沖縄からの通信
  
   辺野古現地闘争「24時間態勢」で、掘削作業を阻止
      新基地阻止・普天間閉鎖の勝利を 

 四月十七日、辺野古の浜において、基地の県内移設反対県民会議とヘリ基地反対協議会の共催によって、「海上基地建設反対・ボーリング調査阻止座り込み一周年集会」が開かれた。
 防衛施設局のボーリング調査を許さないヘリ基地反対協などの座り込みが始まってから一年、辺野古のオジー、オバーたちが座り込みに入ってからは八年、防衛施設局による六十三箇所のボーリング計画は一本の掘削も許していない。この闘いによって、県民世論の八割以上が辺野古移設に反対、日米政府関係者(小泉までも含めて)からも「辺野古見直し」の発言が出たりする状況を生み出している。しかしながら、那覇防衛施設局は強硬姿勢を崩さず、いぜんとして建設現場での攻防は続いている。
 一周年集会には、闘争強化の決意を新たに四五〇人余が参加し、辺野古移設白紙撤回まで阻止行動を続けることを確認した。県民会議の山内徳信共同代表は、「辺野古見直しの正式表明まで気を緩めることなく闘いぬこう」と訴えた。またヘリ基地反対協の安次富浩共同代表は、「後一歩の勝利だが、施設局は調査すると言っている。県民一丸となって阻止しよう」と訴えた。海上阻止行動にも参加している漁師の山城さんからは、「食べ物もない沖縄戦後、私たちを救ったのは海の幸だった。海への恩返しをするためにも辺野古の海を壊させない」と強い決意表明がなされた。

 この一周年集会に先立つ四月二日、沖縄平和市民連絡会は、「普天間基地閉鎖・辺野古新基地建設阻止闘争の勝利に向けて」4・2討論集会を開催した。この集会は、闘争の帰趨に決定的に重要とおもわれる四〜六月に入り、いかに勝利に結びつく闘いを具体的にどう展開するのか意思統一を図るために開かれた。
 集会は、新崎盛暉、平良夏芽、秋山勝の三氏から報告があり、それを中心に意見・質疑が行なわれた。
 最初に、沖大名誉教授の新崎盛暉氏から「米軍再編と沖縄」というタイトルで報告がなされた。現状をどうみるかという点で重要な提起がなされた。筆者の責任で報告内容を以下整理してみる。
 ・米軍の世界的再編の本質は、アメリカが世界的な支配、経済的利益の追求と、自分たちの世界観・価値観を世界的に押しつけていく、そのための軍事的な体制整備である。一つには、「核をはじめとする軍事技術の整備」であり、二つには、同盟国の軍隊をどうやって米軍と一体化させるか、日本で言えば、米軍の軍事行動の中に自衛隊をどのように組み込んでいくか、である。
 ・二〇〇〇年の「アーミテージ・レポート」をとりあげると、そこで言う「成熟した日米関係はどうあるべきか」とは、ヨーロッパにおけるイギリスの役割をアジアにおいて日本が果たすことである。沖縄の過重負担の軽減という、誰にも反対できない口実を使いながら、これを利用して日米同盟を強化しようとしている。
 ・日本政府は、何とか沖縄に基地を閉じ込めておこうとしてきた。しかし、昨年九月二十一日の日米首脳会談あたりから変化が見えてくる。これまで沖縄について発言してこなかった小泉が、県外移設とか、本土のどこが受け入れてくれるかとか、基地の本土移設の発言をするようになってきている。
 ・自民党の防衛族及び防衛庁の動きと、二〇〇四年十二月の「防衛計画の大綱」、二〇〇五年一月の「南西諸島有事対応方針」の報道にみられるように、アメリカに積極的な対応をしながら自衛隊の活動範囲を広げようとしてきている。
 ・稲嶺県政や岸本名護市政そしてその支持基盤である建設業界、かれらは苦渋の選択と言いながら、基地受け入れに伴なう振興策に期待してきた。ヘリが落ちても、イラクから普天間に米軍が帰還しても、それらに反対はしても決して普天間基地の閉鎖、辺野古新基地建設には一切触れないばかりか、新基地建設のスピードアップを言っている(最近、名護の建設推進派は建設工事を二期に分けて早期完成をめざす案を提示している。それに自民党県連が同調する動きが出ている)。かれらが恐れているのは、辺野古新基地建設が吹き飛ぶことである。
 ・日本政府は、政策転換することによって稲嶺や岸本にダメージを与えることは避けたい。沖縄の反基地勢力が勝利し、今後の政治状況に大きな影響を与えることを何とか防ごうとしている。
 ・私たちが意図しているのは、米軍再編を千載一遇のチャンスとして普天間基地をなくすということではない。我々が望む沖縄の将来構想に向けて、この問題をどのような形で我々の方が掴み取っていくのか、こういうことが課題になっている。
 次に、現地闘争を先頭になって闘っている平良夏芽氏から、次のような「辺野古現地報告」がなされた。
 ・「辺野古再検討」等の報道は、辺野古にとって嬉しいものである。しかし、辺野古の状況は何ら変わっていない。むしろ、最後の強襲があるとの予想によって緊迫している。見直し報道により、「辺野古が楽になったとの誤解が全国に広がっている結果、辺野古への関心が薄らいでいるのではないか」。
 ・「足場に乗っている人たち、作業の障害になるので降りてください」等の言葉を施設局員がマイクで何十分も連呼し、その状況をビデオ撮影し始めた。施設局側の法的措置(強行)が心配される。
 ・阻止行動の人員とカンパの継続が必要! 今が正念場です。世論が現場の人々を守る!
 と、熱のこもった決意と闘争参加への訴えがなされた。
 また、平和市民連絡会事務局の秋山勝氏からは、闘争勝利に向けて連絡会がいかに闘っていくのか、レジュメでもって提起がなされた。
 提起は、闘いの到達点と課題、現在の状況をどう捉えるか、四〜六月をいかに闘うか、の三点に整理されていたが、要点としては、沖縄民衆の意思を大衆行動において明確化し、日米交渉に政治的に反映させることが闘いのポイントであるとしている。これについて、二月十八日に宮里政玄代表ら十二人による「沖縄の基地負担軽減を求める有志の会」が明らかにした日米両政府に対する要求、@普天間基地の閉鎖、A辺野古への移設計画の撤回、B米軍基地再編に際して沖縄県内への移設を条件としないこと、この三項目を沖縄民衆の共通の意思として確認するとしている。
 今後の闘い、とくに四〜六月の闘いとしては、@総力をあげてカンパ活動、すなわちウミンチュ(漁民)の闘争参加資金確保に取り組むこと、A現地闘争参加者の強化を図ること、B5・15普天間包囲闘争を地域で掘り起こすこと等、行動提起がなされた。

 米軍の再編協議が日米間で闇の中で進行し、辺野古見直しが表面化する中、日米両軍事基地の再編に関する観測気球(情報操作)が頻繁に打ち上げられている。その一環として三月に急浮上したのが、「下地島空港への自衛隊誘致」策動であった。
 下地島空港は、沖縄の南西に位置する宮古諸島の下地島(伊良部町)に七九年に開港した県管理の民間航空機パイロット訓練飛行場で、長さ3000mの滑走路を有する大規模空港である。建設当時、激烈な反対闘争が展開された。米軍は、軍事利用はさせないとの県知事「屋良・西銘確認書」の存在を無視し、県の自粛要請にもかかわらず、給油目的や人道支援を理由に米軍機の離着陸を一九七七年から二〇〇四年までの間に322回(照屋寛徳衆院議員の調査)強行使用してきている。
 伊良部町議会の誘致派議員は、三月十六日の定例議会で下地島空港への自衛隊駐留を要請する緊急動議を提出し、賛成多数(一票差)で決議した。しかし、それに怒った町民が下地島空港施設労組や青年団、漁民を中心に起ち上がり、誘致決議説明会の最終段階では町民の半数に及ぶ約三五〇〇人が結集して誘致派議員を追及し、三月二五日の臨時町議会で自衛隊誘致を白紙撤回させた。民衆の力が議会の横暴を打ち破った画期的な闘争であった。
 今回の誘致派議員らの動きは、日米両政府が、防衛庁や建設省OBなどを使って裏で書いたシナリオに基づいて起こったものである。昨年六月から陸上自衛隊や米軍関係者が空港視察に来ていたことも明かになっている。防衛庁は「離島侵攻の危機」をあおり、宮古・八重山地域への自衛隊配備を検討しているといわれ、中期防衛力整備計画で沖縄の陸上・航空自衛隊の増強を明らかにしている。自衛隊が誘致されれば、次には日米共同使用が出てくるだろう。
 このように、今回の動きは日米の軍事再編協議とも密接に絡んでおり、再び持ち出されてくることは明らかであり、長期的な視点での闘いの構築が必要である。

 辺野古新基地反対闘争は正念場を迎えている。米軍再編=日米軍事同盟の再構築のための基本合意の時期が六月の日米防衛首脳会談までとすると、四〜六月の時期が闘争の大きなポイントといえる。それがずれるとしても、この時期の闘争は重要といえる。
 施設局は四月二六日には掘削作業に入ると宣言し、反対行動排除のため、夜も明けぬうちに作業用足場に進入防止のネットを設置した。これを察知した反対協ら住民は、「環境配慮事項」を無視した暴挙を糾弾し、作業を中断させた。施設局は自ら作った作業計画で「ジュゴンへの配慮」として夜間作業はできないと規定しているにも関わらず、自らこれに違反し、この日以降、作業船・監視船を夜間も出してきている。
 反対協ら住民は二六日以降、単管足場占拠の闘争を夜通しの二十四時間態勢で展開し、現在一週間にわたって作業を断固阻止し続けている。
 この夜間を含めた施設局の襲撃は、4・2報告集会で平良夏芽氏が訴えた「最後の強襲」とも言える事態である。このような中で、現地においては漁民との共闘体制の強化と、阻止行動への参加の強化が取り組まれている。とくに強調されねばならないことは、全県的・全国的なカンパが決定的に重要であることだ。そして一方では、日本政府(防衛施設局)、稲嶺県政、岸本市政への政治的大衆行動の展開が、今求められている。(五月四日、沖縄S)

★ 辺野古新基地阻止のカンパ送金先。
 ヘリ基地反対協議会は現在、昨年十一月から辺野古隣接各漁協の漁民が阻止行動に加わったことなどをふまえ、「漁船チャーター資金第二次カンパ」を呼びかけている。
・郵便振替01700−7−66142 加入者名「ヘリ基地反対協議会」。
 また沖縄平和市民連絡会としても、「辺野古現地闘争勝利に向けての緊急カンパ」の取り組みを開始している。
・郵便振替01710−5−88511 加入者名「通称 平和市民連絡会」。(一口千円。通信欄に「辺野古カンパ」と明記してください)


東京4・16
  沖縄に新しい米軍基地はいらない集会
   全国の関心と支援が現地を守る

 辺野古の海上基地阻止が現地座り込み一年を迎え、日米軍事再編協議という重要な情勢に入っているなか、四月十六日の東京では、上野水上音楽堂にて「沖縄に新しい米軍基地はいらない集会&コンサート」が開かれ、約六〇〇名が参加した。呼びかけは、辺野古への海上基地建設・ボーリング調査を許さない実行委員会、ならびに沖縄選出国会議員の六氏(照屋寛徳・糸数慶子・喜納昌吉・赤嶺政賢・東門美津子・大田昌秀)である。
 また、一坪反戦地主会関東ブロックなど辺野古実行委員会に参加する諸団体は、集会に先立ち上野周辺をデモ行進し、調査工事中止を街頭に訴えた。
 集会では、最初に関東ブロックの上原成信さんがあいさつした後、宜野湾市長・伊波洋一さんからの長文のメッセージが代読された。
 この伊波市長メッセージは、「沖縄で過去に新たな基地建設を自ら選択したことはありません。今、辺野古への新基地建設を認めてしまうことは、未来永劫、沖縄県民は米軍基地との共存を自ら認めてしまうことになるのです。それは沖縄の基地負担軽減にはならないし、危険な普天間飛行場の解決にもならないのです」とし、「辺野古移設以外にも嘉手納や下地島、伊江島等への移設情報が観測気球のように打ち上げられますが、沖縄に新たな軍事施設はいらないという確固たる信念を持ち、今こそ一丸となって日米両政府を振り向かせる」闘いを強めようと訴えるものであった。
 続いて、辺野古現地で阻止行動の先頭に立つ平良夏芽さん(大里教会牧師、沖縄平和市民連絡会共同代表)が登壇し、熱くアピール。「昨年四月十九日の工事阻止から、今日で三六三日目になる。辺野古見直しの報道で、現地が楽になったかのような誤解が広がっているが、施設局が工事を強行しようとしていることに何ら変わりはない。全国の関心、メディアの関心が薄れれば、かれらは襲撃してくる。三月十五日には海上保安庁が、我々のチャーター船を拿捕するという攻撃があった。四月二十一日に掘削工事強行との情報がある。メディアへの働きかけを含め闘いを強めよう。皆さん一人ひとりが闘いの主人公だ、みんなの声で現地が守られる!」と訴えた。(この集会後、四月二十一日、二十六日と施設局は工事強行に出てきたが撃退され、いぜん掘削は阻止されている。)
 連帯発言が平和フォーラム、全労協、日本平和委員会からなされ、座間、横田、横須賀など首都圏の反基地運動からアピールがあった。また在日韓国民主統一連合が、在韓米軍をめぐる現況を報告した。 (東京A通信員)