二分」し、アジア外交の一大争点となっている首相の靖国参拝問題にいかなる影響をあたえるか、という点である。
 確かに、富田メモは、首相の参拝に反対する勢力には若干有利なものとなっている。しかし、極右派勢力も必死の反撃にでており、この点、あまり過大評価すべきではないであろう。そもそも右派勢力だからといって、すべてがすべて、天皇の発言を、いちいち鵜呑みにするとは限らないからである。むしろ、天皇の発言を無視し、逆に、自らの政治方向に天皇を誘導する例が日本歴史においては、しばしばみられる。天皇制を政治的に利用しようなどという者は、@史的にみて天皇制存続の秘訣が常に「勝ち馬」に乗り続けたことにあり、従って、天皇の政治意思ではなくその取り巻きの多数派の政治意思こそが肝要であること≠知り抜いているのである。
 また、自らのアイデンティティをナショナリズムに求める今日の一部の若者にとっては、昭和天皇の発言など、たいして重要視しない者が、おそらくかなりの数にのぼるのではないか、と思われる。価値序列としては、天皇よりも国家を上位におく考え方である。
 二つ目は、富田メモに現われた昭和天皇の政治的立場の評価である。
 史実をまげて、昭和天皇が戦前・戦中、一貫して平和主義者≠ナあったかのようなプロパガンダが、戦後、右派勢力によって行なわれてきた。
今回の富田メモについても、一部のマスコミや右派勢力は、またまた、昭和天皇がA級戦犯の合祀に立腹しているからといって、彼の平和主義者ぶり≠新たに示す証拠としたい、ようである。
だが、これは、大いなるまちがいである。
昭和天皇は、A級戦犯を靖国神社に合祀し、戦争犯罪人としての彼らを免罪することは、直ちに戦勝国の反発を招き、その政治的結果は、自らにはね返ることを、よく知り抜いていたのである。
すなわち、仮りに、A級戦犯に責任がないとすれば、では誰が戦争犯罪人としての責めを負うべきか、という問題が、改めて日本内外で論議されることは必定とみたのである。そして、昭和天皇の戦争責任問題が、再び、みたび、論議の俎上(そじょう)にのぼるのである。
自らの戦争責任については、敗戦直後、マッカサーに対して認めた時以外、一貫してアイマイにしてきた昭和天皇にとって、この問題がほじくり返され論議されること自体、耐え難いことなのである。
昭和天皇がいかに、戦争責任問題にふれられるのを嫌ったか――それは、一九七五年十月の記者会見での、やりとりで明らかである。このとき、「ロンドン・タイムズ」記者が事前に提出された質問事項にはなかった戦争責任について質問すると、昭和天皇は「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないので、よく分かりませんから、そういう問題については、お答えできかねます」と珍妙な回答をしている。なんという不誠実さか。なんという無責任さか。やはり、この問題は、触れられること自身、忌避しているのである。
靖国問題は、たとえ何らかの形で合祀問題が処理されたとしても、首相や天皇などの参拝がつづく限り、とても解決したとは言えない。政教分離の原則に抵触するからである。首相の靖国神社参拝の方針は、一九六〇年代、自民党が靖国神社の「国家護持」法案(今回の自民党総裁選で麻生外相が公約したものは、その焼き直し)成立に失敗した後、巻き返しのための迂回策として行なわれてきたものである。それは言うまでもなく、国家のために戦死することを、「讃(たた)え」、「顕彰」し、国家のための戦死を促すイデオロギー的、政治的装置を復活させるためである。(T)


秋篠宮紀子の出産でまた
  マスコミが差別を再生産

 宮内庁は、九月一日、秋篠宮妃の帝王切開による出産が、九月六日に行なわれる予定であることを、正式に発表した。
 これより先、すでにマスコミは、出産をテーマに例のごとく、特別番組の準備や事前のスペシャル番組の報道をおこなっている。
 支配層は、一九九〇年代いこう、未来にたいする明るい展望をなかなか見出せない中で、かつてのようなバラマキ政治もかなわず(いわゆる先進国中、最悪の財政赤字)、利益誘導策いがいの手段で民意をつなぎとめる方策の開発や改良につとめてきた。そうしたものの中で代表的なものが、ナショナリズムの煽りたてであり、天皇制の政治的利用である。
 後者の問題では、とりわけマスコミが、自覚的、あるいは無自覚的に、率先して皇室報道なるものを行ない、差別意識を煽り立て、差別意識を再生産している。
 マスコミ側の立場からすると、憲法に象徴天皇制が明記されているので、なんら違法でもなく、やましいことではない、と恐らく言うであろう。
 だが、それはお門違いというものである。現憲法の主権在民・基本的人権の原則や、平等主義・民主主義の観点からすると、これらと最も対立するのが、天皇制の存在そのものなのである。現憲法の矛盾点の一つである。
 差別とは、ある特定の他者や他者集団を、蔑視し、貶(おとし)め、いじめる、という行為だけを指すものではない。それは、ある特定の他者や他者集団を不必要に持ち上げ、崇(あが)め、神聖視することもまた、差別なのである。
 両者は、ともに人間を不平等に扱い、対等・平等の人間関係を破壊し、極く一部の支配層による階級支配に貢献するものである。
 両者の共通性は、日本の場合、「伝染する」という迷信を前提にする点にも表れている。たとえば、被差別部落民に触れると穢れる、という考えは、被差別部落民を穢れた存在とする差別意識とともに、触れると穢れが「伝染する」という迷信が前提である。また、ハンセン氏病患者を抹殺するために隔離できたのも、「伝染する」という誤った宣伝にある。
 それだけではない。逆の側の、神聖視する場合にも、存在する。皇室の慶事は、また国民の喜び事≠ニいう決まり文句も、皇室の慶事が「国民に伝染する」という、迷信が前提にあるからこそ、成立するわけである。
 こうした迷信を前提にして、天皇制を政治的に利用し、皇室の慶事は、国民の喜び≠ニ幻想させることによって、現実の階級矛盾・階級対立を隠蔽するのである。そして、天皇などを特別視し(皇室関係者だけの特別の敬語)、神聖視し、日々、差別を再生産しているのである。
(T)