〔沖縄からの通信〕

沖縄県知事選
  六者協「解散」の背景―沖縄民衆の政治力を!
   候補「一本化」で新基地阻止の勝利へ

 九月一日夜、県知事選挙(十一月十九日投票)の候補選出のための六者協議(社民党、社大党、共産党、民主党、自由連合、政治団体「そうぞう」)は、解散という事態となった。
 候補者を二人(山内徳信、下地幹郎)まで絞ったうえで、最後の詰めまできて解散したわけで、外から見れば選定を放棄したに等しい。誰がみてもおかしい。二人が同時に降板しないから解散したという理由だが、始めから両氏を相殺するシナリオだったと言う人もいる。多分そうなのだろう。
 現状で下地氏(元自民党の衆院議員、「そうぞう」代表)が、革新の統一候補として承認を受けられることはありそうにない。したがって山内氏を消すための当て馬であったというのだ。民主と「そうぞう」にとって、山内では操作できない。操作可能な人物か、下地自身というのが、かれらの最善策である。
 県民大衆にとって、最大の争点は辺野古新基地NOであるから、五者協から六者協への四ヵ月の経過からみても、「山内で一本化」は承認できる。常識的な結論でありえる。山内氏は、大田知事のブレーンでもあったし、基地県内移設阻止県民会議の議長として民衆とともに闘い続けた人物である。
 下地は、厳密な意味では「反自公」ではない。彼が当選した昨年総選挙の沖縄1区は、自民が強い地域での公明候補に反対した保守陣営内部の争いであった。彼自身が「反自公」を唱えたのではなく、「自公に勝たせるより、また死票になるより、いやいやながらも下地へ」として投票した人々が反自公であったのである。彼は、沿岸案には反対しているが県内移設反対の立場ではない。
 六者協の中での彼のハシャギ振りやウヌボレに対する、大衆の批判がうずまいている。下地をここまで飛び跳ねさせているのは、民主党の喜納昌吉氏(参院議員)である。喜納氏は勝手読みで、いずれ下地は「民主党に合流」と妄想している。しかし下地は、もっと現実的な実益をねらっている。土建業大手の彼にとって、県政の権益を手中に収めるのが最大の魅力である。(下地と対象的なのは、伊波宜野湾市長である。知事選候補を、市の権益がらみで伊波氏に働きかけた経緯があるが、嫌悪感から伊波氏は辞退した。その段階までは彼が知事選の最有力候補であった。)
 下地にとって手段・方法は問わない。革新の既成の政治勢力を盗用して知事の座を得る、あるいは、野党「二本立て」にして革新県政復活を破産させ、その功績を立てて古巣に復帰する、この二つの相反することでも彼にとってはどちらに転んでも、なのである。前者の方法は消えた。六者協解散のせめてものプラス面を言うと、いやらしい局面を早く終わらせたいための「解散」選択であったともいえる。
 自公県政を「第一極」、民主と連合を「第二極」とすると、彼は「第一極」か「第一極と第二極の間」にいるのだが、「保守も革新もない」「第三極を形成する」等々とずうずうしい発言を繰り返している。
 沖縄における「第三極」の形成、辺野古新基地建設反対の運動の蓄積はそこに、沖縄民衆の統一戦線に、高まらずにはおかない。その雰囲気を運動の当事者たちではなく、下地のような人に認知されようとは皮肉なものだ。そうした「第三極」の形成は、近い将来の最大の争点となるだろうし、日本政府にとって最も神経をとがらせる情況となるだろう。
 「第三極」形成への道は現状では、社民、社大を中軸とし、市民運動や共産党などを協力者と成す構想も一つの方法だと言えないものでもない。しかし、それはすぐに壁にぶちあたる。社民党内の実力者、平良長政前書記長らは市民運動ぎらい、共産党排除論であり、こうした統一戦線を許すはずがない。
 六者協内で、社民党の新里座長らをそっちのけに、喜納氏らがはしゃぐのを助長してきたのは平良長政氏の存在があるからだ。彼は、民主党、「そうぞう」との間で、もう一つの「選定会議」を設けている。彼は党の決定にも縛られず、個人として他党と組んで事態を転がしている。彼(現在県議)は衆院へ打って出ようとしており、全県民的至上命題を脇へおいて、自己の得票を至上命題としている。
 共産党は、これまでの「足のひっぱり役」を反省したのか、もの静かである。「足ひっぱり」主義の反動だろうか、「そうぞう」を選考協議の一員として認めてしまった。これは誤まりであろう。ともかくも、ゆずれないものをゆずるという全面妥協をやっている。それなのに選挙で生死を争う議員間では、のけ者にされている。他党の革新議員の足をひっぱり続けてきた、これまでのツケが大きかったと言うべきか。信頼関係は一夜にして修復はできない。
 「解散」翌日の九月二日、社民党は「社民、社大、民主の三党共闘」をめざすことを表明した。同日、各党も会合をもった。議員として、党として、相互乗り入れ関係は生き残り策の生態として不可避である。
 しかし、どのような選定協議であれ、議員で固まっていれば成功はおぼつかない。議員は選挙が至上命題だが、労働者民衆は、誰を選んで辺野古NOをどう闘うかが、諸党を識別していく基準である。民衆の運動に反するものは誰であろうと批判し、切り捨てていかざるを得ない。
 「そうぞう」が六者協の中で、「第三極」云々大言壮語を許されているのに、なぜ市民運動や、自治労や教組その他の労組の発言権が許されていないのだ! これらの人々こそが「第三極」を叫ぶとき、労働者民衆は真に納得しうるのではないか。
 マスコミは、「多数決をやれば分裂」、「三つどもえの公算大」など選挙への不当な介入報道をしている。下地が出馬すれば、「野党陣営の分裂」とがなり立てるだろう。しかし、マスコミが作り上げた「野党陣営」「反自公陣営」などの概念に誘導されていてはダメだ。下地の衆院出馬は「自民の分裂」であったはずだ。同一人物の知事選出馬がどうして「野党陣営の分裂」に様変わりできるのだ。
 今後、下地が承服しようがしまいが、彼と「そうぞう」を除いたうえでの一本化はありうる。一本化を不可能にする障害を取り除き、新しいフレームでの「一本化」は可能であり、全力をふるってその実現を図らなければならない。いわゆる「革新陣営の統一候補」を誕生させ、日本政府と闘うのだ。
 民主党・喜納昌吉氏は、不可能にもかかわらず「下地を説得する」と公言し、六者協を混乱に陥れたことを謝罪すべきだ。一日の解散で全事態が白紙に戻った直後、彼は、「山内一本化はありえない」との異常な暴言を吐いた。何の反省もせず、不用意・不必要な発言を繰り返している。これからの選定作業への挑戦ではないのか。他の諸党が山内で一本化承認という場合に、そこから分裂していくことを宣言しているのですか?
 労働者・民衆の政治力を強くしよう!
 日本政府と闘い抜ける「第三極」の形成を! (T)