【沖縄からの通信】
   
  1・22名護市長選挙に勝利し、日米「中間報告」を粉砕しよう
    日本政府に対決する沖縄民衆の統一戦線へ

 十月三十日の一万人にのぼる県民大会以降、沖縄は再び島ぐるみの闘いへ向いつつある。しかし、のりこえるべき課題も多い。直面する名護市長選に勝利し、日本政府に勝利しよう。

  「島ぐるみ」の条件は成熟

 十一月二五日、麻生外相が稲嶺知事の「了解を得る」ためにやって来た。正面玄関は、「辺野古新基地建設を許さない市民共同行動」の人々が両サイドを固めている。平和センターは県民広場で、麻生来県抗議集会を行なっている。
 「麻生は帰れ!」「差別は許さん!」「特措法は許さん!」「知事恐喝は許さん!」のシュプレヒコールの中、麻生は県庁正門をくぐった。帰りは通用門をくぐり、十字路の信号無視で逃げ去った。
 小泉代理で山崎拓、額賀防衛庁長官がすでに来ている。彼らは「知事の『理解を得るため』何回でも来る」を共用語とし、権力とカネをバックに脅迫に来ている。これらはすでに、知事権限を奪う埋め立て特別措置法強行のための「通過儀礼」である。
 今の日本政府閣僚らには、人間的な儀礼というものが感じられない。県関係者は「彼らは軽い」「何も知らない」という印象を持っている。このような軽さで、知事に「苦渋の選択」を呑ませるのはムリだろう。
 今回の麻生にいたっては、知事の説明に対し「それだけか」と言い、つまり沖縄振興開発金融公庫の問題(政府系金融機関の一本化による、その存続問題)で政府にお願いしなさいと暗に言っている。無礼さにもほどがある。麻生の言う「順序がちがう」とは、金融公庫存続が第一で、新基地「沿岸案」は第二であると言っているのだ。「日本政府がこれほど軽い存在であったとは!」、沖縄の各界で話題もちきりである。
 十一月二十三日、名護ヘリ基地反対協の主催で「国の横暴を許さない市民集会」が辺野古現地にて行なわれた。また、その日から市民共同行動は、「意見広告運動」を開始している。琉球大学の有志たちは、連続講座「同意してないプロジェクト」を立ち上げ、ゼネストによる拒絶運動の呼びかけを開始している。
 十月二九日の日米「中間報告」での「沿岸案」正式発表以降、地元では、二見以北の自然村落、豊原以南の各村落は次々と沿岸案反対の決議を行ない、住民意思を表明している。名護市北側の東村、南側の宜野座村、金武町も反対を表明している。そして名護市議会も反対決議を行なった。市議会を占拠していた誘致派も崩壊した。すでに県は、沿岸案反対を文書で正式表明している。十一月十九日には、自公同盟の公明党県本も反対を表明せざるを得なくなった。島ぐるみ闘争の条件は十分に存在していると言える。
 琉球大学、ここに巣くっていた例の三教授(九五年の沖縄「第三の波」の後の反動期の受け皿として出てきた「沖縄イニシアチブ」論の三人)は破産してしまった。現在、「あの大学からまさか」という驚きの声で迎えられている大学人たちが、琉大から出現している。インテリゲンチアの百家争鳴が生じている。
 十一月二十三日、宮里政玄・我部政明教授ら「対外問題研究会」は今年三回目のシンポを開いた。その呼びかけ文は、要旨こう述べる。――北部集約案は、港湾・飛行場・兵站・兵舎・訓練が一緒にできる海兵隊基地を、現在のキャンプ・シュワーブを中心に建設する。これは現状と比較にならない再編強化であり、半永久的な北部の要塞化である。「ちゃーすが、うちなー」が問われている。投げ返すべきボールは我々沖縄の手中にあるが、何が最重要な事柄か! どのように考え、どのような行動が必要か! 投げ返すべきボールの核心、不可欠な要素を整理し議論する、と。
 
 反対協は、名護市民投票9周年を迎え、ボーリング阻止584日になる十二月二十三日、闘いの原点・人間交流の拠点としての辺野古テント村を持続発展させ、島ぐるみの闘いを作り出すべく「祭り」を開催する。

  糸数選挙は活かされてこなかった

 一月二十二日投票の名護市長選。師走の中、これはすぐにやってくる。
 辺野古の闘いと切っても切れない連関をもっているのに、また五万の市民が辺野古を考え行動(投票)を行なうという運動にとって重大な意義を持つ事柄がチャンスとして必ずやってくるのに、この選挙は、意外と活動家たちの中では語られることが少ない。現状では、活動家たちが、市民投票を勝利させた名護市民の気持ちと噛み合っていないとすら言えるのである。
 このかん、糸数参院選を除いては、二度の衆院選で最低・最悪の対応と結果を招いた。総得票で勝っていながら候補者の一本化ができず、みじめな敗北を市民に与えた。一度目の利敵行為は共産党によって、二度目の利敵行為は民主党と共産党によってもたらされた。名護の運動は、この恥辱に満ちた事態を正すことができなかった。
 日共は、比例代表の一票を得んがために選挙区で対立候補を立て、利敵行為に何の後ろめたさも感じず自滅してきた。民主主義的・良心的市民を全市民の代表に立て、日本政府に対して一致団結、統一戦線を呼びかけるのが、世界標準の当たり前の共産党ではないのか。
 ようやく糸数選挙を契機に、この誤まりに気がつきだした。こうしてかれら日共は、来たる名護市長選では、岸本市長とたもとを分かち自民党内から出てきた我喜屋宗弘氏、玉城県議ら五者協が推す我喜屋を推すこととなった。糸数参院選でみせた、きびしい条件要求は消えている。共産党の著しい変化だ。
 日共に変わって、沖縄の統一戦線にかく乱的要素として新しく出てきたのが民主党である。昨年五月の普天間包囲の時、当時の岡田党首までやって来て「辺野古移設反対」を認めた真の理由が、辺野古を含む第3区の破壊であった。小泉解散選挙で玉城デーニーを持ち出して、第3区の勝利を破壊した。分裂の結果、小泉派を勝たせた。
 この敗北を総括しつつある段階で、その今、敗北したばかりの今、ふたたび「デーニー」を次期衆院選の候補として決定、と発表したのである。これは、統一戦線への討論・世論を封じ、統一戦線の可能性を民衆にあきらめさせようとする、たちの悪い策略である。民主県連代表の喜納昌吉氏は、これまでは辺野古テント小屋にも顔を出し、歓迎もされていたのだが、これからは恥ずかしくて来れないだろう。

  一本化できない現状―課題の核心は何か

 名護市長選は次ぎの三氏、島袋吉和氏(自民党・岸本後継)、我喜屋宗弘氏(名護市職、北部地区労、社民党、社大党、革新市議団――五者協が推し、後に共産党が加わった六者協が推す。反岸本派自民党との協力により、辺野古移設を阻止する市政を樹立するための候補であると言える)、大城敬人氏(市議、元共産党、自薦自認。辺野古現地で献身的に活動する。早くから立候補を表明し、現地活動家を中心に支持を集める。反対協会員)、これら三氏によって争われるだろう。投票日まで変化はありそうにない。
 一本化できず、このままいけば、総数(我喜屋プラス大城)で勝って戦いには敗れるというのが常識的だ。
 しかし、岸本に負けた前回とは、世論が激変している。前回は、「活性化案」と現実的危険感の希薄さとによって敗北したが、その後、ヘリポートどころではない巨大な軍事基地の全容が明るみになるにつれ、市民は真っ青になった。全国、全世界のジュゴンやサンゴを守れという声にも動かされてきた。糸数参院選の名護市分では、岸本派は四割に激減した。現在ではもっと減少していよう。我喜屋氏の岸本派からの離反は、その結果なのである。
 糸数選挙は、日本政府の強圧をはねかえそうとした民衆の情念が政治的結果を獲得し、民衆の自信となり、有権者の意識構造を目に見える形で政党・政治家に明らかにした。九月総選挙では、自公同盟誕生の地・沖縄1区で、元自民で無所属の下地幹郎が糸数選挙方式(少し違いがあるが)をとって政府派の公明・白保台一を打倒した。十一月十三日の宮古島市(旧平良市)の市長選でも、この方式をとって伊志嶺亮氏が政府派を打倒した。
 名護市でも、この方式(党派的に言えば一部保守を含む反「自公」結集)をとって悪いはずはない。三氏とも沿岸案には反対であり、争点がなくなったと思う人があるかも知れないが、争点はなくならない。いかにして新基地建設を阻止するか、いかに日本政府に「県内」を断念させるかは、今や全県民の最大関心事であるのだから。
 玉城義和氏らによる選考過程が非民主的だとして批判する向きもあるが、現実に五者協の氏らに責任がおぶさっていることは否定できない。原則的に言えば、普通の市長選ではなく大衆運動に規定された選挙対応が求められるのだから、運動の責任者たる反対協において選考されるべきものであろう。しかし現実には、過去もそうであったように、そこで決定を得ることは不可能に近い。反対協がそうである以上、「日米合意の押し付けが不可能であることを、目に見える形で得なければならない」という責任の重圧のなかで、玉城氏らが事をすすめたことは納得できる。今回の保革共闘の選択も、各界各層の人々が真剣に協議した形跡は確認できる。一本化できない理由を玉城氏らに負わすことはできない。
 大城氏支持に傾いている人々には、辺野古の現地活動を情熱的にやっている人が多い。大城氏自身も現地皆勤組である。これらの人々は現地での苦難の共有があり、自民党の「我喜屋」と聞けばそれだけでケツをまくるだろう。我々が献身してきたのは、アレを市長にするためなんかじゃない、と。当然の感情である。
 しかし、我々の闘いは、我喜屋氏のためでもなく、大城氏を市長にするためのものでもない。課題の核心は、どのような人物が市長になるかは小事であり、勝たなければならないこと、勝った政治的結果を土台にして日本政府と闘う次ぎの段階へ進むことである。主観の満足するとおり、大城氏に入れても結果は見えている。そのみじめな政治的結果を、現地には来ないが軍事基地を毛虫のように嫌っている最大多数の名護市民に及ぼしてはならない。
 名護市長選での論議だけでなく、日本政府と闘うために多くの構想や討論が、いろいろな人々によって提案されるであろう。これが、沖縄民衆の統一戦線の形成を磨いていくだろう。しかし今日の現実は、名護市長選で一本化をなし得ないほど浅はかな段階に、我々自身がうずくまっていると言わざるをえない。
 自由な会話を解き放って、島ぐるみの闘いを実現し、沖縄民衆のうねりの中に日本政府の横暴を打ち沈めよう。(T)