東京
日比谷公園三万人はじめ、計六万人が決起
  冷雨ついて反戦の大結集

 三月二十日のイラク攻撃一周年の日、朝からの冷雨が終日続くという天気であったが、お昼には東京・日比谷公園一帯は約三万人の人々の傘で埋め尽くされた。
 日比谷野外大音楽堂ではワールド・ピース・ナウ実行委員会の主催による、終わらせようイラク占領!撤退させよう自衛隊!のスローガンを掲げた大集会。ここは、ほとんどが市民団体と個人。喜納昌吉ライブに続き、イラクで医療支援などを続ける日本国際ボランティアセンターJVCの熊岡路矢さん、横須賀在住で米軍人家族の会MFSOのロバート・スミスさん、日弁連の藤原真由美さんらが、それぞれの立場から占領反対・自衛隊撤退を訴えた。
 大音楽堂ステージの背後の公園では、自治労や日教組などを主力とする平和フォーラムが大きな独自集会。その側では、全労協の各労組、中小労組、全国ユニオン・ネットワークなどの部隊が一帯を埋めている。
 公園反対側の小音楽堂では、陸海空・港湾労組二十団体が呼びかけた「平和コンサート」が開かれており、ゴッド・プレス、横井久美子さんらの反戦の歌や演奏。その前の噴水広場一帯は、運輸交通・港湾・医療など、このかん労働者の戦争協力に反対して共同してきた労組・市民・宗教者の人々が埋め尽くしている。
 日比谷図書館の横では、劣化ウラン(DU)兵器禁止・市民ネットワークをすすめてきた人々による「人文字行動」の独自集会。福島瑞穂参院議員も挨拶し、米軍がサマワでも劣化ウラン弾を使ったことを川口外相が十二日の国会で認めたと報告。雨で地面の白線が消えてしまう困難もあったが、一時過ぎには「NO DU」の人文字作りが四百人ほどによって成功した。
 これら以外にも日比谷公園一帯で、中小規模の独自集会など多くの動きがあった。最悪の天候であったが、ここで派兵反対の運動をしぼませてはならないという一人ひとりの思いが、冷雨を突いた大結集を実現したのではなかろうか。
 結集した三万人は午後二時過ぎには、雨を吹き飛ばして順次パレードに出発し、銀座・東京駅方面へ「占領反対・自衛隊撤退」を訴えて行進した。
 なお、全労連など日本共産党系の諸団体は、日比谷とほぼ同時刻に「3・20国際共同行動in芝公園」を開催し、これにも約三万人が結集した。(事前には、日比谷公園での共同集会あるいは合流が折衝されたが、不明確な事情で別集会となった)。したがって3・20世界一斉反戦行動の東京での参加者数は、六万人となる。
 イラク反戦の闘いはこのように、低くはない水準で持続している。さらに前進しよう。東京での次の大きな行動は、四月九日(日比谷野音)と五月二十一日(明治公園・午後六時半)の両日に、陸海空・港湾労組二十団体などの呼びかけで開かれる「守ろう!平和といのち大集会――自衛隊のイラク派兵NO!STOP!有事法制」である。(東京W通信員)

大阪
 扇町公園一万人はじめ、計二万人が決起
  日韓民衆が連帯

 三月二十日、「全世界一〇〇〇万人が立ち上がった日から一年、地球を再び反戦のウェーブが駆け抜ける! 大阪で一万人の大行進を!」をスローガンに、「イラク侵略から一年、自衛隊・占領軍の即時撤退を求める大阪集会」が、午後一時より、小雨の中、野崎公園において約一〇〇〇名を集めて開かれた。
 この集会は、「しないさせない戦争協力関西ネットワーク」に結集する労働組合(全労協系など)と関西共同行動に参加する市民運動・諸団体ほか、全体で七五賛同団体が、これまで三回の実行委員会を積み上げ、そして立ち上がったのだ!
 あいにくの雨ではあったが、全参加者の今日を、3・20を闘う雰囲気がグングン盛り上がるのを予感させられた。
 やはり若者の参加が多い集会は、活気に満ちている。
 集会では、冒頭、実行委員会を代表して馬場徳夫氏(大阪ユニオンネットワーク)が、「日付の関係で我々の集会が全世界で一番最初の世界統一行動となるであろう」と述べ、さらに「スペインは政権さえ吹き飛び、新政権は撤兵を約束した。我々も大衆運動の力で自衛隊の撤兵をかちとることが可能なのだ!」と結んだ。
 この後、「立川自衛隊監視テント村への弾圧に抗議する決議」を採択したあと、リレートークにうつり、新聞労連、自由法曹団、韓青同等が発言し、中でも釜ケ崎反失連は、一年以上に及ぶ中之島野営闘争への支援・激励に感謝を述べた。
 最後に、シュプレヒコールをあげ、すぐ隣の扇町公園の関西集会へ合流して行った。
続いて、午後二時からの本集会である。扇町公園では、既に午後一時より、自治労近畿地連による決起集会が前段で行われていた。
 本集会は、「──三・二〇世界の人々とともに──終わらせようイラク占領!撤退させよう自衛隊!関西集会」と名付けられ、「フォーラム平和近畿ブロック会議・近畿市民実行委員会」と、前述の野崎公園での市民集会を開いた「イラク侵略から一年、自衛隊・占領軍の即時撤退を求める三・二〇大阪集会実行委員会」の共催で行われ、約一万人の大集会となった。
 本集会は、藤原慎一郎さん(和歌山平和フォーラム事務局長)と尾辻かな子さん(大阪府議)の司会で行われ、主催者を代表して山田保夫さん(フォーラム平和近畿ブロック会議議長)と中北龍太郎(「しないさせない戦争協力」関西ネットワーク共同代表)が挨拶を行なった。来賓として高嶋良充参議院議員(民主)と稲見哲男衆議院議員(民主)が紹介され、米国のANSWERからの連帯アピールが読み上げられた。
 更に特別ゲストとして、韓国で三百五十以上の団体で構成されている「イラク派兵反対非常国民行動」の事務局長であるチョン・ヨンジュンさんが、「韓日民衆の連帯でブッシュ政権の暴走を止めよう」と特別報告を行った。
 続いて各団体のアピールに移り、大阪府教組の後藤なつきさんと「沖縄と共に関西連絡会」の服部良一さんが発言し、「ユース交流会」の青木孝嗣さんが「自分たちで自らの未来を切り開こう」とアピールを行った。集会アピールが西田一美さん(奈良平和フォーラム)により提案され、更に米澤修司さん(京都平和フォーラム)が団結ガンバローを行い、三時から三コースに分かれて、ピースウォークに移った。
 市民グループは、大阪城までデモを行った。釜日労、反失連の部隊のあとに、「釜ケ崎講座」の部隊の下に多くの人達が続いた。
 このほか大阪市では、日共系が大阪城公園で反戦平和の人文字を作るなどの集会を行い、これにも一万人が参加した。したがって、大阪での3・20の決起は、計二万人となる。
(大阪Sa、Si通信員)

 
沖縄
 イラク戦争NO!うまんちゅ大集会
  戦争は沖縄人の生存脅かす

 沖縄の3・20一周年行動は、人心が激変しつつあることを感じさせる。
 平和市民連絡会は前日と当日、浦添のアメリカ総領事館前で「イラク総攻撃一周年抗議集会」を開き約二百人が参加、攻撃開始の十一時三十三分に楽器や鍋を鳴らして抗議した。
 二十日午後からはスタイルをがらりと変え、那覇の繁華街・県民広場で演奏を主とした「イラク戦争NO!沖縄うまんちゅ大集会」が、通行人と一体となって盛大に開かれる。市民連絡会の常連はむしろ姿が見えず、今まで付き合いの薄かった人らが壇上にある。次期参院選挙候補・糸数慶子さん(社会大衆党)が司会をしている。喜納昌吉グループが積極的に関わっている。その後の国際通りのデモも、ロック調というか新スタイルである。通りの市民の声援も、これまでにないほど熱いものがある。
 この日は他にも、平和センターによる沖縄海兵隊指令部前での約三百人の行動、伊江島での阿波根昇鴻記念館の催し、統一連の渡辺治講演会、等々が行なわれている。
 しかし分散化の傾向で、本来大きな共同の媒介となるべき平和市民連絡会や一坪反戦地主会は、むしろ股裂きの状態。いまだ沖縄の運動はこの限界にある。ブッシュ化を深める小泉政権に痛打を与えるためには、ある場面では一つになり得る政治的能力が必要だ。その大同団結が見られた九五年の時よりも、主要矛盾としての沖縄人と日本政府との矛盾は、一層進行しているのであるが。沖縄での若年失業の膨大化、賃下げ・退職金不払い、琉球バスの全員解雇と、沖縄人の生活破壊が押し寄せている。市民運動は、こうした民衆の生活問題の土台にも立たなければ、相手にされなくなる。
 また、ブッシュのこのかんの戦争、小泉の戦争参加の情勢は、沖縄人の反戦のイメージを変化させつつある。「沖縄の地を戦争の基地に使わせない」という意味だけでなく、戦争が始まればその基地自身にミサイルが飛んで来るなどして「沖縄人が全滅する」というイメージを生じさせた。戦争の現実感が、沖縄人自身の再びの大量虐殺という危機感を呼び起こしているのである。
 ここ数ヵ月、いろいろな構想の集会が持たれてはいるが、沖縄人の生存権、日本政府のもたらす犠牲からの自衛権、沖縄人のアジア諸国民との共生観といった核心点を捉えているとは思えない。民衆の危機感に応える大きな団結が必要だ。
 ところが、日共は三月二七日、またしても参院分裂選挙を表明した。当選後は無所属とする条件を破ったとして社大党と糸数氏を攻撃している。自利を百%追求していれば、団結して日本政府と闘うことはできない。利敵行為である。
 市民運動の活動家のほうも、国際通りをデモするばかりでなく、下放して、見知らぬ市民たちと会話するようにしないと自己中心的になってしまう。日本政府と闘うために、何でも言い合えるが大きく団結はしていく沖縄のモデルを作っていこう。(沖縄T通信員)
 

東海
 津で三千人が!四日市、名古屋でも
   十数年来の反戦結集

 三月二十日。三重県・津市のお城西公園には小雨降る中、労働組合や市民団体の人びと三千人が結集し、占領反対・自衛隊撤退を求めるイラク反戦行動を行なった。集会は、平和フォーラム三重などが実行委員会を作った「ワールド・ピース・ナウinみえ」の一環として実行された。
 当日、雨降りとなったが、昼からステージではコンサートが行なわれ、会場をとりまくテントの中では写真展やバザーが開かれていた。午後二時から集会が始まると、労組ののぼり旗や市民団体のプラカードが次第に会場を埋め尽くした。津市でも反戦集会にこれほどの人が集まるのかと感動した。
 集会では、最近までイラクで取材していたジャーナリストの清水仁さんが、イラクでは死体が日常化してきていること、米軍が劣化ウラン弾を使っているので多くの人々が放射線被曝を受けていることなど、戦争の実情を報告した。
 集会後、市の中心街をデモ行進した。行進は延々続いて、地元ではこの十数年来、最大の反戦行動となった。多くの人々のイラク反戦の意志を感じることができた。
 県内では四日市市でも、市民団体の呼びかけで、二百人の人々が同市諏訪公園に集まり、駅前までイラク反戦を訴えて行進した。
 また名古屋市では、有事法制反対ピースアクションが三百人近く、愛労連を主力とした「イラク派兵反対、憲法を守れ3・20国際共同行動」が久屋大通公園に三千人を結集して気勢を上げた。(東海S通信員)


京都
 ピースアクションinきょうとに超党派の三千人
  「戦争の終わり」を始めよう

 京都では、「戦争の終わり」を始めようと、3・20世界同時行動デーに向けて市民、労働者、学生、宗教者らが様々な取り組みを重ね、当日を迎えた。
 時々雨の三月二十日、会場付近三ヵ所で情宣をしたあと、鴨川三条河川敷で「イラク戦争開始1年・世界同時行動デー ピースアクションinきょうと」が三〇〇〇人の参加で開かれた。主催は、STOP!イラク派兵・京都など党派を超えた様々な団体・個人による実行委員会。
 雨模様にもかかわらず、用意した虹の旗やバンダナを先頭に、プラカードを始め反戦を訴えた風船や傘が河原一帯に広がり、「イラク占領をやめさせよう」「殺す前に、殺される前に自衛隊をイラクから呼び戻そう」などのコールで訴えた。
 集会は、アメリカのANSWER、日本のワールドピースナウ3・20からの連帯メッセージを受けた後、宗教者、弁護士、青年・学生、女性団体、在日団体、生協運動、市民運動が順次アピールした。
 最後に、「イラクでの引き続く戦争だけでなく、イスラエルによるパレスチナの軍事占領がますます過酷になり、世界各地において軍事的緊張が高まってきた。私たちは、このような『戦争の終わり』をはじめるために集まった。自衛隊のイラク派兵と有事法制・憲法改悪に反対し、世界の人びととともに声をあげ、行動に立ち上がろう」との集会アピールを採択し、円山公園までピースウォークを行なった。(関西D通信員)


兵庫
  ワールド・ピースin尼崎集会に六百余
   定着してきた共同の力

 「3・20ワールド・ピースin尼崎集会」は、数々の平和団体・個人、また尼崎地区労や尼労連など労働組合の賛同で実行委員会が作られ、六〇〇名をを超える人々が参加して尼崎中央公園(阪神尼崎駅前)で昼前から開始された。
 午前十一時三十三分、この一年前にアメリカのイラク攻撃が開始された時刻には、全員が笛や太鼓で大きな音を鳴らし抗議の意志を表した。日本共産党、新社会党、社民党、市民グループ、個人は、イラクからの米軍、自衛隊の撤退を求めるスピーチを行ない、反戦平和の合唱や演奏が多くの駅前の人々に訴えかけた。また、戦争で犠牲となった子どもや市民の惨状を示すイラク写真展も同所で開かれ、集会への共感を広げた。
 午後からは本集会が開始され、主催の実行委員会から次のあいさつが行なわれた。「この集会は、イラク戦争に反対するすべての党派、市民運動が結集するもので、この共同は尼崎では定着してきている。このことは今後も続けられるだろう。小泉政権を倒し、戦争ではなく外交的手段で世界とアジアの平和を勝ち取っていくよう、皆の力を合わせよう。東京・立川で、ビラ各個配布が家宅侵入で起訴されたことに抗議する。しかし戦前とは違って、まだ現在はこのような集会を開いて言論弾圧と対決していくことができる。スペインでは社会労働党が勝利し、六月までにイラクから軍を撤収する可能性も出てきた。今後の世界を変える一つの力となるだろう」。
 続いて、尼崎市長・白井文さんの集会に賛同する市長メッセージが紹介され、参加地方議員が紹介された後、「いま日本がなすべきことは、国際法を無視したイラク占領を直ちにやめるよう声をあげること、さらにイラクに派兵している自衛隊をすぐに引き戻すことです。そして憲法九条を守り、平和憲法に基づく支援を行なうことです。」とする集会アピールが採択された。
 その後、参加者は大挙して賑わう中央商店街などでピースウォークを行ない、「占領反対!派兵反対!」「日本に戻れ自衛隊!」などのコールを力強くとどろかせた。
 また同じ兵庫県の神戸市では、「3・20ワールドピースウォークin神戸」がKOBEピースネットの主催で行なわれ、三宮の東遊園地に一千名が参加した。(関西H通信員)


福岡
 自治労、教組から多くの青年・女性
  一文字行動とも連携

 三月二十日、世界一斉行動に連帯して福岡市では四カ所で行動が取り組まれた。
 須崎公園では、平和フォーラム福岡(代表・中村元気福教組委員長)の主催集会に、旧総評系の労組や市民団体など二千人が参加。高校生のバンド「草の根」の演奏後、I女性会議の司会で進行、「戦争への道を許さない福岡県フォーラム」の津留雅昭代表(弁護士)の訴えに続き、イラク現地で「人間の盾」を実践した木村公一牧師からのメッセージが読み上げられた。福教組からは教育現場での取り組みが報告され、最後に部落解放同盟筑紫地協の解放子ども会から戦争反対の力強い意思表明がなされた。
 これまでイラク反戦行動は社民党、民主党、連合が曲がりなりに連携していたのだが、自衛隊派兵以降は民主党や連合の取り組みがダウンし、今回は社民党のみが古参メンバーも参加するなどして奮闘するにとどまった。しかし福教組や自治労からは青年や女性が多数参加し、職場の寄せ書きなど思い思いの工夫した反戦プラカードや横断幕などを準備。街中に「教え子を戦場にやらないぞ」、「自治労は戦争に協力しないぞ」と大きくこだまさせた。
 警固公園では、九州・山口の市民グループや労組などでつくる「アメリカのイラク攻撃を許さない実行委員会」(カトリック正義と平和協議会・青柳行信代表)が主催する行動に二百人。
 冷泉公園では、日本共産党系の労組や市民団体などで構成する実行委員会による行動に七千人。
 天神中央公園では、無党派の九つの市民グループが呼びかけ、PEACEの大きな人文字をつくる反戦行動が行なわれ、八百人が参加。
 以上四つの取り組みが行われたが、今回、ちょっとした「異変」が起きた。これまで四つの行動はお互いの連携がなかったのだが、今回、ちょっとした連携が行われた。無党派市民グループの呼びかけ人の一人は「人間の盾」の木村牧師であり、彼の連帯のメッセージが旧総評系の集会で紹介されたことである。また旧総評系のデモの終点では無党派市民グループが人文字行動への呼びかけを行ない、デモ参加者の一部がそのまま人文字に合流したことである。今後ともイラクからの自衛隊撤退を求めて、幅広く結集していくことが求められている。(九州M通信員)