「人権擁護法案」に断固反対する
  偏狭極まる「国籍条項」要求

 人権擁護法案の国会提出が、困難になっている。これは、自民党内の極右派が、反対姿勢を強め、また与党の一角である公明党も世論の反対傾向を見て、慎重姿勢に転換しつつあるためである。
 周知のように、人権擁護法案は〇二年の国会で審議未了・廃案になったものである。この時の立法の背景には、日本における人権状況、とくに部落差別と国家権力による人権侵害に対して、国際的な広範な批判があり、政府もこれに対処せざるをえなかったからである。ところが、狡猾な政府は、この国際的な批判を逆用し、国家権力による人権侵害(刑務所での虐待は記憶に新しい)よりも、メディアによる人権侵害の規制なるものをおもてに掲げ、戦争のできる国家づくりの一環としての言論統制を狙った人権擁護法案を国会に提出したのであった。
 これには、マスメディアはもちろんのこと、広範な人民が反対活動を展開し、ついに廃案となった。
 ところが、今回国会提出を図っている法案は、以前のメディア規制が削除されるどころか、「凍結」となっているだけで、前回廃案となった理由をなんら反省していないものである。また、人権委員会が法務省の外局に設置されるという点もなんら変更もされていない。これでは、法務省の管轄下の刑務所での人権侵害を公正に裁くことはできない代物である。
 このように今回の人権擁護法案も、前回同様に人権擁護には役ただず、むしろ国家による言論統制・言論規制(NHK番組改編問題は決して解決していない)のための法案であり、断固反対しなければならない。
 そのうえ、今回新たに登場しているのは、自民党の安倍晋三幹事長代理など若手議員などによるウルトラ・ナショナリズムによる反対意見にも注目しなければならない。彼らの反対理由は、「人権侵害の定義」があいまいであることとか、人権擁護委員の選任条件に国籍条項がないこととかなどである。安部晋三幹事長代理などは、後者の点について、「例えば北朝鮮出身者の人権を守っている朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)の方々が委員になれば、私は真っ先に人権侵害を行っていることにされる危険性がある」などと、偏見に満ちた憶測を述べている。そもそも、人権は平等性、普遍性を具備しなければならず、エゴイスティックな利害のためにあるものではない。したがって、人権は国籍をも超えた普遍性をもつかぎり、偏狭な「国籍条項」なるものを画一的に設けるべきではない。何故に、在日朝鮮人・韓国人がこのように多く日本に住んでいるのか――この点をこそ、彼らは研究するべきであろう。(T)
 

保護費削減へ向け「自立支援」を掲げる
「生活保護制度の在り方専門委」最終報告

  早くやめろと「自立」を強要
                        生活保護受給者A

 小泉政権の「三位一体改革」の一環としてこのかん、生活保護費の国庫負担率四分の三の削減、つまり国と自治体の負担比率を自治体四分の一から三分の二へと増やしていくことがもくろまれている。
 地方分権の観点からいうと、生活保護の措置事務を行なっている自治体の福祉事務所の負担比率が高まること自体は妥当なことと考えられるが、中央から地方への財源・税源の移譲が伴なわないため、福祉切り捨てに直結する事態となっている。どちらが負担するにせよ全体として福祉切り捨てということから、国も自治体も当然のように保護費の削減を叫んできている。
 一方で、生活保護受給世帯は一〇〇万世帯(受給者数としては昨年九月現在で百四十二万人とされる)に達し、とくに老齢年金の脆弱さを生保で補う傾向がふえるとともに、野宿者の生保取得など、新たな層の受給もみられるようになった。
 そうした中で、この数年にわたって厚生労働省内で続いていた「生活保護制度の在り方に関する専門委員会」から、その最終報告書が昨年十二月中旬に政府に提出された。
 このなかで声高に言われているのは、「利用しやすく自立しやすい制度へ」ということである。これはとりもなおさず「労働市場への『再挑戦』」などとうたわれているように、受給者を一刻も早く、「就労自立」させようというものである。
 従来の生活保護では、いったん就労が不能となれば、受給者が再就労しない限り、生活保護は継続してきた。これをもって、経費の無駄遣いと判断したのかどうかは知らないが、生活保護をうけながら地域社会でそれなりに暮らしてきた人々にとっては、再就労を促す、と言うのは大変な脅威であろう。もちろん、この報告のいう「自立」は、就労だけではない。「身体や精神の健康を回復し」「日常生活において自立した生活を送るための支援(中略)社会的なつながりを回復・維持するなど社会生活における自立の支援」などがあげられている。
 要するに、健康を回復し、仕事にも就き、社会的にも孤立しない、立派な下層労働者を送りだすことが、あらたに生活保護の使命となったのである。 
 一方支給額についても、専門委員会では、これまでにたびたびその縮小が論じられ、とくに老齢加算の廃止(これは昨年度から段階的に行なわれている)、母子加算の廃止(これは今回の報告では一律削減ではなく、新給付への転換という形にはなった)にみられるように、加算の廃止が強調されてきた。加算とは、生保世帯それぞれの生活のあり方に応じて必要な、固有の必要額を受給額に加えるものである。さすがに、運動が活発な障害者への加算(障害加算)に手をつけることまでは述べられてはいないが、障害加算も現場では、弱い環である精神障害者などではもうすでに、年金の級下げと連動して行なわれているという。
 加算が支給総額に占める割合は高く、加算を削るのはかっこうのやりかた、といえるだろう。当然受給者にとっては突然の支給額大幅ダウン、生活の困窮をみちびくことになる。
 とにかく、保護費を減らしつつ、各受給者に、「自立支援プログラム」なるものが立てられ、それに従わない場合の保護取り消しまでちらつかせているのである。まったく受給者にとってたいへんな時代がやってきたものである。
 そもそも生活保護の基本的枠組みは、憲法第二十五条での生存権の保障と直結しており、そのかぎりで戦後民主主義的側面をいままでもちあわせていた、といえないことはない。事実「健康にして文化的な最低限の生活」を維持する額は、いまや企業の支払い能力に根拠をおく最低賃金を上回っている、と言う批判にならない批判があるくらいである。こうした声をたくみに組織する形で今や生活保護は、「使いやすく自立しやすい」生保などの掛け声で、早くやめる生保、という姿を露骨にあらわしてきている。
 この報告が出るよりもすでに何年も前から、とくに生保は「入り口がきびしい」といわれてきた。それは、受給しようとする際は、一切の預貯金を使いきり、受給まで二週間分の生活費しかないことを示し、しかも親子兄弟に扶養を原則としておしつけ、その生活状態にまで立ち入るのは、受給申請者にとってはあまりにも酷なことである。そして親子兄弟もどうしても扶養できない、そして本人はどうしても就労が出来ない、あるいは就労しても最低限の額に満たない、という最後の「セーフティーネット」として生保は存在してきた。
 そして近年、その入り口の狭さは、受給者に対し異様な猜疑心をおぼえているのでは、と疑いたくなるほど厳しくなっていた。しかし、いったん取ってしまえば、という安心感がないわけではなかった。
 それが、今回の報告書によれば、自立自立と、生保暮らしが自立でないようなキャンペーンのもと、事実は無理矢理の再就労をおしつけよう、というのである。とくに就労不能な障害者の場合など、無理な再就労は、健康を害することにさえつながる。断固として許せないものである。
 もう、すでにアメリカなどでは、生活保護には年限がきめられていて、それを超えたら、就労するか、野宿者になるかしかないという。こうした現実は結局、労働者総体の賃金水準の足をひっぱり、なにひとついいことはない。
 今、私のまわりの受給者は、生活の防衛に必死である。


東京・江東
 「とりあげないで私の学校」
     3・27枝川朝鮮学校支援に700名

 3.月27日東京・江東区枝川で『とりあげないで私の学校』3.27枝川朝鮮学校支援トーク&コンサートがおこなわれた。昨年7月に続く枝川朝鮮学校支援の行動であり、今回は枝川朝鮮学校の校庭を使ったトーク&コンサートで、飲み物、食べ物の出店も出て楽しい交流の賑わいがみられた。700名近い参加者の過半数以上が、支援・連帯の日本人で、枝川朝鮮学校に対する根拠の無い、取り壊し要求や4億円の地代請求などを唐突に出している石原都政への怒りの大きさが現れていた。
 実行委員会の中村まさ子さんのあいさつに始まったトーク&コンサートは、朴保、鄭美英、李政美さんらの在日、韓国の歌手と東京朝鮮第二初級学校(枝川朝鮮学校)のこどもたちの合唱や東京重唱サークル・アエ、東京朝鮮歌舞団の歌や舞踏がおこなわれた。歌や舞踏をはさんで、映画「パッチギ」の製作者・李鳳宇さんのトーク、枝川弁護団の師岡康子さん、張学連さん、金舜植さんからそれぞれ裁判の状況報告と決意表明がおこなわれた。
 最後に全員で“イムジン河”を歌いしめくくった。日曜の午後、飲んで食べながら歌や舞踏、トークを聞く楽しい一日であったが、在日朝鮮韓国人、日本人が地域で共生を誓い合う有意義な日でもあった。


狭山・特別抗告棄却を弾劾する
  無罪確定までとことん闘おう
       
 最高裁判所第一法廷(島田仁郎裁判長)は三月十六日付けで、再審を求めていた狭山事件の特別抗告に対して、だまし討ち的な棄却決定を強行した。怒りをもって強く抗議する。
 だまし討ちの棄却というのは、三月二四日には狭山弁護団が筆跡・筆記能力に関する新証拠と補充書を最高裁に提出するために、調査官との面会が約束されていたからである。中山主任弁護士は、「最高裁が弁護人との約束を破ってまで決定を出すとは信じられない。この決定は絶対に承服できない」と糾弾している。
 その筆跡・筆記能力(脅迫状という狭山事件での唯一の物証に関するもの)について、今回の棄却決定はきわめて恣意的でデタラメな判断を行なっている。このかんの第二次再審請求での斎藤保鑑定書は、脅迫状はボールペンで書いたという石川一雄さんの「自白」を覆し、犯人の犯行前からの万年筆使用を明らかにする新証拠であった。これに対し最高裁は、鑑定人尋問などの事実調べをいぜん行なうことなく、「肉眼で観察したところ」などと裁判官の主観を鑑定に優先させて判断している。また万年筆の痕跡を全面否定できないために一方では、石川さんが「当時万年筆を所持していた公算が高い」という新しい認定を供述調書のみを根拠に恣意的に行なっている。検察官がやるようなことを裁判官がやっている、しかもその新証拠なしにである。
 またさらに棄却決定は、「当時の石川に脅迫状は書けた」と恣意的に決めつけている。狭山差別裁判の核心点の一つ、部落差別で教育を奪われていた石川さんが、すなわち「字が書けない者が文字で、つまり脅迫状を書くことで人を脅す、ということをするだろうか」(鎌田慧)という争点に対し、最高裁は意見書を無視し開き直った。
 狭山事件では、七四年高裁判決(確定判決)以降、多くの新証拠が出されたにも関わらず、三十年以上事実調べがまったく行なわれていない。単純明快に考えても、最高裁は石川さん本人に質問(本人尋問という事実調べ)すべきであった。
 日本の司法は先月、横浜事件の再審をようやく確定させたが、狭山事件という部落差別を利用したデッチ上げの権力犯罪に対しては、まともに向き合うことを依然拒否している。今回の第二次再審請求棄却のデタラメさは、近年の国家権力の反動化・軍事化を背景とすると考えざるをえない。九四年末の石川さんの仮出獄は、細川・村山政権時に行われた一連の階級協調主義的な政策の一環を成していた。その後の自民・公明連立政権は戦争体制を加速させ反動化を強めている。憲法闘争を始めすべての闘いと狭山闘争とは関連し合っている。
 石川さんは、「私も死ぬまで、えん罪が晴れるまでは、とことん闘う」と決意を語り、第三次再審闘争が始まった。横浜事件の再審確定は被告すべてが死亡してしまった後であった。しかし狭山事件では石川さんが生きている内に、必ず再審闘争に勝利しなければならない。新たな怒りをもって全国からこの闘いに参加しよう。(A)


3・19
 「九条の会」福岡講演会、三千名をこえて
  全国縦断した九条守れの高揚

三月十九日、「九条の会」の福岡講演会が福岡サンパレスで開催され、参加者は三千人を越えた。開演時間前に二千四百席の会場は既に満席。会場に入りきれない参加者はフロアに設置されたモニターテレビの前に整然として座り込み熱心に講演に聴き入った。
 地元の受け皿となった「憲法改悪に反対する共同アピール福岡」を代表して石村善治福岡大学名誉教授が開会あいさつを行い、共同アピールの新聞広告に二千人以上が名前を連ねたことを紹介。
 続いて九条の会の事務局長である小森陽一東京大学教授がこれまでの取り組みを説明。去年の六月に会を発足させ、以降、東京、大阪、京都、仙台、札幌、那覇、横浜、広島と全国を縦断して開催し、当初は新聞も取り上げなかったが、いずれの会場も定員をオーバーする参加者が集まり、新聞社が取材・報道するまでに関心が高まっていることを紹介。憲法「改正」の動きがあたかも当然かのように急速化するなかで、目立たなかった九条改悪反対の声が全国的に大きくなっており、さらに声をあげて大きくしようと訴えた。
 講演では、「九条の会」発起人の一人の鶴見俊輔さんが「軍事力を持った国家は自制心を持てない」と、同じく発起人の奥平康弘東京大学名誉教授は「憲法が現実の前にひれ伏すことがあってはならない」と改憲策動を批判。地元からは福岡県子育てアドバイザーの熊丸みつ子さんが「平和の大切さを親から子に伝えていこう」と訴えた。
 最後に、米軍のイラク攻撃に身をもって抗議するために人間の盾となった木村公一牧師が、「明日は米軍のイラク攻撃2年目になる。福岡でも三つの集会が開催されるので参加しよう」と閉会のあいさつを行った。
 今回の福岡講演会は、社民党系や共産党系の市民団体と無党派市民団体が共同して取り組んだものである。翌二十日は、その日午前に福岡沖地震が起きたためデモ行進は行われなかったが、旧総評系(社民党・民主党系)、共産党系、無党派市民団体の三つのイラク反戦集会が開催された。(九州M通信員)