「東アジア共同体」を掲げた民主党・岡田ビジョン
  支配階級分派との路線闘争を

 民主党の岡田代表が、五月十八日、外交・安全保障のビジョンを発表した。岡田は、対米追随一辺倒の小泉路線に対抗してアジア重視を明確化し、「東アジア共同体の実現」を打ち出した。この旗を二大ブルジョア政党の一方の党首が正面切って掲げたことの政治的意味は小さくない。
 この間、小泉政権の対米追随一辺倒、覇権国家への国家再編、侵略・植民地支配の歴史の美化は、韓国・朝鮮、中国からの激しい批判に晒され、包囲された。小泉政権は、「東アジア共同体」の形成に口では賛成といいながら、いまだ靖国参拝など実践的には正反対の態度に固執している。勃興する東アジアの中で、相互依存を深める東アジアの一員として生きていかざるを得なくなっている日本の支配階級の少なからざる部分が、この事態に危機意識を強め、日本の政治の転換を求める声を高めた。そうした中で民主党代表がアジア重視を鮮明にしたということは、日本の支配階級が、新たな選択肢を手にしつつあることを意味する。
 「東アジア共同体」は、東アジア諸国のブルジョア階級の構想ではある。しかしそれは、第一に、超大国アメリカによる朝鮮などへの単独行動主義的軍事介入を押しとどめ、この地域の平和を確保する目的と結びついている。第二に、アメリカ投機資本の横暴から自由な広域市場を育成する目的と結びついている。第三に、日本の侵略戦争・植民地支配の歴史を清算し、東アジアの諸民族の和解を果たす目的と結びついている。したがってこうした「東アジア共同体」を推進する部分について、労働者人民は、超大国アメリカおよび対米追随一辺倒勢力の支配と対決し、新自由主義グローバリゼーションとたたかうという緊要の課題において一定連携できる勢力として、視野に入れておかねばならない。

    当面の転換のための連携へ
         労働者階級の立場の確立を


 連携するためには、連携する前に、労働者民衆の独自の構想をある程度ねりあげておく必要がある。問われているのは、超大国アメリカに追随して右へと大きく舵を切る日本の政治の流れを止め、とりあえず左への方向転換を実現することである。この状況認識に立って、労働者民衆の東アジア的連帯を大規模に発展させることのできる、労働者民衆がいきいきと生活し闘うことのできる「東アジア共同体」をそれなりのレベルで闘い取ることである。
 民主党・岡田代表の「東アジア共同体」構想は、支配階級の側からする同構想の一つである。労働者階級は、この構想に対する自己の立場を確立しておかねばならない。
 第一は、岡田ビジョンが、「東アジア共同体」の中で「アジアと米国の連結器」の役割を果たす、と主張していることについてである。
 これは、アメリカへの従属根性丸出しの気兼ねだというだけでなく、超大国アメリカの威を借りて、中国をはじめとした東アジア諸国の間でヘゲモニーを確保していこうという戦略でもある。自前の軍事力を多少強化したところで、アメリカの核の傘と軍事介入能力の後ろ盾を失えば、経済力の優位だけではヘゲモニー争いの視点からすると限界があるからである。
そして岡田ビジョンは、米日に近い「インドおよびオーストラリア、ニュージーランド」を「東アジア共同体に向けての重要なパートナー」としていくこと、「将来的には、東アジア共同体が米国も含めた姿に拡大・発展すること」に言及する。これは、「東アジア共同体」構想が実質的に破綻した姿、アメリカの望む光景である。
しかし肝心のアメリカは、「東アジア共同体」に反対し、「オブザーバー参加」も断るという態度である。日本の支配階級は、アジアと共に歩むのか、アメリカに組するか、二者択一を迫られる状況に置かれているのである。
 アジアと共に歩もうというのであるなら、中途半端に超大国の威を後ろ盾とする仕方ではなく、侵略戦争、植民地支配の歴史の反省に立って、東アジア諸国民衆との信頼関係を再構築する道に踏み出す以外ない。その視点から見ると、岡田ビジョンは、「拉致問題」に動揺して東アジア共同体の形成に不可欠な日朝国交正常化方針を欠いている。また、アメリカのイラク侵略戦争と自衛隊の参戦に実質的には反対しておらず、日本の覇権国家化への東アジアの不安に応えるものとなっていない。
 第二は、岡田ビジョンが、日米同盟関係を「両国の自立を前提とした」関係にしていく、と主張していることについてである。
 岡田ビジョンは、「テロや領域警備などについては、日本が独力で対応できるだけの能力を整備」し、「東アジア共同体」を「安全保障を含めた地域協力」へと発展させる。そして「アジア太平洋地域においては米国との同盟関係を深めていく一方、中東・アフリカなど、それを越えたグローバルな問題について自衛隊派遣を行うときには国際連合の枠組みの下に行う」としている。これは、超大国アメリカの世界覇権の下で地域覇権を模索する態度であり、自前の抑圧的軍事力の強化を柱に据えた主張である。
 これは、憲法九条という、空洞化してきたとはいえ、東アジアの被抑圧諸民族・人民との民衆的連帯にとっての一つの大きな条件を、破棄する主張に他ならない。改憲阻止のたたかいは、対米追随一辺倒の戦争推進傾向に対する闘争であると同時に、支配階級のもう一つの傾向との、どのような「東アジア共同体」を勝ち取るかをめぐる路線闘争でもあるのだ。
 第三は、岡田ビジョンが、「ASEAN,韓国、中国、インドなどとFTA(自由貿易協定)、EPA(経済連携協定)を締結する」「期限を切った未熟練労働者の本格的な受け入れ態勢を整備するなど、日本社会の開放に向けて広範な取り組みを行う」と主張していることについてである。
 われわれも、日本社会の開放に賛成である。しかし岡田ビジョンの場合は、資本の利益のための「開放」、労働者使い捨てシステムを飛躍的に拡大する「開放」、社会と自然環境の破壊を促進する「開放」である。われわれは、このような「開放」に断固反対し、労働者がいきいきと生活し、闘い、国際連帯を発展させることのできる東アジア共同体を目指さねばならない。同時に、増大する失業労働者、非正規雇用労働者、移住労働者の闘いの組織化と労働運動の再構築、環境、福祉、医療、仕事、教育等々のNPO・協同組合の発達と地域社会の再構築、東アジアをはじめとした全世界の労働者民衆との連帯の再構築を推し進めることで、ブルジョア的東アジアに対する対抗勢力を形成していかなければならない。
 「東アジア共同体」に、何か完成した姿というものはないだろう。それは、東アジア共同体を形成しようとする動向と東アジア諸国にたいする分断統治構造を維持しようとする超大国アメリカとの角逐、国民国家の衰退を促進しようとする傾向と国民国家を強化しようとする傾向との衝突、東アジア規模での連携を強めていく労働者民衆とブルジョア的東アジアの闘争などが、絡み合いつつ紆余曲折を辿る一つの「過程」であるだろう。この「過程」は、この過程でそのネットワークを発達させ、闘争力量を発達させる労働者民衆によって終止符が打たれるに違いない。(M)
 
 
郵政民営化法案を断固阻止しよう
  与野党の錯綜を越え
     新たな公的サービス確立へ

 
郵政民営化法案は、特別委員会設置で与野党がもめ、野党の民主党・社民党ははなから審議拒否で臨むという、異常事態がつづいてきた。ようやく、五月三十一日になって与野党五党の国会対策委員長会談で妥協が成立し、国会は六月一日から正常化し、三日に衆院郵政民営化特別委員会で総括質疑を行なうことで合意した。民主党、社民党が、審議入りに応じた条件は、@郵政民営化法案の政省令を示す、A「民営化等の見直しは行わない」と定めた中央省庁等改革基本法33条を見直す――などを求めた。この点について、与党は、@を受け入れ、Aも、特別委員会の審議で必要になった場合、付帯決議あるいは付則などで対応する――とし、妥協がなりたったのである
 こうした表向きの動きと並行して、民主党の小沢派は、自民党の反対派の綿貫議員らとの連携をつよめ、廃案に向け、協力する密談がなされた。このこと自身が、民主党が審議入りに踏み出す上では、大きな要因になったと思われる。自民党議員反対派は、郵政公社のままでその改革をうたった議員立法を提出することを、公表した。だが、議員立法は所属党派の執行部の了解が必要であり、反対派の選択肢はますますせばまざるを得なくなっている。すなわち、民主党など野党との協同戦線に明確に踏み込むか、否かの決断が迫られることとなっている。
 郵政民営化法案の審議は、このように党派を超えて錯綜しているが、その大元の原因は、小泉政権の法案内容が独善的で、大方の議員を納得させるような中身になっていないからである。
 さる四月二十五日に、政府と自民党五役は郵政民営化関連法案の修正内容で合意し、二十七日には、同法案の閣議決定が強行された。二十五日の合意は、自民党内反対派の抵抗が続く中でおこなわれ、翌二十六日の自民党郵政改革合同部会で、二十五日の合意が「了承」され、ようやく二十七日の閣議決定となったのである。
 閣議決定された法案の骨子は、@現在の郵政公社を〇七年四月一日に解散し、日本郵政株式会社(持ち株会社)、郵便事業会社、郵便局株式会社(いわゆる窓口会社)、郵便貯金会社、郵便保険会社を新設する、A政府は、持ち株会社の株式を早期に処分するが、常に三分の一超を保有する、B持ち株会社が保有する金融二会社の株式は、〇七年四月から十七年三月までに間にすべて処分する。(ただし、自民党との口約束で、完全民営化後なら窓口・郵便会社が貯金・保険会社の株式を取得でき、株式持合いによるグループ一体経営も可能とする)、C郵便局は全国であまねく利用されるように全国配置を義務付け、D過疎地などでの金融サービスの維持を目的として、持ち株会社は社会・地域貢献基金を一兆円に達するまで積み立てなければならない。(ただし、事情によっては二兆円まで積み立てられる、との自民党との合意)、E情報システム開発が大幅に遅れる恐れがあるような場合は、民営化を六ヶ月間(〇七年十月まで)延期できる、などである。
 二十五日の政府と自民党との修正合意の主なものは、BとDのカッコ内の点などである。
郵政民営化については、自民党内の合意がなかなか進まず、小泉首相はいくつかの点で反対派に妥協した。それは、なりふり構わず、なんとしてでもまずは民営化という形だけはとろうという、作戦の結果である。
しかし、この間の小泉首相などと反対派との討論、ならびに妥協結果をみると、そもそもの民営化の理念自身の正面切った議論が弱く、双方ともに意見のすれ違いが目立った。このため、政府と自民党との「合意」の手続きも強引であり、反対派は「党議拘束はなされていない」と、今もって抵抗姿勢をくずしていない。
郵政民営化法案の第1章総則によると、民営化の理念らしきものは、「民間にゆだねることが可能なものはできる限りこれにゆだねることが、より自由で活力ある経済社会の実現に資する」(A)という点と、「経営の自主性や効率性を高め、競争を促進して多様で良質なサービスを通じた国民の利便の向上と資金の自由な運用で経済活性化を図る」(B)という点である。
これらの考えは、明確に新自由主義の観点に沿ったものである。それは、今回の郵政民営化の本当の狙い、即ち、約三五〇兆円(個人資産の四分の一)という巨額の資金を内外の民間資本に開放するという狙いに合致したものである。
(A)の主張は、一見すると、日本の伝統的な官僚主義の基盤の一つを解体し、従来の利益誘導型政治の基礎を崩すかのような印象を与える。だが、これは大きな間違いである。それは、日系多国籍企業の活動が発展し、国内の公共事業の波及効果が高度成長時代のような力を発揮しない現状を踏まえて、官僚機構を再編しながら、市場主義と調和させようということからも明らかである。市場原理の推進だからといって、小泉首相らがこれまでの中央集権主義を根本から是正する、などというのは幻想である。それは、例の「三位一体改革」なるものの欺瞞性をみるだけでも明白である。
 (B)の主張は、全くのひとりよがりである。「競争を促進して多様で良質なサービスを通じた国民の利便の向上」などというのは、全く持って資本活動の弱肉強食から目をそむける議論である。資本の競争は、決して「良質なサービス」を提供しない。利潤の追求だけを目的とする資本は、「儲からない」と判断すれば、撤退し、サービスの供給そのものを停止するのは、火を見るよりも明らかである。資本は、本性的に弱肉強食である(だからこそ、反対派すなわち利益誘導型政治を推進してきた議員などに、この点を追及されているのである)。
 弱肉強食の小泉政権の郵政改革に反対し、また、既得権益の維持にキュウキュウとする自民党内反対派を批判し、労働者人民の立場に立った新たな公的サービスを確立しよう。(T)