小泉連立政権のイラク派兵「延長決定」を弾劾する
 「戦争する国」へ暴走
  新「防衛大綱」決定、武器輸出解禁も同時に

 小泉連立政権は十二月九日、自衛隊イラク派兵の一年延長を始めとする派兵基本計画の変更を閣議決定し、続いて翌十日には、新「防衛計画大綱」および中期防衛力整備計画を閣議決定した。また同時に、武器輸出の原則解禁をも決定した。これら三つの事柄は、「戦争をする国家」を進め、戦争で利権を図ろうとする小泉政権の反動性を内外に暴露して余りある。
 小泉政権と自民・公明与党は、野党三党が提出していたイラク特別措置法廃止法案を採否に懸けもせず、会期延長を拒否したまま、十二月三日で臨時国会を閉会させた。すると、すぐに大野防衛庁長官がサマワに飛んで、数時間視察しただけで「治安は安定」という報告を演出したあと、延長決定を強行した。国民世論の約三分の二は(一年前のイラク派兵開始時と同等かそれを上回る比率で)派兵延長に反対しているにも関わらず、密室の閣議決定でそれを強行した。
 韓国でも十一月に派兵一年延長の閣議決定が強行されたが、しかしイラク派兵延長承認案の国会承認が必要であり、十二月九日に会期末となったが臨時国会が継続して開かれ、論戦が続けられた。かっての軍事独裁国家・韓国のほうが、今は手続きが民主的ではないか。小泉の暴走によって、日本の戦後民主主義制度がきわめて劣化している。
 日本のイラク派兵の延長決定は、米英の「有志連合」軍が崩壊しつつある中での派兵続行決定であり、米英に次ぐ侵略軍として日本の自衛隊を世界に際立たせるものである。「有志連合」三十八カ国の過半数が、すでに撤退したか、新年中の撤退を表明している。スペイン、タイ、フィリピンなどの完全撤退に続き、今年三月にはサマワの「治安」を担当するオランダが撤退し、続いてウクライナ、ポーランドの大部隊も撤退予定である。残りは、日本と韓国を除けば、数合わせ的な小部隊の国ばかりである。
 イラク南部のシーア派は一月末の「選挙」に参加方針を取っているので、いまは武力抵抗を手控えているが、サマワのサドル師勢力も自衛隊の派兵延長に抗議し、「選挙」後の武力抵抗を公言している。
 こうした状況を否定できず、新しいイラク派兵「基本計画」は〇五年十二月までの派兵延長を決めつつも、撤収を考慮する「諸事情」として「政治プロセスの進展」「治安状況」等を例示する書き加えが行なわれざるを得なかった。しかし小泉は、いぜん撤退時期は明言せず、再延長に備えるかまえである。わずかに行なわれた国会審議でも、「自衛隊が活動する地域が非戦闘地域」の愚答を居直り、「民間の復興支援は危ないから、自衛隊が行くんだ」という得意の反論を繰り返しただけだった。(その実、たとえば自衛隊派兵にかかっている巨費でヨルダンに基金を設けイラク人を雇えば、イラク国内に莫大な雇用を創出できることは明らかである。)
 また十二月十日に閣議決定された新・防衛計画大綱は、「専守防衛」政策から路線的に転換するものとして重大である。それは自衛隊海外派兵を「主任務」の一つとし、「国際的な安全保障環境の改善」を掲げて自衛隊派兵を全面化するものである。(前号参照)
 またさらに、これまで武器輸出を原則的には禁止してきた「武器輸出三原則」政策の事実上の破棄が、同時に強行された。それを新・防衛計画大綱には明記せず、十二月九日の官房長官談話の形で行なうという姑息なやり方で強行されたのである。一九八三年に行なわれた、対米武器技術供与について「武器輸出三原則」の例外とするという決定も、官房長官談話で強行している。今回は、弾道ミサイル防衛BMDの日米共同開発・生産のためのみならず、「テロ対策」「共同開発」一般でも例外とする方向を示しており、大幅な解禁となっている。
 この転換は、〇四年二月四日に日本経団連が、「日本の防衛産業の技術レベルは高いものの、武器輸出ができないという原則があるため、国際的な共同開発に参加しにくいため、防衛産業の技術・生産基盤自体が失われかねない」として、武器輸出解禁を自民党に要望したためである。当初は新大綱に「三原則」見直しが明記される予定であったが、あいまいな談話で重大事を処理している。
 派兵延長、新大綱、武器輸出解禁、すべて戦後の「平和国家」日本のでき過ぎのイメージを徹底的に失墜させ、小泉が唯一好む憲法文言「国際社会の中で名誉ある地位を占めたい」の主旨に完全に反するものである。二つの閣議決定と一つの官房長官談話の撤回を要求する。(F)

派兵一年・期限切れ 撤退させよう自衛隊 ワールドピースナウ12・14
  十万人虐殺の加担やめよ

 十二月十四日の午後六時半から、「派兵1年、期限切れ 撤退させよう自衛隊 終わらせようイラク占領ワールドピースナウ12・14」が東京・日比谷野外音楽堂で開かれ、市民・労働者約三〇〇〇名が参加した。当日の午後、「自衛隊のイラクからの撤退を求める12・14自治労青年部中央行動」が行なわれており、この自治労の部隊が合流することによって野音はほぼ埋められた。
 この日は当初、イラク派兵基本計画での期限切れの日であったが、小泉内閣は十二月九日、世論にあからさまに逆行し派兵延長の閣議決定を強行した。夕闇の中に「ファルージャで6000人以上が殺された!」と書かれた横断幕がステージに浮かぶ集会は、静かな中の強い怒り、持続する闘いの意志を示すものとなった。
 WPN実行委員会の大塚さんが主催者あいさつを行なったあと、小池清彦さん(新潟・加茂市長、元防衛庁教育訓練局長)、池田香代子さん(翻訳家)が発言した。
 小池さんは、「アメリカのイスラムとの戦い、テロとの戦いという日本には関わりのないことに、小泉内閣はアメリカのポチになって自衛隊を差し出した。ヒロシマ、ナガサキという史上最大のテロを行なったのはアメリカではないか。新防衛大綱も日本防衛ではなく、ポチになって海外派兵を、というもの。自衛隊を撤退させ、平和憲法を守ろう」と述べた。小池さんの発言は、小泉内閣のブッシュ政権との一体化路線に対する戦後保守勢力の立場からの抗議を表現するものであった。
 池田さんは、派兵延長の賛否を問う街頭シール投票の報告を行なった。圧倒的に反対のほうにシールは貼られていた。賛成のシールも半分は「しょうがないから」だった。また彼女は、「戦前によく似ていると言われるが、発言している私が今から逮捕されるわけではありません。その自由がある分、戦争をやめさせる責任が一層問われています」と訴えた。
 若者の元気のよいピースコンサートのあと、イラク報告が日本ボランティアセンターの熊岡路矢さん、原文次郎さんから行なわれた。彼らは現地の治安悪化以降、ヨルダンからイラクの病院への医薬品援助を続けている。熊岡さんは、「NGOがイラク内で活動できるようにということよりも、占領軍の撤退こそが必要だ」と強調し、大きな拍手を受けた。
 その後、参加者はキャンドルに灯をともして銀座をパレードし、自衛隊撤退を訴えた。
 集会では、ファルージャでの六千人、〇三年三月のイラク全面攻撃以降での最低十万人の殺害(レス・ロバーツ博士らの米イラク合同調査団の推定)という事態、それへの日本の加担という事実が強調された。平和を守ろうではなく、侵略国の日本を変えようという意識は「イラク反戦世代」にも確実に広がっているといえるだろう。(東京W通信員)

12・17
 連合が、一年ぶりに派兵反対中央集会
  厳しく問われる
  ナショナルセンターの役割


 十二月十七日の午後六時半、中央労働団体・連合が単独主催して「イラクへの自衛隊派遣延長に反対し即時撤退を求める12・7中央総決起集会」が東京・日比谷野外音楽堂で開かれ、傘下の労働組合から三〇〇〇余名が参加した。
 集会は、笹森清・連合会長の主催者あいさつのあと、民主党から仙谷由人政調会長、社民党から福島みずほ党首があいさつ。各氏は、各世論調査でも六割以上が延長に反対しているにも関わらず、九日に小泉内閣が派兵延長を決定したことを強く糾弾した。社民党は党三役が参加し、連合の集会設定を高く評価する発言を行なった。
 「国連の協力でイラク国民自身による復興の支援を」等を内容とする集会決議を拍手採択したあと、「連合は平和のために断固たたかう!」と気合を入れた笹森会長自身の音頭で、団結ガンバローを行なって終了した。その後、参加の労働者は「延長反対」「自衛隊の即時撤退」を叫んで銀座方面をデモ行進した。
 イラク派兵問題での連合中央の大衆集会としては、自衛隊がまさに出兵せんとしていた一年前に、他団体と共に実行委員会形式で行なった「自衛隊派遣反対12・14集会」以来のものであった。このことは、一年たっても小泉内閣の派兵路線がいぜん孤立しており、帝国主義的な労働官僚の協調すら取り付けられないでいる現状を示しているとも言える。
 しかし、この一年、ナショナルセンター連合としては一体何をしてきたのか。すでに四次に及ぼうとしている派兵継続に対し、ただ黙認してきたに過ぎない。かれらなりの政治(単独行動主義だから、戦闘地域だから反対というだけで、侵略反対が欠落)からしても、連合としてやるべきことはあったはずである。一年ぶりのパフォーマンスでは、既成労働界の凋落ぶりを露呈するだけである。
 また今日的には、集会決議で平和憲法改悪反対に触れていないことも看過できない。そればかりか、笹森会長は八月の自治労大会の挨拶で、第九条二項の改憲を容認する発言を行なって問題となった。〇五年連合大会が、平和憲法改悪反対の旗をはっきりとさせるよう、傘下組合は闘うべきだ。(東京W通信員)

11・28静岡
  「許すな!土地収用、つぶせ!静岡空港
      現地大集会」に全国から350名

  強制収用阻む陣形拡大


 十一月二八日午後一時より、静岡県島田市の静岡空港建設予定地内で、「空港はいらない静岡県民の会」「榛原オオタカの森トラストの会」「空港に反対する共有地権者の会」など八団体で構成される集会実行委員会の主催で、「許すな!土地収用、つぶせ!静岡空港 現地大集会」が行なわれた。
 集会には、三百五十名が参加した。地権者・共有地権者や市民・労働者など、静岡県内各地から参加、また東京、愛知、大阪など全国の反空港を担う仲間たちが参加した。参加者には、地権者の村田さんが作ったお茶の実が結い込んである思いのこもったハチマキが配られた。
 集会は、女性グループ「県政ウォッチングの会」の司会で始められ、「県民の会」共同代表の島野房巳さんが主催者あいさつに立った。
 島野さんは、「数日前にこの場所で、推進派がお金をつかって集会を開きました。多くの参加者は駆りだされた住民です。本日は、ここに自らの意志で空港反対・収用阻止の闘いに集まってくれました。県は土地取得の見通しのないまま、見切り発車し、オオタカの森の木を伐採し、工事を進めてきました。その頂点として我々の土地を強制的にとりあげようとしています。静岡のみならず、全国各地への挑戦です。石川県政の利権にむらがる大手ゼネコン、大小の利権屋どものための空港建設は天下の笑いものになっています。固い決意を持って闘えば勝てる、空港阻止、収用阻止に向けてガンバロウ」と訴えた。
 集会は続いて、衆議院議員の金田誠一(民主党)、阿部知子(社民党)両氏があいさつ。金田さんは、「衆院国土交通委員に就任し、委員会で北側国土交通大臣に質問した。双方が話し合いをすべきだとは答弁したが、県と地権者の間に入って話し合いの場を設ける仲介の労を取る事には返事をしなかった。強制収用につながる手続きを進める県はおかしい」と厳しく批判した。
 阿部さんは、「保阪展人さんに引き継いで『公共事業チェックの会』を担当している。子どもの医者として、この空港はいらないと感じた。このツケは子どもたちが払わされる。イラクで一日一億円が浪費され、引き返せないでズルズルと続いていることも、子どもたちのために止めさせるべきだ」と述べた。
 続いて、松谷清県議が立ち、「県は十一月二六日の説明会で〇七年開港を二年延期し、〇九年春と、開港スケジュールを発表した。空港反対の闘いが、二年も追いやったと思う。地権者が交渉申し入れに際し、知事につきつけた三条件(土地収用方針の撤回、工事続行の中止、強引な推進の謝罪)を、彼等は何も検討していなかった。しかも、強制収用へ向けた事業認定申請を行なうと十一月十二日に表明した事は許せない。五年も先に開港を延ばすなら、何故強制収用する必要があるのか。今日の空港反対の集会は、来年に迫った知事選へ向けた闘いの第一歩でもある」と述べた。
 続いて、全国各地の反空港の諸団体からあいさつを受けた。「泉州沖に空港をつくらせない住民連絡会」の阿部陽一さんは、「県が強制使用を言い出すのは、むしろ追いつめられているから。本日来て『収用阻止』の大看板を見てたのもしく思った。先日の反空港全国連の集会で、静岡空港反対を全国の仲間の意志で確認した。全国の仲間も闘う」と述べた。
 続いて、「羽田空港を監視する会」の大道寺さんは、「羽田空港は一見問題がないかに見えるが、沖合い2qへの延長が行なわれている。四本目の滑走路の端は、多摩川の河口にかかり、浮体工法で自然破壊の工事となる」と現状を報告した。
 県内各地の諸団体があいさつに立った。「下田・賀茂静岡空港反対連絡協議会」の下田市議・小林さんは、「ここに空港ができても、伊豆の人々は利用しない。県民に利用されない空港には反対だ。大多数の県民が反対し、県議と知事だけが賛成という亀裂をかかえ、ゴマカシと利権で買収し工事をすすめている。が、強行するなら人民の抵抗権をかけてあらゆる手段に訴えて闘う」と、力強いあいさつ。とても印象的であった。
 「静岡商工会」の丸林さんは、「千六百の中小業者の集まりです。地域が自立・活性化するような税金の使い方を求めてきた。理事会を通して、ムダな空港建設には反対だと十年闘ってきた。皆さんと共に闘う」と、決意を述べた。
 続いて、「県民の会」西部地区として三好さんが、また「建設中止の会」からは連帯のあいさつが行われた。この「建設中止の会」は、共産党系の団体が中心に作られていると聞いたが、「県民の会」中心の本集会に連携を求めてあいさつが寄せられたようだ。毎週金曜日に静岡市内でビラ配布、署名活動をしている「県政ウォッチングの会」からも発言。
 「八重山・白保の海を守る会」「新福岡空港ストップ連絡会」からの連帯メッセージ紹介の後、地権者四名が登壇した。
 まず檜林耕作さん(トラストの会会長)は、「孫から体に気をつけてといわれるが、老体にムチ打ってでも頑張る。十一月二六日は強制収用の第一幕が上がった。皆さんの力をうけて四人で頑張っていく」、村田利広さん(オオタカ調査会)は、「皆さんのパワーを戴いた」、大井寿生さんは、「十七年目に入る。収用という新段階に入るが、これまで通り頑張っていく」、松本吉彦さん(地権者代表)は、「私の山は三十アールある。あの土地が県のものにならない限り空港はできない。正義をまげてまで土地は売らない」と発言し、更に『いざ起て、戦人よ』の歌をアカペラでみごとに唄い切った。
 佐野慶子共同代表(静岡市議)による集会宣言案が、全員の盛大な拍手で採択された。集会カンパは二十万五十六円。桜井建夫事務局長より、当面する行動方針が提起され、二九日より国会議員への要請行動、十二月二日の院内集会が提起され、事業認定申請に対しては、抗議行動と訴訟準備、更に新たな抵抗拠点を建設することなども提起された。
 集会後、空港島田事務所までデモを行なった。

 現地大集会の前の十一月二六日、島田市民会館で、県による「静岡空港事前説明会」が強行された。「説明会」は、県から根拠のない需要予測や、デタラメな自然環境保護策などの「説明」が、パネルディスカッションで行なわれた。質疑は二時間の大半が反対意見で占め、答弁も納得いくものではなかった。「空港はいらない静岡県民の会」等七十名は、事前に中央公園に集まり、市民会館までデモした後、抗議集会を開き、地権者四名は説明会をボイコット、代表で島野共同代表が入場し、反対意見を表明し、抗議の中途退場を行なった。
 現地大集会成功の直後、県は十一月三十日に、土地収用申請を何と中部地方整備局に「郵送」して行なった。「県民の会」は、緊急の記者会見で声明「闘争宣言」を読み上げた。
 十二月二日には、県内各地より三十名が上京、衆院議員会館で「静岡空港に関する土地の強制収用に反対する」院内集会が行なわれた。国会議員は、鳩山元民主党代表、佐々木(共産党)、阿部(社民党)、金田(民主党)の各議員と県選出の牧野、細野、津川各民主党議員等九名の他、前議員の海野氏も参加した。「県民の会」からの状況報告の後、地権者の松本、大井さんが、土地収用の不当性を訴えた。議員側の発言では、鳩山氏は「無駄な公共事業の中止は時代の要請だ」と明言、他の議員も空港反対の発言を行なった。
静岡空港建設工事の即時凍結、事業認定申請・収用申請を糾弾し、静岡空港反対の闘いを更に、全国の反空港の闘いと結合して闘い抜いていこう。(東峰団結小屋維持会・渡邊)