書評
 和田春樹著『東北アジア共同の家』(平凡社 03年)
   地域主義的構想は妥当か

 朝鮮半島での戦争の危険を除去し、日朝国交正常化などを実現するという課題は、それ自体としても重要な課題であるが、長期的にはどのような政治展望のなかに位置付けられるべきなのだろうか。
 著者は、それを「東北アジア共同の家」を実現することとして提起している。この本は、和田氏の「新地域主義宣言」であり、彼の基本的な外交政治路線を述べたものである。
 著者は述べる。戦後の日本では「タブーとされてきたものが国家に対する責任の意識と地域主義」であり、「自分たちが生きる国家を越えた地域についてはっきりとした構想」を持ってこなかった。その原因は、言うまでもなく「大東亜共栄圏」の破産であり、「日本が中心となった地域主義の提起が罪深いもの」となったからであり、また一つの原因は、戦後の東アジアでの東西対決であった。そこで戦後日本外交は、「日米二国の関係を柱として、あとはアメリカの許す範囲で、すべて二国間の関係・交渉の束として進められてきたのである。」
 だが、九〇年代に入って状況は根本的に変化し、「新しい地域主義を考えることができる状況が出現している」。そのことの顕著な現われとして、著者は〇二年九月の日朝ピョンヤン宣言と、〇三年二月の韓国ノ・ムヒョン大統領の出現を強調する。
 ピョンヤン宣言はその第四項で、「北東アジア地域」という言葉を使っている。著者は、「ここで画期的な東北アジアの地域協力構想が打ち出された」とし、宣言は、「日本が『大東亜共栄圏』構想のみじめな挫折以来、はじめて朝鮮民主主義共和国の手をとって新地域主義の方向へはっきりと顔を向けた機会であった。私は『東北アジア共同の家』構想に現実的な裏づけが与えられたと感じたのである」と述べている。
 また、ノ・ムヒョン大統領はその就任演説で、「東北アジア時代」を強調し、「今われわれの未来は韓半島に閉じ込められているわけにはいきません。われわれの前には東北アジア時代が到来しています。」「現在の欧州連合と同じ平和と共生の秩序が東北アジアにも構築されることが私の長い間の夢です」と述べている。著者は、「北朝鮮との南北関係を解決した先に開ける目標として東北アジア共同体の創設という考えが打ち出された。何よりもその事業の中心に韓半島、朝鮮半島がなり、韓国がイニシアティブをとって進んでいくとの宣言である」とし、まさに歴史的宣言であると評価する。
 著者の提言の政治的ポイントは、「東北アジア共同の家」実現のイニシアチブは、日本が取るのではなく朝鮮半島が取るべきだ、その際、日・中・米などの在外コリアン・ネットワークが重要な役割を果たしうるという点にある。
 さて、日本の外交的進路を巡って、現在主要には三傾向があるとおもわれる。ひとつは小泉政権に代表される傾向で米英の「有志連合」に組する路線、ひとつは民主党に代表される傾向で対米自立と国連中心主義を掲げつつ「日米関係を成熟した同盟に強化」する路線、もう一つは和田氏の主張を含む東アジアの連携を最優先すべきとする路線である。
 この三番目の路線は、和田氏や姜尚中氏、経済学者の森嶋道夫氏など知識人に一定の潮流があり、社民党の外交路線がこれに一番近いが、東アジア共同体論は左右を超えて一つの傾向となっている。民主党は自民党と同じく日米基軸論であるが、東アジア共同体論の支持者は党内に多いと考えられる。日本共産党は、日米安保条約を日米友好条約に変えることを主張しているが、今のところこうした地域主義的志向はみられない。
 我々の立場から考えると、第一の論点は、東アジア共同体論は日本の労働者人民の闘いを前進させるうえで有利なのか、不利なのかという点である。少なくとも、現在のブッシュ・小泉の戦争政策や米帝の一極支配に反対する勢力が広範に連携するうえでは、有利な考え方と言える。
 自衛隊イラク派兵を容認する人々の中には、日米経済関係が最重要だという考えを脅迫観念的に持っている人が多い。しかし実際は、自動車・鉄鋼や証券投資ならともかく、現在の日本は東アジアとの貿易と直接投資の方がずっと大きくなっている。ドルに代わる決済方法が東アジアでも成長してくれば、東アジア経済共同体論は主流派になるだろう。大局的には、ピョンヤン宣言以降の逆流は一時的なものでしかない。遅かれ早かれ米帝は東アジアから後退し、脇役とならざるを得なくなる時代が来るだろう。こうして、ブルジョアの東アジアか、労働者民衆の東アジアか、という階級闘争問題が全面に出てくるというのが我々の展望である。
 それでは日本の共産主義運動は、積極的に地域主義の路線を持つべきなのかどうか、これが第二の論点である。労働者共産党は、日朝正常化や朝鮮半島の自主的平和統一の先に「東アジアでの階級闘争の新しい前進」を展望しているが(〇三年七月・二中総「反戦決議」)、地域主義の方向を打ち出しているとは言えない。また朝・中・日などの人民の連帯という主張は日本の左翼に広く存在するが、これは地域主義の構想とは異なっている。かっては日本の革命的左翼にも、世界革命の構成部分としての地域ブロック革命を掲げる傾向があったが、これは東西対決下での「戦争と革命」の時代という時代背景があった。
 しかし今日、朝鮮半島と在外コリアンの進歩的人々は、朝鮮半島の統一の課題を、左翼的にいうと民族民主的課題、一般的に言うとナショナルな課題の達成として完結的に扱うのではなく、新しい東アジア実現への行程として扱かい始めている。このことは、日本の左翼に、地域主義的構想の再検討を含め、大きな示唆を与えるものと考えるべきだろう。(W)