「義経」考
 「判官びいき」の歴史的背景
  奥州人民の鎌倉方への怨念

 二〇〇五年のNHK大河ドラマは、宮尾登美子原作の「義経」である。源義経という名を聞けば、ただちに「八艘とび」、「判官びいき」、「義経ジンギスカン説」などなど、虚実を織り交ぜたイメージが連想される。「義経ジンギスカン説」は、あまりの荒唐無稽さで誰しも一笑に付すことができる。しかし、「判官びいき」となると、少々こみいった歴史事実の探求が要求される。
 「判官びいき」の判官とは、平安時代の諸官司の幹部の四等級の官、すなわち長官(かみ)、次官(すけ)、判官(じょう)、主典(さかん)のうちの第三位・「じょう」(丞、将監、尉、判官、掾など)を指す。そして「判官びいき」とは、『広辞苑』によると、?源義経を薄命な英雄として愛惜し同情すること。転じて、弱者に対する第三者の同情や贔屓(ひいき)″といわれる。
 「判官びいき」の判官が、源義経を指すということは、次のような事情がある。義経の兄・頼朝は、あくまでも武士の棟梁としての地位を確立するために、御家人に対する一切の賞罰権限を独占することを図った。これはもちろん、平氏打倒のさいの賞罰にも当てはまる。だがこの頼朝の狙いは、暴力装置としての「武士(もののふ)」層を、相互に牽制させることによって分断支配しようとする後白河法皇の政治手法と真っ向からから対立するものであった。一一八四(元暦元)年六月、朝廷から三河、駿河、武蔵の三カ国を与えられた頼朝は、源氏一族をこの三国の守(かみ)に任命する。しかし、頼朝は義経の戦功にはなんらの考慮もはからいもしなかった。自らの戦功を誇る義経にとって、それは大いなる不満であった。そこに付け入ったのが、後白河法皇である。同八月、法皇は義経を検非違使・左衛門少尉に任命し、九月には従五位下に叙し、十月には院内の昇殿まで許した。
 この点から見ると、義経は御家人体制に対し、自覚的に叛旗をひるがえしたのであり、あるいは後白河法皇の老練な策謀に乗せられただけなのであり、なんら「判官びいき」を受ける余地はない。では何ゆえに、義経は「判官びいき」というような言葉が生まれるほどに同情されたのか。これは筆者の推測であるが、「判官びいき」というのはむしろ、鎌倉方に占領され、植民地となった東北の現地侍層や百姓たちの怨念が込められているが故に、長く義経伝説とともに語られたのではなかろうか。義経追討を利用して頼朝は、一一八九(文治五)年九月奥州平泉政権を打倒した。そして、陸奥・出羽両国の各郡・郷・庄園にはことごとく鎌倉方武士の諸氏族が分化し、地頭として配置された。ここに奥州は後の鎌倉幕府の直轄地として蝦夷から完全に切り離されたのであった。「弱者に対する第三者の同情」という場合の弱者とは、義経というよりもむしろ奥州の人々のことではないのか。(H)

歴史を伝説に変質させる危うい傾向
        ――NHKのポピュリズム的傾向を中心に
                                  堀込純一

 昨年、イチロー選手は年間安打二六二本を達成し、アメリカ大リーグの記録を84年ぶりに塗り替えた。まさに歴史的な新記録である。十月上旬、新記録達成の数日前からNHKの夜七時のニュースは、新記録達成はいつか、今日は何本ヒットを打って記録まであと何本に近づいたかなど、連日鳴り物入りで報道しつづけた。このとき、私は病院のテレビでこれを見ていたが、なんとも奇妙に思った。
それは、テレビ画面にしきりと、「伝説」という文字が頻出したことである。たとえば、「伝説のシーズン」、「伝説が生まれた」、「自ら語る“伝説”」などの類である。これはNHKだけではなかった。10チャンネルも、「“イチロー伝説”誕生」と、銘打っていた。
だが、いくら耳をたてて聞き入っても、その伝説の意味がのみこめないのである。これは今でも理解できないままである。
すべてのチャンネルを隈なく観たわけでもなく、すべての新聞、週刊誌を読んだわけでもないので、厳密さにかけるが、私の推察では、情緒的に「伝説」という用語を乱用した頻度は、圧倒的にビジュアル系に多く,活字系では少なかったと、思われる。
『広辞苑』で調べてみると、「伝説」は、@うわさ、風説、A神話,口碑(昔からの言い伝え)などの「かたりごと」を中核にもつところの古くから伝え来った口承文学、とあった。
私が奇妙に思ったのも、イチローの歴史的記録は遠い昔のことでなく、不確かな言い伝えでもなく、ましてやうわさでもないのに、何故マスコミは「伝説」という用語を乱発するのだろうか、という素朴な疑問からである。そこには、そこはかとなくNHKなどの作為が感じ取られるのである。
NHKはいま、元プロデューサーの詐欺容疑で、受信料不払いが急増し、会長辞任問題にまで発展している。そのためもあるのか、あるいはそれ以前からなのか、昨今のNHKの番組編制ではポピュリズムの傾向が鼻につく。スポーツニュースの大相撲で、人気力士・高見盛のコーナーが作られたことなどは、その際たるものである(寺尾の時には、こんなことはなかった)。
 歴史的事実を事実として、キチンとおさえるというよりも、これをあいまいにしたまま、「史実」をネタに面白おかしく物語を作ることに一生懸命になったり、あくどい場合には「伝説」を捏造したりするとすれば、それは恣意的な大衆操作に容易に発展するであろう。
「伝説や民謡や民話は、事実そのままの歴史と見なすわけにはいかない。事実のとらえかたがあいまいであり、未発達の民族のいかにも考えそうな観念のつらなりだからです。事実そのままの歴史をつくりあげる民族は、自分の状態と自分のめざすところを自覚した民族です。……過去の現実を土壌とする伝説やつくり話は、みずからを民族として明確に自覚するにいたった民族にとっては、もはや歴史の名にあたいしないのです。」
これは、18世紀ドイツの観念論哲学者ヘーゲルが著した『歴史哲学講義』(岩波文庫)の一節である。民族主義的な物言いが鼻につくが、それを除くと、趣旨としては正当な主張である。歴史と伝説(あるいは神話)を、わざわざ混同させるような番組づくりは、まさにヘーゲル以下のレベルといわざるを得ない。そしてそれは、?歴史は科学ではない、物語である″と強調する右翼勢力などと一脈通ずる考え方である。
日本では、たかだか六十年ばかり前までは、天皇制権力の下で人びとの自由が奪われ、皇国史観によって、神話が歴史として教育されていた。そして、八紘一宇のスローガンをもって人民は侵略戦争に動員され、アジア諸国人民を殺しただけでなく、自らも塗炭の苦しみに追いやられていったのである。目先の利害や、目先のわずかな快楽(現実逃避がしばしば)のために、歴史と歴史の教訓をおろそかにすることは、間違いなく、悔いを千載に残すことになるであろう。扶桑社の『新しい歴史教科書』は、この点、“現在の善悪の基準で過去を裁くのではなく、過去は当時の基準で評価すべき”としており、歴史的教訓をハナから拒否している。まさに、居直りと傲慢の「懲りない面々」なのである。
NHKは、二〇〇六年に「日露戦争百年」を記念して、大河ドラマ・スペシャル版を放映するという。それは、司馬遼太郎原作の『坂の上の雲』である。これは、司馬自身が欠陥商品であると自覚していたのか否かは定かではないが、終生ドラマ化するのを拒否した作品である(筆者が読んだ限りでは、日露両列強の戦争にいたる原因である朝鮮支配の問題が全く描かれていない)。それにもかかわらず、NНKは司馬の遺族を口説き落とし、ドラマ化するというのである。果たして、どのような歴史ドラマが放映されるのであろうか。注目に値する問題である。
<追伸>どうやら、テレビなどで最近多用される「伝説」という語の意味合いは、『広辞苑』などで示すものをはみ出しているようである。私の推測では、人びとの願望あるいはそれを託したものが最近の「伝説」という用語には含まれているようである。ご存知の方には、是非ともご教示をお願いしたい。