編集部だより

★ 昨年の春、イラク・ゲリラに拘束された高遠さんら三人が解放された時、テレビ画面のあるシーンがとても印象的であった。それは、アルジャジーラのスタジオのスタッフたちの解放を喜ぶ姿だった。それだけでは、何の変哲もないのだが、その時、アナウンサーが伝えたのは、スタッフたちの「正義が実現された」という叫び声だった。★日本でも、もちろん、政府高官や右翼などを除き、多くの人々が喜んだが、「正義が実現された」といって喜んだ人は、恐らく稀であっただろう。ことほど左様に、日本では善悪、正義不正義の価値基準を明確にして論ずることが、軽視されている。小泉の靖国参拝をめぐる議論も、その一例である。★小泉は、不戦の誓いなるものをするため参拝すると言うが、侵略戦争を反省もせずA級戦犯を祀る靖国神社で誓うことの矛盾には答えない。そして、「適切に判断します」を呪文の如く繰り返し、思考停止状況を露呈させている。だが、行動においては、個人的信条に基づく参拝を首相職よりも優先させて、平気である。★小泉の靖国参拝に賛成する理由に、「外国に言われて参拝をやめるのはおかしい」というものがある。善悪や正義不正義ではなく、外国からいわれたか否かを判断基準とするのは、まさに思考停止そのものである。ナショナリズムの陥穽である。(竹中)