長尾さん原発労災−ガン発生に初の認定
  もう被曝労災隠しは許さず

 二〇〇四年一月十九日、富岡労働基準監督署(福島県)は、東京電力の原子力発電所等で作業監督として働いてきた長尾光明さんの「多発性骨髄腫」という病気(血液のガン)が、業務上のものであると認定した。
 日本の原子力施設では今まで白血病で五例の業務上認定事例があり、また九九年JOC臨界事故での急性放射線症の認定があったが、それ以外のガンについては初めてのケースである。認定にいたるまでには、長尾さん本人の決意と努力、支援団体や主治医などとの強固なスクラムがあった。
 長尾さんは優秀な配管技術者であり、原子力発電所の作業では部下を指導する立場にあった。石川島播磨重工から関連会社石川島プラントに出向となり、七七年十月から四年三ヶ月間、東京電力の福島第一原発、新型転換炉ふげん、浜岡原発などで働いた。八六年に定年退職したが、退職後十年以上たって症状が深刻化し「多発性骨髄腫」と診断され治療を続けていた。
 二〇〇二年九月、内部告発により、長尾さんの働いていた時期に東芝が設計した福島第一原発で重大な放射能漏れが起こり、発電所内部が広範囲にα核種によって汚染されていたことが暴露された。東京電力はこのことを知りつつ二十年以上隠し続けていたこともわかった。
 福島原発の核燃料の中にα核種を放出する物質があったことは、それがプルトニウムである可能性が高い。プルトニウムの多くはα線を放出するため、プルトニウムの微粒子を摂取した場合は、体内に沈着してガンを引き起こすおそれがある。長尾さんは放射線管理手帳を保管しており、それによれば長尾さんが浴びた放射線集積線量は70ミリシーベルトにも達し、労災基準の50ミリシーベルトをオーバーしていた。国、東京電力、東芝、石川島に対する労災認定闘争の条件は固まり、〇三年一月に労災申請が行なわれた。
 「多くの原子力発電所で働いた仲間の事や、今働いている人たちのためにも労災申請をしようと決意した」と長尾さんは訴えている。労災申請と同時に「長尾さんの労災認定をかちとる会」が結成された。また全造船機械労組神奈川地域分会が長尾さんを組合員として迎え入れ、東芝、石川島播磨、石川島プラントに団体交渉の申し入れを行った。労災申請は十月に労基署から厚生労働省本省に稟伺(りんし)となったが、誰も事実を覆すことが出来ず早いスピードで労災認定が下されたのだった。
 二月十四日、東京・総評会館で「長尾さんの労災認定報告討論全国集会」が行われ、今後被曝原因と企業責任の追及、原子力被災労働者の救済拡大のために運動を盛り上げていくことが確認された。集会では、「原発なくさな、しゃーないね」と語る長尾さん(七十八歳、大阪市在住)の近況のビデオが上映され、関西労働者安全センターの片岡明彦さん、阪南中央病院の村田三郎医師、美浜原発反対大阪の会の小山さん、福島原発反対同盟の石丸さんなどが認定勝利の意義と今後の課題について報告した。また原発写真で著名な樋口健二さんも講演し、「原発被曝労働こそ、日本の最大の暗黒」と訴えた。
 ところで、原子力産業の関係者で作る(社)日本原子力産業会議は、原子力問題をめぐる国民の意識について危機感を強めている。原子炉開発利用委員会は二月に出した提言「向こう十年間に何をすべきか」の中で、「現在、我が国の原子力はまさに危機的状況にあり、この閉塞状態から一刻も早く脱却して、原子力が健全で活力ある発展をするようにしていかねばなりません」と述べている。
 現在日本で稼動している原子力発電所は五十二基であるが、地域住民の粘り強い反対運動の前に建設予定数は大幅に減少し四基に留まっている。事故も相次ぎ昨年夏季、東京電力の原子力発電所すべてが止まってしまったのは記憶に新しい。原発の経済効率性、電力の長期需要予測という面からも「閉塞状態」が強まっている。
 独占資本は、原子力産業により巨額の利益を目論んできたが、その売り上げは減少の一途をたどり、九三年度一兆一三〇六億円に対して一昨年は九七一六億円と八十六%にまで落ち込んでいる。また原子力産業に従事する技術者数も減少の一途をたどり、特に原子炉製造部門技術者は日本全体で一千人を割り込むのも時間の問題である。
 一方で独占資本の利害のために発電所に行かされ、危険性も知らされず放射線に被曝して病気になったり、死においやられた人の実態はまったく解明されていない。そのような人々に対して堅く口を閉ざすよう飴と鞭で脅しているのがかれらだからである。
 今回の労災認定闘争の勝利は、多発性骨髄腫を認めさせたという医学的成果に加え、放射能汚染されていた当時の福島第一原発で働き苦しんでいる人たちに大きな光明を開いた。長尾さんは現場監督的な仕事であり、より強く被曝した作業者たちがいるはずである。
 同時に、四十万人に達するであろう原発従事労働者・元労働者の団結と、安全で健康に働く為の権利闘争の一里塚となった。長尾さんに首が痛い症状が出てきたのは、原発労働を離職後八年ほどもたってからである。長尾さんが放射線管理手帳を保管していたことは、不幸中の幸いであり、認定の決め手となった。しかし多くの原発労働者は離職後、被曝データを示す放射線管理手帳を交付されていない。また高い日当の代わりに最も危険な作業に従事させられる外国人労働者には、故国に帰ってから発症して救済されないでいる人が多いにちがいない。被曝労災とその隠蔽を前提として成り立っている日本の原子力産業は、もはや犯罪である。
 「かちとる会」をはじめとする全国の仲間たちは、追撃の手を緩めることなく、厚生労働省、東京電力、東芝、石川島播磨などに抗議と要求を突きつけている。東芝などの元請・下請はただちに団体交渉に応じ、上積み補償を行なうとともに、被曝労災の資料を全面的に明らかにしなければならない。国は、原発離職者を労働安全衛生法上の健康管理手帳給付対象とするようにしなければならない。そして被曝労災隠しを許さない相談体制を作ることが必要だ。
 根本的には、脱原発の方向を取らせて、原発による被曝労働そのものをなくしていくことが問われている。原子力推進政策に異議を唱える闘いは、独占資本の恥部を暴き、労働者の人権を確立する闘いである。すべての労働者がこの問題に関心を持ち連帯することを訴えたい。(H)