〔沖縄からの通信〕

沖縄基地再編・強化
稲嶺県政と日本政府の「対立」演出を打ち破り
今秋県知事選挙の勝利へ

 五月三十日、日本政府は在日米軍再編の実施方針を閣議決定した。「本土」の多くの関係自治体も五月一日・日米最終合意の受け入れを拒否し続けているなか、全体で三兆円とも言われるブッシュ政権へのプレゼントを伴う方針が、防衛庁・防衛施設庁の管轄下に移った。
 閣議決定は沖縄の普天間基地移設については、「辺野古崎沿岸」とは明記できず、最終合意の「案を基本として」早急に建設計画を策定するとし、「沖縄県および関係地方公共団体と協議機関を設置」するとうたった。そしてSACO合意に基づく九九年政府方針を廃止した。
 これに対し、稲嶺知事は対応を「関係市町村と話し合う」として閣議決定を容認せず、さらに牧野副知事は、「政府案を前提とする協議機関には参加しない」と明言した。
 普通なら、この日本政府と沖縄県との不一致は大問題となる。しかし、何も起こらない。五月四日発表の「沖縄県の考え方」いわゆる「対案」、五月十一日の稲嶺・額賀「基本確認書」、今回の閣議決定という、このかんの一連の過程で明らかになったことは、今は、沖縄県が日本政府と「対立」し攻めぎ合っているということを、「ショー」として県民に見せつけなければならないということだ。いかにうまくショーを演じ、県民に対して真の事態をごまかすか、これが稲嶺知事らの「政治」を決める基準である。
 県民は、「原案」(海上案)であれ「沿岸案」であれ、そのバリエイションであれ、一貫して普天間県内移設を拒否している。世論調査では政府案拒否が八〇%以上である。これに逆らえば稲嶺県政はレームダックとなることを、かれらが一番知っている。
 稲嶺知事に比べると島袋名護市長は、月とスッポンの芸の差だ。故・岸本前市長にははるかに及ばない。一月の名護市長選挙では、振興金をせしめる商・土建業のボス達の下に、できるだけ愚かな者を市長の座に据え、恥や体裁をかなぐり捨てた「金銭(ジン)どぅ宝」の市政が生まれてしまった。市長の座を取るため「沿岸案反対」の公約を掲げ、基地反対派の「二本立て」に助けられて当選した島袋市長は、じっとしておれず東京詣でを開始した。
 ヘリ基地反対協や平和市民連絡会は、「合意」のための上京阻止を決めて、三月から四月にかけ連日市庁舎玄関に集まった。市長は「名桜大入学式に行く」と言って市職員と報道陣をだまし、その帰りに日本政府との「4・7合意」を持ち帰って来た。市長の取り巻きたちもびっくりしたこの劇のシナリオは読める。「十年で一千億」という餌さが四年前に撒かれ(〇二年・沖縄振興特措法成立)、北部市町村はそれにくいついている。東京では金武、宜野座、東の町村長が防衛庁の背後に控えていた。(ところが、この「十年で一千億」の基となる九九年閣議決定は「廃止」されてしまったのである。日本政府に従う程度に応じて小出しするという、新しいやり方に変わったのである)。
 その後、島袋は、「合意したのは沿岸案ではなく、V字型だ。公約違反ではない」などとボソボソつぶやいている。そして沖縄のメディアからも言動が消えてしまった。名護市民の誇りを著しく傷つけた彼は、長く待たずに市民のリコールで取って除けられるだろう。
 「芸」がたけている稲嶺知事は、5・11の政府との基本確認書で「政府案を基本として」と合意しているにも関わらず、「原案以外なら県外」「沿岸案反対」「政府案だけの協議機関には加わらない」等々の姿勢を続けており、主婦層を中心に一定の支持をつなぎとめている。しかし、5・11以来、「やっぱり島袋のようになるのでは」の声は増えつつある。
 5・11以前までは、女性グループを始め多くの団体が稲嶺県政に対して、ある意味激励的な要請行動をさかんに行なっていたが、もはや流れは変わった。今年十一月の県知事選で決着をつけるという方向が大勢となった。日本政府と稲嶺は、「対立」を印象づける芝居を続けるだろう。稲嶺は、県知事選まではこのポーズを死守せねばならない。(また今後の政府と稲嶺のやり取りの中では、5・4沖縄「対案」での「県外移設までの緊急的措置として」の部分ははぐらかされつつ、「シュワブ基地内に暫定ヘリポートを建設する」の部分が、沿岸案の陸上部分の先行建設として取り入れられる危険性もあるだろう)。
 五月二五日、小泉首相の来県(名護市で太平洋・島サミット)を向え撃つべく、雨の中那覇で一千二百名の緊急集会が県内移設反対県民会議の主催でひらかれた。翌二六日には、サミット会場入り口に、平和市民連絡会や名護新基地反対市民共同行動が集まり、巨大基地を押しつける小泉に抗議するとともに、「稲嶺知事の言動は、『振興策』と知事選挙のためのごまかしである」とのビラを配布して現局面の核心をばくろした。
 今秋沖縄知事選は辺野古新基地建設の是非にとって、日本政府にしても重大な局面である。稲嶺自身は三選出馬しないとしているが、自民・公明与党の後継県政を何としても確保しようとしている。「県の考え方」も「基本確認書」も、裏を返せば政府と稲嶺の共同の戦略ともいえる。それから分かることは、政府と県の間で返還跡地開発を含めひんぱんに協議を行ない、県民に知事のイニシアチブを見せつけること、嘉手納以南の市民をほうがいな金額で誘惑する、同時に伊波宜野湾市長を政治的に追い込むことなどであろう。
 われわれは、県知事選をどうするのか。
 第一には、超党派で候補者を一本化し、日本政府派・稲嶺後継の候補者と一対一で闘う形につくことが至上命題となる。一本化によって闘う方法はこのかん、糸数慶子さんを当選させた前回参院選で、新崎盛暉氏らの「辺野古新基地を阻止する共通の課題」論を下敷きに始められた。
 が、今年一月の名護市長選では、この流れがけつまずいた。これまでは、「あらゆるところに候補を立てる」共産党が障害となっていたが、名護市長選では別の、ある種の傾向が障害となって現れた。現在、この傾向に革マル派が利用主義的に介入し問題となっているが、いぜんとして(大城候補が超党派の我喜屋候補に対し)「選挙に負けるのを承知で、なぜ足をひっぱったのか」という疑問は明らかにされていない。名護市民には、「超党派」で闘う戦略論・方法論も、「共通の課題」も語られないまま、政治的に未成熟なまま選挙戦は敗北していった。
 来るべき知事選の闘いでは、この名護市長選の敗北の教訓が活かされ、沖縄民衆の思考を一層深めた団結が進められることが必要だ。
 「超党派」とは、たたかいの方法論、沖縄民衆がみずから作り上げるべき政治的武器の認識の仕方であり、「全野党共闘」なのか「保革共闘」なのかとか、あるいは知事が、首長が、自民党が「参加していないから『超党派』ではない」というようなものではない。その点で、県民会議の指導者の一部分には認識不足があるのではなかろうか。
 第二には、「沿岸案に反対」し、日本政府と対立しているように詐欺を行なっている稲嶺の「ダマシの戦略」を分かりやすく、大衆的に暴露していくことが必要だ。
 二期八年に渡って、稲嶺ほど県民を混乱の淵に追いやった者はいない。稲嶺は八年前、日本政府がファッショ的に直轄した知事選で、民意に従って機関委任事務を拒否してきた大田昌秀知事を引きづり降ろした。「ベストは存在しない、ベターだけが存在する」として新基地の海上案を推進し、沖国大の米軍ヘリ墜落の直後には「早くボーリングをすすめろ」と冷血で、横暴な言動を県民に投げつけてきた。最近では、「原案(海上案)以外なら県外」と支離滅裂を言いつつ、一時は、渡米に際して共産党県議から「百%の評価」を頂くほどであったが、実際政治としては県外移設のための活動は何らしていない。
 稲嶺は、日・米政府要人との面会において、沖縄の民族性を象徴する「万国津梁」の屏風を背景に、強い態度で対応するなどの演出がうまい。こういう実際外の政治での演出は、感覚的に物事を理解しようとする人々には人気があるのだ。日米の権威たちが彼の前でひれ伏す、作られた世論操作である。逆に言うと、沖縄のお母さんたちが、日本政府や米軍を強く嫌悪していることの裏返しでもあるのだが。
 沖縄は歴史的にも、民衆世論操作の実験場であっただろう。麻生外相の五月十八日国会での発言、「沖縄の地政学的位置」とは、シオニズムの「神から与えられた土地」という侵略理論に似ている。(国連特別報告者が米軍基地の沖縄集中を差別として是正勧告を出す考えを示したことに対して、麻生は「地政学的事由」で「差別的意図に基づくものではない」と答弁)。県知事選においては、普天間基地などの返還に伴う基地労働者の賃金と再就職を保障する特別措置法、跡地の生産的利用についての特措法を成立させることも争点化させる必要がある。これを沖縄差別に対する補償として、国の沖縄に対する戦後補償の一部として求めるべきだ。
 世論操作を打ち破り、日本政府との「一対一」の知事選挙戦に勝利しよう!
 さて、去る「沿岸案反対3・5県民大会」は印象深いものがあった。実行委代表の比嘉幹郎氏は保守の出だが、彼が「超党派」を口にし、大会決議は、これまでのように「日米両政府」に一般的に要求する形ではなく、「県民の総意」を「日本政府に対して」「日本政府が米国政府と交渉に臨むよう強く求める」という具体的形になっている。県民の総意、「超党派」的要求を、矛先を鮮明にして日本政府に突きつけたのである。日本政府に対決する沖縄民衆の統一戦線という政治的武器、その可能性を得たと言えるのではなかろうか。
 九五年の八万人県民大会から十年、辺野古の新基地を阻止すべく闘った十年、この十年のあの人、この人、辺野古の海上で、テント村で、名護で、那覇で、全沖縄で闘われ、生み出された友情と団結、この闘いの全体の形を何と呼ぼう。「超党派」の闘いと呼べるのではないか。もっとましな呼び方があれば教えてほしい。
 五月十四日、、平和行進などに参加した「本土」の仲間を多く含めて、平和センターを中心とした「5・15県民大会」が開かれた。稲嶺知事の5・11合意へ強い抗議の声が上げられた。
 そして先述した「5・25集会」、宮里正玄教授は雨の中で肩を並べる人々に、「地政学的な運命論」「抑止論」で沖縄に永久的な犠牲を押しつけようとする日本政府を許すな!と呼びかけた。沖縄戦から六十年、侵略的な日米同盟下に、人間的尊厳を奪われ、平和な生活と自然環境を破壊され、若者の希望が奪われている状況のなかから、多くのインテリゲンチアも立ちあがってきている。
 沖縄の民衆に政治的武器を!(T)
 

5・14宜野湾市
  「5・15平和とくらしを守る県民大会」
  知事の「裏切り」を糾弾

 五月十四日、「5・15平和とくらしを守る県民大会」が宜野湾市海浜公園野外劇場でひらかれた。十二日から三日間、三コースに分かれて「5・15平和行進」を行なってきた行進団も合流し、約三五〇〇人の参加であった。主催は、平和行進実行委員会と沖縄平和運動センター。
 ペテン的な日本返還によって沖縄が日米安保条約下の支配体制に置かれたのが、一九七二年五月十五日であった。以来この日は闘いの日となった。わたしは「本土」からの参加であるが、沖縄ではこの日は早くも梅雨入り。曇り空の下であったが、ロック音楽で会場は盛り上がっていた。地元沖縄の人、全国から平和行進に集まった日焼けした顔の行進団のメンバーなどで会場はいっぱいになっていた。各地の市職・市従、全水道、全港湾などの組合旗、平和団体のノボリなどがひらめいていた。
 演壇では、平和センターの崎山議長などが、「沿岸案」など先の日米合意との断固たる闘いを訴え、また十一日の稲嶺知事の妥協を「裏切り行為」として厳しく批判していた。政社民党、社大党、無所属・糸数議員などのあいさつがあったが、社民党の照屋寛徳さんは、「知事選でやり返し、来年の5・15集会には私たちの知事を迎えよう」と呼びかけていた。なお今年は、民主党が不参加であったのも特徴のようである。
 最後に、基地再編との闘いを始め、憲法・教育基本法の改悪、共謀罪などの阻止が入った大会宣言を採択、インターナショナル合唱で終わった。
 ひさしぶりに沖縄の大衆行動に参加し、元気をもらった。(「本土」参加者N)