米日軍事再編「最終合意」を強行
   闘いは長期戦へ突入

 日米両政府は五月一日、ワシントンで安全保障協議委員会(2プラス2協議)を行なって米日軍事再編の最終合意を強行した。その個々の再編案について、沖縄県、岩国市、座間市などを始めほとんどの関係自治体が拒否しているまま、また、その日米安保の事実上の改定と巨額の費用負担について何ら国会・国民の信を問うことなく、小泉連立政権はこの重大な対米公約を強行したのである。
 この日米合意はその言語同断の強引さによって、かってなく脆弱なものとなった。同日の安保協共同発表が、「日本国政府による地元との調整を認識し、再編案が実現可能であることを確認した」とわざわざ述べなければならないほど危機的なのである。この基地再編強化の合意はいぜん宙に浮いたままである。
 昨年十月二九日の日米安保協で合意された「日米同盟・未来のための変革と再編」(日本で言う「中間報告」)は、米日軍事再編の基本的諸方針であった。今回の最終合意は、その「再編実施のための日米の行程表」と称されるものであり、具体的実施計画である。(この軍事再編の政治路線に当たるものが、〇五年二月十九日の日米安保協の共同発表であり、「世界の中の日米同盟」路線、対中国などを含めた「共通戦略目標」の確認であった。)
 最終合意は中間報告と比べ若干の変更があるが、その変更の最大のものは、普天間移設「沿岸案」の1800m滑走路一本が「V字型の二本」に倍増し、明々白々に巨大化したことである。(もともと九六年SACO合意の「海上案」では、1300m一本であったのである。)
 最終合意では、さらに以下の諸点が明らかになっている。代替基地を二〇一四年までに完成としておきながら、普天間基地の返還期日を(SACO合意のようには)書いていない。「全体的パッケージ」を強調し、代替基地建設と資金提供が進展しなければ海兵隊司令部のグアム移転はない、グアム移転が完了しなければ嘉手納以南の統合・返還はないと居直っている。巨大新基地建設まずありきであり、危険な欠陥基地の解決はどうでもよくなっている。その名護の新基地については、七日の日本政府・島袋市長「合意」に含まれるとされる「離着陸が別」というのは消えてしまっている。まったくの白紙委任であることが暴露された。
 また、司令部グアム移転で60・9億ドル(約七千億円)の日本負担が明記された。(全体での日本負担は三兆円とふっかけられている)。小泉政権は、今国会へ特例法を出さないとし、米領の基地建設への資金提供を法的根拠なしにすら開始しかねない。
 グアム移転で「八千人」と書かれているが、嘉手納以南は近年空洞化しており実際は数千人減にすぎないみられている。普天間基地をグアムへ移転すれば「沿岸案」も要らなくなるが、そうしようとしないのは海兵隊実働部隊が沖縄を動こうとしないからである。「沖縄に残る部隊が必要とするすべてのものは、沖縄の中で移設される」(最終合意)。その結果が北部への基地集約と、浦添軍港建設などの基地強化である。「沿岸案」以外は評価できるとする稲嶺知事らの見方は、まったく正確でない。
 「本土」の基地再編では何が合意されているのか。座間基地については、改編された米陸軍第1軍団司令部の移転は〇八年度までに、陸上自衛隊中央即応集団司令部は十二年度までに設置するとし、さらに相模補給廠には「戦闘指揮訓練センター」を建設するとしている。まさに米日陸上兵力の海外共同戦争基地化である。横田基地については、航空自衛隊航空総隊司令部を十年度に移転し、「ミサイル防衛を含めた共同統合運用」を行なうなどとしている。
 岩国基地への空母艦載機移転については十四年までに完了としており、さらに普天間基地の空中給油機までが、鹿屋移転ではなく「岩国飛行場を拠点とする」ということになってしまった。(鹿児島県の鹿屋基地は同機の訓練基地化するという)。三月の岩国住民投票、四月の市長選挙の審判をまったく何と思っているのか。
 「ミサイル防衛」については、青森県の空自車力基地に米軍のXバンド・レーダーシステムを設置することを決めている。米イージス艦が北海道奥尻島沖に展開しているが、この付近は、日本へではなく米本土へ飛んでいく弾道ミサイルのコースである。米軍の世界戦略的迎撃態勢に自衛隊が組み込まれてしまう。
 「訓練移転」については、嘉手納、三沢、岩国の米軍機が六つの空自基地で訓練し、「共同訓練」「共同使用」が大規模に拡大される。
 以上のような日米合意を、沖縄が、岩国が、基地を抱えるすべての民衆が認めるわけがない(四面参照)。
 名護市では、島袋市長と日本政府の四月七日の「合意」なるものに対し、市長への、いやそれ以上に日本政府への、大きな憤りが広く深く燃え上がった。十一日には市役所前で、「島袋名護市長の公約違反糾弾!沿岸案の合意撤回を求める緊急抗議集会」がヘリ基地反対協・県内移設反対県民会議の共催で開かれた。一月の市長選で、反基地候補の分裂に助けられて当選したが、それも「沿岸案容認せず」を掲げていたからではないか。当選一年後には可能となるリコールへ、市民は動き出した。
 この「合意」後の現地情勢のもっとも重要な点は、東海岸の辺野古や二見以北十区などの行政委員会あるいは区長会という、これまで基地容認をすすめる末端組織であった人々が「沿岸案反対」を叫び出したということだろう。こうした動き、また東海岸の各町村議会の反対決議を前に、島袋市長も(東京まで一緒に「連行」されて「合意」の儀式を呑まされた)四人の町村長も、弁解に終始するようになっている。
 こうした沖縄民衆の怒りに規定されて五月四日、稲嶺知事は「米軍再編に関する沖縄県の考え方」を「沿岸案」を拒否する対案として発表した。それは、「最終合意は基地の整理・縮小が示されており、全体として高く評価」とする一方、「沿岸案は容認せず、県外移設までの緊急的措置として、普天間の危険性除去のため、シュワブ基地内に暫定ヘリポートを建設することを政府に要求する」とするもの。沖縄の人々は、稲嶺知事は今秋の知事選挙まではこの対案を堅持する、堅持せざるを得ないとみている。
 こうして、米日軍事再編との闘いは長期戦へ突入した。沖縄・「本土」での闘いは、まさにこれからだ。(F)