初発から進まぬ地方分権改革
  小泉「改革」の本質が露呈


 二〇〇四年度予算案が準備されているが、年金抜本改革、道路公団改革、地方分権問題などで、小泉内閣の「改革」なるものは尻すぼみ状況である。これは、小泉内閣がイラク派兵問題で忙殺されている間に、予算編成を官僚と族議員に振り回され、小泉は党内融和も考慮し、これを承認しているためである。こうした惨状の中で、とりわけひどいものが地方分権改革である。
 十二月十日、小泉内閣と与党は、総額約一兆円の補助金削減で合意した。補助金削減の各省ごとの規模は左表に示される通りである。
 地方へ税源移譲する税の対象は、はじめのうちは財務省の言う、たばこ税が有力であった。だが総務省の巻き返しで、十二月十七日に決定された与党の「04年度税制改正大綱」では、所得税の一部を地方自治体に譲与する「所得譲与税」の新設などにおさまりそうである。
 十二月十八日には、総務省と財務省の間での折衝で、〇四年度の地方財政計画の概要が決まり(〇三年度比一・八%減の八四兆六七〇〇億円。三年連続の前年度比減)、この中で地方交付税(特例交付金を含む)の総額は、〇三年度比九〇〇〇億円減の一六兆五〇〇〇億円となった。国から地方への「税源移譲」としては、「所得譲与税」や「税源移譲予定交付金」の約四五〇〇億円が新設された。しかしこれらは、地方交付税と大きくかわらず、使途の決まっている「税源移譲予定交付金」にいたっては、一般財源にもならない。厳密に言えば、地方自治体の自主財源とは言えないのである。
さる六月二十八日の閣議で決定された「骨太の方針・第3弾」は、(1)二〇〇六年度末までに補助金(約二〇兆円)のうち、四兆円を廃止あるいは削減する、(2)税源移譲は、廃止する補助金の八割を目安とし、義務的な事業は所要の全額を地方に移譲する、(3)地方交付税は、総額を抑制する──などとした(本紙7月1日号参照)。
 そして、小泉首相は六月二十三日の、衆議院予算委員会の集中審議の場で、「いつの時代も具体化は予算編成だ」とし、十一月十八日の経済財政諮問会議で、“〇四年度の予算案では一兆円の補助金の削減”を指示したのであった。
 だがこの間、霞が関では各省の官僚が自らの権限・縄張りの確保・維持をめぐって抗争し、これに族議員の暗躍もからみ、とても地方自治のための地方分権を前進させるという状況ではなかった。これには地方の首長などは不満をたかめ、とくに生活保護費の補助率引き下げ提案などのように、地方への「付け回し」、つまり矛盾のしわ寄せを地方にまわすことなどには、猛烈な反発と抗議がわきおこった。
 これには、さすがの小泉みもたまらず、「地方の権限を拡大する改革でなければだめだ」と、言わざるをえなくなった。だがその発言とはうらはらに、地方の財政自主権の確立・拡大は、ほとんど進んでいない。
 十二月二十日に内示された財務省原案では、国から地方への補助金は、約一兆円削減された。補助金削減の主な対象は、 国交省・厚労省・農水省・内閣府などの公共事業関連約四五〇〇億円、 文科省の公立小中学校の教職員の退職手当など約二三〇〇億円(これは「税源移譲予定交付金」に切り替える)、 厚労省の公立保育所向けの補助金(約一六六〇億円)などである。
 これに伴い、政府は や〇三年度に一般財源化している文科省の義務教育費国庫負担金の共済費分など、計約四二五〇億円を「所得譲与税」という形で地方に「配分」するとした。だが、これはあくまでも〇六年度までに所得税から地方税の住民税に本格的な税源移譲を実施するまでの「つなぎ」でしかない。したがって、それは、国が基準に従って配分する地方交付税に近い仕組みであり、地方自治体が自主的に判断して増減できる税源の地方への移譲ではない。またまた懸案の先送りである。
 財務省原案では、〇四年度の地方交付税は前年度比五・二%減の一六兆四九三五億円である。これは、一般会計で支出する額では、五年ぶりのマイナスであり、実際に地方に配分する額でも四年連続の減である。税源以上がほとんど進まない中で、地方交付税だけはちゃくちゃくと削減されているのである。
 この間の「三位一体改革」をめぐる霞が関の騒動は、中央各省の官僚が依然として、その権限を縮小したり、手放したりすることに抵抗している姿を露呈させている。その裏には、いわゆる族議員のバックアップがあるのであり、官僚─族議員─業界のトライアングルによる利益誘導型政治の担い手たちの策動がうごめいている。小泉の「構造改革」─「三位一体改革」なるものは、このような勢力ときっぱりと手を切ったうえで行われるのではないため、不断に動揺や後退を織り交ぜたものにならざるを得ない。それは小泉自身が、そもそも「三位一体改革」の理念を明確にしていないがためである。理念・改革方向のあいまいさに加え、小泉はそもそも利益誘導型政治を担ってきた自民党や中央官僚に依拠して「三位一体改革」なるものをやろうとしているのであるから、見かけ倒しに終わるのは、けだし必定である。
 歴史的に見て、いかなる民主政であっても、その基礎は、有権者自身の住む地域・地方での民主的システムである。だが、日本の場合は、戦前はもとより戦後にあっても、いかにも民主制度の建前をとりつつも、実際には中央による地方の支配を貫徹する構造になっている。そこでは、主権在民制は不断に形骸化し、「国家主権制」が、すなわち主権者の意志と利益から乖離した中央政府のヘゲモニーが、支配階級の利益のために貫かれる構造になっているのである。小泉もそうした伝統的な保守主義者であるがゆえに、「三位一体改革」の理念の提示と徹底をあいまいにしているのである。
 そのことは、「改革は進んでいる」と小泉がいかに開き直ろうとも、彼の改革構想の部分性、中途半端性によって明らかである。なによりも、実際問題、小泉内閣は膨大な中央からの補助金を、「3割自治」の抜本的変革と結び付けて、いかに地方自治体に委譲するか、という全体的な計画も、その具体的な実施手段も明らかにしていない。その下で現実の政治過程では、二〇兆円のうち、わずか4兆円程度の削減(しかも〇六年度末までに)でも、このような大騒ぎとなっているのである。中央官僚や保守的政治家たちは、地方自治を発展させるというよりも、第一に、地方分権という世界的趨勢の下で、いかに自己の「私益」である権益を守り抜くか、第二に、“地方の財政自主権をたかめる”という名文の下で、むしろ今日の財政赤字のしわ寄せをいかにより多く地方に押し付けるか、などの魂胆をもっているのである。したがって、地方自治の発展、地方の財政自主権の確立は二の次にならざるを得ないのである。
 問題は、さらに肝心な点が残っていることである。補助金を削減し、仮にその大部分を地方に移譲したとしても、自前の財政力が弱い自治体(人口が少なく、高齢者の多い多くの自治体)にとっては、なんら問題の解決にならないからである。
 今日の地方交付税制度(これ自身、大幅に削減されるということは、財政赤字の犠牲が地方に押し付けられるということである)は、地方自治体間の財政力格差の是正、ならびに標準的な行政サービスをすべての自治体に保障するという名目の下で、実際には、補助金と結び付いて中央官庁による地方支配、地方操作の財政的裏付けになっている。
 したがって、地方支配のための地方交付税制度、そのものの抜本的変革が必要である。地方への税源移譲、地方自治体の財政自主権の確立・充実とともに、地方自治体間の格差を是正する財政調整には、中央政府の一方的決定・画一的押し付けではなく、国会議員代表、地方自治体代表、専門家代表などによって構成される特別の機関が不可欠なのである。(T)