〔沖縄からの通信〕
  辺野古海上基地阻止行動・県庁テント行動が連動し、攻防は有利へ
   新基地阻止へ全国から支援を

 180度に近い豊かな海面が視野に入っていた辺野古で、ボーリング調査(掘削)工事の台船や単管足場が海中に立ち始めるや、この豊かな視界が99%死んでしまうことが明らかとなり、辺野古の人々をがく然とさせた。
 「ボーリングをどうしても、何としても止めたい」、人々の日夜の祈りとそれをバックにした青年たちの海上での抗議・阻止行動になっていった。
 カヌーを漕ぎ、単管足場で長時間、工事請負業者と渡り合うことは、肉体の極度の疲労を伴なう。業者たちに押され気味になり、いくつかの単管足場での行動は放棄せざるを得ないときもあった。肉体の疲労から、五十ミリパイプに必死にしがみついていた手をひきはがされ、落下させられるという事故、傷害も続けざまに起こった。
 「業者による暴力」に怒った平和市民連絡会や県民会議は、施工者である那覇防衛施設局に抗議した。一度ならず二度も暴力行為を起こした施設局は、受付出入り口ドアを施錠し、抗議団を四〇分も閉め出した。
 豊かな海、ジュゴンの海、海からヤンバルの森につながっている貴重な多様な種が生き続けたこの海を死なせてはならない、また、再び戦火にさらしてはならないという人々、いろいろな人々の懇願から起こっている単管足場での非暴力抵抗は、ゆっくりとではあるが、人々の共感と支援を広げていった。「県民の思いを行動まで結び付けていきたい」(崎原盛秀・市民連絡会代表)ということで、辺野古現地だけでなく那覇でも、十二月十日から本格的に行動が始まった。
 この行動は、平和市民連絡会、基地・軍隊を許さない行動する女たちの会、カマドゥーグァーたちの会、泡瀬干潟を守る会、琉球諸島を世界遺産にする連絡会の五者によるもので、那覇・県庁前の県民広場で、十二月十日〜二十日までテント行動を行なう。普天間基地の「閉鎖」を必死に妨害し、一兆円に目がくらみ、自らの故郷をも破壊してまでカネもうけに固執し、多くの県民から指弾されて権威を失っている稲嶺知事の、その足元で行動を展開する。
 行動は、写真展示、映写、署名・カンパ、くり出し抗議、等々の活動を現在進行中である。県庁前テントには署名とカンパが次々とやってきて、うれしい悲鳴をあげている。これほどの反響は、かってなかったものがある。ここを足場に、防衛施設局に抗議に行く、単管足場で暴力をふるったサンコーコンサルタント沖縄出張所に抗議に行く、県知事へ談判に行く、等々現地に負けていない。
 この県庁テント行動は、現局面にピッタシである。気持ちが痛いほどわかる。「閉鎖」や「辺野古断念」を求める圧倒的な県民を何とかまぎらわし、けむに巻こうとする稲嶺、そのウラにいる日本政府の化けの皮をひっぱがして、直接知事をとっちめ、現地の暴力を阻止せんとする強い連帯の意志から行動は生まれている。
 現地の方では、これまで、単管足場で抵抗する人々は防衛施設局・業者からおしまくられる状況にあった。しかし最近、状況が一変している。辺野古の北側と南側の漁民が、海上抵抗の人々に協力してきたのだ。国頭、石川、宜野座、金武の漁民たちである。これによって漁民たちから十一隻、名護ヘリ基地反対協の四隻と合わせ、合計十五隻の阻止船の確保ができている。状況一変によって、業者・防衛施設局は単管足場にたどり着けなくなった。
 漁民たちの船は反対協によるチャーターとなっており、生半可な財政では間に合わない。底を尽くことも考えなければならない。今のところ全国からのカンパで間に合っているが、引き続きカンパは重大に必要である。反対協へのカンパに集中されんことを訴える。(送金先、郵便振替01700−7−66142 加入者名「ヘリ基地反対協議会」)
 辺野古で厳しい闘いが続くなか、十〜十一月は運動全体としては空回りが感じられた。「障害が稲嶺知事その人にある」と多くの人々に認識が深まっているにも関わらず、そこに闘いの矛先を向けていくよりも、東京サイドの「全国的闘い」に流れ、沖縄民衆の包括的組織である県民会議においても闘いの展望が検討されたとは言い難いものがあった。沖縄社会の中での討論、行動の積み重ねが不十分であり、社会組織の「本土系列化」の悪弊がいまだに克服できていない面があるだろう。この空回りは、「ゆうなんぎの会」の女性たちの、知事との会談を求めた県庁行動によって、本道に引きもどされた。
 今や誰一人、県民には辺野古基地に賛成するものはいない。米軍大型ヘリの普天間墜落を機に、米軍自体にも、日本の自民党内にも、合理性が失われている、ムリだという見解が有力になっている。ヘリ墜落以降、県内では伊波宜野湾市長と稲嶺県知事との対立という形をとって反対・賛成が象徴されていたが、「閉鎖」の伊波市長が支持され、「閉鎖」を拒み、それゆえ辺野古をも断念しえない稲嶺知事は権威を失墜し、孤立を深めていった。
 が、彼は、個人的な利権(世界遺産・今帰仁城もその一部であるヤンバルのカルスト台地に、辺野古埋立用の石材を所有している)、また土建業者たちとの共有利権を守りたい、「十五年使用期限」の公約を含む知事政治生命の全面的破産から逃れたい等々の理由で、四面楚歌の中で「ふんばって」きた。「沖縄の負担軽減」を常套文句とする小泉政権の権威を借りて、持ちこたえているにすぎない。
 平和市民連絡会は、「辺野古基地建設は負担の無限大、巨大基地の永久化」と反論した。琉球大学の教授有志らは、知事の責任ある態度を求め、辺野古断念を求めた。基地の県内移設に反対する県民会議は、知事との団交を要求した。そして先述したように、伊波市長の誕生にも尽力し、ヘリ墜落に対応する市長の行動を「立派な市長を選んでよかった」と喜ぶ「ゆうなんぎの会」の女性たちは、「辺野古基地建設は稲嶺知事の皮一枚でもっている。知事がNOと言えば、すべてが解決する。どうかNOと言ってください」と請願して、二度も知事との面会を求めて県庁行動を行なった。
 稲嶺知事は、基地再編対応について近々「県の方針を作る」と紛らわしている。一握りの人々が沖縄県を食い物にし、利権を放棄しようとしない。9・12宜野湾市民大会の直前にボーリング調査着手を冒険的に演出し、米軍ヘリが落ちたから「建設・完成を急がねばならない」と居直り、暴言を吐いている。
 十二月十四日、九六年のSACO合意に当たった元米国防総省次官補代理のキャンベル氏(現米戦略国際問題研究所)が来沖した。同氏は、米国防総省内で「県外移設」を検討していることを明らかにした。キャンベル氏の見解は、米戦略が取る再配置計画から導かれるものとはいえ、稲嶺知事の「急がねばならない」立場を両足もろともに払いのけるものになっている。
 私たち沖縄民衆は、米日の新しい戦争戦略や米軍再配置とは関わりなく、沖縄が、東アジア・中央アジア・アフガニスタン・イラン・イラク・中近東にまたがる戦域(ブッシュ政権がいう「不安定の弧」)への侵略基地であることを拒否せざるを得ない。
 行ける者は現地へ行き、資金を出せる人はカンパをし、人々の思いを「建設白紙撤回」を勝ち取るまで結集し続けよう。高校生たちは街頭カンパを集め、四十五万円を反対協に寄贈した。一市民・山口洋子さんは、防衛施設局前で二十日間のハンガーストをやりぬいた。
 十二月二十一日には、名護市民投票七周年記念企画として、辺野古での「海上デモ」、名護市での市役所までの「ロウソク・デモ」が行なわれる。前日二十日には、那覇で「県庁キャンドル包囲行動」が行なわれる。
 十二月二七日には、「ボーリング調査差し止め訴訟」の提訴を行なう。久志地域住民、辺野古近辺の漁協組合員、名護市民、県民が原告となり、国を相手に訴訟を起こす。すでに米連邦地裁では環境法律家協会などの協力で、「ジュゴン訴訟」が進行中であるが、沖縄でも、辺野古海上基地建設反対弁護団の池宮城紀夫弁護士らが、反対協、沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団、県内移設反対県民会議等々と協議し、提訴を決定したものである。
 絶滅危惧種のジュゴンをはじめ、多様な種が生きている貴重で豊かな海は住民のもの、失ってはならない住民の財産である。この豊かな海とともに人々は生存が可能であったし、この海ゆえの文化をはぐくんできた。米軍の基地を作るなどと言って、この海を住民から奪い、多様な種とともに海自体を破壊することは絶対に許されない。
 すでに沖縄戦で、京都をしのぐと言われた琉球の美を壊滅させてしまっている。ふたたび今度は、ヤンバルの自然を滅ぼすのだろうか。
 あらゆる力を集めて、辺野古基地建設を断念させよう!(記・十二月十八日)