7・10第7回釜講座
   釜ヶ崎と「教育以前」の子供たち
  子供も高齢者も住める街へ

釜講座
 七月十日、午後六時半より、大阪市中央区のエル・おおさかにて、「釜ヶ崎講座第七回講座の集い」が開かれた。演題は「釜ヶ崎と『教育以前』の子供たち」というもので、講師は小柳伸顕さんだった。小柳さんは、現在、釜ヶ崎キリスト教協友会の中心であり、長らく「医療連絡会議」の活動も担って来られた方である。
 今回は、「釜ヶ崎一〇〇年 過去・現在・未来」と題して、一九〇三年内国勧業博覧会が今の天王寺公園で開かれた時、天皇の通過道にあった長町の木賃宿が強制的に現在の釜ヶ崎に移住されてからの、百年の歴史を種々な角度から考えていこうとする「釜ヶ崎講座」の釜ヶ崎百年シリーズの三回目であった
 小柳さんは、以下のように語った。釜ヶ崎の歴史の中で、出発が、内国勧業博覧会の際、天皇の通り道で見えるからと移住させられた事の様に、天皇制と不可分である事を忘れてはいけない。各国のスラムでも国際会議があると排除される事が多かった。その勧業博の時「人類館」事件があり、アイヌや、沖縄等の人々が「展示」される事があった。問題は、その時沖縄の人達が「アイヌと一緒にするな」と、差別されている下の者が、更に下を差別する構造の問題であり、今なお、この問題は続いている事である。
 更に、釜ヶ崎での学校を考える時、一九一一年に建てられた私立徳風学校、有隣学校の事をまず考えてみなくてはならない。両校とも一九一一年の「大逆事件」という社会運動への大弾圧の中、一方で「救民救済」の勅語が発せられ、全国に恩賜財団済生会病院が作られ、他方、「細民調査隊」が大阪、東京で作られ警察官が「スラム」の調査を行ったことである。この十一年に有隣・徳風学校が、民間の工場の経営者の篤志として建てられたのであった。当時の警務長と難波署長があたったといわれており、治安対策として位置づけられていたのである。ただ、当時の子供たちの「生活」をみなくてはならず、給食があり、風呂があり、衣類を配り散髪があった事など、戦後のあいりん学園にも引きつがれる面をもっていた。
 市立あいりん学園は、六十〜六一年の安保闘争といわゆる釜ヶ崎第一次暴動の後、西成署の防犯コーナーが調査をして地区内に約二百名もの未就学の子供達がおり、昼間から遊んでいると、対策が検討され、六二年に西成署の裏手に、プレハブ校舎で始められた。まもなく現在の市立更生相談所の建物の三〜五館に移り、屋上が運動場だった事、大阪市立の小中学校でありながら、独自の校舎を持つこともないとの教育委員会の対応だった。七三年にやっと新校舎が建設され、新今宮小中学校と名称も変わった。当時の子供たちには、戸籍がなかったり、出生証明をもらうため出産場所を確かめに問合せをするなど、福祉と教育の間の中にあり、「教育以前」の状態だった。八四年に廃校になったが、その校舎は現在「三徳寮」として、地域の高齢労働者の施設として生きている。現在は「子供夜まわり」を横浜での野宿者襲撃事件から始め、新たな、釜ヶ崎での子供から高齢労働者の生活する街として考えていこうとしている。
 小柳さんは、釜ヶ崎の中で、子供達がおかれた状況の中から、「釜ヶ崎」の労働者、親子、家庭の問題をひもといていった。
 いままでの講座のテーマとは違ったテーマであり、会場から熱心な質問が出された。
 集いは、続いて、釜ヶ崎反失連の原林さんが「釜ヶ崎反失連で物づくり作業を試行中で、竹細工グループ『翁』が発足、先行して試行を始めた。少しでも『仕事を作っていく』ことのひとつとして、検討しています」と、作品を紹介しながらアピール。会員でもあるますだけいこさんが、ドキュメント映画『あしからさん』についてPR。「三年間、人としてのつきあいの中から、路上生活のあしからさんを同じ目線で映しています。是非、見にいきましょう」と、アピールした。
 集いは最後に、釜ヶ崎反失連の山田実さんから、現在の反失業闘争の報告があった。「各自治体で実施計画が次々に発表されている。しかし、『公的就労』を握る予算は今年度三十億程度しか組まれていない。全国二万五千余名と発表された野宿者の抜本対策を得るためには年二百億、五年間一千億円をホームレス対策基金として予算化を要求していくため、NPО釜ヶ崎、新宿および北九州のホームレス支援機構と共に、国に対する請願署名運動に取組んでいます。協力を!」とのアピールがあって、閉会した。
 釜ヶ崎では、八月十三〜十五日まで夏祭りが行われる。釜ヶ崎講座も、恒例の「釜講座夏祭りツアー」を十五日、午後三時より、三角公園ヤグラ下に結集し、案内人(未定)により、釜ヶ崎の現状を見、夏祭りを労働者と共に楽しむ予定。釜ヶ崎の熱い夏が続く。                              (関西S通信員)
 映画 「あしからさん」 ドキュメント映画・監督 飯田基晴  ビデオ七三分
 (大阪七月三十一日より、十三・第七芸術劇場にて)