軍事常識から「多国籍軍」を評す
  非常識で、既成事実積み重ね

 米英によるイラク暫定占領当局(CPA)は、六月二十八日、急きょ予定を前倒しして、イラク暫定政府に主権を形式的には移譲した。突然の移譲式は、CPA本部ににブレマーCPA代表、イラク暫定政府のヤワル大統領、アラウィ首相などわずか六人の関係者が集まり、たったの五分という短時間で終わり、その後ただちに占領者代表ブレマーは、飛行機でイラクを立ち去った。イラク人民の誰一人事前に知らされもしないで、しかも前倒しでコソコソ行われた主権の移譲は、この間全世界に暴露された米英軍の大義なきイラク侵略を象徴するできごとである。
 国連代表の工作をも押しのけて、アメリカの息のかかったイラク人を暫定政府の要人に任命して出来上がったイラク暫定政府が、イラク人民全体の希望と利益を代表するものでないことは明らかである。約十六万の侵略軍の駐留、約二〇〇人のアメリカ人政府顧問の送り込み、約一七〇〇人という世界最大のアメリカ大使館の陣容など、実質的にアメリカの占領は継続しているのである。
 世界の多くの人民の反対にもかかわらず挙行されたイラク侵略は、フセイン独裁政権を打倒した後も、占領軍の横暴をむき出しにして、万余のイラク人を殺し、多くの人々を虐待している。イラク人民の武力抵抗の拡大、それにあまりにも暴虐な占領統治が天下に暴露され、占領軍は世界的に孤立した。ブッシュ大統領の再選もあやうくなってきた。こうした状況が日にちにつよまる中で、アメリカ帝国主義は直接占領を間接占領に切り替えざるを得なくなったのである。
 形式的ではあれ主権移譲が行われたのを受けて、日本政府は二十八日夜の持ち回り閣議によって、イラク暫定政府を承認した。また、主権移譲で占領軍が多国籍軍に切り替わったが、小泉政権はイラクで活動している自衛隊を多国籍軍にただちに参加させた。それに先立ち、六月八日の日米首脳会談で、小泉はすでに多国籍軍参加を表明しており、十八日にはなんと閣議決定で多国籍軍参加を決定しているからである。これら一連の強行的態度には、アメリカとの軍事同盟強化を目にみえる形ですすめ、あわせて今後の自衛隊の多国籍軍参加・集団的自衛権の行使の地ならし、という政治的狙いが濃厚である。
 この際、小泉ら政府要人は、“多国籍軍には参加するが、指揮は受けない。自衛隊の指揮は、日本にある。”などという奇弁を弄した。これは世界的な軍事常識からすれば噴飯ものである。では何故このような奇弁を弄するのだろうか。
 それは、いかにこの間、むちゃくちゃな論理で自衛隊の海外派兵の既成事実を積み重ねてきた自民党政権であっても、武力行使と一体となった行動までは、彼らの「論理」をもってしても正当化できないからである。それには憲法改悪が必要だからである。
 だが果たして、武力行使と一体にならなければ、何をしても許されるというか。このような考え方こそ、軍事的な初歩的常識をも歪曲するものである。
 世界的にみれば軍事的非常識として嘲笑される、このような論理は、アフガン侵略の時のテロ特措法、初の自衛隊戦地派遣となったイラク特措法でもベースとなった考え方である。こうした論理で、戦争のできる国家体制作り、憲法改悪が着々と推進され、既成事実の積み重ねとなっているのである。
 だが、“武力行使と一体にならなければ、何をしても許される”という論理は、全くのまやかしである。たとえば、銀行強盗の例を考えてみよう。銀行強盗は、実際に銀行に押し入り強盗する実行犯だけで成り立ちうるものではない。計画全体を構想し、強盗活動全体を統御する活動、見張り活動、逃走活動の援助などさまざまな活動が不可欠である。したがって、これらの活動の一部でもになった者は、犯罪者である。だが、小泉政権の論理は、銀行襲撃の実行犯以外はすべて免罪されるという論理である。
 国際的にみて、武器の補給、兵士の食料確保など戦闘活動を維持する継戦能力は、いかなる軍隊においても極めて重視される部門である。現にかつての中国人民解放軍では、総政治部、総参謀部とともに総後勤部は、三大部門の一つをなしていた。日本の歴史では、大部隊の持久戦が少なく、奇襲など短期決戦を得意とする傾向が強く、したがって兵站部活動が軽視される傾向が今でも強い。したがって、兵站部活動も軍事活動の一環であるという常識が無視されるか軽視されている。これを利用して、武力行使と一体にならなければ、自衛隊の海外派兵は許される、という軍事上の非常識が、政府サイドから宣伝され、世の中に流布されているのである。
 小泉政権は、国際世論だけでなく、国内でもイラク侵略に反対する世論がつよまることを踏まえて、論点をはぐらかすためか、自衛隊の派兵の目的を「イラク人道復興支援」なるものにある、と繰り返し宣伝している。だがそれは、あくまでも自衛隊の兵站活動を後景に隠し、論争点からはずすためのものでしかない。
 また、「イラク人道復興支援」といっても、侵略軍と連携した支援と、侵略軍反対の立場からのNPOなどの人道復興支援とは、その性質が全く異なるものであることはいうまでもない。小泉政権の「イラク人道復興支援」なるものが、米英などのイラク侵略(イラクの石油利権を狙い、中東の政治情勢をイスラエル、アメリカにより有利に転換させるための侵略)を側面援助するためであることは、誰がみても明らかである。
 軍事常識を歪曲したうえでの自衛隊イラク派兵、閣議決定での多国籍軍への参加が、明確に戦争のできる国家づくり、憲法改悪を射程にいれたものであり、そのために強引に既成事実を積み重ねているのである。「イラク人道復興支援」なるものは、この狙いをかくすための煙幕でしかない。
 多国籍企業の国境を越えた利潤追求の競争が国際的に熾烈となり、かつてのような内政不干渉という原則もアメリカ帝国主義はかなぐりすてて、資本活動の「安全」なるものを「対テロ戦争」を大義名分に強引に推進している。バブル崩壊以降、本格的に多国籍企業活動をつよめる日系多国籍企業の「安全」のために、日本帝国主義も自前で戦争ができる国家づくり、憲法改悪にまい進しているが、イラク侵略に便乗した自衛隊イラク派兵はまさにその絶好の機会なのである。「イラク人道復興支援」などというごまかしの政治宣伝に惑わされてはいけない、のである。 (T)