【沖縄からの通信】

9・12宜野湾市民大会三万人、10・2県民大会の成功から
 基地県内移設阻止の勝利へ

 九月十二日、三万人が米軍大型ヘリが墜落した沖縄国際大グラウンドに結集した宜野湾市民大会は、「危険極まりない普天間飛行場を早期返還すること」「SACO合意を見直し、辺野古沖への移設を再考すること」等を日米両政府と沖縄県知事に要求する決議を行ない、沖縄内外に基地撤去へ向う情勢の転換を明らかにした。決議の文言では「早期返還」となっているが、実質的には即時閉鎖の声が圧倒的であった。
 それに続いて十月二日、那覇・与儀公園において、「米軍基地の県内移設に反対する県民会議」が主催する県民大会が開かれ、三千五百人が結集した。辺野古基地建設を断念せよ、普天間基地をすぐに閉鎖せよ、都市型訓練施設の建設を中止せよ、などを決議し、県知事・防衛庁・日米両政府へ決議を手交することを決めた。
 県民会議共同代表の山内徳信氏、佐久川政一氏らが大会運営を代表し、民主党を含む野党四党、平和センター、統一連、名護ヘリ基地反対協、伊波宜野湾市長、金武町伊芸区の池原区長(都市型訓練施設に反対する住民の会)らがアピールし、国際通りをデモ行進した。
 この大会は、宜野湾市民大会から三週間、ヘリ墜落から五十日も経っている。タイミングとして問題ありだが、かえってそれが、運動を一過性のものにしないというプラスに働いているかもしれない。この県民会議の全野党共闘的な枠組みは、しばらく停止状態にあったが、辺野古の座り込み支援を通じて再び機能し始め、糸数選挙、米軍ヘリ墜落抗議によって、その役割を強化している。
 大会を前にして、小泉首相は十月一日、「在沖米軍基地の本土移転」方針を対置してきた。また普天間の米軍は大会前日、市民にに無力感を醸成させる狙いなのか、事故同型機の飛行再開を対置してきた。
 小泉の発言は、同時にSACO合意は見直さずとしており、移転の対象が具体的ではないが、これは沖縄民衆の怒りの矛先を米軍に向けさせるための日本政府の「誠実な対応」アリバイか、この期を利用しての「本土の沖縄化」が狙いか、とささやかれている。小泉よ、本気ならばまず、那覇防衛施設局に辺野古ボーリンク調査工事の中断を指示してみよ。
 さて、八月十三日の米軍ヘリ墜落は、宜野湾市街地のど真ん中で立ち上がる黒煙を見た人々に、「イラクのようだ」と言わせた。イラクでの米軍ヘリによる市街への攻撃は、普天間がその出撃基地となっている。墜落四日後にも二十機が普天間からイラクへ移った。沖縄にとって、イラクは遠い知らない国ではない。アメリカの「イラク戦争」によって、人々の新たな反戦反米感情が広がっている。糸数圧勝にはそういう土壌があった。
 こうして、保守層の中でも人々の感情に敏感に反応する面々は、辺野古移設に固執する稲嶺知事が沖縄自民党を窮地に追い込むのではないかと「危惧」している。幾多の市町村議会の墜落抗議の決議は、基地縮小・分散論からSACO見直し・辺野古移設中止の明記まで巾があるが、人々の反戦反米感情の高まりに遅れまいとする政治的防衛の要素をも含んでいる。この中でも、宜野湾市議会での全会一致のSACO見直し決議、名護市議会での過半数に達した辺野古移設反対決議は、九六年来の状況を大転換させる激変である。
 稲嶺は、日本政府が辺野古基地建設に群がるよう作り出した利権集団と一連托生であるゆえに、辺野古に固執せざるを得ないとみられている。しかし、利権派と非利権派の溝がひろがり、動揺が走って、稲嶺は求心力を失いつつある。
 県民の八割方は「普天間閉鎖」「辺野古基地反対」の立場に立っており(九月中旬の沖縄タイムス世論調査では、辺野古移設を「解決策」とするのは六%に激減している)、それを封殺している稲嶺を不信の目でみている。
 県民大会以降は、稲嶺に対する「閉鎖を言え」「辺野古を断念せよ」の行動が一層焦点となるだろう。十一月那覇市長選を挟んで、労働組合などの勉強会、討論、行動が進出してくるだろう。
 稲嶺の対照として、伊波洋一宜野湾市長について触れよう。普天間と辺野古は「墜落」までは別々に進んできた。SACO合意後、八年間の人々の分断ののち、またリンクしたのである。伊波さんは昨年四月、普天間返還合意の破綻を受けて「五年以内の返還」を公約に掲げて、一騎撃ちの市長選に勝利した。市民運動と市職労などが勝利を支えた。彼は、「飛行ルート記録団」「爆音調査」「監視点の設置」等々作成し、データを蓄積して米政府と交渉し、「住民の頭上を飛ばない」を約束させるなど地道な仕事をしてきた。
 しかしそれでも、恐れていた重大事故を防ぐことはできなかった。こんな危険物は「閉鎖」以外に方法はないという結論に達した。こうして彼は、かっての辺野古移設決議を全会一致で覆し、移設なしでの返還決議を得た。「辺野古移設では十六年もかかり、その間事故の可能性は常に存在し、市民の生命の安全を保障し得ない。したがって閉鎖しかありえない」という旗色鮮明な論理である。八年経って、「移設して返還」が詭弁であり、伊波の「閉鎖して返還する」が正論であることが明確となった。
 一方の稲嶺は、伊波をこわがり、伊波との会見から逃げ回った。(稲嶺は自分にまともな立論がないこと、この事故にSACO云々で対処できないことを知っている)。稲嶺は「ヘリの飛行停止」と言い、翌日には「同機種」の意と訂正。「全機種の飛行停止」と言い、翌日には「危険が除去されるまで」に訂正。「危険の除去はどのように」と問われて、「演習をやめる」と言う。「どのようにそれを可能に」と問われて、「基地の提供責任は日本政府にある。政府の責任だ」と答える。「あなた知事はどうするのか」「辺野古以外に代案がない以上、見直しはできない」「代案は誰が作るのか」「日本政府」「あなた知事は…」に戻る、というドタバタを真顔でやっている。
 知事と市長というこの二人の対比によって、問題の所在は、民衆一般にとって分かりやすくなった。今や、稲嶺知事に対する怒りが沖縄中に充満している。
 辺野古の座り込み・海上での阻止行動が続く以上、稲嶺への攻勢、県政は転換せよの要求は高まる。それはさらに保守層の動揺と分裂を引き起こし、結局、運動の発展は沖縄民衆の総団結による日本政府との闘いに収斂していくだろう。(T)
 
 
9・25東京
普天間基地撤去・辺野古への海上基地建設を許さない集会・デモ
  海上阻止行動への支援を

 九月二五日、東京・渋谷の宮下公園で、「普天間基地撤去・辺野古への海上基地建設を許さない9・25集会」が、辺野古への海上基地建設・ボーリング調査工事を許さない実行委員会の主催で三五〇名の参加の下に開催された。
 冒頭に沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの上原成信さんが発言した後、沖縄・辺野古現地から駆けつけた当山栄さんが、次のように訴えた。
 「一六〇日の座り込みで工事を阻止してきた。座り込み一四四日目の実力排除の情報には当日四〇〇名もの人が集まった。なにものにも動じないという意志が、機動隊導入の野望を打ち砕いた。向こうは、不発弾があるか磁気調査をしてからボーリングに入るということだが、調査が終わった箇所から順次、早めにボーリングに入ってくると予想している。四〜六隻の船と八隻のカヌーで調査ポイントに陣取り、調査を阻止している。陸と海での座り込み。私たちを排除しない限り、調査は出来ないという闘いをやっています。
 カヌーは、朝の九時から夕方の四時頃まで、調査ポイントのブイの近くにとどまり、昼飯は十二時に弁当を届け、七時間位その場に居座っています。船は、リーフ外に三隻、リーフ内に二隻です。
 新聞は、工事が順調であるかのように報道することもあるが、事実は違います。ブイが下ろされただけで、不発弾の磁気調査はほとんど出来ていない。ブイも撤去せざるを得なくなっている。
 ただ船の数が足りない、疲労も溜まるという事態が近づいている。船、カヌーを増やそうと考えているが、多額の費用がかかる。カンパも増えているが、百日分の資金を集めなければ、闘いを継続できなくなる。
 現地の座り込みと連動して、野党が共同で小泉を新基地建設断念に追い込む、ということを展望しております。辺野古に固執する稲嶺を追及する。現場の仲間たちは、一日も早く決着させたい、おじん、おばんを安心させたい、と考えております。頑張りましょう」
 この後、カンパ要請。東京沖縄県人会などの音楽。平和フォーラム、全労協、日本平和委員会(代読)、学校に自由の風を、等の連帯発言。カンパ、署名などの行動提起があった。集会を終えた参加者は、「米軍は沖縄から出て行け!」「ジュゴンの海を守ろう!」とシュプレヒコールしながら渋谷の繁華街をデモ行進した。(M)
 

9・25大阪
 沖縄・辺野古に基地をつくらせな関西のつどい
   調査工事は阻まれている

 九月二五日、「許すな米軍ヘリ墜落事故・普天間基地を即時撤去させよう!沖縄・辺野古に基地をつくらせない関西のつどい」が開かれ、大阪・天六のすまい情報センターに二五〇名が結集した。主催は、沖縄とともに基地撤去をめざす関西連絡会。
 まず、主催者を代表して太田弁護士が、「小泉内閣はマスコミを牛耳り、ブッシュにごきげんをとり、大量破壊兵器を理由に先制攻撃を支持し、イラクに自衛隊を派遣した。沖縄からも米軍が参戦している。沖縄の米軍基地、辺野古基地建設、日米地位協定など、まちがっていることには抵抗し闘っていこう」と述べた。
 辺野古現地の闘いの報告が、フィルムを上映しながら松本さんから行なわれた。九月九日の防衛施設局によるボーリング調査工事着手に対する陸・海上での阻止行動の様子、三ヵ月余続く座り込み・交流会など、現地の生の闘いがフィルムからよく伝わった。
 続いて講演が二つ。最初に、「新たな基地をつくらせないために 辺野古の闘い」と題して、まよなかしんやさん(一坪反戦地主会浦添ブロック事務局長・那覇軍港の浦添移設に反対する会事務局長)が講演。
 しんやさんは、「八月十三日の米軍ヘリ墜落事故の報道では、沖縄と本土では温度差があった。沖縄の新聞では一面全面トップであるが、本土では一面の一部であったり、テレビのニュースでは沖縄はトップなのに、本土のある番組では五番目の報道だった。」「九日のボーリング調査強行では、防衛施設局は正々堂々と行なうと言っていたのにウラをかいて、南部の馬天港から作業船を出港させた。予定地に五十四のブイを落としたが、台風対策のためにすべてのブイを引き上げざるをえず、もとの状態にもどった。」と語った。アメリカでのジュゴン裁判などの具体的報告もあり、力強い講演であった。
 次に、「へり墜落事故 地位協定から見た問題点」と題して、海老原大祐さん(米軍人・軍属による事件被害者の会共同代表)が講演。「ヘリ墜落事故では、米軍の対応は、現在の日米地位協定においても違法であり、違反している。地位協定の空洞化であり、地位協定はあってないようなものである」と糾弾した。
 関西の地でも、自衛隊イラク派兵反対・米軍基地反対を訴え、沖縄民衆の反戦反基地闘争に連帯して進んでいこう!(関西N通信員)