誤り認め、再出発
       ――半生の渾身の総括
   『よど号、朝鮮・タイそして日本へ』 著・田中 義三
                    (現代書館 03年8月刊)

 筆者の田中義三は、一九六〇年代末の学生運動に参加し、社会主義学生同盟に加盟。六九年の共産主義者同盟―社学同の分裂において赤軍派に属し、七〇年に八人の仲間と共にハイジャックで朝鮮民主主義人民共和国に渡った。共和国において七二年、仲間と共に赤軍派の思想とハイジャック戦術を総括・自己批判し、新たな路線の下に再出発を画す。共和国において結婚、二人の娘さんにも恵まれる(長女の東美さんは〇一年に、次女の成美さんは本年一月に帰国)。九六年カンボジアで米国のエージェントにより偽ドル事件のデッチあげで拘束され、タイへ暴力的に連行されたが、タイにおいて九九年に完全無罪判決を勝ち取る。しかし拘束されたまま〇二年日本に移送・帰国、ハイジャック容疑などで逮捕・起訴され〇三年に懲役十二年の刑が確定。現在田中は、熊本刑務所にいる。
 本書は、革命家・田中義三の半生の渾身の総括である。彼の思想と情熱が読む人のこころを引き寄せる。
 一九七二年当時、われわれは国内にあって、赤軍派―連合赤軍の全面的破産を認め、その総括を成して組織と路線を再構築し、労働運動の中に入っていきつつあった。その時、朝鮮の地にあって仲間と討論を重ねた田中も、人民と共にすすむ革命の大道を見出し、新たな出発を画していたという。感慨深いことである。
 誤りを認めるということは、当事者にとっては生易しいことではない。労働者階級の自己解放運動、民衆の運動の発展の利益に立ち切って総括することができなければならなかった。一九七二年という年に、われわれは問われた。それはこの三十有余年を振り返る時、われわれにとって最も大きな分岐点だった。この試練を越えられず、自己保身と転向の沼地に迷い込んだ人もいた。
 もっとも「一九七二年」は、それがどんなに重要だったとしても、出発点に過ぎなかったはずである。新しい路線は、まだ限りなく抽象的であったろう。この本には、田中が新たな指針を仲間と共に発展させつつ成してきたその後の実践展開の豊かさが滲み出ている。この本には、自己の指針を発展させつつ日本の社会変革を模索する、現在の彼の情熱と苦闘が刻印されている。
 田中は、超大国に対する闘争において民族主義の旗を前面に押し出す。たしかに反米民族主義は、超大国との闘争におけるひとつの側面であり、支配階級の内部矛盾の利用という見地から見て重要な要素ではある。しかし二十一世紀の労働者階級の自己解放運動は、超大国とこれを主柱とする帝国主義列強の国際反革命同盟体制とのたたかい、多国籍企業資本主義とのたたかいであり、超大国に対する他の帝国主義諸国家の自主化、搾取階級の諸国家の自主化に収斂するのではなく、国際的規模での国家と階級差別の廃絶へと帰結する運動である。ただこうした議論すべき点も、今日的な問題提起としての意義を有するものである。
 「よど号」の一メンバーが魅力ある人間に成長して帰ってきたという小さな事実は、「よど号」=テロリストキャンペーンに対する大きな反論であるだろう。一読を薦めたい。
 なお、「よど号」グループは昨年末、『欧州留学生拉致問題についての見解』を出版し、かれらへの拉致容疑に対し詳細な反論を行なっている。(M)