沖縄「慰霊の日」に連動し、東京でも6・23集会
   辺野古新基地を撤回せよ

 組織的な沖縄戦が終了したとされている六月二十三日の「沖縄慰霊の日」に、東京豊島区にある南大塚ホールで「普天間閉鎖と辺野古新基地撤回を求める集会」が沖縄米軍基地問題連絡会の主催で行われ、二〇〇名の人々が参加した。集会に先立って、辺野古現地での座り込みと海上での海洋調査阻止行動の記録ビデオが放映された。
 講演は、元沖縄県知事の大田昌秀さんと沖縄平和運動センター事務局長の山城博治さんが行なった。
 大田さんは、鉄血勤皇隊として米軍と闘った自らの経験を語り、「当時の日本は沖縄を捨石にして本土決戦の時間をかせごうとしていた。さらに沖縄は十月まで戦闘が続き、占領後も大きな犠牲と困難を強いられてきた」と、六十年間の苦難に満ちた歴史を語った。さらに、「『憲法改正』を許してしまったら日本が再び過去の誤りを繰り返すことになる」と、憲法改悪反対の闘いの重要性を訴えた。
 山城さんは、五月十五日に行われた普天間包囲行動が大成功に終わったことにふれ、スローガンに普天間だけでなく辺野古の海上基地建設反対も入れたこと、広範な民主勢力が共同して、内地からも多くの仲間が駆けつけて闘ったこと、このような闘いが辺野古での防衛施設庁の夜間作業をあきらめさせたこと、などを報告した。同時に沖縄の米軍基地撤去の闘いは、アメリカの全世界的な基地再編強化の一環である沖縄の基地再編を阻止するために、ますます強められなければならないと発言した。
 最後に5・15普天間包囲行動に参加したワールドピースナウの代表と、全水道労働組合青年部の報告をうけ、集会を終了した。(東京H通信員)


沖縄人の自覚促す「6・23沖縄国際反戦集会」
  来沖小泉、小学生も批判

 沖縄では今年も、「6・23沖縄国際反戦集会」が平和市民連絡会を中心とする実行委員会によって行なわれ、ひめゆりの塔の近くから約二キロを行進した後、糸満市米須の「魂魄の塔」前に約二百人が集まった。
 集会では、市民連絡会顧問の中村文子さんが主催者あいさつ、「沖縄戦では皇民化教育によって多くの教え子を死なせてしまった。当時教師だった自分自身にも大きな責任がある。今、日本は昔の軍国主義にもどりつつある。だから、沖縄人はしっかりと対処していかねば再び大変なことになる」と述べ、沖縄戦犠牲者追悼の意味を語った。
 多くの人々の発言があったが、海外からは米軍基地に反対するフィリピン女性などによる連帯訪問団のアピールもあった。なお、与勝の高校生たちによる、アカペラの歌とダンスがよかった。
 摩文仁のほうでは、県主催による沖縄全戦没者追悼式が行なわれ、小泉首相も来沖し参加した。
 この式で、子ども代表として発言した与那原東小学校六年生の上原君は、「戦争はいやです。国からの戦争協力に、はっきりノーと言います」と述べ、式参加者に大きな感銘を与えている。続いて式辞に立った小泉は、「地元負担の軽減に向けて米国と協議中」云々と通り一遍のことを述べ、きわめて対照的な印象を与えて会場を白けさせた。
 「負担軽減」を口にするなら、小泉は那覇防衛施設局に辺野古からの撤収をただちに指示せよ。(沖縄T通信員)


医療観察法
  対厚生労働省7・15大行動に結集を
    施行強行阻止し廃案へ

 一昨年、猛烈な反対の闘いを無視して強行採決された「心神喪失者等医療観察法案」(以下「医療観察法案」とする)は、その施行の期限を七月十五日に控え、あまりにも恥さらしな実態をさらけ出している。
 保安処分の施設は地域住民の「怖い物を建てるな」という基調の反対論によって、東京都の国立武蔵病院などをのぞいて、頓挫している。またソフトの面でも、これに従事しようという人材が集まらないというなんともお寒い状況である。精神病者を始めとする反対運動はこうした現状をばくろし、医療観察法とその施行に反対しつづけている。
 ところが、厚生労働省、法務省は、こうした実態にもかかわらず、間に合わない部分は政省令で勝手に解釈し、足りない保安処分病棟は全国の都道府県病院で臨時に間に合わせるというお寒い対応によって、なんとしても施行しようともくろんでいる。
 当初、法改正で乗り切ろうとしているとの情報が流れ、反対運動側ではすわ国会前、と色めきたったが、政府側は再び猛烈な反対運動に会うのを恐れて、国会審議を要しない政省令という反対論をさしはさむ余地のない姑息な手口で、乗り切ろうとしている。
 また、保安処分反対の見地からの地域の草の根病者団体の反対運動も、ようやく出始め、全国各地で、予定されている病院ごとに反対運動がおこっている。大げさではなく、客観的には廃案しかない情勢である。
 にもかかわらず、政省令で押し切り無理矢理施行というのは、敵もどうしても法律を作った面子をたもち、強行しようというもくろみであり、七月十五日前後をめぐる攻防になっているのである。
 今まで保安処分反対の闘いを主導してきた諸団体も、今回は地域病者団体と連携するなど、全体で厚生労働省、法務省を取り囲み、施行強行に反対の陣形を用意しつつある。(七月十五日・正午から、霞ヶ関の厚生労働省前で大行動が展開される)。
 読者・友人の皆さん、これらの行動に結集し、この法律を断固廃案に追い込もう。その可能性は、出てきているのである。(東京A通信員)


住基ネット差し止め訴訟― 金沢地裁で全面勝利
  自己情報コントロール権を認定

 「住民基本台帳ネットワーク」は国民総背番号制であり、憲法が保障するプライバシー権や人格権を侵害し違憲であるとして、住基ネットに提供された個人情報の削除を求めた「住基ネット差し止め訴訟」で、金沢地裁は五月三十日、原告全面勝訴の判決を下した。
 判決は、住基ネットからの離脱を求める住民への適用は違憲とした上で、プライバシーの権利に基づく住基ネット差し止め請求権も認めた画期的なものであった。判決理由で、「憲法十三条が保障するプライバシー権には自己情報コントロール権が重要な一内容として含まれる」として、国側の「自己情報コントロール権は憲法で保障された権利とはいえない」とする主張を明確に退けた。
 そしてまた判決は、自己情報コントロール権に含まれるとした本人確認情報のうち「住民票コードとその変更情報は、各種の個人情報を集めることができるため、秘匿を要する程度が相当高い」と指摘している。それは原告が主張してきた、住基コードによるさまざまな個人情報の名寄せが可能であり、それについての法的歯止めは何もないという住基ネットの危険性を全面的に認めたものである。判決はいう。「住民が行政機関の前で丸裸の状態で、人格的自律が脅かされることは容易に推測できる」と。
 この金沢地裁判決は、全国各地で闘っている四五〇名を越す原告たちに更なる確信と大きな勇気を与えただけでなく、国立市をはじめネットから離脱している自治体に法的根拠を与え、また選択制を検討している自治体にも大きな影響を及ぼすものであり、原告団・弁護団が一体となって勝ち取った判決であった。

名古屋地裁の不当判決は仕組まれたもの
 一方、翌五月三十一日に名古屋地裁が原告のすべての請求を棄却する極めて不当な判決を出したことで、一般にこの問題の判断が二分しているような印象を与えている。
 だが、名古屋地裁の判決は当初から仕組まれたものであった。名古屋地裁は三月一日、何の予告もなく突然「裁判の終結」を宣言し、裁判長は「判決の言い渡し日」だけを言い残して退廷してしまうという事態がおきていた。原告が求めていた証人尋問や原告尋問、最終準備書面の提出といった立証の機会を一切奪った一方的な結審という前代未聞の訴訟指揮を強引に行なったのである。原告弁護団は、裁判官忌避を申し立て、全国から三〇〇〇名をこえる「弁論再開」を求める署名が地裁に提出され、最高裁への特別抗告中であるにもかかわらず、結審を強行した暴挙であった。これは、高裁段階で訴訟指揮権の濫用と指弾されることも覚悟で行なった国側の仕掛けであると思われる。
 地裁判事のなかには「訟務検事」として出向し、省庁の訴訟代理人として数年間をすごした者も多い。それで、国の論理にとらわれ易いばかりでなく、人脈も形成されている。名古屋地裁の強引な訴訟指揮は、五月三十一日、つまり金沢地裁判決の翌日にどうしても国側勝訴の判決を出さねばならなかったからではないか。金沢地裁が極めて真面目に審理をしていることは昨年来評判となっていて、かなり踏込んだ判決が予想されていた。だから、国側は手を打ったのである。金沢でもし原告勝訴の判決が出ても翌日にはオアイコにできるし、もし国側勝訴ならその流れを確実にできると踏んだのだ。
 六月十日、東海地方の原告は「画歴史的な金沢判決に比するならば、名古屋地裁『判決』の不当性は際だっている」と弾劾し、「全国の仲間とともに、憲法改悪反対の旗を高く掲げて、勝利するまで闘い続ける」として名古屋高裁に控訴した。

金沢地裁判決の地平を打ち固め、全国の訴訟勝利へ
 このように「住基ネット差し止め訴訟」は、国側との息詰まる闘いが続いている。
 われわれは、まず金沢判決の地平を各地の地裁でも闘いとらねばならない。そのためには、広く住基ネットの本質とその違憲性を周知し、原告団・弁護団を核とした広汎な一大国民運動に発展させることが必要であり、憲法改悪反対運動の一環に位置づけられる。裁判上では、確かに住基ネットの違憲性を問うことも重要ではあるが、同時に金沢地裁が示した「選択制」を主張することも必要だと思われる。実際に離脱希望者が離脱すれば住基ネットは虫食い状態となり、一元的に管理しようともくろむ国側の狙いは崩れるからだ。「選択制」をまず法的に定着させ、次に離脱希望者を大量に生み出すということでも遅くはない。
 さらに、名古屋地裁での暴挙のような事態を再び許さないためには、各地裁に対して「慎重・公正な審理を求める」署名を大量に提出するなども必要であろう。
 今年中に幾つかの地裁で判決が出る予定となっている。必ずしも一喜一憂することなく、住基ネットを葬り去るまで断固として闘い抜こう。(住基ネット差し止め訴訟・一原告)