評・「美しい国へ」(安倍晋三著)
アメリカのために花と散る侵略国家への道
 
@ 安倍政権誕生の可能性が高いという流れにある。たしかに小泉から安倍へは、自然の勢いだろう。小泉は、戦後のケインズ主義的・利益配分型統治からの転換、米日多国籍企業のための市場原理主義への移行を強行した。そのさい軍事外交路線では、超大国アメリカの「反テロ」世界戦争に加担する侵略国家への転換を推進しながらも、国家改造の方向を正面切って正当化し民衆の思想改造を含めて体系的な改造を為すことまでは出来なかった。そこで小泉改革を継承する安倍は、体系的な国家改造の断行を次期政権の課題にすべきと提起する。それが、「美しい国へ」である。
 超大国アメリカの尖兵となって朝鮮・アジア民衆の血の海にしずむ美しい国への憧れは、その全くの無展望性にもかかわらず、この国において指導イデオロギーの地位を占めようとしている。尋常でない時代である。政治の流れを変える好機、革命をめざす政治の正念場でもある。

A 「美しい国へ」は、第一章・私の原点、第二章・自立する国家、第三章・ナショナリズムとは何か、第四章・日米同盟の構図、第五章・日本とアジアそして中国、第六章・少子国家の未来、第七章・教育の再生、となっている。一瞥してわかるように、「自立する国家」を要とした軍事・政治・思想問題に焦点が絞られている。付け足し的な「少子国家の未来」の中味を見るならば、革命対策としての福祉政策という視点を披瀝しつつ、年金制度が破綻するというのはウソだ、少子化は生産性の上昇でカバーできるから心配ない、大丈夫・大丈夫と言っているだけである。また喧伝された「再チャレンジの可能な社会」は、「負け組」から「勝ち組」へ脱出しようと努力する個人に限りいくらか教育上の支援はしようというものでしかなく、経済=社会システム上の格差拡大路線を隠蔽するための小道具になっている。
 安倍は、超大国アメリカに深く従属しその後ろ盾を頼みとすることで、人民およびアジアの制約から「自立」した国家、人民に君臨しアジアに覇権を振るう国家を確立しようとしているのである。この政治目的を達成するための核心的手段が、朝鮮民主主義人民共和国(以下、朝鮮)を「敵」と定めた排外主義の扇動である。「自立する国家」の章の冒頭に「拉致問題」をもってきている。日本人を「覚醒」させるテコとの位置づけである。「北朝鮮に対する経済制裁」は、「政権を倒す決定打にならないまでも、化学変化をおこす」と、朝鮮の体制転覆をあからさまに主張する。中国との関係も、同じ政治目的のための手段に位置づける。ただそれは、体制転覆の対象とする仕方によってではなく、「政経分離」によるパワーゲームの対決関係とつくることよってである。
「自立する国家」実現のための不可欠の条件が、人民の思想改造である。国家・国境の廃絶へと向かう世界史的趨勢を認めようとせず、「国家」「ナショナリズム」「天皇制」の意義を力説する。国家が階級社会の生成と共に階級対立の非和解性の産物・階級支配の道具として存在してきたものだという真理に反対し、「独裁国家」と「民主国家」という統治形態の対比の中に、日本の国家がブルジョア階級支配の道具であるという現実を埋没させる。侵略・植民地支配の歴史について、何度謝罪したら気が済むのかと開き直り、国家の為に戦い死ぬことを讃美し奨励する「靖国神社」の復権を企図する。国家だけでなくブルジョア的個別家族制度や義務教育制度など、歴史的役割を終えようとしている古いものにすがって社会の崩壊を押し止めることを主観的に願望する。
 そして安倍は、この「自立する国家」への転換を、アメリカの指揮・統制下での侵略戦争の遂行を合憲化する改憲へ、集約せんとしているのである。 
 
B 今秋に政権を樹立しようとしている安倍が、小泉政権の市場原理主義・格差拡大促進路線を継承し、超大国アメリカに忠実な侵略国家の体系的確立を目指す路線を明確にした。それは、米日金融独占資本の利益のためには平和の破壊も社会の崩壊もいとわない路線である。対する小沢民主党は、小泉・安倍と同質の路線を基本に保持しつつも、東アジアとの対決でなく「共生」を、格差拡大の促進でなく「公正」を主張する。それは、東アジアの経済的取引環境が損なわれ、社会的諸矛盾が尖鋭化していくことへの支配階級内部の危惧と動揺を反映した「路線」である。
 資本主義の危機の時代をむかえて支配階級内部の路線的葛藤が尖鋭化し、二大政党の形に収斂しつつある中で、労働者民衆の側も、社会の崩壊と深まる生存の危機に立ち向かう中から、革命への政治を模索していかずにはいなくなる。まずもって問われるのは、東アジアの労働者民衆と連帯し安倍的路線(政権)を挫折させること、そのために団結できる全ての人々と団結することである。その渦中で、労働者民衆の共同した独自の政治勢力を形成することである。労働者民衆の政治勢力は、安倍的路線と全面的に対決できる質を獲得していかねばならない。 (深山)
 

献本紹介

月刊『情況』7・8月合併号
文芸総合誌『葦牙』32号


 今月は、月刊誌『情況』の七・八月合併号、文芸総合誌『葦牙』(あしかび)の最新号などをいただきました。ありがとうございました。
 『情況』というと、七十年安保世代には周知のラディカルな雑誌。長らく停刊していたが、五年ほど前から復活している。今の編集長は元ブント系の大下敦史さん。
 今月号の特集は「資本とは何か?」ですが、これはパス。すんません。面白いのは、蔵田計成さんの「6・15行動」の報告。蔵田さんからは、本紙前号にもその行動についてご投稿をいただきました。本紙への投稿では、日共との党派間闘争の背景などに触れ、元ブントの一人として書いておられるようですが、『情況』への投稿では、その世代の人間の一人として書かれているようで、また別の感銘を受ける記事です。
 『葦牙』は、発行が川上徹さんの同時代社であることからも伺えますが、日本共産党に関わりがある、あるいはあった皆さんが出しておられるもの。文学批評がベースの編集のようですが、総合誌というだけあって内容は盛り沢山。今号は小特集が「革命論の前線」と「天皇制コードへの異論反論」。伊東晃さんの「反天皇制の主体形成とはどういうことか」などを収録。
 両誌のますますのご健闘を祈念します。(W)