中国人民の対日批判行動を断固支持する
     東アジア連携への日本政治の転換を

(1)

四月二日、中国の四川省・成都で始まった「反日」デモは、瞬く間に北京、広州、深?に飛び火し、十六日には、上海、天津、杭州でも万単位の民衆が起ち上がり、中国全土で三週連続の大規模な対日批判行動が燃え上がった。「靖国神社参拝を止めろ」「侵略を美化する歴史教科書に反対する」「日本の国連安保理常任理事国入りを阻止せよ」「釣魚諸島は我々のものだ」。これが、中国人民の声だった。
この中国人民の「反日」デモは、韓国・盧武鉉大統領が三月二十三日に発表した対日批判談話に呼応して起こったといわれる。盧武鉉大統領は、その談話の中で、侵略戦争に「貢献」した軍人を祭る靖国神社への参拝をやめようとしない小泉首相の態度、朝鮮植民地化のための日露戦争の渦中でなされた独島の略奪を正当化する島根県による「竹島の日」の制定、侵略の歴史を正当化するものへ歴史教科書を改ざんしようとする執権勢力の執拗な動向を指摘し、「これは、日本がこれまで行ってきた反省と謝罪を、すべて白紙化する行為」だとの認識を明らかにした。そして大統領は、「今や、韓国政府も断固として対応せざるを得ません。侵略と支配の歴史を正当化し、ふたたび覇権主義を貫徹しようとする意図を、これ以上看過するわけにはいかなくなりました。韓半島と東北アジアの未来がかかった問題ですから。」と並々ならぬ決意を表明したのである。
これは日本政府がこの間、「専守防衛」の一線を越えたこと、すなわち実際に海外派兵を積み重ねながら国土防衛軍から侵略軍への軍制と装備の転換を実施し、戦争に備えた法整備を行い、本年二月の日米安保協議会でアメリカと共に朝鮮、中国へ軍事介入する用意があると宣言するまでに至った事態に対処するものであった。またこれは、日本政府が侵略の歴史を正当化することで、侵略戦争の出来る人間作り、社会作りに本腰を入れ、教育基本法と憲法の改悪をもって侵略戦争の出来る国家体制を確立しようとしている事態への対処であった。そしてこれは、東アジア共同体の形成と南北統一の実現を視野に入れた北東アジアの未来のために、日本の政治の流れの変革を先頭に立って促すという韓国民向けの政府としての決意表明であると共に、日本の民衆への呼びかけでもあった。
中国人民は、盧武鉉大統領のこの談話に共鳴し、全土の「反日」デモで応えたのである。それは、日本がアジア侵略を口先だけでしか反省していない国だと全世界にむかって暴露し、日本はもちろん、世界を震撼させた。日本の覇権国家への飛躍を確かなものにする国連安保理常任理事国入りの企みを、一撃で事実上粉砕した。
中国人民の「反日」デモは、日本の小泉政権とアメリカに追随する戦争勢力、その反動政策に反対するものであった。その基調は、右翼、マスコミが日本人の民族主義的対抗心を扇るために描いて見せるような偏狭な民族主義によるものではなかった。それは、「靖国神社参拝反対」など日本政府の政策に対する批判であり、日本の民衆への力強い声援、励ましとなったのである。

(2)

中国で対日批判行動が広がった原因は、日本政府が侵略の歴史を美化し、覇権主義の道に踏み出し始めたことにある。日本政府は当初このことに触れず、民衆の投石によって日本の公館が「被害」を受けたことをことさら問題視する発言をつづけた。
小泉は、中国政府が「反日」デモの抑制に乗り出した後、四月二十二日にインドネシアで開かれた国際会議で、過去の侵略と植民地支配を謝罪してみせた。しかし、靖国参拝をやめると約束した訳でもない、教科書の改ざんを謝罪した訳でもない、「口先だけ」の謝罪の繰り返しだった。むしろ外相の町村などは、「反日」デモの原因を中国の教育のせいにすりかえて開き直るありさまであった。
日本政府の開き直った態度は、どこから来るのか?
今日、多国籍企業の時代のグローバル化した市場、その不可欠の構成環となった中国巨大市場の開放性を確保することは、日本の支配階級にとってだけでなく、欧米の支配階級にとっても、また当の中国の支配層にとっても切実になっている。日本政府は、この現実に立脚して、傲慢な態度で中国における「日本の安全」の保障を求め、中国政府に圧力をかけたのである。こんなことでは中国において欧米の企業活動も安全ではありませんよ、と。日本は二〇〇八年の北京五輪をボイコットすることになるかもしれないですがいいのですか、と。
この基盤の上で、超大国アメリカを頂点とした諸国家の重層的国際秩序において相対的な支配的地位を確保するための「パワーゲーム」に興じているのが、小泉政権下の日本国家なのである。この「パワーゲーム」の世界では、「歴史問題」は、韓国・朝鮮や中国に握られた、日本国家に不利な「カード」にすぎないのである。民衆同士の連帯の再構築にとって何としてでも越えなければならないこの課題の重さが、国家機構の中から戦中世代が去りつつあることも重なってすっかり軽視・忘却されてしまっているのである。この「カード」の背後の現実が、生身の人間の怒りの爆発となって噴出しても、抑圧頼みの一手しか思いつかず、根本的な克服の方法など考えることも出来ない思考回路にはまり込んでしまっている訳である。
「五四運動」の記念日に合わせた「反日」デモは、中国政府による「中日関係の重要性」の説得と徹底したデモの抑制で不発に終わった。しかし日本政府が、侵略の歴史に真摯に向き合い、実際の行動において「反省と謝罪」を実践しない限り、中国政府の説得と抑制を打ち破って民衆の声が噴出してくるに違いない。結局は、社会の歴史においても、真実が自己を貫徹するのである。
韓国・盧武鉉大統領の談話とそれに呼応した中国における「反日」デモの噴出に応え、東アジアの民衆の連帯を実現していくためには、日本の政治の転換を勝ち取ることが焦眉の必要となってきていることを、われわれはしっかり認識する必要がある。いまや日本の労働者民衆に問われているのは、政策レベルの反動を押しとどめる諸方面の運動を発展させることとともに、また中国、韓国との民衆的連帯を強めることとともに、それらの諸活動を日本の政治の転換を勝ち取ることへと集中することである。

(3)

左翼が日本の政治の転換を目指す場合、克服すべき二つの課題が在るように思われる。
一つは、領土問題に対する態度である。
領土問題は、民族対立を掻き立てやすい、それだけに慎重に、徹頭徹尾政治第一で扱わねばならない問題である。左翼の場合、国家・国境の廃絶という大目標があるから、その見地ら安易に、問題領域の「共同管理」という解決策を提起する傾向が現れる。われわれはは、具体的現実から出発しなければならない。この場合は、「釣魚諸島」(日本名・尖閣諸島)、「独島」(日本名・竹島)である。本号別稿で論じられているように、前者は日清戦争で台湾を植民地化する過程において、後者は日露戦争で朝鮮を植民地化する過程において、まさに日本が略奪し領土編入したものである。したがって、これらの島に関して「共同管理」という形態であれ一定の領有権を主張することは、そうした政治的事件を全面的にではないが半ば肯定することにならざるをえない。少なくとも相手国の民衆にはそう受け取られ、その民族主義的義憤を掻き立てるという結果を招かずにいない。同時に、日本の民衆の中にある領土拡張主義を肯定し、助長する結果ともなる。これは、民衆同士の連帯を求める善意から出発しながら、かえって民衆同士の連帯の糸口をみずから手放す態度であるだろう。
もう一つは、日本の政治の転換に対する態度である。
今日の情勢において問われる日本の政治の転換は、日帝打倒・米帝一掃・プロレタリア階級独裁の樹立という政治的大目標の実現ではない。右へと大きく舵を切る政治の流れを止め、左への方向転換を実現することである。
すなわちそれは、米帝およびそのあからさまな追随勢力とたたかい、歴史問題を克服した、市場原理主義を規制した、NPOや協同組合を大規模に発展させた、労働者民衆がいきいきと生活し闘える政治空間を確保した東アジア共同体の形成を目指して、政治転換を実現するということである。そこでは、中国・韓国市場に依拠し、中国社会との共生を生存条件とする日本の資本との一定の連携が可能かつ必要となるだろう。いま財界のこの部分は、対米追随一辺倒の右翼勢力から“経済的利得の為に国家の大事を犠牲にする輩”と非難され、彼らの政治の貫徹にとっての一大抵抗勢力と見なされているのである。
われわれの原則的立場は、もちろん資本家階級総体との非和解的関係にある。だが、労働者階級人民の世界的かつ東アジア的なネットワークを大規模に発展させ、民衆がいきいきと生活し闘う政治空間を獲得するためには、二十世紀前半期の中国革命における国共合作のごとき、搾取階級の一分派との大胆な連携も必要になっているということである。
労働者民衆の利益を大切にすること、勝利への道を切り開くことよりも、自己の階級的立場性を教条主義的に確認することに自己満足する態度が、左翼内部に一つの傾向として存在している。労働者階級人民の力がまだ圧倒的に弱いにもかかわらず、支配階級の深刻化する内部矛盾を前にしてこれを利用しようとせず、いずれも階級敵にかわりないと解説して自己満足に浸る態度は、敗北を準備するものである。(M)


釣魚諸島は中国領であり
      独島は韓国領である

  ――この承認なくして、労働者階級の国際連帯なし

 このかんの中国、韓国の政府・人民による対日批判や抗議行動において、論点の一つとなっているのが釣魚諸島(日本でいう「尖閣列島」)、独島(日本でいう「竹島」)の領有問題である。とくに独島の場合、韓国側は「これは単純な領有権問題ではなく、解放の歴史を否認し、過去の侵奪を正当化する行為そのもの」(三月十七日・国家安全保障会議声明)として日本側を批判しており、日韓関係の全体に関わる問題ともなっている。
 釣魚諸島は中国領であり、独島は韓国領である。日本の労働者人民は、このことを明確に認め、日本の政府や自治体の不法占拠や領有権主張に断固反対するのでなければならない。この問題では、日本共産党や社民党も、日本の領有権を主張する従来からの態度をいぜん変えておらず、日本帝国主義の挙国一致的策動に加担している。左翼諸派においてすら、民族主義や領土問題への拘泥を乗り越えねばならないなどと一見左翼的装いを取りつつ、それらの帰属についてはアイマイな態度を取っている傾向がみられるのである。
 日本が東アジアにおいて海を挟んで隣接する朝鮮、中国に対し、近世から近代にかけてどのように国家領域を確定していったのか、しかし日本軍国主義の侵略的膨脹がそれをどう変更したのか、その後第二次世界大戦での日本の敗戦によって、それはどう清算された(再確定された)のか、という視角からこの問題を一瞥してみよう。

  独島

 近代主権国家による領域確定という点では、独島の方が釣魚諸島よりも史実が鮮明であるので、これから先に述べる。独島の場合は釣魚諸島と異なり、近代以前から朝鮮、日本の領民などによる係争の長い歴史があるが、これは本質的論争点ではない。
 法的には一九〇〇年十月二五日、大韓帝国が「うつ陵島全島と竹島、石島」をうつ島郡域とする勅令を告示している史実が重要である(この石島が現在にいう独島とみられる)。これ以前に日本が、松島あるいはリャンコ島(いずれも現在の「竹島」に対する当時の日本側の呼称)の領有手続きを行なった史実はない。そればかりか日本は、この朝鮮側の領有手続きの時点に到るまで、一八七七年三月二十日の岩倉具視太政官代理による島根県への回答及び内務省下達にある「竹島他一島本邦関係これなし」の態度を維持している。(ここで言う竹島は当時の日本ではうつ陵島を指し、「他一島」が松島=「竹島」とみられる)。
 この朝鮮による領域確定はしかし、一九〇四年に朝鮮半島などの支配権を争った日露戦争が始まることによって急変する。〇四年八月に日本は朝鮮にいわゆる第一次日韓協約を強要して外交権を奪い取り、その上で〇五年一月に「竹島」領有の閣議決定を行ない、同二月二十二日に島根県が編入告示を行なった。(日本は朝鮮全体の併呑を目前にして、なぜ小さい島の奪取を急いだのだろうか、第一には軍事的要請が考えられる。〇五年五月に対馬沖で日本海海戦が戦われ、同七月には日本海軍は独島に望楼を建設している。)
 以上のように、独島は日本が朝鮮侵略の過程で不当に奪い取ったものであり、ポツダム宣言を受諾した日本の敗戦によって、朝鮮の独立とともにその領域として再画定されたものである。対日講和条約の第二条aに「独島」の明記がないというようなことは、日本の領有権主張をなんら正当化するものではない。

  釣魚諸島

 釣魚諸島も、日清戦争すなわち清国に対する強盗戦争の過程のなかで、台湾強奪に一歩先んじた形において、不当に中国から奪い取ったものである。
 日本は一八七九年、「琉球処分」を強行して琉球王国の併合を強圧的に完了させ、清国の宗主権を否定する形で日中の領域確定を行なった。しかし領域確定がこれで完了したわけではなく、引き続き琉球分割案などが日中で交渉されている。そのころ清国が釣魚諸島の領域確定手続きを行なった史実はないとみられるが、歴史的経過(台湾住民の漁業や中国から琉球への冊封使船など)からすると、中国福建省台湾県の領域に入ることは明らかであった。琉球側からは、沖縄海溝と偏西風という地理的条件によって帆船時代には近寄りがたい島であったのである。この当時、併合した琉球の領域に釣魚諸島が入っていないことを日本政府が認識していたことは、いくつかの史料に示されている。この時点での釣魚諸島略奪は、当時の日中交渉の支障となるものであった。
 しかし、一八九四年日清戦争が日本軍の奇襲によって開始され、戦局が日本に有利に展開することによって状況は変わった。その戦時中の九五年一月十四日、日本は釣魚諸島領有の閣議決定を行なった。同年五月の日清講和条約調印で台湾割譲を強要する以前に、こっそりと釣魚諸島を奪ったのである。そのためか沖縄県による釣魚諸島編入告示は、ついに行なわれないままになっている。(今日、沖縄県石垣市が「一月十四日」を「尖閣列島の日」とする条例を制定しようとしているが、それは法的には島根県の「竹島の日」条例よりも一層混乱した暴挙である)。
 日本の敗戦によって、釣魚諸島は台湾とともに中国に返還されるべきものであった。対日講和条約第二条bに「釣魚諸島」の明記がないというようなことは、日本の不法占拠をなんら正当化するものではない。対日講和条約によって、米国が釣魚諸島を含めた形で沖縄を施政権下においたことは不当であったが、七二年沖縄返還時に正しい領域再確定を行なう機会があった。同年九月の日中国交回復もその機会であったが、この問題は棚上げにすることが合意されたのである。今日、日本政府が釣魚諸島占拠をさも当然のようにしているのは、重大な居直りである。
 以上のように釣魚諸島が中国領であり、独島が韓国領であることは明らかである。日本の労働者階級がこのことを認めることは、中国・韓国の労働者階級との国際連帯を作るうえで不可欠の前提条件の一つである。(W)