解散強行・総選挙
 小泉自公連立政権打倒せよ
   当面の政治転換かちとり、左翼結集と労働者人民の闘い前進へ


 小泉首相による八月八日の強権的な解散強行によってもたらされた、今回の総選挙(九月十一日投票)では、自民党・公明党に打撃を集中し、まずもって小泉自民・公明連立政権を徹底的に打倒することが問われている。
 この四年間、自衛隊戦場派兵、憲法改悪の着手、東アジアでの日本の孤立、「格差社会」と賃金・雇用破壊の推進などなど悪行の限りを尽くしてきた小泉政権を打倒し、イラク即時撤退、東アジア外交の改善など日本政治の当面の転換をかちとること、その過程をつうじて日本の労働者人民と左翼勢力の闘争隊列を前進させることが問われているのである。
 総選挙に即していえば、以下を主要な争点として政党と候補者への支持・不支持を見極め、小泉政権打倒につながる投票行動を取るべきだと我々は考える。
 第一に、郵政民営化法案をはじめ小泉「改革」に断固反対し、それを完全に粉砕しよう。小泉は、「戦争をする国」と「格差社会」を進行させた以外、何も日本を改革していない。変わったのは首相の政治スタイルだけであり、そのポピュリズム的振るまいで、政・官・財の支配体制の再編・強化を粉飾しているにすぎない。その再編は今日、アメリカ帝国主義の一極支配と結びつけられている。小泉の勝利、郵政民営化をもっとも期待しているのは、ブッシュとウォール街である。
 第二に、憲法改悪とくに第九条の改悪に明確に反対することだ。民主党には、九条改憲よりも「安全保障基本法」制定を優先させようという傾向があるが、それは「戦争をする国」化を阻止するものではない、別な形で推進するものである。民主党は自民党と同じ改憲派である。比例代表における労働者人民の選択で、二大ブルジョア政党の一方を支持することはありえない。
 第三に、対米一辺倒に反対し、東アジア外交の改善を進めようとしているかどうかである。首相・閣僚の靖国参拝への固執、反動教科書採択など近年の極右ナショナリズムの台頭を、断固一掃しようとしているかどうかである。
 第四に言うまでもなく、自衛隊イラク撤退を直ちに開始しようとしているかどうかである。
 こうした基準からすれば、わが党を含め左翼が共同候補で全面的に闘うことができていない現状においては、比例区では社民党などへ、選挙区では地方の政治・運動状況に応じて、政策的にまともな野党候補者へ投票を組織することが必要だ。なお野党と言っても、自民の内部抗争から生じた「新党」の類は論外である。
 さて、仮に小泉政権側の辛勝、自民・公明で過半数という低い勝敗ラインを制することを許したとしても、自民系の抗争と公明の動揺は継続し、統治能力喪失的な状況が続くのである。憲法改悪の日程の遅滞はもちろん、郵政民営化法案の復活すらおぼつかない。
 郵政法案での自民の分裂は、利害調整の失敗と小泉登場いらいの権力抗争の帰結であるが、それに止まらず日本の議会制民主主義支配体制の混迷をも露呈することとなった。小泉の異例の解散強行は、これまでの日本の議院内閣制、すなわち国会多数政党とくにその最大派閥が政府を作り統制するという仕組みを動揺させた。旧田中派が解体したのは小泉「改革」によってではない。それは利権バラマキ政治の財源が細ったからであるが、ここを突いて小泉は官邸優位の「独裁」に走った。しかし議院内閣制に代わって、行政府と立法府の関係を安定させるシステムが用意されているわけでもない。ブルジョア政治家たちの未曾有の混乱は続くだろう。
 また仮に、野党との政権交代(それは現状では、もう一つの帝国主義ブルジョア政権である他はないが)が実現されればどうなるのか。われわれ労働者人民は新政権に、さあ、新しい政治を本当にやってみよ、と強力に要求を突きつけるだろう。「イラク撤退」の公約を直ちに実行せよ、それすらできなければ諸君も打倒対象であるにすぎないと。
 すなわち選挙結果がどうであれ、日本の左翼と労働者人民が政治的に進出し、隊列を強化する好機は到来しているのである。このかんの政局は、このように積極的にとらえることが必要だろう。
 もちろん、自民党の内部抗争や、自民・民主の対決構図へ関心を向わせる謀略的メディア操作などによって、改憲反対勢力の社民や日共がさらに後退させられてしまう危険もある。しかし、われわれは社民や日共の復興を頼みとしているのではなく、激動の情勢の中での、かれらの再編を含めた左翼の大きな結集、労働者人民の地域的・全国的な統一戦線の前進にこそ未来をかけているのである。
 小泉連立政権を打倒し、さらに前進しよう。


小泉「郵政改革」の真の争点
  資本のための「改革」か
     庶民のための「改革」か

 今度の総選挙は、自民党内の内紛に発する今までにない強行解散であったり、社会諸分野の政策をうたったマニフェストを出しながら小泉首相は郵政問題だけを問う選挙と抗弁したりと、さまざまな点で異例の選挙である。
 この異例の選挙の中にあっても、注意すべきことは、「小泉改革」だけが改革かのような論調がマスコミなどではやし立てられていることである。これは、民主党が先の国会で自らの郵政政策を積極的に対置しなかったこと、マスコミが二大政党制選挙を煽り立てていること、マスコミ自身、弱肉強食の新自由主義に無批判的なことなどによって、「改革か否か」という小泉首相の作戦に軌をあわせる形になってしまったからであろう。
 だが、小泉改革はまぎれもなく資本のための改革であり、それは決して庶民のための改革ではない。このことは、この間、労働者の首切りを促進したり、賃金・労働条件をいっそう劣悪化させたりするような労働法改悪を矢継ぎ早におこない、資本のための改革をおこなってきたことで、すでに明瞭である。そして他方では、財政再建や道路公団など現在の官僚制度にからむ問題では、改革らしき改革がなされていないこともまた特徴的である。
 今回の郵政改革なるものも、またその本質は資本のための改革であること、「弱いものいじめ」の改革であることが、はっきりしている。
 確かに、今日の郵政公社は、郵便貯金や簡易保険の利益で、郵便事業の赤字を補填する形が続いてきた。では、これを民営化し民間企業にすれば、郵政のかかえる諸問題は解決するであろうか。まず、資本主義社会の競争の下で、他の民間企業と同じ方法で経営を行う限り、赤字がなくなるまで合理化・人減らしを徹底して行ない、いずれ郵便局数は大幅に縮小するであろう。小泉首相や竹中担当相は党内反対派の抵抗を弱めるために、郵便局をつぶさないかのような方策をたてるとしたが、それらは結局、一時しのぎのものであり、いずれかは苛烈な市場競争の下で、郵便局数が大幅に少なくなることは必至である。それが、資本主義というものである。資本主義は決して甘く情のあるものではない。利潤追求が唯一の価値観(金もうけがすべて)なのであり、そのためにはいかなる非情なことでもやるのである。人の命さえも喰ってしまうのである。
 だが民営化がもたらす郵便局数の削減、とくに過疎地など田舎での消滅は、高齢の年金生活者などにとっては、大いに生活上の打撃となる。したがって、この点だけでも、小泉郵政改革が、庶民のための改革ではないことが、はっきりしている。
 では、小泉郵政改革の真の目的は、一体何か。それはいうまでもなく、約三四〇兆円にのぼる金融資産を内外の資本に開放するということである。
 日本資本主義の構造変化(本格的な多国籍企業活動など)により、かつての公共事業の波及効果は減少し、政府事業の規模は縮小せざるを得ず、郵便貯金による資金調達の必要性はかつてのように存在しなくなってきている。また、外国特にアメリカでは、経常収支の慢性的赤字を日本や中国などのアメリカ国債の購入によって補填する形が続いており、日本の郵便貯金の民間開放は願ったりかなったり、なのである。まさに、小泉郵政改革が、「資本のための改革である」所以(ゆえん)である。
 にもかかわらず、小泉郵政改革が、マスコミなどにより、唯一の改革政策であるかのように言われるのは何故なのであろうか。それは、一つには、庶民の利益という立場にたって、新自由主義以外での改革政策が、十分に展開されていないためであろう。それに自民党内反対派は従来、利益誘導型政治をおこなって来ており、その反省も総括も不確かなため、小泉改革に反対すれば、即、守旧派、抵抗勢力の烙印を押されるからである。
 では、新自由主義の立場からの、小泉首相のような資本のための改革ではなく、庶民の立場に立った庶民のための改革には、どのようなことが必要なのであろうか。まずは、郵便事業は資本の論理では維持できないこと、しかし、事業としてはその必要性は大きいこと――これらを考えると、公的な活動として維持しなければならないことを、まず確認しなければならない。そして、これからますます深まる少子高齢化の社会では、老人に対する福祉の需要がますます高まることを踏まえて、田舎、都会を問わず、高齢者世帯(単身の高齢者世帯はますます増加する)への巡回活動を自治体とタイアップして行うことが求められている。また、高齢者世帯や障害者世帯などを対象とした「便利屋」さん的な活動も必要となるであろう。さらに筆者個人の提案としては、庶民金融の活動では、個人の貯金限度額の低減、企業の貯金禁止、ノーリスク・超低リターン(金もうけを除外する)などの諸条件を全面的に強化する。まさに、新たな視点からの、新たな公的サービスの確立が求められているのである。
 そして、従来の問題点を踏まえて、下請け的なファミリー企業の廃止と天下りの廃止、実質的に世襲制公務員である特権的な特定郵便局長制度の廃止などの旧弊を改め、高級官僚のための郵政ではなく、庶民のための郵政に改革することこそが、肝要なのである。
(T)