東アジア共同体構想と
  米・日・中のヘゲモニー争い

                        
安田 兼定

中国や東南アジア諸国の経済的発展と積極的な外交を背景に、東アジア共同体構想が近年活発に討議されており、今年末にはマレーシアで第一回東アジアサミットが開催されることがきゅうきょ決定された。さらに来年には同サミットが中国で開催される予定である。東アジアでの経済的政治的な地域協力が強まる中で、米・日・中などの協調とともにヘゲモニー争いも徐々に目立ち始めている。「台頭するアジア」という時代傾向の下での、グローバル資本主義を前提とした帝国主義諸国などの覇権闘争に対し、日本の労働者階級の、韓国や東アジア諸国の労働者人民との連帯や共同闘争の発展がますます問われている。

中国の急激な経済発展
  中国の二〇〇四年の貿易総額は、前年度比35・7%増という驚異的伸びを示し、一兆一五四七億ドルとなった。これにより、中国は日本を抜き、アメリカ、ドイツについで世界で三番目の「貿易大国」となった。また、日本財務省発表の二〇〇四年の貿易統計(速報)によると、日本の輸出と輸入をあわせた貿易総額は、対中国(香港を含む)が二二兆二〇〇五億円に達し、戦後初めて対アメリカ(二〇兆四七九五億円)を抜いた。
日本の貿易構造は、九〇年代に大きく変わりつつあった。一九九〇年、日本の対外輸出に占める比重は、アメリカが32%と圧倒的に多く、中国は2%にすぎなかった(香港、台湾、シンガポールを含めた大中華圏で16%)。それが二〇〇四年には、アメリカが23%に落ち、逆に中国は13%と急増している(大中華圏は30%)。同じく輸入に占める比重でも、一九九〇年、アメリカは22%と最も多く、中国はわずか5%にすぎなかった(大中華圏で11%)。それが二〇〇四年になると、アメリカは14%に落ち、中国は21%と大幅に増大し(大中華圏で26%)、アメリカと中国の位置は完全に逆転している。(だが、中国からみると、対日貿易はEU、アメリカに次いで三番目である)
中国に対する世界からの直接投資(実行額ベース)は、九二年から大幅に伸びて一〇〇億ドル台にのせ、その後も九六年に四〇〇億ドル台となり、最近では四年連続で過去最高の記録を更新し、二〇〇四年のそれは六〇六億三〇〇〇万ドル(前年比13・3%増)に達した。
日本の対外直接投資の残高は、〇二年末現在で、対米44・6%、対EU23・1%で、投資先は米欧が未だ圧倒的であり、東アジアには合計で18・6%(中国と香港で計5・9%)でしかない。それにもかかわらず、日系多国籍企業の中国進出は、かつてのように現地生産された割安の繊維製品、雑貨などの逆輸入というパターンのみならず、最近では一つの工業製品のなかに中国製と日本製の素材や部品が混ざり合い、国際的な価格競争力をもって、中国から世界に輸出されるという、互いの補完関係がいっそう深くなっている。また、日本経済の「景気回復」にも中国の需要増大にともなう対中輸出の増大が大きな役割を果たしている。すなわち、鋼材などの原材料から、部品(中間製品)、そして果てはプラスチックなどの廃棄物にいたるまでの諸商品の輸出増大である。外需に占める中国の比重は、ますます増大するであろう。

ASEANの結束と積極外交
中国の著しい経済成長とともに、ASEANの結束と積極的な近隣外交もまた注目すべきものがある。
一九九九年に一〇カ国に拡大したASEANは、一方で、域内格差の是正や安保共同体の性格を推進しつつ、内部の結束を強めながら、他方で、域外諸国とのFTA(自由貿易協定)交渉の積極的推進や、TAC(東南アジア友好協力条約。ASEANの基本的な政治文書の性格をもつ)への加盟国拡大を推進している。
東南アジアと北東アジアの諸国による地域統合としての東アジア共同体形成のきっかけは、皮肉にも九七年のアジア通貨危機である。世界の投機資本の活動により、タイ、インドネシア、フィリピン、韓国、香港などの通貨が危機に陥っただけでなく、それは経済危機、政治危機に発展する様相を示した。また、この通貨危機を克服する過程で、アジア諸国はIMFの過酷で柔軟性を欠いた融資条件にしばられ、とりわけ犠牲は多くの労働者人民にしわ寄せされた。
九七年十二月、ASEAN首脳会議は、日本、中国、韓国の首脳を招き、非公式の首脳会議を開催した。これを契機にASEAN+3(日本・中国・韓国)の首脳会議が実質的に制度される。九九年十一月、マニラで開かれたASEAN+3では、安保、通貨・金融、貿易・投資、科学技術開発、人材育成、文化・情報など八分野での地域協力で合意し、これをうたった共同声明を発表している。この時、中国は、安保については慎重であったが、しかし「平和五原則」を共同声明に盛り込むことに成功している。また、同時に開かれた日・中・韓の三首脳会談では、三ヶ国の経済協力を強化することで一致し、さらに金大中大統領の提案で、通商・関税、金融、産業、環境、漁業などの分野で、三ヶ国の専門家による共同研究を開始することで合意した。
二〇〇〇年五月、タイのチェンマイで開かれた第二回ASEAN+3蔵相会議では、資本の流れについてのデータを互いに交換し、ASEAN五カ国(タイ、インドネシア、フィリピン、マレーシア、シンガポール)の既存のスワップ協定(資金総額二億ドル)に日本、中国、韓国が参加するASEAN資金融通協定(チェンマイ合意)を締結した。八カ国で締結された通貨スワップ協定(各国間の中央銀行が一定期間相互に通貨を預けあう協定)は、二〇〇四年四月現在、総額三六五億米ドルに達し、今後その規模はさらに拡大すると予想されている。
二〇〇三年十月、バリでのASEAN首脳会議は、「ASEN協和宣言2」を採択し、二〇二〇年までのASEAN統合の三本柱として、経済や社会・文化とともに安全保障をあげ、安保共同体の性格を強めた。
この「協和宣言2」を具体化するための「行動計画」は、翌〇四年の十一月、ビエンチャンで開かれた首脳会議で採択された。「ビエンチャン行動計画」は、当面六年間の取り組みを示すもので、安保共同体・経済共同体・社会文化共同体の三分野での具体策が盛り込まれている。なお、計画実施のための基金設立も決めた。この時、ASEAN内のラオス、ベトナム、カンボジア、ミャンマーの首脳は、独自に会合を開き、四カ国の経済協力などをうたった共同宣言に調印した。それは、メコン川流域の開発に積極的に取り組み、人材育成や農業などでの協力を行うなどして、ASEAN内部の格差是正をはかろうとするものである(二〇〇三年の四カ国の一人当たり国内総生産〔GDP〕は平均約三三〇ドルで、他の六カ国の平均約七〇〇〇ドルを大幅に下回る)。また、どこか一カ国でビザを取得すれば、四ヶ国を往来できる「共通ビザ」制度の検討を開始することも決めた。
ASEANは、内部の結束を強化しつつ、近隣諸国との交流友好関係を強めながら、東アジア共同体の中核を担おうとしている。そして、諸地域を結合する手段としては、第一二に、FTAなどで経済協力を強めることであり、第二に、TAC加盟の拡大などにより、安保を含めた連帯と政治関係の強化である。
ASEANのFTA交渉は、中国とのそれが先行している。ここでは、モノ、サービス、投資のうちモノの貿易についての交渉が進み、二〇一〇年までに関税がゼロになるメドがついた。ASEANは、インドとは包括的経済協力の枠組み協定をむすんでおり、すでにFTA交渉に入っている。また、〇四年二月には、「多面的技術・経済協力のためのベンガル湾イニシアチブ」(BIMSTEC。九七年にインド、バングラデッシュ、スリランカ、タイの四カ国ではじまり、同年ミャンマーが、〇四年にネパールとブータンが加盟)が域内の関税撤廃を目指す自由貿易協定作りに大筋合意した。
TACへは、〇三年一〇月に中国とインドが、その後日本やパキスタンが、〇四年一一月にはロシアが加盟し、韓国も現在、加盟を準備中である。今や、ASEANは、経済的政治的に、東アジア、南アジア、さらにオセアニアなど諸地域の「扇の要」の位置を固めつつあるのである。

米中日などのヘゲモニー争い
中国は、従来、東アジアの地域協力にあまり関心があったわけではないが、二〇〇一年のWTO(世界貿易機関)加盟を前後したころから政策転換を行い、積極的になっている。すなわち、二〇〇〇年十一月のASEAN首脳会議で、当時の朱鎔基首相は、「中国・ASEAN自由貿易地域の創設」を提案し、二〇〇二年十一月のASEAN首脳会議においては、十年以内の「中国・ASEAN自由貿易地域」の創設を含む「包括的経済協力枠組み協定」に署名した。日本などは、中国のこの動きをリップサービスにすぎず実現は不可能と見ていた。しかし、中国は、肉、魚介類、野菜、酪農品など八分野の特定農産物に関する自由化前倒しを、二〇〇四年一月から実施している。
他方、中国は二〇〇一年以降、毎年海南島のボアオに東アジアの主要なリーダーを招き、東アジア経済圏に関するアジア・フォーラムを開催し、地域協力を議論している。日本からは、中曽根元首相や小泉首相も参加している。
WTO加盟後の中国は、「WTOルールの遵守」をうたい、とくに〇三年のカンクンでのWTO首脳会議では、インド、アルジェリアなどのG77の先進国批判派に対して批判的態度をとり、?今後は南北間の橋渡し役を担う用意がある “と表明した。これはかつての第三世界の立場をとるという外交路線からすれば、明白な転換である。
韓国も地域統合に積極的である。九九年の金大中大統領提案の三ヶ国専門家による共同研究については、すでに前述した。金氏の後を襲った廬武鉉(ノムヒョン)大統領は、二〇〇三年二月二五日の就任演説の冒頭部分で、「我々の前には東北アジア(北東アジア)時代が到来している。東北アジアの中心に位置する韓(朝鮮)半島は、中国と日本、大陸と海洋を結ぶ架け橋だ。欧州連合(EU)のような平和と共生の秩序が東北アジアにも構築されることが私の年来の夢だ。」と強く訴えている。
もともと東アジア共同体構想は、〇二年一月に、小泉首相が、東南アジア五カ国歴訪の最後のシンガポールで、「共に歩み、共に進むコミュニティー」の構築をスピーチしたことを契機に、関係各国で機運が強まったものである。だが、日本が唱えた「共に歩み、共に進むコミュニティー」構築は極めて漠然とした構想であり、本腰を入れた地域共同体の形成を必ずしも考えていたわけではない。
だが、現実には、ASEANや中国などでは、東アジア共同体づくりの機運が徐々に高まっている。そのような情勢の下で、日本政府当局者は、「日本は東アジア共同体づくりで主導権争いはしないが、アイデア面で実現に向けた貢献をしていきたい」(『朝日新聞』〇四年六月二六日付け)という一歩腰の引けた姿勢をとっている。それは、中国のイニシャチブをけん制するために、参加範囲をオーストラリア、ニュージーランドにまで拡大し、またアメリカの関与が不可欠だ、という態度が、〇二年一月の小泉ASEAN五カ国歴訪時からあきらかなためである。そのような態度は、ASEANのTAC加盟の呼びかけたに対する対応にもみられる。二〇〇三年十月のASEAN+3首脳会議では、小泉首相はTAC加盟を拒否した。この理由について外務省は、「日米安保条約に加え、安保に関する別の条約に加盟する必要はない」(『朝日新聞』〇三年十一月十九日付け)という意見が根強いからである、といわれる。だが、そのわずか二ヵ月後の日本・ASEAN特別首脳会議では、一転してTAC加盟を受諾している。十月の首脳会議では、中国、インドが日本とは対照的にTAC加盟を受諾した。これに慌てたのか、日本は、日米安保に加え、別の安保に加盟する必要はないといっていたのが、二ヶ月たらずで前言をひるがえすという体たらくである。まさに外交的には大失態である。このような日本政府の失態は、そもそもアジア外交に対する戦略的観点も姿勢も欠如していることを露呈させたものである。
しかしながら、日本政府も、東アジアの地域統合を全く無視するわけにはいかない。〇二年一月に、シンガポールとFTAを正式調印し、同年十一月には、FTAよりも幅広いEPA(経済連携協定)を結び、〇四年九月には、メキシコとEPA(農産品を含むものとしては初)を締結している。韓国とは、〇三年十二月から政府間交渉が始められ、〇五年末のできるだけ早い時期にEPA締結を目指している。ASEANとは、〇二年十一月に、十年以内にFTAを含む経済連携を実現し、同時に並行して二国間の交渉も進めるとした。〇四年に入ると、タイ、マレーシア、フィリピンとの第一回EPA交渉が開始され、〇四年中の完了が目標とされ、同年十一月に日本・フィリピン経済連携協定の締結での基本合意がなされた。〇四年九月の日本・ASEAN経済閣僚会議では、EPA本交渉を〇五年四月から開始し、二年以内のり締結に向け努力することで合意した。〇三年末ごろから、日本政府も東アジア諸国との経済連携に力を入れ始めているのである。
しかし、経済界での大きな期待は、日本と中国とのFTC締結にこそある。〇三年末にジェトロ(日本貿易振興機構)が製造業、商社、小売・卸業八七六社からの聞き取り調査によると、日中FTAに最も期待する企業は43・8%で、ASEAN10+日中韓に期待13・5%など他の組み合わせを大きく上回っているといわれる(『朝日新聞』〇四年四月十七日付け)。にもかかわらず、小泉政権はイラクへの自衛隊派兵などに見られるように、余りにも日米同盟一辺倒に傾斜し、小泉自身の靖国参拝に象徴されるように、政治面では中国との関係をギクシャクにしたままである。小泉政権はこの間、「政冷経熱」を積極的に解決しようとしないで放置していたため、今や「経熱」自身にまで影響がでようとしている。
アメリカは、かつて東アジア経済協議体(東アジア経済会議とも訳される。九〇年一二月にマレーシアが提起したマハティール構想の名称を変更したもの)については強い警戒感をもって、これを挫折させた。今回の東アジア構想については、「APEC(アジア太平洋経済協力会議。アジア太平洋諸国の経済協力のための政府間公式協議体―引用者)より下位の一会合なら構わない」(『朝日新聞』〇四年一一月二三月付け)という態度をとってきたといわれる。だが、現実にASEAN+3の協力関係がアメリカを除いた地域機構としての性格を強める中で、アメリカ人識者の批判も強まり、ブッシュ政権のパウエル前国務長官は、「こうした枠組み(東アジア共同体構想のこと―引用者)の必要性については、まだ納得していない」と否定的である(『朝日新聞』〇四年八月十三日付け夕刊)。
今日、日米支配層は、中国の近年の軍事力増強に対し、いまだ「軍事的脅威」とは言い切っていないが、「潜在的敵国に対し、敵対的政策や軍事力増強に走らないように仕向ける手法」としてのディスエージョン戦略を採用している。それは昨年すえに決定された日本の新しい防衛計画大綱でも既に明らかである。北東アジア・東南アジアでの米・日・中などのヘゲモニーをめぐる対立と協調は、新たな段階に入ったといえるだろう。(了)