正月号大特集
  2006年 新春各界メッセージ


敵の国家戦略とわれわれの対抗戦略

                 樋口 篤三(キューバ円卓会議共同代表)
 
    開店休業の国家戦略本部

 戦後日本の保守政治家で、国家戦略を自ら形成した第一人者は中曽根康弘であり、もっともない一人が小泉純一郎であろう。
 五年前、総選挙で本命視された橋本龍太郎をけおとして小泉が圧勝したが、小泉の政治経歴、右派信条からして中曽根は「わが同志」とよんだ。そしてその限界として、国家戦略がないと、国家戦略本部をつくることをせまり小泉は受諾し、その事務総長は、盟友山崎拓派の保岡興治となった。
 スタートはにぎやかだったが、開店休業らしくその後のめぼしい提言などたえて聞かない。本部長小泉に国家戦略論がもともとないし関心もないからである。
 戦術の誤り、失敗は正しい戦略が確定していれば是正が効く。だが戦略の誤りは致命傷であって勝負を決することは、古今東西の戦争や政治闘争でいくたびも示されてきた。

  瀬島龍三の総合安保戦略

 中曽根康弘は、若き日から宰相たらんと国家戦略を学んだが、国鉄分割民営化や日韓関係で瀬島龍三の「大戦略」を伝授されてか、自らが政治家史上初めて「二十世紀 日本の国家戦略」00年PHP研究所−等を世に出し、或いは敵の「中国革命」にもよく学び、保守側にはめずらしい水準の高い論文もものにし、故胡耀邦総書記とは家族ぐるみのつきあいをしてきた。
 瀬島は二十歳代で大本営陸軍作戦課の中心人物の一人となり、戦後は伊藤忠会長など軍・経・政戦略家として、保守政治・経営陣では“戦略の神様”とあがめられてきた。彼の総合安全保障戦略(一九七九年)は(一)社会の安定 (二)アジア太平洋外交 (三)石油・エネルギー (四)軍事の総合戦略であった。その時点で「アメリカ・日米安保」や「天皇」が出ていないという特徴があった。
 中曽根は前掲書で冒頭に言う。
 「戦略とは、一般的には特定の目的を達成するためのプロセスと手段を策定する総合的判断と計画であると私は考えています。社会生活のなかにはいろいろな戦略があります。国家戦略は、その目的から区別して、軍事戦略、外交戦略、経済戦略、その他、内政戦略等いろいろあり得ますが、私は総合的な国家の戦略を国家戦略と呼んでいます。
 日本は伝統的に、国家戦略に弱い国でありましたし、いまもそうであります。」

  保守党二つの戦略路線

 保守党とその宰相に、国家戦略が何もなかったわけではない。吉田茂の軽武装富国(経済強化)路線は、その弟子池田勇人による「高度成長・所得倍増路線」となり、田中角栄の「日本列島改造路線」として日本型福祉国家が全面化した。池田は目的意識的に、中産階級育成の戦略的布石をし、田中以降七〇年代〜八〇年に「一億総中産階級化」として「日本的社会主義」(加藤紘一元自民党幹事長)とまでいわれた。
 一方の再軍備強化―憲法改正路線は、鳩山一郎が掲げ、その右展開は岸信介によって(日米同盟基軸の下に)目指され、福田赳夫―中曽根に、さらに今日の小泉純一郎にいたっている。この二つの路線的対立は、双方が自ら保守本流と称して正統争いをしている。
 中曽根のいう「伝統的に、国家戦略が弱い」とは、瀬島―中曽根の様な体系的なものがないことであり、小泉の靖国神社連続五回参拝はその頂点でもある。それによって中国とは田中内閣いらい、韓国とは李承晩いらいのきびしい対立を自ら招きよせた。
 日共は、その綱領から対米従属の一面だけを批判する。海自のインド洋派遣は三年を過ぎ、イラク派兵は三年目に入った。米軍の世界戦略への自らの国家意志による従属的軍事同盟であるが、同時に憲法と日米安保の地理的枠をはるかに破って、遠く中東にまで派兵という実績を公認させた。

  靖国参拝の別の意味

 小泉の靖国参拝は、新日本帝国の別の表現でもある。A級戦犯は、アジア・太平洋戦争におけるA級戦争犯罪人であったが、裁いたのはアメリカ帝国中心の「勝てば官軍」的正義であった。
 先日中国外相が、東条英機をナチス・ヒトラーになぞらえた抗議に、安倍官房長官はその違いを強調して「不快感」をしめした。だがアメリカの有名なスミソニアン戦争記念館では、「ヒトラー、ムッソリーニ、東条」の三人が世界の戦争犯罪人のトップとしてかざられている。
 A級戦犯をまつる靖国参拝は、中韓両隣国を怒らせるのみでなく、その刃が米国にもむいていること(サンフランシスコ平和条約を否認する)は、ブッシュ政権も当然しっていよう。世界最大の同盟国ゆえに黙っているだけで、中韓との和解―靖国自粛をやんわりと「いさめて」もいる。
 中曽根や日本経済新聞は、「国益」のために中韓との和解を、靖国参拝は個人意志より国益重視のために中止をと、しきりと促している。―経済貿易構造が米国第一より、中国第一に歴史的に転換した実績を踏まえて―
 日本の空軍、海軍は今や世界第二位にせりあがって軍事大国化している。

    対抗戦略の確定こそ

 保守の国家戦略に対抗するわれわれの社会革命戦略の不在、戦略的日和見主義の克服こそ自らが問われている最大の課題である。それは一国主義をこえ、勝海舟がとなえた「日朝中三国同盟」の今日的発展を不可分とする。
 

イタチごっこ
                      川上 徹(同時代社)

 「濡れた子を傘にさそって落ち着かず」
 12月のある日の「朝日」に載った、読者からの投稿川柳である。思わず吹き出した。ちょうどボクも同じことを考えていた時だったからだ。
 やたらに子どもを標的にした犯罪が起きる。「子どもたちを守れ」とばかりに親たちが「防犯体制」をつくることに熱中する。たしかに親の立場に立てば無理からぬことと思う。子どもには防犯ベルを持たせ、「不審な人」から声をかけられてもついていってはいけません、と教える。
 ボクが子どもに声をかけようと思ったとする。だが、もし子どもに「不審な人」と思われたらどうしよう。その可能性はないわけではない。ベルでも鳴らされたらカッコ悪いじゃないか。そんな気分を笑ったのが冒頭の川柳子の皮肉だったわけである。
 子どもたちの遊び場である公園が改造されている状況がテレビで出ていた。トンネル状の施設を改造して暗がりをなくすのだという。公園を囲む周囲の樹木を大人の腰ぐらいまでちょん切っていた。これでは「隠れん坊」ができないじゃないか。ボクらの子ども時代、暗がりの探検ごっこが面白かったのに。文部科学省は「地域の教育力」という。どうやって育てるというのか。
 要するにイタチごっこなのだ。都市社会の孤独・孤立化が犯罪を呼ぶ。それを防止しようとするシステムが他人への警戒心と不信を呼ぶ。そのことがまた孤独と孤立をいっそう進めさせる。どうしようもなく社会が壊れてしまったのか。どこかでボクらはこの悪循環を断ち切らなければならない。人間の関係を社会の中に復活させなければならない。全社会の監視システム化をねらう権力者たちは、この悪循環をほくそ笑んでいることだろう。術中にはまるのはなんとも悔しいハナシではないか。


韓国の政治と日本の政治
              山崎 耕一郎
(NPO労働者運動資料室)

 昨年一〇月の韓国訪問は、私にとって新鮮な驚きの連続でした。いろいろな面で、反省もさせられました。
 かつて私はこの国の名前に、「」をつけて書いていました。いうまでもなく、国家の形をとっているが、独立の国家とは認めないという意味でした。もちろん私だけでなく、多くの左翼が、同じことをしていたと思います。この韓国がどのように変わりつつあるかは、詳しくは報告のパンフレットを見てほしいのですが、その一面は、一緒に行った松平さんの入国の際の、トラブルにかかわった公務員たちの対応にも現われていました。歴代の大統領は、代が替る毎に左寄りになってきたのですが、その変化が、国家機構の末端にまで及んでいるのを、確かめることが出来たのです。
日本でも第二次大戦後、政治は民主化され、社会主義を目指す勢力が目覚しい勢いで成長した時期があります。しかし日本の革新勢力、社会主義勢力は、日本資本主義の成熟とともに勢いを失い、今はすっかり衰退してしまっています。韓国では、資本主義の発達(そろそろ成熟期に入りつつあると私は見ています)とともに、政治が左傾化しています。また現在では、南側の人々が自信と余裕を持って、北側との統一に臨もうとしています。ゆるい形の連邦制で始まる統一でしょうが、南北双方の国民が喜ぶでしょう。
それに引き換え、日本の革新勢力、社会主義勢力の現状は、恥ずかしい限りです。日本の国家は現在、新自由主義・市場原理主義に沿って、より強権的に国内外の事変に対応できるように改造されつつあります。その象徴が改憲であると思います。ところが腹の立つことですが、対抗勢力はきわめて弱体であり、かつバラバラです。内部にいろいろな議論があって、正当性を争っているのですが、同時に、若い人々が組織できていないという共通の悩みを抱えているのも事実です。共通の悩みを抱える状態に陥っているのは、共通の弱点があるからだと、考えられます。「おまえなどと共通点はないぞ」と言いたい方もいるでしょうが、共通の問題点を払拭できないでいるのは、客観的な事実です。
かつての左翼の運動には、資本主義社会の中で悩んだり、怒ったり、壁にぶつかったりしている青年たちが、いろいろな経路を通って次々と近づき、入ってきました。現在、そういう経路はほとんど、消えたり、ふさがったりしています。この状態は、どの左翼にも例外はありません。私は、@労働組合運動を、時間をかけてでも建て直す(この点には異論もあるでしょうが、私としては第一にあげます)、A改憲の動きに対抗しうる大きな力を形成しようとする意識的な取り組み、この二つの課題をこなしながら人の輪を広げることが、政治状況を変える鍵だと思います。
小さいけれども確実にその方向に向いた動きは、全国各地にあります。それを繋げ、育てることで、韓国の人々に笑われないように、政治を変えてゆきたいと考えています。


  私の一歩前進
               常 岡 雅 雄(人民の力代表)

 「プロレタリア」編集部から依頼状がとどき、松平直彦さんからも声をかけられましたので、初めて「プロレタリア」紙上に登場することになりました。皆さんの労働者共産党にむかって「意見や批判」をいえるほどの位置には私はいませんし、それかと言って、私たち「人民の力」の「今年の情勢認識や抱負」をかたるのでは肩肘が張るばかりで言葉が滑らかには浮かんできません。そこで、ご依頼の趣旨にはそわないかもしれませんし、松平さんには失礼かとも思いますが、松平さんについての私の印象をかたらせていただいて、新春号への挨拶とさせていただきます。
 松平さんに初めてあったのは、数年前の秩父での合宿に出席したおりでした。他の一〇名余りの出席者も私にとっては初めての人が多かったのですが、その中でも松平さんは特に印象的でした。その印象とは、実は「眼つきの鋭さ」です。松平さんには失礼であり、一応の社会主義者としての私として恥ずかしくもあるのですが、「松平直彦」という名前も知らなかったし、ましてや、その「素性」もまったく知らなかったのです。ただ、その「眼つきの鋭さ」だけが私をとらえて、「この人は誰なのだ?」という強い印象を私の脳裏に残しました。
 この秩父合宿はその後、「コレコン」(正式には「これからの社会を考える懇談会」)へと発展して今日にいたるのですが、それ以来、松平さんとは、このコレコンの定例会合、合宿、集会、懇親交流会、訪韓行動などで、ほとんど何時も、顔を合わせ、言葉を交わし、意見交換し、懇親の席を隣にするなどしてきました。
すると、どうだろう!
あの「鋭かった眼つき」が、回を重ねるにつれて次第に独特の味をたたえて「丸み」を帯びてきたのです。さらに時は流れて、その「丸み」に潤いがでてきて「やさしさ」や「親しみ」を覚えさせるようになってきたのです。そして今では、あの「鋭かった眼つき」が逆に「穏やかな深みと魅力」に感じられるようになってしまったのです。
不思議なものだ。何故なのか?
コレコンには「俺が!俺が!」「私が!私が!」はおりません。「どうぞ、お先に」の姿勢が一人ひとりにあり、発言も控えめで、物言いも静かです。松平さんも、また、大いに控えめで静かです。それでも、その抑えぎみの言葉の底流や奥深いところには「はっきりした政治意志と目的意識性」の流れているのを感じさせられることがあります。あるいは、私などが「こんなことには誰も興味も共感もおぼえてはくれないだろう」と自信なげにものを言うと、意外にも、松平さんが向こうのほうで「頷いてくれている」ことがあって、「おやっ」と思うこともあります。そしてまた、私の勝手な感覚かもしれませんが、会話しているときに「ああ、感性の重なりあうところがあるようだなあー」と感じるときもあります。
こうして松平さんを知ることができました。違和感から転じて親しみと魅力をおぼえることができるようになってきました。そこから労働者共産党と「プロレタリア」に目をむけさせられました。それは、流れが違い、畑が違っていたはずの私にとって「確かな一歩前進」なのです。
 

今年の夢
     ――改憲反対を軸に第三極の形成を
           牧 梶郎
(文学団体《葦牙》の会編集会員・これからの社会を                  考える懇談会メンバー)

二〇〇五年という年は、世界に目を向ければともかく、こと日本国内についていえば「不本意」な年だった。その極めつけは秋の総選挙での小泉自民党の大勝だったといえよう。そのせいか選挙結果については、いろんなところで様々な論評がなされてきた。
もっとも注目されたのは「保守の機軸が変りつつある」という点であろうか。経済運営においては、従来の利益再配分を柱とした調整資本主義から、市場の効率を重視する新自由主義へ、戦争と平和の問題では、復古的愛国主義にもとづく軍事力の強化から、自衛隊の「世界の日米同盟」への貢献へ。これらの流れは、行詰った戦後の自民党政治を彼らなりに乗り越えようとする動きであり、それを主導した小泉は「自民党をぶっつぶす」といった公約を実践しつつあるといっていい。この流れはやがて民主党の大半をも飲み込み政界再編をもたらすだろう。その結果あらわれるのは、業界・官界と利権をわかちあう旧来自民党的保守(その力は地方ではまだまだ強い)と、グローバル企業への構造改革を推し進める新自由主義をめざす新保守、との二大政党制時代である。ごった煮とはいえ従来は民主党が担っていた中道左派の受け皿がなくなり、両者の対抗軸がずっと右寄りになるという点で、現行の自民党対民主党の二大政党制よりも情況はずっと悪くなるだろう。
そうさせないためには、新旧保守に対抗する明確な対抗軸の設定と国民の目に見えるまとまった第三極の形成が不可欠である。とはいえ、左翼・中道左派の大同団結はこれまで何度も叫ばれたにもかかわらずうまくいったためしがない。たしかに、民主党は右派が大勢を占めてしまったし、共産党も社民党もそれぞれの利害得失から自己主張を突出させ、統一は今後も困難をきわめるだろう。しかし、それは選挙に向けて政党中心に考えるからで、かって安保反対闘争があったように、日本の将来を左右する重大な問題に対する大衆運動においては事情が違ってくる。さいわいといっていいかどうか、総選挙に大勝した小泉自民党は十一月に新たな新憲法草案を提出し、その実現に動き始めた。その眼目は自衛隊の海外での武力行使を可能にすることを唯一の狙いとした九条の改訂にある。早期に九条を変えろというのはアメリカそして日本の財界の要求であり、それまでの案には含まれていた中曽根などの復古的な条項や前文はすべて削られたほどである。したがって、受けて立つ左翼・中道左派勢力としては、九条改憲阻止の一点に絞って大衆運動を幅広く強固に展開することを緊急の課題とし、そこを対抗軸にして運動の第三極形成を目指すべきだろう。
自衛権や自衛隊のあり方については必ずしも左翼・中道左派の間で意見の一致はみないかもしれない。ただ、自民党の新憲法案の狙いが日本を戦争の出来る国にすることにあるのは明白であるから、どんな文言に変えようが自民党が出してくる九条改訂案にはとりあえず反対する、という点で一致することは可能だろう。創憲とか論憲とかの考え方にも一理はあるが、自民党からの改憲攻撃をひとたびはねのけることができれば、その後により坦懐に突っ込んで議論することができるはずである。環境権やプライバシー権などの新しい人権についてもその時議論すればいい。
国会内では確かに護憲派は少数であるが、世論調査によれば国民の六〜七割は九条改憲に反対だという。この六〜七割の国民が、国会での議論や国民投票を観客として見守るのではなく、知識人・文化人の活躍に単に拍手を送るだけでなく、その圧倒的多数が国会外の運動に立ち上がれば、自民党の仕掛けてくる憲法改訂を阻止することは十分可能である。六〇年安保の時は五〇万人が国会を包囲したというが、今回はそれを上回る運動の盛り上がりを目指すべきだろう。そのためには、左翼・中道左派の各グループがまず自分の持ち場で個々に、時にいくつか連帯して、小規模であっても集会やデモ行進を繰り返し、さらに順次大きな統一集会へと積み上げて行くことが求められる。再び何百万という国民が行動に立ち上がり運動に参加すれば、そのためにお互いが必死に活動すれば、改憲を阻止するだけでなく、日本のその後の政治のあり方も変えることができるかもしれない。そうなれば、左翼・中道左派は民主党や旧自民党の一部を取り込んで第三極となるだけでなく、堂々たる第二極として立ち現れることも夢ではない。


二〇〇六年の年頭に当って
               川端 康夫(国際主義労働者全国協議会)

 労働者共産党のみなさん、二〇〇六年の新年をお祝し、年頭のアピールを寄せさせていただきます。
 あなた達と私どものお付合いの始りは、本当に最近のことです。今でも組織的な関係は全国的に見てもほとんどないというのが実態でしょう。しかし、私どもを貴組織と関連させているものは、基本的には二つあるように私には思われます。その一つは、世界的に吹き荒れている新自由主義の資本主義のグローバリゼーションに対抗しようとする意識、二つには、日本における旧来型左翼の衰退に抗して、新たな左翼戦線を構築しようという意識、これらの意識の共有性が私たちと貴組織を結びつけるものなのだと私は思っているのです。またさらに付け加えるならば、旧来の左翼を縛ってきていた、いわゆるレーニン主義的組織論からの脱却という共通の方向性もありますでしょう。こうしたことは、現段階で結合を強めている多くの左派グループや活動家を大きくまとめていっている要素でもあると思います。
 もちろん、細部まで詰めて、同一性を確認しているわけではなく、また同一性を直線的に確認しようとしているわけでもないのですが、私は、こうした共有性が二一世紀の新しい左翼集団、左翼運動の最初の大枠組になるのではないかと考えています。 

 私たちは第四インターナショナルの組織に属するわけですが、第四インターナショナルは、この前の世界大会で、新しいインターナショナルの組織化を目指すことを確認しました。その趣旨は、言うなれば、新しい世紀の新しい第一インターナショナルとでも呼べばいいかもしれませんが、資本主義のグローバリゼーションが世界的に生みだしている多くの国際主義的なグループ、集団の全世界的結合の推進であり、現在の第四インターナショナルは、そのような新たな結合の中に解消していくという考え方です。
 こうした世界的な新しいインターナショナルの考え方は、それぞれのナショナルな枠組での左翼集団形成にも貫徹するでしょう。私は、日本においても、従来の左翼政党、すなわち社民党や共産党もふくめて、大きな意味での新たな左翼政党への結集が進む必要があると思うし、またそうした大きな時代がいずれ訪れると考えています。小泉的な自民党政治に対抗する左翼政党の形成―それが真の意味での二大政党の実現であるはずですし、東アジアをめぐる「反日米同盟」の政党が生れなければなりませんし、生れることになるだろうと思います。そうした左翼政党を生みだしていく闘いが、いわゆる第三極形成の運動ということになるだろうと考えています。
 共通の枠組が、共通の政治活動を生みだしていく―そうした方向性を共に、意識的に、目指そうではありませんか。
 新しい年の始りに当って、みなさんのご健闘をお祈りいたします。


『プロレタリア』の編集部、読者の皆さんへ
            旭凡 太郎(『共産主義運動年誌』編集委員会)

イラク占領とこれにたいする国際反戦闘争、国内階級闘争の展開といった、一大激動への予感のなか、連帯の挨拶を送りたいと思います。
帝国主義が分裂し、反戦・反グローバリズムの高揚と統一が進んでいます。そして安保再編、沖縄基地強化、改憲、アジア民衆敵対への策動があり、また失業や非正規化等労働への攻勢から農民、障碍者、外国人労働者・難民等への切り捨て・選別等国内階級・階層の分断がダイナミックに進行してきました。
「小泉支持の現状」を無視することはできませんが、深く進行する国際・国内階級危機はそれ以上の現実であると考えられます。
私たち『共産主義運動年誌』編集委員会は、2000年ブンド2派(共産主義者同盟首都圏委員会、プロレタリア通信編集委員会)の呼びかけを中心に、ブンド系グループ・諸個人や、ブンド系以外の諸グループ・個人が集まってつくりました。
とりあえずはコミュニケーション団体ではありますが、一面左翼の大同団結をめざすとともに、他面中央集中型党形成に資してゆきたいといった思いがあると思います。
党内論争(分派等をふくんでの)を可能とするためには、イデオロギー・戦略・運動・階級基盤・組織経験等におけるレベル・共有性もまた問われる、といったこれまでの教訓への実践的解決の模索過程であるといったことをもそれは意味しているかもしれません。
そうしたなか、イデオロギー的には世界革命をふくめて、資本主義批判ー帝国主義論を重視してきました。市場、労働過程をふくんでの生産過程(独占ー多国籍企業、民族・植民地問題、世界市場再分割戦等としてもある)を基礎にして、その総括としての再生産過程から、諸イデオロギー、上部構造、国家がある、といった古くて新しい命題でしかありませんが。
そして今日でもひきずっている、プロ独=党独裁論とそれへの反発、にたいしての、「自己権力」といった古くて新しい道も大事にしてゆきたいと思っています。
そうしたなか、非正規問題を焦点としつつの失業ー寄せ場・非正規・中小・官公・民間の労働運動における社会的視野にもとずいての組織や、農民、障碍者、難民・外国人労働者、沖縄自決の広範な戦線の一翼を担いたいと思っています。
そして新たな問題意識を積みあげつつある青年・学生に依拠しつつ、反帝、反安保、反改憲、アジア連帯、反戦・反グローバリズムの運動を、「プロレタリア」の皆さんとともに切り開いてゆけたらと思います。


多国籍資本の世界戦略に立ち向かう
   労働者・民衆の対抗戦略をつくりだそう!

                 阿部 治正(ワーカーズ・ネットワーク会員)

 米国を源とする多国籍資本によるグローバリゼイションが、その破壊的で凶暴な影響力を行使し続けています。しかし、欧州やアジア、中東やラテンアメリカなど世界に至るところで、それへの反発、離反の動きも強まっています。
 国内では、自民党と民主党が、それぞれの内部に旧利権派などとの矛盾を抱えつつも、新自由主義的改革の本家争いを演じています。公明党はすっかり自民党の随伴勢力と化してしまいました。労働者・民衆の一定部分に支持者を持つ共産党や社民党も、新自由主義の台頭と席巻を生み出した資本主義の新しい時代に対応できず、むしろ守旧派扱いさえ受けつつその影響力を後退させています。
 こうした状況を打ち破るには、新しい質を持った労働運動の構築が何よりも喫緊の課題となっています。そして新しい労働運動を模索する動きは、民間大企業労組主体の連合の影響力の後退の中でも、中小・未組織、非正規労働者などの運動の中から確かな胎動を開始しつつあります。
 こうした中で、労働者・民衆の運動のいっそうの発展のために何よりも切実に求められているのは、新自由主義者が振りまく世界改造プランに対抗しうる新しい社会・経済の構想、それを実現するための戦略の提出です。
 私が所属するワーカーズ・ネットでは、そうした課題を、「アソシエーション革命論」の深化と具体化として追求してきました。ここはそれを詳しく説明する場ではないので、ひとことだけで言わせていただければ、それは、自由で自立した労働者たちによる自主的な連合・連帯に基づく新たな社会づくり、ということです。
 こうした主張は、一昔前には「観念的」のそしりを免れなかったでしょう。しかし今ではむしろ、現実の労働運動や市民運動の指針やルールとしてすでに試みられつつあります。また労働者・民衆が望む新しい社会のイメージの中にも、その意識化の濃淡や強弱はありながらも、欠かすことのできない理念としてしっかりと組み込まれるようになってきているものと確信しています。
 これは逆に言えば、一人ひとりの労働者の自己決定、労働者たちの自主的な連合と連帯、下からのイニシアチブ、真剣な協議を通した説得と納得とより大きな合意の形成の試み等々を重視する姿勢を抜きには、どんな新しい労働者運動も、また労働者の革命的政治運動も、成り立ち得なくなっているということでもあります。
 私たちは、そうした立場から、足もとの労働運動や市民運動、また自らの政治組織としての活動を強化していこうとしています。もちろん、こうした活動は、私たちひとりで成しえるものではありません。同じ問題意識、志を持つ様々な個人、グループとの共同によってこそ、大事は成し遂げられるはずです。
 労働者共産党の皆さんの、真剣な組織的活動の積み重ねは貴重です。その開かれた姿勢に敬意を表します。06年を新しい労働運動と革命的政治運動の前進の年にするために、ともに頑張りましょう。


「プロレタリア」新年号への挨拶
                大下 敦史(月刊情況編集長)

プロレタリア解放の大きな道を捨てることなくプロレタリアの階級的利害を断固として守りぬく精神の強さと日々の戦いに敬意を表し、またあなた方(労働者共産党)の機関紙「プロレタリア」(中央機関誌)での、その多彩な活動ぶりに深い感謝の気持ちを込め、新年の挨拶を送らせていただきます。まず何よりも2006年があなた方の大きな飛躍の年になることを願ってやみません。
私は月刊情況の編集を2000年夏から丸5年ほどやってきました。実に緊張感あふれる5年間でした。前の年にユーゴへの空爆が起き、冷戦後の新しい戦争の時代がすでに始まっていましたから。ご承知のように、9・11の大事件がおき、イラク侵略戦争が始まった。米帝はイスラエルと合体することを通し、帝国的振る舞いを強め、帝国支配の様相を深めつつあります。同時にその過程は、その内部から膨大なる他者、墓堀人を生み出しています。プロレタリア階級として一括することが出来ない、虐げられた民衆が米帝=イスラエル打倒の主体として登場しています。イスラーム・グローバリズム現象ともいうべきものです。また南米諸国でも連動した民衆の動きがあります。実に希望のある時代が始まりつつあります。
 ここ数年、私は「プロレタリア」の読者でもありますが、最近の記事によれば、あなた方は韓国の労働運動、活動家との左翼交流も実現されている様子で、小さいながらなかなかいいポジションを確保しつつあるなと思います。何よりもあなた方の機関紙は観念的なおごりや空回りがなく、労働者や民衆の中でも特に弱い立場にある人々に親しまれるであろう気分や傾向を感じさせてくれます。実にシンプルで、読んだ後のさわやかさを感じさせてくれます。おそらくこれはあなた方の貴重なアイデンティティー・財産なのではないだろうか。あわよくば、そこに力強さ(強度)が増すとなおいい。いかに党派としての魅力、一層の迫力を創造していくのか、いかに広がりを内包した強度を生み出すのか、これが問われているのではないでしょうか。あなた方の活躍に大きな期待をもっております。頑張ってください。
 

改憲大連合に抗し、改憲阻止の民衆大連合を!
                      中北 龍太郎(弁護士)

  改憲大連合の危険な状況
 
自民党は十一月二二日、結党五十周年大会で、新憲法草案と「近い将来新しい憲法を制定するため、国民合意の形成に努める」との方針を冒頭においた新綱領を採択しました。
新憲法草案は、これまでの自民党各種改憲案に濃厚に見られた国体の復活をめざす復古調をトーンダウンしています。例えば、前文で日本の歴史・伝統や国柄を謳うことを止め、「天皇の元首化」「国民の国防義務」「家族扶助義務」は削り落としている点などです。そのため、マスコミなどからもマイルドになったと評価されています。
自民党が党内タカ派を押さえつけてまで懐メロ調を薄めたのは、公明・民主両党の篭絡を優先し、また新憲法制定に本腰を挙げたからにほかなりません。こんな魂胆をもった新憲法案の採択と制定推進決議によって、憲法改悪に至るタイムスパンは相当短縮されたと見なければなりません。
対する前原民主党は、自民党に遅れをとるまいとしたのか自民新憲法草案発表のわずか三日後の十月三一日、自衛軍の存在を前提に「自衛権行使の明確化」「国連の集団的安全保障への参加」「武力行使の容認」を含んだ憲法提言を発表しました。
その余勢を駆って、前原代表は日米開戦日の十二月八日訪米中に、シーレーン防衛のために集団的自衛権を行使できるよう憲法改正すべきだとぶち上げました。軍事路線では自民党以上にタカ派と前評判の高かった前原の本音発言だけに驚きはしませんが、アメリカに尻尾を振る忠犬ポチがもう1匹いたのかと情けなくなります。
この発言にはさすがに党内から独断専行との異論が出ましたが、前原代表は党大会で「集団的自衛権の行使は憲法提言の枠内に入っている」と答弁しています。集団的自衛権の行使のための改憲路線では、自・民両党は完全に一致しているのです。
こうして〇五年の晩秋改憲大連合がくっきりとその姿を現し、改憲数年前という厳冬がやってきたのです。

  新憲法草案を斬る
 
新憲法草案は、三本の矢から成り立っています。前文と九条改憲による戦争する国づくり、祀る国づくり、そして人権の国家への隷属、この三本の矢は束ねると平和・人権・民主を殺す恐るべき武器となります。部分的にマイルドになったり,前文から美文調が消え味も素っ気もないものになったとはいえ,自民党が重視している項目はきっちり盛り込まれており,危険な本質は変わっていません。
草案の最大のターゲットが九条改憲−集団的自衛権の行使にあることは衆目の一致するところです。アメリカの戦争への加担・のめり込みの軍事オプションが改憲の推進力になっているだけに,九条改憲は切迫したものになっています。
事前に草案がプレス発表されたのが十月二八日、なんとその翌日には、在日米軍再編に関する中間報告が取りまとめられました。中間報告は、日本が米軍の先制攻撃作戦をサポートし、また自衛隊が世界規模で米軍とともに戦うための極めて実践的な内容を持った両政府の合意文書です。ピッタシのタイミング、これは決して偶然ではありません。中間報告=米日共同先制攻撃体制づくり=集団的自衛権の行使=改憲、この図式にそって政治が動いているために必然的に日程が接近したのです。
二本目の矢は二十条改憲=政教分離の緩和です。社会的儀礼・習俗的行為を政教分離原則の埒外に追いやる改憲は、国が靖国を中心的施設とする戦死者の追悼顕彰儀式に公然と関与し、戦前がそうであったように、人殺し=戦死のススメの制度化を図るところにその狙いがあります。九条と二十条の改憲は一対のもので、体と心の両面から戦争する国づくりを支えるベースになります。戦争をする国は祀る国でもあるのです。
三本目の矢は十二条改憲です。「公益、公の秩序に反しないように自由を享受し、権利を行使する責務を負う」という規定の狙いは、人権の上に国権を置き、国の最大の行事である戦争を公益・公の秩序と位置づけることにあります。十二条改憲は、戦争=公益を理由とする市民の人権侵害を憲法上正当化し、また戦争への国民動員を根拠づける条文となります。草案では国防義務はカットされていますが、この条文は国防義務と同じ役割を果たすことになるでしょう。
三本の矢だけでは達成できない改憲の積み残しの課題は改憲第二幕に持ち越されることになりますが、衆参両議院の過半数の賛成で改正案を発議できるようにする改正手続の軟化は,自民党が単独で思い通りの改憲案を発議するための布石にほかなりません。

  改憲大連合に勝つ民衆の大連合を!

改憲大連合と化した支配圏に対し、市民圏で改憲を阻む力をどう創りだせるかが、私たち一人ひとりに突きつけられています。
〇五年体制ともいうべき小泉政権のリバイアサン化と力ある抵抗野党の不在という制度圏の状況、そしてこれに抗する運動圏の弱体化、こうした状況が保守政治のこれまでとは異質の傲慢かつ荒々しい統治手法を跋扈させています。地元無視の頭ごなしの米軍基地再編計画の決定,アジアからの批判をまったく無視した首相の靖国参拝とともに,九条改憲に反対する多数世論を踏みにじって押し進められている改憲の動きも、強権政治の現れにほかなりません。
こうした強権発動は、矛盾を顕在化しまた民衆の怒りを引きおこさざるをえません。潜在化した怒りを顕在化し怒りの大連合を広げていく試みを、過去のドグマとバラバラ観の否めない運動状況を乗りこえて実行していくことが求められています。
改憲阻止は、日本からアジア・世界へホンモノの平和メッセージを発信することであり、二一世紀における世界と歴史のエポックメーキングを創る壮大な民衆運動の登場を意味します。戦後の平和・人権・民主運動の底力に賭けて、改憲を許さない大きなうねりをつくっていきましょう。


軍事空港化に抗して
       根元 博(泉州沖に空港をつくらせない住民連絡会事務局長)

 94年「開港」より13年目を迎えた関西空港は、開港前より指摘していた、様々な問題が表面化してきています。開港前、エアポートシティとなり、地元経済界が潤うといった幻想はかき消され、地元泉佐野および大阪府の空港建設と周辺地域事業による財政圧迫は目を覆うばかりです。空港島の地盤沈下も著しく、このままでは島の一部が大阪湾に沈み込む恐れもあり、空港島内のビルディングもジャッキと度重なる改修でなんとかその存在を保っている状態です。
 空港建設以前より、わたしたちが指摘していた問題がひとつひとつ明らかになってきたのが、関西空港建設以降の歴史ではないかと思います。このような問題の中でも、もっとも危険視されていたのが、空港の軍事問題です。
 昨年、イラク派兵の5次、6次は、関西空港より飛び立ちました。空港会社は人道支援の自衛隊が飛び立つということで、軍事利用ではないといいますが、アメリカのイラク侵攻、その同盟軍として出動している自衛隊が軍事侵略の一翼を担っていることは、まぎれもない事実です。
 昨秋、自民党の憲法「改正」案が打ち出され、9条2項に自衛権の行使が明記されていることからも、日本の歩もうとしている危険な道筋が示されてきているのではないかと思います。関西新空港反対の闘いは、軍事侵略反対の闘いでもあるのです。
 また、この2月に予定されている神戸空港の「開港」後には、神戸・伊丹・関西空港の空域を巡る危険な航路の問題も、現実問題として浮上してきます。そうでなくても、昨年、航空会社の整備不良による航空機の度重なる不祥事が続き、本来、民衆の安全を守るべき公共交通機関の使命が軽んじられている中、大惨事の不安はぬぐいされません。
 昨年末、政府予算ではたくさんの経費削減が実施される中、関西空港には265億円の予算がつきました。また、成田における滑走路延伸問題における政府態度、静岡空港における強制測量等、こと空港問題に対する国および地方自治体の強権的な姿勢は、この国の動向と軌を一にすると思われます。民衆の側のより一層の連帯と協同で闘いを進めなければならない時期であることは疑いのない時事だと思います。関西新空港反対の闘いに勝利するまでがんばっていきたいと思います。全国の闘う仲間との連帯と協同で共に勝利をつかみましょう!