9・12宜野湾市民大会、9・26県民大会に連帯
  普天間即時閉鎖・海上基地阻止を

 普天間基地の米軍大型輸送ヘリコプターCH53Dが八月十三日、普天間基地そばの沖縄国際大学に墜落した大事故は、もはや政治的立場を超えて、普天間基地閉鎖と県内移設の撤回がただちに求められていることを明らかにした。
 事故の性格は本質的に、一九五九年に児童ら百三十八人を殺傷した石川市宮の森小学校米軍機墜落事件と同じである。今回、市民が殺傷されなかったことは奇跡であった。
 この大事故に強く抗議する地元・宜野湾市の市民大会、「米軍へり沖縄国際大学への墜落に抗議し、普天間基地の早期返還を求める宜野湾市民大会」は九月五日の予定が、台風直撃によって九月十二日(沖縄国際大学グラウンド・午後二時)に延期となった。伊波市長、市議会、市民総ぐるみによるこの市民大会は、一九九五年の少女暴行事件に抗議し基地撤去を求めた県民総決起大会に政治的に匹敵するものとなるだろうし、なるべきである。
 宜野湾市民大会実行委員会のチラシは、こう呼びかけている。「またしても県民の命と暮らしを恐怖に陥れる重大な事故が発生しました。一九九五年のあの忌まわしい事件を思い起こしてください。もうこれ以上黙ってはおれない! 日米両政府に県民の怒りの声をぶつける市民大会にこぞって参加しましょう」と。
 九五年の県民総決起大会と当時の大田昌秀知事による米軍用地強制収用代理署名の拒否は、沖縄民衆闘争のいわゆる「第三の波」となって日米両政府を追いつめた。沖縄民衆の九五年県民大会は、鈍感な「本土」民衆にも大きな衝撃を与え、運動の発展を刺激したのであった。しかし主要には「本土」での闘いの弱さによって、普天間基地などの無条件撤去ではなく、普天間基地は七年以内に返還するが県内移設である、という日米SACO合意が押し付けられたのであった。
 普天間基地の名護市・辺野古への県内移設策動(移設というが、滑走路が拡張された新基地・巨大基地の建設である)は今、四月十九日から続く辺野古座りこみによってそのボーリング調査工事が阻止されているが、七月参院選沖縄選挙区での全野党統一候補・糸数けい子の圧勝によって、すでに政治的には破綻しているものである。今回の米軍へり墜落は、糸数に反対した人々、県政与党にも普天間県内移設の見直しを迫らざるをえないものとなっている。
 米軍へり墜落以降、もともと県内移設容認せずの宜野湾市はもちろん、多くの市町村議会が次々と県内移設「見直し」を求める抗議決議を上げている。米軍の巨大ヘリが市街地に落ちても、急遽上京した伊波市長に夏休みだといって会見すらしなかった首相小泉、この沖縄民衆の命を何とも思っていない日本政府に対して、沖縄民衆が小異を残して大同団結して闘うべき情勢が急速にひろがっているのである。
 しかし八月十七日の沖縄県議会での抗議決議では、稲嶺与党の頑なな態度によって県内移設「見直し」へ踏み込むことができず、普天間基地機能の縮小・分散要求でお茶を濁している。県内移設論は、海上基地への移設が完成する十六年もの間、普天間基地の回りの住民の生命を脅かし続けるということに他ならない。数年間であっても、もう我慢することは危険すぎる。だから「早急な移設を」と言う稲嶺知事は、移設先の住民の命をどう思っているのか。しかし、沖縄県政が、あくまで沖縄に米軍基地を押しつけ続けようとしている日本政府の代理人を務めている現状は、もう長く続くものではない。県政の転換が突き付けられている。
 来たる9・12宜野湾市民大会に続き、二週間後の日曜日には、かねててから予定されていたものであるが、基地の県内移設を許さない県民会議などが主催する9・26県民大会(北谷球場広場・午後一時)が開かれる。この二つの大きな大衆行動は、まさに県民が一丸となって闘うことを求め、稲嶺県政に「転換」を求めるものとなるだろう。日米両政府に基地撤去を求めて、沖縄人は総団結しようという場になるだろう。
 沖縄のこの動きに恐怖し、慌てているのが、日本帝国主義の政府・小泉連立政権である。
小泉政権の米軍ヘリ墜落に対する乗り切り策の基本は、地位協定論議(しかも運用改善のみ)に課題を切り縮め、逸らし、基地の存在そのものは結局あいまいにしていくことである。政府・防衛施設庁は那覇防衛施設局を叱咤して、参院選で敗北し米軍ヘリが墜落した状況下にもかかわらず、いやそれだからこそか無謀な行動に駆り立てている。
 九月三日、防衛施設局は東海岸・久志十三区で形だけの調査工事「説明会」を強行した。名護市民・辺野古住民の圧倒的抗議に包囲されたことは言うまでもない。
 政府・防衛施設局は、この「説明会」をアリバイに、なんと九月六日から調査工事の再開を強行せんとした。この日には台風直撃で止まったが、九月八日頃にも強行しようとする動きが伝えられている。これは、まさに言語道断、絶対に許されないことである。県民が二つの大会を準備し、島ぐるみで県内移設見直しを求めているその時に、暴力で座りこみを排除し移設を強行しようとは何たることか!
 政治常識でも考えられないような暴挙を、小泉・日本政府がやろうとしている。政府の暴挙は、しかし基地容認勢力の動揺をすすめ、沖縄民衆の総団結を促すだけである。問われているのは、日本政府の足元の「本土」民衆の闘いだ。
 九六年十二月には、「本土」での闘いの弱さによって、SACO合意という欺瞞的落とし所を許してしまった。もう、中途半端な決着は許されない。普天間基地の即時閉鎖・返還と県内移設白紙撤回しか答えはない。ふたたび鈍感となっている「本土」世論を塗り替え、
宜野湾市民大会と県民大会に連帯し、ボーリング調査工事を何としても阻止し、沖縄軍事基地撤去闘争を前進させよう!
 

 沖縄選出国会議員6氏が呼びかけて
 8・26米軍ヘリ墜落抗議国会集会

   「本土」でも全野党共闘を

  米軍ヘリ墜落に抗議する東京での主な動きとしては、八月二六日に衆院議員会館で、沖縄選出国会議員六名の呼びかけによって緊急抗議国会集会が開催され、会議室に入れない四〇〇名もの人々が結集したこと、また翌二七日には三河台公園で、「辺野古海上基地阻止!米軍ヘリ墜落抗議・普天間基地返還!」要求集会が、辺野古への海上基地建設・ボーリング調査工事を許さない実行委員会の主催で開かれ、三〇〇名が米大使館へ抗議デモを行なったことである。
 前者の国会集会の呼びかけは、社民党が照屋寛徳衆院議員、東門美津子衆院議員、大田昌秀参院議員で、共産党が赤嶺政賢衆院議員、民主党が喜納昌吉参院議員、無所属が糸数けい子参院議員の六議員である。
 全野党の沖縄選出議員が、この集会を共同で呼びかけた意義は大きい。糸数さんが沖縄選挙区で全野党共闘で圧勝した成果をうけつぎ、米軍ヘリ墜落抗議・普天間基地即時撤去・県内移設阻止の具体的行動としてもそれをすすめていくものである。沖縄選出国会議員の共同呼びかけを、今後も「本土」の行動においてやってもらうことは、「本土」での反基地・沖縄連帯の政治的共同を広げるうえで非常に有利である。
 ところで喜納議員所属の民主党はどうなのか。民主党は七月参院選でのマニフェストにおいて、「米軍の在外基地の再編の機会にあわせ、在沖縄海兵隊基地の国外への移転を目指します。普天間基地の返還については、代替施設なき返還をアメリカに求めます。」としている。この限りではまったく正しい政策である。
 民主党の問題は、九月に入って岡田代表が沖縄に行ったが、沖縄向けのリップサービスに終わっていることだ。「本土」で民主党支持の労組などに、この正しい政策を真剣に訴えたことがあるのか。民主党内の真面目な人々が、この立派な政策を現実の運動としていくことを期待したい。(A)