「三位一体改革」
 露骨な妥協と先送りの調整政治
 根深い地方分権への敵対体質
       
十一月二十六日、政府と与党は、いわゆる「三位一体改革」にかんする全体像なるものを決定した。
 それによると、まず第一に、補助金削減の規模は、〇五―〇六年度で、約二兆八三八〇億円となった。各省・府の規模は、左図(十一月二十七日付『朝日新聞』)に示された通りである。もっとも多いのは厚生労働省の九三四〇億円、文部科学省の八七三〇億円などである。
 だがこれは、八月下旬に地方六団体がまとめた補助金廃止案と比較すると、大きく骨抜きされたものである。地方側が求めたものは、公共事業一兆二千億円、非公共事業一兆二千億円、義務教育八千五百億円など計三兆二二八四億円である。だがこれに対し、今回の政府と与党の合意では、公共事業がほぼゼロ、非公共事業は二千億円にとどまるレベルでしかない。このため今回は、義務教育費の問題が意図的に焦点とされた。昨今官民でのすさまじい賃金カットの情勢から教育労働者が生活不安を感じたり、地方間での教育環境の格差拡大に不安を持ったりするのは、理解できることである。
第二に、地方自治体への税源移譲は、両年度で一兆七六〇〇億円である(〇四年度を含めると、ニ兆四一六〇億円)。具体的な方法は、〇五年度も、〇四年度と同様に、「所得譲与税」と「税源移譲予定特例交付金」という手法である。前者は、所得税収の一部を都道府県と市町村で折半し(この思想は、基礎自治体を中心とする考え方とは対立する)、人口に応じて自治体に配分するものである。後者は、将来の税源移譲に備え、特例交付金とするものである。〇五年度に削減される義務教育費国庫負担金四二五〇億円は、この「税源移譲予定特例交付金」に付け替えられる。
 第三に、地方交付税については、「地方の安定的な財政運営に必要な地方交付税、地方税などの一般財源の総額を確保する」と明記された。これは、〇四年度予算での交付税総額が実質三兆円近くもマイナスとなり、地方からの猛烈な抗議と反発が起こったためである。しかし、他方では「(地方交付税の算出根拠となる)地方財政計画の合理化に努める」と削減方針の姿勢も依然として堅持している。実際問題、来年度予算における交付税額が決まるのはこれからであり、財務省自身、中央よりも地方に財政赤字のツケを回す姿勢に変わりはない。 
 今回の政府と与党の合意の全体的な特徴は、?妥協と先送りの調整政治″と言う、自民党の伝統的スタイルの復活である。関係する諸勢力の地方自治・地方分権に対する意識性の強弱と、諸勢力の力関係によって、今回の決定がなされた。この結果は、中央官僚や自民党の地方自治・地方分権、ひいては主権在民制への無知、軽視、建前化が露骨に示された。
およそ年間二十兆円にのぼる補助金を削減し、地方自治のための財政的裏づけ、すなわち地方への税源移譲が問われているのに、たかだか二、三兆円レベルの段階で中央集権主義者どもの巻き返しが展開されたのである。
今回、地方側の公共事業補助金一兆二千億円削減要求に対し、今回ほぼゼロ回答となったのは、財務省を筆頭とする各省や、族議員などの抵抗による。財務省は、公共事業などが「国の借金である建設国債が財源なので移譲対象にならない」といい、族議員などは「治山・治水など広域事業は(地方に)任せられない」といい、理屈にもならぬ屁理屈を持って抵抗した。財務省の論理は、地方分権の問題を建設国債という財源問題にすり替えている。多くの公共事業の統括権限を維持し、利益誘導による地方支配のシステムをなりふり構わずに、防衛しようというのである。問題は、中央政府の担う事業と地方政府が担うべき事業の線引き問題なのであり、財務省は地方支配と事業への関わりから得られる利権を手放したくないだけである。族議員の治山治水発言は、人民の「お上(かみ)依存」意識を利用して、やはり利権(利益誘導型政治の基盤)を手放したくないからである。いくら広域事業だからといって、全てを中央政府の管轄にすべきだというのは、誤りである。県をまたがる治山治水事業であろうとも、関係自治体の共同事業として行なわれるケースはいくらでもあり得るのである。
だが、中央官僚や族議員たちは地方分権の大義名分などお構いなしに、この「お上依存」意識を利用して、地方の自治体、とくに財政基盤の弱い自治体を狙って、地方の財政自主権確立ではなく、従来どおりのシステムを維持するようにと、地方自治体が中央政府に陳情するように画策してきた。
この問題は、革新といわれる政党でも鈍感である。共産党の志位委員長は、「義務教育費を削って代わりに税源移譲すると、七つの都道府県では額が増え、四十の道府県では減る。」「ナショナルミニマムは国の当然の責務」だと主張している(十一月十一日付『朝日新聞』)。これでは、地方分権・地方自治、地方の財政自主権確立は、永遠に実現できないであろう。
福祉の切り捨てにつながる国庫負担率削減には、明確に反対しなければならない。しかし、「ナショナルミニマムは国の当然の責務」といって、すべての分野のナショナルミニマムで、これらすべてを中央政府の事業とする限り従来の官治システムの構造は、ほとんど変わらないであろう。百年河清を待つ、である。
最大の問題は、地方への税源移譲が拡大しても、人口格差に伴い、地方によっては、従来以上に財政基盤が劣悪化するということである。これは地方交付税の機能が変質したためである。地方交付金の本来の役割は、地方間の財政格差を調整し是正することであった。したがって、地方交付税は一般財源であった。しかし、中央集権主義者どもの策動によって、景気対策の名の下に、中央政府の政策に地方自治体を巻き込む手段として地方交付税が変質した。地方の借金が増えると、それを優先的に返却させようと画策され、地方交付税は更に変質し、実質的に特定財源化された。地方交付税の第二補助金化である。この点を総括し、地方交付税を元来の役割に引き戻す政策(人口規模にかかわらず地方自治体が必要とする最低の歳入規模を設定し、それに満たない地方自治体には地方財政調整金を中央政府が一般財源として地方自治体に支給する義務を設定)を練るのではなく、変質した現状を前提に「お上依存」意識を煽るのが、果たして革新政党の名に値するのであろうか。(T)