沖縄
  糸数圧勝で県民の審判は下った!
    新基地断念を迫って

 参院選沖縄選挙区では、全野党統一候補の糸数けい子が、自民・公明の翁長政俊に圧勝し、間髪を置かず、名護新基地建設の断念を求める諸行動がおしすすめられている。
 糸数 316148
 翁長 220803
 九万五千票の大差で圧勝、名護市でも一千余の差をつけている。九八年知事選での大田敗北以降の流れは、ここに逆転された。選挙としては、十一月の那覇市長選が注目される。
 海上基地阻止の闘いでは、「県内移設反対」の糸数勝利の成果を打ち固める行動が、十五日には名護市民集会、十六日には那覇で諸行動が展開された。糸数新議員も参加しての、防衛施設局交渉、稲嶺県政への要望書提出、県庁前の県民広場での「県民の審判は下った!海上基地の断念を求める緊急集会」とデモが行なわれた。
 そして七月二七日、ボーリング調査工事を四月十九日以来座り込みで阻止し続けて100日目のこの日、現地で「基地建設阻止座りこみ100日集会」が行なわれ、約六百名が辺野古の浜をおおった。選挙に完敗した日本政府と那覇防衛施設局はただちに、ボーリング調査工事の中止を表明せよ!
 右に転載する「座りこみ100日集会アピール」は、糸数圧勝などの成果をふまえて発せられた、全県民・全国民・全世界へのアピールである。(編集部)
 

7・27辺野古
  新基地建設阻止座りこみ
      100日集会アピール


去る四月十九日早朝に那覇防衛施設局によるボーリング調査を阻止し、座り込みを行ってから本日で一〇〇日を数えました。
 この一〇〇日間、私たちは基地建設は絶対に許さないとの思いを込めて、猛暑の日も雨の日も、台風襲来の日も一日とも欠かさず座り込みを続けて来ました。この先頭に立って頑張ったのが辺野古のおじーおばーたちでした
 おじーおばーたちは、工事を強行しようとする那覇防衛施設局職員に対し、ときには「どうしても工事をするというなら私を殺してから行きなさい」と立ちはだかり、ある時は「戦前戦後、何もないときも海のものを食べ子や孫を育ててきた。この豊かな海に基地は絶対につくらせません」と詰め寄り、辺野古の海に一歩たりとも踏み込ませませんでした。
 おりしも、座り込みの最中に行われた参議院選挙では、新基地建設反対と普天間基地の無条件返還を掲げた糸数慶子さんが基地建設推進の候補者に大差をつけて圧勝した。その直後に、宜野湾市の伊波市長が訪米し普天間基地の早期返還と辺野古移設反対を訴えアメリカ政府をゆり動かしました。又、世界中から一五〇〇人が参加して開かれた「第10回国際サンゴ礁シンポジューム」でも、さんご礁を破壊に追い込む新基地建設問題が大きくクローズアップされました。
いま、おじーおばーを先頭にした私たちの行動は、全県民、全国民、いや全世界の人々に大きな共感の輪として広がり続けています。
 先日のマスコミによる世論調査でも普天間基地の県内移設反対が6割を超え、辺野古移設賛成はわずか7%に過ぎない結果が判明しました。一九九七年の名護市民投票で示した「名護移設反対」の民意は沖縄県民の確固たる民意として輝き続けているのです。もはやいかなる理由を持ってしても県民の意思を無視したり抑えつけたりすることは許されません。
 一方、アメリカ政府からも「見直し」を求められていながら、日本政府と稲嶺知事、岸本市長がいまもなおしがみついている「SACO合意」は今や完全に形骸化していることは誰の目から見ても明白です。
 来年は戦後六〇年を迎えますが、沖縄にはいまも全国の米軍専用施設の75%が集中しています。私たち県民は、もうこれ以上軍事基地の犠牲を受けるわけには行きません。イラクの人々、世界の人々を殺戮する軍事基地を作らすわけには行きません。私たちは命をかけて豊かな辺野古の海を守ります。命をかけて戦争の為の軍事基地建設を阻止します。これが私たちの願いです。私たち県民の使命です。
 本日の座り込み一〇〇日にあたって、私たちは県民の頭越しに基地建設を強行しようとする日米両政府と稲嶺知事、岸本市長に強く抗議するとともに建設を断念させるまで断固として座り込みを行っていくことを改めて表明します。
 そして全県民、全国民に対して新基地建設反対に立ち上がるように心から訴えます。
                         二〇〇四年七月二十七日 
               名護ヘリ基地反対協議会
               基地の県内移設反対県民会議