皇室典範改訂

  女性・女系天皇の容認でも反動性は変わらず
    差別不平等再生産の天皇制
                                堀込 純一


〈天皇制延命の策動〉

首相の私的諮問機関である「皇室典範に関する有識者会議」(座長・吉川弘之元東大学長など十人で構成)は、十一月二十四日に、全会一致の報告書を小泉首相に提出した。
報告書の主な内容は、以下の諸点にある。@現行の皇室典範が、「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。」(第一条)とするのに対して、皇位継承資格を男系の女子および女系の男女にも拡大する、A皇位の継承順位については、「天皇の直系子孫を優先し、天皇の子である兄弟姉妹の間では、男女を区別せずに、年齢順に皇位継承順位を設定する長子優先の制度」とする。B皇族の範囲については、現行では、「皇族女子は天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」ことになっているが、皇位継承資格を女性にも拡大した関係から、皇族女子も皇族に留まるとした。また、「現行制度の考え方を踏襲して天皇・皇族の子孫は世数を問わず皇族の身分を有するいわゆる永世皇族制度を前提にした上で、その時々の状況に応じて、弾力的に皇籍離脱制度を運用することにより、皇族の規模を適正に保つ」とする。C皇族女子が、非皇族と婚姻した後も皇族に留まる関係から、その配偶者の身分や呼称など関連制度については、「基本的には皇族女子に関する制度を皇族男子に合わせる方向で見直す」とする。つまり、この報告書の最大の眼目は、皇位継承を安定化するために、皇位継承資格を女性や女系の皇族に拡大する点にある。
この報告書の主旨に沿い、〇六年の通常国会には、皇室典範改正の法案が提出される動きになっている。だが、この報告書は、現行の象徴天皇制を延命させることを前提としたものであり、皇太子「人格否定発言」などに見られる天皇制の矛盾を根本的に解決させるもの(天皇制の廃止・共和制の実現)とはなっていない。それはあらかじめ結論が明らかであり、ただ、小泉政権が各界から非難されないように段取りを追ったという体裁をとっただけのものである。だがそれでも、伝統的な右派は、天皇位を女系にまで拡大させることがこれまでの「万世一系」の虚偽のイデオロギーを明確に崩壊させるものだという危機感から、有識者会議批判を各分野で組織する事態となっている。

〈差別・不平等の要・天皇制の廃止を〉

右派の論客に限らず、ほとんどのマスコミや言論人も、なんらの論拠も示さずに、現行の象徴天皇制を前提に皇室典範改正の論議を行っている。まさに、肝心のところで思考停止に陥っているのである。
象徴天皇制は、現行憲法に明記されているからといって、正当化されるものではない。象徴天皇制こそは、現行憲法がもつ最大の矛盾の一つなのである。
憲法は、基本的人権を(主権在民制、戦争放棄・平和主義とともに)基本原則とし、その第一四条では、「@すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。A華族その他の貴族の制度は、これを認めない。B……」としている。だが、天皇や皇族の存在そのものがまさに特権的地位であり、憲法でいう諸個人の自由と平等の基本原則、基本精神と矛盾することは、明白である。これは、どのような言い訳をしようとも、まぎれもない事実である。
天皇制は、敗戦後のGHQの軍政がスムーズにおこなわれることを狙いとして、象徴天皇制という形で存続が許されたが故に、廃止されなかっただけである。このように戦後の天皇制は、妥協の産物として存続されたのではあるが、しかし、天皇制をも含む王権制一般はいくら「民主的体裁」を凝らそうとも、諸個人の差別と不平等をもたらし、また再生産するものである、という本質までは変えることはできない代物である。
たとえば、世界史的に最も完備された王権制の一つである中国の古くからの王権イデオロギーでは、不平等こそが社会の秩序と平穏をもたらすとして、王権制を合理化し、正当化している。すなわち、『漢書』貨殖伝は、その冒頭で、「昔、先王の制度では、天子・公侯・卿(けい)・大夫(たいふ)・士から馬丁・門衛・夜警に至るまで、その爵位・俸禄・奉養・宮室・乗物・服装・棺郭・祭祀・死生の規制において、それぞれ差等があった。小が大をしのげないのも、賤が貴をこえられないのも、さもあるべきことゆえ、上下の秩序があってこそ、民心は安定するものである。」(この思想は、『易』履卦の「君子以て上下を弁(わきま)え、民の志を定む」に基づく)といって、王権制と差別・不平等の不可分性を公然と、強調している。歴史的にみるならば、日本の天皇制は、さまざまな点で、この中国の王権制度に強く影響を受けているのである。
だが、有識者会議の報告書は、天皇制が差別と不平等を再生産しているだけでなく、あらゆる差別と不平等を秩序付けるカナメ的位置にあることなど、一顧だにしていない。全くもって、なんらの検討も、議論もしているわけではないのである。
それどころか、「安定的な皇位継承は国家の基本にかかわる事項である」、「象徴としての天皇の地位の継承は国家の基本にかかわる事項であり、……」、「皇位の継承は国家の基本にかかわる事項であり、……」などと、しきりに「国家の基本にかかわる事項」なる言葉を乱発し、天皇制をむやみに持ち上げている。
しかし、憲法の精神と基本原則については、たいがいの人が、それは「基本的人権・主権在民・平和主義」である、といっても、それが「象徴天皇制」である、とは決していわない。そして、憲法の条文としても、第一条「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」といって、象徴天皇制は、主権在民制の下位の制度であることを明確に示している。つまり、現行の憲法は、象徴天皇制が廃止され共和制に移行したとしても、その精神は継続されるのであるが、天皇制の強化によって主権在民制が廃止される場合には、その精神は死滅したとみなされるのである。
この意味で、有識者会議のように、天皇制にかかわってむやみに「国家の基本にかかわる事項」などと言うことは、現行憲法の精神を踏みにじるものなのである。現に、有識者会議の報告書は、第一条の条文の内の「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」という部分を、わざと省いた上で、「安定的な皇位継承は国家の基本にかかわる事項である」などと騒ぎ立てているのである。これは、まさに、日本は「天皇を中心とする(神の)国」と発言する森前首相や武部自民党幹事長などの反動的反人民的な考え方と瓜二つの代物なのである。
われわれは、いかなる形で天皇制を再編しようとも、天皇制の反動的反人民的な本質は変わりないことを踏まえて、有識者会議の報告書に全面的に反対するものである。

〈右派のアナクロニズム的な抵抗〉

 有識者会議の中間報告などにより、ほぼ女性・女系天皇の容認という答申になる可能性が強まる中で、伝統的な右翼の反発が強まり、さまざまな声明や発言が続いた。
 その中で、多くの人々の耳目を引いたものに、三笠宮寛仁の発言がある。それは、自らが会長をつとめる福祉団体・「柏朋会」の会報『ざ・とど』88号(9月30日発行)に載せられた一文である。そこで三笠宮は、「二六六五年間の世界に類を見ない我が国固有の歴史と伝統を平成の御世でいとも簡単に変更して良いのかどうか」と問題提起し、結論的には、「万世一系、125代の皇統が貴重な理由は、神話の時代の初代・神武天皇から連綿として一度の例外もなく『男系』で今上陛下まで続いてきているという厳然たる事実です」と、あくまでも男系天皇の維持を主張している。そして、具体的な制度としては、男系天皇制を維持するために、@敗戦後に皇族から離れた旧11宮家の元皇族が皇籍へ復帰すること、A現在の女性皇族が元皇族(男系)を養子に取れるようにして、この養子にも皇位継承権を与える、B廃絶になった宮家(秩父宮、高松宮)の祭祀を元皇族に継承してもらい、この宮家を再興する、そして、C昔のような側室制度を復活する(まさにアナクロニズムの極地である!)――としている。
 皇位継承資格の女性・女系への拡大に反対する勢力は、極少数とはいえ、各界で声をあげている。たとえば、超党派の保守系国会議員でつくる「日本会議国会議員懇談会」は、十一月一日に、「皇位継承方法を直ちに変更することは慎重に検討されるべきだ」と決議し、来年の通常国会には対案を用意するとしている。一部の学者や文化人による「皇室典範を考える会」も、慎重審議を求めている。神社本庁もまた、反対姿勢を明らかにしている。
 伝統的な右派の立場から、女性・女系天皇に反対するこれらの反対勢力は、基本的に伝統的な天皇制をアナクロニズムにも強調し、これに親和する人々である。それは、三笠宮の発言できわめて明瞭である。すなわち、「(皇紀)二六六五年」とか、「万世一系、125代」とか、「初代・神武天皇」とかの発言が平然と語られ、戦前の皇国史観などへの反省は微塵も見られないのである。
 そもそも、「(神武天皇が即位した西暦紀元前六六〇年を起点とした)皇紀二六六五年」などというのは、古事記(西暦七一二年に完成)や日本書紀(同じく七二十年に完成)などでのフィクションに基くもので、なんらの史実にのっとったものではない。それは、日本で暦が使用され始めたのが、七世紀のはじめ、推古天皇のころからであり、とても、当時から見て一二〇〇以上も前の時代を確定することはできないことである。また、日本書紀をみれば明らかなように、神武から応神までの一五代の天皇のうち、四人を除いて、すべてが百歳以上などというのは、荒唐無稽そのものであり、これは血統の長さを唯一の価値尺度としたために、実在しない架空の天皇の寿命をことさらに長くしたために生じた不合理性なのである。「不思議なことに」、その存在が歴史的に確認されるような時代の天皇の寿命は、皆、百歳以下で、しかもその寿命が不明な者も少なからず存在するのに、これに対して、明らかに架空の存在と見ることができる天皇の寿命はほとんど百歳以上で、しかも確実な年齢が明白である、というパラドックスである。これもまた、神武即位なるものを、遠く遠く、過去に遡らせた歴史偽造に起因するものである。
では、何故に、神武即位は、紀元前六六〇年でなければならなかったのか?これは、近代初期の歴史学者・那珂通世(なか・みちよ)によると、次のようである。つまり、即位年の算定規準となったのは、古代中国の辛酉(しんゆう)革命説である。辛酉革命説というのは、中国古代の予言説である讖緯(しんい)説に基づいて、辛酉(かのととり)の年には革命が起こるという説である。これによると、辛酉の年、なかでも21度目(一二六〇年)の辛酉の年ごとに、大いに天の命が改まるという思想である。この辛酉革命説は百済を通じて日本にも入り、日本書紀の編者たちは、もともと年代を伝えていなかった日本の古伝を中国流の体裁に整えるために、初代・神武の即位の年(支配層はこれを建国の年、すなわち日本史上の大変革の年とした)を推古天皇の九年(辛酉の年。西暦六〇一年)から数えて、一二六〇年前の辛酉の年、すなわち西暦紀元前六六〇年に設定したわけである。この那珂氏の説は、細部はともかく、基本的には、歴史学界の定説となっている。
[讖緯説とは、陰陽五行説にもとづき、日食・月食・地震などの天変地異を予測したり、緯書(孔子など聖賢が述作した経書に付託して禍福・吉凶・符瑞の予言を記した書)によって人間の運命を予測したりする説。先秦時代(紀元前221年の秦による天下統一以前の時代、周初より春秋戦国時代)から起こり漢末に盛んとなるが、あまりにも弊害が多いので晋時代以降はしばしば禁じられた。]
 また、皇国史観の呪縛から解放された戦後では、「万世一系」もまた、自由で科学的な歴史学によって、徹底的に批判されてきた。神武以来、十数代の天皇は、架空の存在である、という点では、ほとんどの歴史学者で共通している。そして、歴史学者によって、いくつかの説には分かれているが、崇神王朝と応神王朝の質的違い、両王朝を恣意的に繋ぐ、成務・仲哀の両天皇の非実在性、継体天皇の異質性(継体は応神の五世の子孫とされるが、確実な証拠はない。)など、とても「万世一系」とは科学的に論証できない代物である。
 だが、伝統的な天皇制主義者たちにとっては、史実はどうでもよいのである。彼らにとって、天皇制は、「神武天皇いらい二六六五年、連綿と続いている」としているからこそ、「貴重」なのであり、この「世界に類を見ない」長さを強調するために、あえて「歴史」は科学的でなくともよいのであり、「神話」を土台とした物語で十分なのである。だが、歴史をもてあそび、歴史は物語りだなどといって、自己に都合のよいよいに歴史を歪曲する者は、歴史の貴重な教訓を掴み取ることができず、おろかにも同じ過ちを繰り返すのである。このような過ちは、歴史的に何回も繰り返されているのである。

〈タブー視強めるマスコミ〉

 有識者会議の報告書については、自民党や民主党はもちろんのこと、共産党までが賛成している。十一月二十五日付けの『赤旗』によると、市田書記長が前日に記者団に問われて、「最終報告書がいう女性天皇・女系天皇という方向については、妥当なものだと考える」と答えていることを、報じている。革新の党を自称し、差別と不平等に反対しているはずの共産党が、天皇制を支持するなどということは、まさに思想的な混乱以外のなにものでもない。
 さらに、昨今の天皇制をめぐる動きの中で、注意しなければならないことは、天皇制を批判的に論じることをマスコミがタブー視する度合いを強めていることである。日頃、進歩的な報道を心がけていると大衆的に思わせているあるテレビ局では、右翼からの攻撃を事前に封ずるためなのか、いわゆる「皇室報道」なるものに異常に熱心である。
 また、大手新聞でも、明確にタブー視が強まっている。そのことは、三笠宮発言の報道振りに如実に表れている。各社は、十一月四日の朝刊で一斉に報じているが、すべてが正確に報道しているわけではない。前述したような、三笠宮の具体的な方策(男系天皇制を維持するための)の@からCまですべて報じたのは、毎日新聞だけである。朝日新聞、読売新聞、産経新聞は、Cの側室制度の復活については、三社共にひた隠しにしている。これでは、天皇制の機能と性格を全面的には理解できないであろう。今日的な報道規制、しかも自主規制である。それからちなみに、日経新聞は、報道そのものがなされていない。
 社会がナショナリズムの傾向を強め、憲法改悪による海外派兵の合法化の策動が強化される中で、天皇制の果たす反動的役割を軽視するどころか、戦前のようにタブー視する動きを、断じて許してはならない。(了)