「救う会」の内紛に思う
  日朝正常化への転回
    左翼には何が問われているのか

(1)


 小泉再訪朝によるピョンヤン宣言の再確認は、東(北東)アジア共同体の形成において主導権を確保する・そこにおいて先行する中国との関係において立ち遅れを巻き返すというわが国ブルジョアジーの帝国主義的決意に裏打ちされた行動だった。日本帝国主義はいつのまにか、日朝国交正常化なしには、中韓―ASEANがそれに向かって動き出した東(北東)アジア共同体形成の流れから取り残されてしまう瀬戸際に立たされていたのである。日帝は、イラクに足を取られ朝鮮でもう一つの侵略戦争をやるだけの余力を失いつつある米帝の同意を取り付け、米帝の影響力の確保に貢献する仕方で、このアジアの流れに乗って主導権を獲得する道へと踏み込んだのである。
 この日帝主流の政治決断は、対北制裁が高じることで戦争への不安を感じ始めていた民衆の広範な支持を取り込むとともに、この間、拉致問題を利用して反共和国・朝鮮排斥を扇動し、米帝の反テロ先制攻撃戦略の下でのわが国の侵略国家化に多大の寄与を為した「救う会」を窮地に陥れ、会長の佐藤勝巳による一〇〇〇万円着服事件の内部告発を誘発し、内紛の渦中に投げ込んだのだった。また「家族会」も、本来の目的を忘れ、「救う会」に同調して共和国に対する制裁と金正日政権の打倒とを自己目的としてきた中心部分が民衆に拒絶され、路線的混迷と分散化の危機に陥ったのだった。とりあえずは、政府にとって用済みというところか。
労働者階級・人民にとっては、歓迎すべき大きな政治的転回ではある。

(2)

 ここで左翼は、次の二つの課題に当面している。第一は、アメリカから発する朝鮮侵略戦争の策謀にリンクする共和国制裁推進勢力の没落に助力し、歴史問題の克服と他民族排外の否定とを不可欠とするブルジョア的北東アジア共同体の形成を、階級的立場から支持する課題である。第二は、同時に今から、北東アジア共同体と対決できる政治的質をもった労働者階級・人民の国際的運動を創造・発展させていくことである。
 第一の課題は、いまだ重要である。
 ブルジョア的北東アジアに乗り遅れまいと日帝主流が推進する政治的流れは、超大国アメリカの許容範囲と国内右派世論の消長に左右され、いまだ不安定な段階にある。なによりも米帝による朝鮮侵略戦争の危険は、無くなってはいないということである。北東アジアの民衆の交流と連帯を広げ、日朝国交正常化を闘い取り、南北朝鮮の自主的平和統一の機運とともに高まる北東アジアの平和を確かなものとしなければならない。
 左翼の一部には、小泉再訪朝によるピョンヤン宣言の再確認に対して、朝鮮侵略戦争のための策謀だと強弁し全否定する態度がある。これは、日朝国交正常化と北東アジアの平和の実現を阻害することでかえって、対北侵略の推進勢力を喜ばせる態度である。また左翼の一部には、共和国の民主化を前面に押し出す態度もある。これも、民主化を大義に掲げた侵略戦争という、アメリカを策源とする危険を覆い隠し、客観的にこれに連動する態度になってしまい、日朝国交正常化と北東アジアの平和を闘い取るという現下の課題を後景化するものであるだろう。
 第二の課題は、形成されるブルジョア的北東アジアの爆砕を今から準備するという課題であり、日朝国交正常化と北東アジアの平和のシステムが実現されていくと共に重要性が増大していく課題である。「反グローバリズム運動」のアジア的発展ということになるだろう。
 
(3)

 小泉再訪朝と「救う会」の内紛に象徴される政治的大転回は、たしかにわが国の労働者階級・人民にとって好ましいものではある。しかし、それは、日帝主流の圧倒的な主導権で為されたものである。戦列の再構築に立ち遅れている労働者階級・人民は、「戦争」か「平和」か、いずれにせよブルジョア的選択肢以外の選択肢をまだ持てない立場にある。北東アジアを血と憎しみの海に沈める戦争か、諸国人民の国境を超えた交流と政治的自由の拡大に道を開く(奴隷の)平和か、とりあえずは後者をたたかいとり、「次」に備えるということになるだろう。
 戦術的に難しい局面に入っていると言える。(M)