国鉄労働者1047名の解雇撤回、政府はILO勧告守れ!
鉄建公団訴訟勝利12・1全国集会に4300名

 
団結し国に責任取らせよう

 
十二月一日、「国鉄労働者1047名の解雇撤回、政府はILO条約を守れ!鉄建公団訴訟勝利12・1全国集会」が、東京・日比谷野外音楽堂において同実行委員会主催で開かれた。国労闘争団の国労組合員約三百人による鉄建公団訴訟原告団、全動労争議団、千葉動労争議団をはじめ、その家族、国鉄闘争を支援してきた官民の労組など約四三〇〇名が全国各地から結集して盛り上がりをみせた。とくに、このかん区移管の合理化攻撃と闘ってきた東京清掃労組の大部隊が目を引いた。
 また十一月二六日には、「政府の責任で今こそJR不採用事件の解決を!11・26中央集会」が、国労と建交労(旧全動労など)の共催によって日比谷野音で開かれ、国労闘争団をはじめ、今回後援に加わった平和フォーラムなど約二六〇〇名が参加した。
 この二つの集会が別々に同時期に持たれたことは、国労現指導部(酒田充委員長)がいぜん鉄建公団訴訟を否定し、訴訟の原告になっている組合員への処分を撤回していないという事情が背景にあるが、現在、国鉄闘争が「四党合意」とその破産というこのかんの混迷を越え、その勝利的解決をかちとるために団結して闘うべき正念場にあることを示している
 政府・鉄建公団(旧国鉄、現鉄建機構)を相手取って、国鉄の不当労働行為を認めさせ、清算事業団の雇用存続確認や未払い賃金の支給等を訴えている鉄建公団訴訟は、今年三月七日に結審し、五月頃にも東京地裁判決が出されようとしている。鉄建公団訴訟の判決で原告側が勝訴(雇用存続、あるいは損害賠償)すれば、政府側には控訴という悪あがきの手はあるものの、ここで政治解決という局面が一挙に煮詰まらざるをえない。
 また六月十八日に出されたILO第六次勧告は、「政治的・人道的見地の精神に立った話し合いを全ての関係当事者との間で推進すること」を日本政府に勧告した。鉄建公団訴訟原告が、その関係当事者の最たる者であることは明らかである。
 つまり、国労中央と鉄建公団訴訟原告団との間に方針上の違いがあるにせよ、大枠では政府に責任を今こそ取らせるという闘いの大きな流れが形成されているのである。とはいえ、国労中央のように「政治解決」と「裁判」は両立しないという見地から、ILO勧告のみを頼りとするならば正しくないだろう。労働組合であるならば、不当労働行為を許さないという闘う姿勢が最低限に必要だ。
 さて鉄建公団訴訟勝利12・1全国集会では、まず、呼びかけ人を代表して下山房雄氏(九大名誉教授)が、「昨年十二月の最高裁判決はJRの不当労働行為を免罪したが、旧国鉄の責任を示した。政府・鉄建公団との統一した闘いが必要だ」と挨拶を行なった。
 続いて、全動労争議団と鉄建公団訴訟原告団が決意表明。全動労争議団が建交労大会方針の下、年内の提訴を決定したこと、また国労闘争団からの九名の第二次提訴などによって、鉄建公団訴訟を軸として団結が拡大していることが明らかにされた。なお提訴を準備中の千葉動労争議団が、今回ある種の圧力によって決意表明を行なうことができなかったといわれるが、これは遺憾である。
 各呼びかけ人からは、伊藤誠、佐高信、芹澤寿良、戸塚秀夫の各氏が挨拶。共通して、国鉄闘争の勝利的解決を通じて日本の労働運動の再生と憲法改悪阻止につないでいこうというアピールであった。
 最後に、「鉄建公団訴訟の公正判決を求める署名を東京地裁に集中しよう」、「政府は責任をもって解決せよ」などの内容の集会アピールを確認し、国労高崎地本の中村委員長の団結ガンバローで締めくくって、東京駅方面へデモ行進を行なった。
 翌日の十二月二日、東京地裁では鉄建公団訴訟の最後の個別立証が行なわれ、国鉄と清算事業団から二度に渡る首切りを強行された仲間たちがその不当性を証言した。
 政府を解決の場に着かせるためにも、断固として闘う姿勢を取ることが不可欠であることを実感させる両日であった。(東京A通信員)
 
423レイバーフェスタ
 映像や音楽、演劇などの表現をとおして「仕事」や「生活」を見直すイベントとして二〇〇二年から始まった「レイバーフェスタ」。その三回目の「レイバーフェスタ2004 『労働』を観よう・聴こう・話そう」が東京では十二月四日、約三〇〇人を集めて中野勤労福祉会館で開かれた。
 午後の部では、ロサンゼルス・ホテル労働者の市民不服従運動、フランスの社会派音楽グループの路上公演、韓国非正規労働者のたたかいの映像の上映とともに、「3分ビデオ大集合」と題して、非正規労働者の実態を映したものなど公募した3分ビデオ二十本が上映された。公募ビデオは素人の作品だが、映像で訴える力は大きく、参加者からも好評だった。
 夜の部は、バイオリン演歌ショーで始まり、産業の空洞化とリストラの現実を鋭く描いたマイケル・ムーア監督の『ロジャー&ミー』(一九八九年)が上映された。その後、臨時労働者、フリーター、移民労働者によるミニ・シンポジウムが開かれた。
 非正規労働の実態とたたかいを自分たちで表現し、見つめ直す企画に、若い人も女性も多く参加しているのが印象的だった。
 十二月十二日には東京・三多摩の小金井市公会堂で、音楽企画を中心とした「第3回げんこつまつり」が開かれ、高田渡、中川五郎、寿、花&フェノミナンなどが出演した。「労働者の文化を創造しよう」という試みが着実に始動している。
 また同様の主旨で、初めて関西でもレイバーフェスタが開かれた。「レイバーフェスタ2004大阪」は十二月五日、大阪市天王寺区のクレオ大阪にて開催され、会場は補助イスを出してフロア一杯となる百五十人が参加した。
 東京でのレイバーフェスタの成功に刺激され、六月に大阪で実行委員会が作られ、前段に十一月八日には労働問題をテーマとしたドキュメント上映会が開かれてきた。一方ではビデオ撮影・編集講座も開かれ、その卒業制作作品が上映されることとなった。
 会場では最初に、関西のコミュニティ・ユニオンの有志で結成された「ユニオン座」による創作劇『アンバランス』が熱演された。
 続いて、韓国の映像と東京での公募作品十一本が上映され、東京から駆けつけた評論家の木下昌明さんが、自らの作品『娘の時間』の解説を中心に、フェスタの意義を語った。
 休憩後、メイン企画としてマイケル・ムーア監督の『ザ・ビッグ・ワン』(一九九七年)が上映された。
 そして、関西で公募の「3分ビデオ」七作品が上映された。前述のデジタル映像制作講座での生徒作品三本と、『天職デス!』『ブッシュを倒せ』『キーワードは国連・マスコミ〜男女平等をめざす住友裁判〜』『勇気をだして有期雇用と闘おう』の四作品で、各々の作者が思いを発言した。
 参加者は関西でも、若者も女性も、他の集会に比べて多く、初めての関西でのレーバーフェスタは成功裏に終わった。(東京K通信員、関西S通信員)

レイバーフェスタ2004が東京、大阪で
  好評の公募「三分間ビデオ」

 映像や音楽、演劇などの表現をとおして「仕事」や「生活」を見直すイベントとして二〇〇二年から始まった「レイバーフェスタ」。その三回目の「レイバーフェスタ2004 『労働』を観よう・聴こう・話そう」が東京では十二月四日、約三〇〇人を集めて中野勤労福祉会館で開かれた。
 午後の部では、ロサンゼルス・ホテル労働者の市民不服従運動、フランスの社会派音楽グループの路上公演、韓国非正規労働者のたたかいの映像の上映とともに、「3分ビデオ大集合」と題して、非正規労働者の実態を映したものなど公募した3分ビデオ二十本が上映された。公募ビデオは素人の作品だが、映像で訴える力は大きく、参加者からも好評だった。
 夜の部は、バイオリン演歌ショーで始まり、産業の空洞化とリストラの現実を鋭く描いたマイケル・ムーア監督の『ロジャー&ミー』(一九八九年)が上映された。その後、臨時労働者、フリーター、移民労働者によるミニ・シンポジウムが開かれた。
 非正規労働の実態とたたかいを自分たちで表現し、見つめ直す企画に、若い人も女性も多く参加しているのが印象的だった。
 十二月十二日には東京・三多摩の小金井市公会堂で、音楽企画を中心とした「第3回げんこつまつり」が開かれ、高田渡、中川五郎、寿、花&フェノミナンなどが出演した。「労働者の文化を創造しよう」という試みが着実に始動している。
 また同様の主旨で、初めて関西でもレイバーフェスタが開かれた。「レイバーフェスタ2004大阪」は十二月五日、大阪市天王寺区のクレオ大阪にて開催され、会場は補助イスを出してフロア一杯となる百五十人が参加した。
 東京でのレイバーフェスタの成功に刺激され、六月に大阪で実行委員会が作られ、前段に十一月八日には労働問題をテーマとしたドキュメント上映会が開かれてきた。一方ではビデオ撮影・編集講座も開かれ、その卒業制作作品が上映されることとなった。
 会場では最初に、関西のコミュニティ・ユニオンの有志で結成された「ユニオン座」による創作劇『アンバランス』が熱演された。
 続いて、韓国の映像と東京での公募作品十一本が上映され、東京から駆けつけた評論家の木下昌明さんが、自らの作品『娘の時間』の解説を中心に、フェスタの意義を語った。
 休憩後、メイン企画としてマイケル・ムーア監督の『ザ・ビッグ・ワン』(一九九七年)が上映された。
 そして、関西で公募の「3分ビデオ」七作品が上映された。前述のデジタル映像制作講座での生徒作品三本と、『天職デス!』『ブッシュを倒せ』『キーワードは国連・マスコミ〜男女平等をめざす住友裁判〜』『勇気をだして有期雇用と闘おう』の四作品で、各々の作者が思いを発言した。
 参加者は関西でも、若者も女性も、他の集会に比べて多く、初めての関西でのレーバーフェスタは成功裏に終わった。(東京K通信員、関西S通信員)