韓国総選挙
 民主労働党、ウリ党が大躍進
   北東アジアの平和実現へ画期

 四月十五日に行われた韓国総選挙は、韓国民衆のみならず、北東アジアの平和と安全ということからも世界中の注目を集めた。また三月十三日に韓国国会で多数を占めていた野党ハンナラ党、民主党により強行採決されたノ・ムヒョン大統領の弾劾訴追に対する、韓国民の審判という側面が強くはたらいた。
 結果は日本の右翼やマスコミや米帝ブッシュ政権を震撼させ、失望させるに充分なものであった。朝鮮半島の統一と韓国の改革を公約とする与党「開かれたウリ党」が、改選前の三倍以上の過半数一五二議席(定数二九九議席)を獲得し、さらには進歩政党として四十三年ぶりに、民主労働党が十の議席を獲得した。しかも民主労働党は、比例区では一二・九%の得票を獲得し第三党へと躍進した。
 反共反北を標榜した独裁政権下では、統一と韓国の民主化を闘う民族民衆の進歩勢力は、過酷な弾圧を受け、制度圏への進出は不可能であった。韓国民衆の不退転の闘いによって、軍事独裁政権を打倒した民衆抗争を経て、初めて韓国民衆に根ざした組織的な労働組合運動、在野民衆運動等が系統的に結び付けられ、初めて制度圏進出が可能となる民衆の統一戦線が形成されつつある。民主労働党から立候補した百数十名の人々は、民主労総を中心とする労働運動の活動家や全農を中心とした農民活動家、そして全国連合などの在野民族民衆活動家などであり、十名の当選者はコン・ヨンギル氏、タン・ビョンホ氏を始め民主労総の中心幹部、全農出身の二名の農民活動家が含まれ、この傾向を顕在化している。大統領と与党の新自由主義的改革に対して、強い対抗力となるだろう。もちろん統一運動にとっても中心的な存在となるのは明らかである。
 ではなぜこのような劇的な選挙結果が導き出されたのだろうか。
 問題の契機は、ノ・ムヒョン大統領当選以降、当時与党であった千年民主党内部で改革派とみなされるノ大統領支持の若手議員と、前大統領キム・デジュン氏支持派に分かれ対立が続いていたことに始まる。昨年十一月には、大統領支持派が民主党を大量離党し、開かれたウリ党を結党するにいたり、ノ・ムヒョン大統領を追い落としたい守旧保守派のハンナラ党は、同じ保守の民主党を抱え込み弾劾訴追案を提出し、韓国憲政史上はじめて大統領の職務停止を計ろうとした。ノ・ムヒョン氏は、大統領審判の国民投票を提案し対抗しようとしたが、ウリ党は当時国会の五分の一にも満たない少数与党で、弾劾訴追案はついに国会で可決され、大統領の職務権限が停止され、首相が職務執行を代行するという異常事態となった。
 二〇〇二年に、韓国民衆のインターネットを始めとする、草の根の運動によって大統領選に勝利したノ・ムヒョン氏は、今回の総選挙においても再び民衆主導のこの手法を手に入れることができた。弾劾訴追後、韓国全土で韓国軍イラク追加派兵反対の反戦デモと相まって、弾劾訴追反対のキャンドルデモが連日行われ、日に日にハンナラ党と民主党が追い詰められていった。
 今回の韓国総選挙の結果は、六者会談を始め北東アジアの平和の問題にとって大変有利な情勢を作る可能性が出てきた。ウリ党、民主労働党の大躍進によって朝鮮半島の統一と平和が飛躍的に前進する可能性を秘めている。キム・デジュン政権時代にも、そうして総選挙前のノ・ムヒョン政権においても、統一政策を推し進めるにも議会での保守守旧勢力が多数を占め、法案審議さえもままならない事態が続いた。その典型が、日帝支配下の悪法・治安維持法をそのまま引き継ぎ、南北分断政策の武器となった国家保安法改廃審議がいっこうに進まなかったことであった。
 今こそ韓国民衆と連帯し、日本の戦争戦後責任を徹底的に追求し、朝鮮半島の平和統一を支持し、北東アジアの平和と民衆連帯をかち取ろう。 (Ku)

4・23韓国良心囚支援集会
  国家保安法撤廃へはたらく選挙結果

 韓国良心囚を支援する会全国会議は、四月二十三日、東京・文京シビックンターで、二〇〇四年全国運動出発に当たって、「国家保安法を撤廃し、良心囚を釈放しろ! 韓国良心囚支援集会」をおこなった。
 尹健次(ユン・コォンチャ)神奈川大学教授が、ソン・ドゥユル教授事件と四・一五韓国総選挙についての講演をおこなった。
 ソン・ドゥユル教授は、昨年九月に「北の工作員」という容疑により逮捕され、三月三十日に七年の刑がソウル地裁で出された。ソン・ドゥユル事件こそは、最期の国家保安法による被害事件であると指摘し、また先の総選挙の結果により、韓国の民主化の進展過程に国家保安法問題は規定されると述べた。
 また尹教授は、日本の戦後憲法制定過程における在日朝鮮人問題にふれ、運動圏における人々の歴史認識の欠如について鋭く指摘した。 (東京Ku通信員)