小泉首相は靖国参拝中止を公式表明せよ!
  新施設論も侵略戦争反省せず

 小泉首相が靖国参拝に固執するなどして、対中国、対韓国外交が破綻し、今になっても打開の糸口がみえないという戦後政治でも異常な事態となっている。六月二十日の日韓首脳会談でも、ノ・ムヒョン大統領が「靖国は歴史問題の核心」と指摘し参拝中止を求めたにも関わらず、小泉は帰国後、「靖国は核心ではない。未来志向が核心」とまったくすれ違いの居直り発言をしている。
 しかし、東アジアでの帝国主義的利益を維持・拡張したい日本のブルジョア支配階級としても、このままでは困るので、事態の打開策として再浮上しているのが「新しい戦没者追悼施設」を作る構想である。
 〇一年八月に小泉首相が靖国参拝を強行し、内外の批判が高まるなか、小泉は「内外の人々がわだかまりなく追悼の誠をささげるにはどうすればよいか、議論をする必要がある」と述べ、現在とは若干異なる姿勢を示した。その年の十月、小泉と当時の金大中韓国大統領が会談し、小泉は新たな追悼施設の検討を約束している。それで十二月、内閣官房長官の私的諮問機関として「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」が設置された。一方、靖国神社公式参拝を各界に広げて事実上の国家護持体制を作ろうとする右派勢力の巻き返しも激しく、「靖国神社の根底を揺るがす施設との懸念を抱かざるを得ない」とする自民党有力者・古賀誠(日本遺族会会長)などの新施設反対論に対し、小泉は「靖国に代わる施設じゃない、靖国は靖国」などと対応して迎合した。
 翌〇二年十二月に、その新施設懇談会が「追悼・平和祈念を行なうための国立の無宗教の恒久的施設が必要」とする報告書を発表した。しかし報告書は、右派勢力の反撃によって、新施設の具体的内容を取りまとめるのは「時期尚早」とするものであり、すぐに棚上げ状態の文書となった。しかし、現在の状況のなかでは、叩き台として再浮上している。
 この新施設懇談会の報告書の内容はまず、「国家として歴史や過去について解釈を一義的に定めることはしない」などとし、新施設が侵略戦争などを反省する施設ではないことを前提としている。これでは無宗教というだけで、靖国神社とどう本質的に違うのか、その前提がデタラメである。さらに、「明治維新以降に日本が関わった戦争の死没者、戦後は日本の平和と独立を守り国の安全を保つための活動や国際平和活動における死没者を追悼する」施設としており、今後の戦死者を想定し「英霊」化しようとしている。ますます靖国とどう違うのか。そして、靖国との「両立」、靖国の「存在意義を損なわず、別個の目的を達成し得る」なとどとしている。
 靖国と異なる点は、「追悼対象」を軍人に限らず、民間人を含め、「過去に日本の起こした戦争で命を失った外国の将兵や民間人も区別しない」としている点である。また「具体的な個々の人間が追悼対象に含まれるか否かを問わない」施設とし、A級戦犯問題を姑息にかわしている。しかし侵略戦争の反省と謝罪が前提になければ、加害側・被害側の区別なく追悼するというのは欺瞞に過ぎなくなる。
 自民党では、こうした内容の新施設に対してすら、靖国神社を戦没者追悼の中心施設として固守する立場からの反対論、あるいは今の情勢では「内政干渉」に屈服した形になるなどとする反対論が根強い。与党の公明党は、支持母体の創価学会が靖国を護持するわけにもいかず、新施設懇談会報告を推進する立場にある。
 民主党、社民党、日本共産党は新施設に賛成の立場であるが、懇談会報告への態度を含め、その賛成論が何を意味しているのか大いに論議する必要がある。とくに民主党は岡田外交ビジョンで、「今後、国際公務に携わる中で不幸にして命を落とした方々を追悼するための国立施設の建立」と具体論を掲げている。これは民主党の安全保障政策、国連の軍事行動へ自衛隊を積極的に参戦させるという政策と表裏一体の新施設論であり、強く非難すべきものである。
 そもそも、新施設が積極的に必要とされているのではない。靖国参拝中止の首相声明が行なわれれば、それで当面の局面は好転するのである。「靖国に代わる施設が必要」という発想自体がおかしい。そうした新施設論は、戦後憲法下では一神社にすぎない靖国神社を公的施設であるかのように扱ってきたことの裏返しであり、憲法違反の反動政治こそが一掃されなければならない。とくに新施設を作らなくても、侵略戦争を反省した政治が真に行なわれるならば、それに沿った戦争犠牲者追悼のやり方も官民で普及してくるのではなかろうか。
 日本の労働者人民は第一に、〇二年懇談会報告の基調にもとづく新施設には明確に反対することが必要だ。新施設を作るならば、日本国憲法や「戦後五十年」首相談話に照らして考えてみても、侵略戦争などを反省・謝罪したうえで、内外の軍人・民間人の死者を侵略戦争犠牲者として追悼する施設とするのが当然である。侵略戦争の反省をあいまいにして、外交問題に便宜的に対応しようとする新施設論はナンセンスである。
 第二に、新施設は無宗教でなければならない公的施設であり、「慰霊」や「合祀」という宗教行為と無縁であることが必要だ。
 第三に、国際法(極東国際軍事裁判判決を含む)の判定によって、あるいは日本国民の意思として、侵略戦争責任者あるいは戦争犯罪の指揮責任者として断罪された者は、公的な追悼の対象からは除外することが必要だ。
 第四に、新施設の追悼に関わる時期は、アジア太平洋戦争の時期に特定すべきである。とくに今後の死者に時期をひろげることに強く反対する。侵略戦争の反省にもとづく追悼ということと、平和憲法下の日本の公務員の、いわゆる殉職者あるいは死亡労災者の追悼ということとは全く別の問題である。
 第五に、新施設を作っても「靖国は靖国」とする暴論に強く反対する。閣僚・議員の公式参拝の中止、合祀への厚生労働省の非公式協力の中止など、靖国神社と国家の厳格な分離を要求する。また、侵略戦争を賛美する反動的で特異な宗教施設である靖国神社に対する、民間による批判と廃絶の運動を支持する。(W)


日本の安保理常任理事国入りに断固反対する
  国連大国化は九条改憲の道

 今年九月の国連の加盟国首脳会議および総会で、日本などが国連安全保障理事会の常任理事国に入ることを確認させようという、小泉・日本政府がここ一年熱中してきた企みは大きな困難にぶつかっている。
 三月二十日に発表されたアナン国連事務総長の国連改革報告書は、「開発資金」「テロ防止」「国連の武力行使の基準」等多岐にわたっているが、その内の一つとして提起しているのが「安全保障理事会の改革」である。それは、「今日の世界における力の現実をより広く反映し、資金的・軍事的・外交的に国連に貢献している国の政策決定への関与を増やす」ために常任・非常任理事国を拡大するというものであり、九月の国連首脳会議までに合意したいとしている。
 このアナン国連改革案を、常任理事国入りの最大の機会とする日本政府は、同じく常任入りを希望するドイツ、インド、ブラジルを誘って国連外交に熱中してきたが、近隣の中国、韓国からは実質的に強く反対され、また頼みの米国ブッシュ政権も合意時期の先延ばしの態度となっている。
 東アジア外交の総破産を放置する他方で、票集めのためにアフリカ諸国などへの多数派工作は懸命にやっているのが小泉政権である。日本国内でも、アジアの隣国の支持もないのにみっともない、時期尚早だという見方は多い。常任理事国入りを求める国民的世論が高まっている、などとは全然言えない。
 しかし、自衛隊イラク派兵など対米追随政策への広範な反発に比べると、国内では常任入りへの積極的反対があるとも言えない。日本の野党や労働者人民の運動でも、「常任入り反対!」と大きな声で叫ばれているわけではない。むしろ、条件付きで(平和憲法と矛盾しない形ならば、近隣国の支持があるならば等)常任入りに賛成という傾向のほうが多いのである。しかし中国などでは、侵略戦争の歴史を歪曲する日本が常任入りなどとんでもない!というのが対日批判行動の主要な中身の一つであった。「日本常任入り」を見るアジアの視線と日本人の感覚とには、かなりの温度差があると言えるだろう。
 民主党は、政府・自民党と同様、現在を常任入りの機会ととらえ、「国内世論と加盟国の支持を前提に日本の安保理常任理事国入りをめざす」政策である。安保理の軍事的安全保障措置と日本国憲法との矛盾については、平和憲法のほうを変えてしまおうという立場である。とくに岡田代表は、国連武力行使への積極参加論である。
 日本共産党と社民党は、条件付賛成論である。日共の志位委員長は、「賛成だが条件が必要」として、侵略戦争を反省して世界とアジアに信頼される国になること、米国いいなりでなく自主外交の国になること、憲法九条と矛盾しない形で国連憲章が改定されること、の三条件を挙げている。三点目については、アナン改革案が「軍事参謀委員会の廃止」を国連憲章改定案に盛り込んでいることをとらえて、「常任理事国への軍事的な義務付けをなくす方向での憲章の改定、これが実現されたら、九条と両立するようになる」と述べている。(『赤旗』六月二六日)
 しかしアナン改革案の意図は、武力行使を行なえる安保理の権威がブッシュ政権の単独行動主義によって傷つけられた現状を、どのような方策で改善するかということにあるのであって、安保理の軍事制裁措置を否定しているのでは全然ない。志位は主観的な解釈を行ない、常任入りへの道を探ろうとしているのではないか。
 なんだかんだ言っても、日共も社民党も「国連大国」に成りたがっているのである。また、それを当然とする国民意識があることも否定できない。日本は国連を通じて何をやるべきで、何をやるべきではないのか。国連にできること、できないことは何か。そうした基本的論議を欠いて、日本も大国の一つなんだからというナショナリズムに乗っかかり、「条件付き賛成」と言い出すのは危険である。憲法情勢との関連では百害あって一利なしである。
 われわれは、常任理事国制度という特権的仕組みじたいに反対し、日本の常任理事国入りに断固反対する。アナン改革案は、「今日の世界の力の現実をより広く反映」させ、諸大国の力関係と国連の機能を調和させようとする現実主義ではあっても、国際社会の平等と平和の要求を諸大国に押しつけようとするものでは全然ない。
 平和憲法を堅持したままで常任理事国になればよい、ではなく、平和憲法を活かし実現しようとするなら、「国連大国」になることに反対し、日本は国際社会の平等と平和の要求に合流すべきなのだ。(A)