【沖縄からの通信】

  敗北を喫した1・22名護市長選挙
    「超党派」戦略の貫徹を欠く

 一月二十二日投票の名護市長選挙は、岸本後継の島袋吉和が16764票で当選し、反基地の二人の候補、我喜屋宗弘が11029票、大城敬人が4354票で敗北するという事態となった。
 この結果を大差とみるかどうか、反基地候補が統一されなかったとは言え、超党派で推された我喜屋が逆転勝利する可能性はあった。その可能性はなぜ失われたのか、それを考えてみたい。
 さて、メディアは島袋勝利の因を、「名護市民が振興策を選んだ」と世論誘導的に報じている。これは腑に落ちない。昨秋の日米合意の「沿岸案」、北部要塞化が明らかになって以降、条件付容認派の島袋も含め三候補とも「沿岸案」反対を掲げているように、新基地反対で北部は一色となっていた。新基地反対79%(朝日)、「いかなる条件でも受け入れられない」54%(琉球新報)との世論調査もそれを示す。分裂選挙で、投票率が過去最低となったとみられることも大きい。
 昨秋以降、全市をあげて「沿岸案」に反対する情勢が生まれ、「辺野古断念」を成し遂げることを至上命題とする超党派集団が生まれた。岸本市長派の市議会が分裂し、これと革新系の六者協とがむすびつき、我喜屋が超党派候補となった。保革共闘は意識的に選択されたのである。(新報、タイムスの両紙とも我喜屋を「保革相乗り」と報じていたが、言葉のイメージは良くない)。
 この、必ず政府派に勝つために「超党派」で闘うという戦略を、名護市民にどのように伝えるか、そして市民がどのように受け取るか、それが試された初のケースであった。我喜屋敗北の大きな要因は、この戦略にあったのではなく、逆にこの戦略を断固として意識的に貫徹し、浸透させていく姿勢を我喜屋陣営が欠いていたことにあったと考える。

  沖縄民衆の「政治」の復権を

 大城派は運動員は少ないが、情熱と怒りを燃やして、宗弘ただ一人に矛先を向けてきた。そこからしか票を奪い取れないから当然ではある。我喜屋を「『保守』から『にわか革新』に」変わった人と規定している。
 が、我喜屋宗弘は「にわか革新」などではなく、正真正銘の「保守」なのである。「条件付受入れ」から政策転換し、「辺野古の新基地には反対する」という一点で党派を超えて一致するだけであり、彼の保守派としての財政政策などは続くものである。
 革新の大城敬人氏で島袋に勝てるのであれば、何も我喜屋と組む必要はない。勝てないから、勝てる方法として超党派の共同の闘いを作ったのである。市民にとって、辺野古要塞基地がNOにされれば、他のことはお安いこと。超党派の政治を市民がする、ということである。事実を語れば、市民は「にせもの革新」などの言葉の空虚さを理解する。薩長同盟、国共合作、その意義は誰でも分かる。
 九十年代前期、本部町で「P3C自衛隊基地建設阻止」の豊原住民委員会の闘いがあった。大城敬人氏もこれを支援している。町長選があり、保守同士の争いとなった。新人の長浜氏が、保守王国の無敗を誇る主流派町長に対し、P3Cに反対して闘いを挑んだ。わが喜納委員長は快く予定候補を降りて長浜氏と同盟を結んだ。長浜氏は勝利しP3Cをつぶした。
 このように、わが沖縄では、「基地」や「戦争」については党派を超えて反対するもので、超党派は普通にありえる民衆の政治である。米民政府時代には「超党派」はむしろ常態であった。
 大城派による玉城義和氏(六者協世話人)への一月六日付け公開質問状の中に、「大城敬人氏でまとめれば、革新統一ができた」という下りがある。この認識がすべてをくるわしている。ヘリ基地反対協の中で支持が五割もあればそう言えるかも知れないが。たとえば安次富代表なら九割は越えるだろう。革新統一の候補なら大城氏以前に何人も候補が上がる。勝つために革新統一は取らない、この知恵と論理が大城氏らには受入れられない。
 多くの人が、大城氏のスタンドプレー的な「個性」を従来から知っている。しかし彼による、革新の裏切り批判は受ける要素もある。彼は三十近く共産党市議をやってきた。近年、党を出たようだが、共産党は、今でも瀬長亀次郎を師と仰ぐ四十年来の同志を何ゆえ説得できなかったのか、不思議である。我喜屋選対の共産党も、大城は泡沫候補として軽視し、勝つための戦略を市民に納得いくまで説明しようとしていなかった。
 平和市民連絡会は、前回は名護市内に事務所をかまえ、宣伝カーを走らせた。しかし今回は対応できていない。「県内移設を撤回させる意見広告運動」のほうに全力を挙げていた。しかし、市民連絡会は分裂選挙の重大性に腰をあげ、有志二十四名の署名で一月七日「名護市長選における両選対への一本化要請」を行なった。この「一本化要請」という態度は正当ではあるが、形式的には中立表明と見られなくもない。
 こうした態度の消極性は、謀略ビラに利用されている。平和市民連絡会ならぬ「平和市民の会」、命を守る会ならぬ「命を守る市民の会」を名乗る謀略ビラが出され、我喜屋陣営を中傷した。島袋陣営は、大城が五千票取れれば確実に勝てると計算したらしい。ビラの出所が推定される。
 今回の敗北は手痛い。ののしりあっても、しかし友情の復活を祈る!
 団結して三月五日の「県民大会」(宜野湾市、午後三時)を闘いとろう! 日米「最終報告」を許さず「沿岸案」を撤回させよう! (T)