映評

『ベアテの贈りもの』 藤原 智子 監督
  戦後憲法は男女平等の基礎

 戦後憲法の男女平等条項が、ベアテ・シロタ・ゴードンによって起草されたという事実は、最近は広く知れ渡るようになった。今、東京・岩波ホールで(七月八日まで)上映されているドキュメンタリー映画『ベアテの贈りもの』は、このベアテの生い立ちと起草時の様子などが前半に描かれ、後半は、戦後六十年の間、日本の各界の女性たちが、男女平等のためいかに奮闘してきたかを描写している。
 キエフ生まれの父・レオ・シロタはユダヤ人で若くしてウィーンで活躍した世界的ピアニストであり、ベアテはこの父と母オーギュスティーヌとの間に生まれた。母は、才気と美貌で、芸術家や文化人が集まるサロンのアイドルであった。音楽の都としての伝統と自由な精神があふれていたウィーンで、ベアテは幼少期を過ごした(映画は全編に父の演奏が流れ、クラッシック・ファンも必見である)。一九二八年のハルピンでの演奏のとき、父は山田耕作に熱心に誘われ、日本でも演奏する。そして、一家は翌年日本に移り住む。それは、父が東京音楽学校(現在の東京芸術大学)の教授として、半年間の契約を結んだからである。
 だが、一家は結局、一七年間も日本に滞在する。太平洋戦争が始まるころ、ベアテはアメリカに留学しており、一家は離れ離れになる。戦争中、父母の消息はわからずベアテは心配するが、戦争終結後も容易には日本に渡ることができず、やむなくアメリカ占領軍の軍属になって、ようやく日本にわたり、両親と再会できた。
 ベアテが憲法起草にかかわるのは、彼女が二十二歳のこの頃である(彼女が起草した条項は数多くあったが、結局、憲法に残ったのは第14、24条)。ここで印象深いのは、女性の権利を主張することは、当時、天皇制の改廃を議論するのと同じようにホットなことであったということもさることながら、問題は、日本側が反対する理由が「日本の文化に合わない」という点である。それは、今、憲法改悪に際して自民党などが主張する「日本固有の伝統と文化を前文に書き入れるべきだ」という主張と見事に符合している。結局、これらの論者は戦後憲法の精神をハナから否定し、六十年前と同じ思想状況にあるといえる。これは単なる杞憂ではなく、昨年六月に発表された自民党の「論点整理」には、明確に「家族と共同体の価値を重視する観点から(男女平等を規定した憲法24条を――引用者)見直すべきだ」と記されている。
 後半部分については、いかに多くの女性たちが、この六十年、男女平等のために努力してきたかを描いているが、この点だけでもまた、多くの男女がこの映画を観る価値がある。そして、映画を観て考えさせられるのは、男女平等を妨げる日本の制度や思想は一体どこにあるのか――ということである。確かに、戦前に比べれば、女性の地位は比較にならないほどに向上した。だが、なぜ、パート労働者の多くは女性なのか、なぜ、パートなど不正規労働者の時間当たりの賃金は極端に低いのか、なぜ、各級議員には女性が少ないのか――課題はまだまだ山ほどある。 (T)


『ひだるか』 港 健二郎 監督
  若者の生き方と三池争議

 六月二十一日、友人に誘われて、日本プレスセンタービルで開催された、映画『ひだるか』の試写会に行ってみた。映画の感想を述べてみたいと思う。
四十五年前の「三井三池争議」を扱った作品だということで、私のように当時の映像を期待する向きには、出だしのところで少々戸惑うかもしれない。時は「現在」、福岡の地方TV局で花形ニュースキャスターとして働くヒロインの日常生活から入るからである。
 このヒロインが、外資によるTV会社買収、大規模なリストラ必至という事態に直面し、労働組合の分裂工作にも巻き込まれるが、最後は男女関係を介したしがらみとも決別し、働く仲間を大切にする立場に立つ。この過程で、三池にこだわる劇団の友人に出会い、また三池について一切語ることなく死んでいった父親の生き様を人づてに知り、三池争議への関心が大きな位置を占めるようになり、それが彼女の生き方に影響を及ぼしていく。こんな構成であった。
ヒロインは、新人だそうだが適役だったと思う。「三井三池争議」の映像も、違和感なくしっかり組み込まれている。感動させる映画であった。是非、多くの人に観ていただきたいと思う。東京では、七月一日〜十八日、MAKOTOシアター銀座(中央区京橋3−3−2 富士ビル一F)で毎日13時〜、16時〜、19時〜に先行上映とのこと。
ちなみに、「ひだるか」とは三池をはじめ北部九州のことばで、「ひもじくてだるい」ということだそうです。(M)