11・8〜9
反空港全国交流会が羽田、三里塚で
  静岡空港 土地強制収用阻止へ

 十一月八〜九日、第三回目の「反空港全国交流会」が羽田、三里塚で行われた。主催は、反空港全国連絡会。
 一回目は一昨年の大阪で反空港全国連絡会の結成集会として行なわれ、二回目は昨年静岡で、三回目の今回は東京と三里塚で、羽田空港を監視する会、三里塚空港反対同盟、八重山・白保の海を守る会が事務局となって行なわれた。
 一日目の十一月八日は、各地から駆けつけた参加者により羽田フィールドワークが行なわれ、羽田空港の騒音問題などを調査した。その後、午後六時半より羽田空港に近い東京・蒲田の大田区立生活センターにて、「全国各地の空港建設を問い直す全国交流報告集会」が開催され約八十名が参加した。
 この集会では、「環境破壊・住民無視・ムダな公共事業、バブルの幻想を絶て!」との集会副題にも示されるように、各地の空港建設計画あるいは供用中の空港の犯罪性が、参加各団体によって次々と報告され、とくに焦眉の課題としては静岡空港建設のための土地強制収用手続きを阻止する闘いが確認された。
 最初に、三里塚芝山連合空港反対同盟(熱田派)の柳川秀夫さんによる、反空港全国連絡会としての主催あいさつの後、特別報告として静岡空港反対運動からの報告が行なわれた。
 「空港はいらない静岡県民の会」の島野房巳共同代表は、「昨年は反空港全国交流会を静岡で行ないました。一年遅れて情勢が緊迫してきましたが、石川県知事の強行姿勢はますます世論から孤立を深めています。国土交通省も危機感を高めています。県の事業認定申請を阻止しよう。仮に国が事業認定を行なっても無効確認訴訟などの裁判闘争で闘おう。十一月三日に東京地裁で首都圏央道での強制収用手続きの停止を求める判決が出ましたが、これは有利に影響します。静岡空港計画は最もムダな公共事業の典型であり、その強行は正面から国民全体に敵対するものに他なりません。今こそ公共事業を市民の手に取り戻すときです」と、非常に力強く報告した。
 続いて「空港に反対する地権者住民の会」の反対地権者・檜林耕作さんが登壇し、「九月以降開始した土地共有の同意取り付けも五百二十二人に達しました。反対地権者は血盟を交わしています。皆さんと共に最後まで闘います」と決意を表明した。
 これら静岡の仲間への大きな拍手の後、各空港反対運動の報告が、石垣島・白保(八重山・白保の海を守る会の生島融さん)、新福岡(新福岡空港ストップ連絡会の牧忠敬さん)、関空(泉州沖に空港をつくらせない住民連絡会の安陪陽一さん)、伊丹(関西共同行動の玉本寿一さん)、神戸(神戸市議会会派「住民投票☆市民力」の恩田怜さん)、中部(中部国際空港建設見直しを考えるネットワークの村上誠治さん)、成田(三里塚支援連の山崎宏さん)、羽田(羽田空港を監視する会の石川みのりさん)から行なわれた。
 集会は最後に、静岡空港建設の中止を求めることを主な内容とした集会アピール案が提案された。しかし静岡の島野さんから、強制収用の阻止という課題が不鮮明であるとの指摘を受け、案文を練り直して二日目に採択された。
 二日目の九日には、約四十名の参加で成田空港フィールドワークが行なわれ、暫定滑走路の危険性などを調査した。
 来秋の反空港全国交流会は、建設強行中の中部国際空港の地、名古屋で開催される予定である。(東京W通信員)


 創刊から三ヶ月 成長する『ビッグイシュー』日本語版
   野宿労働者の「仕事」として

 ホームレスしか販売できない雑誌『ビッグイシュー』日本版が、九月十一日に創刊されてから三か月近くがたった。
 数多くのマスメディアが報道する中、大阪駅、天王寺駅、難波駅周辺を拠点販売点として、厳しい「八項目の行動規範」を守り、IDカードを胸にした販売員が街頭で、『ビッグイシュー』を売った。ある者は、大きな声で呼びこみながら、ある者は声も出ず、ただ街頭に立ち買ってくれるのを待つという個性が表れる販売となった。販売員登録者は百名を越えた。
 そして、十一月六日の二号発売時点で、創刊号の発売冊数は三万八二三四冊となったと発表された。単純平均で、販売員一人一日平均売上げ三十二冊、収入は一冊百十円入るので、一日約三千五百円となる。五万部発行、採算ラインが四万と公表されているが、もう少しの努力というラインに達した事になる。社会的に、「ホームレスが売る雑誌、施しでなく仕事を」という趣旨が理解された事と、次々と希望者が出てきた販売員の増加と彼ら自身の熱意によるものである。女性の販売員もいる。二号発刊まで時間があっのたは、販売体制の確立とスポンサーの獲得のためであるという。
 ちなみに第三号は十二月四日予定で、年明けからは隔週刊が目指されている。更に、各地区から取次ぎの申し出があり、来年からは東京でも発売が目標となっている。
 「公的就労」を要求する運動の中で、現実的に野宿労働者は、「アルミ缶集め」等で何とか必死に働いている。この中で、事業として「ホームレスが売る、ホームレスしか売れない雑誌」の創刊。その販売員の登録増は大きな意義をもっている。もちろん、雑誌であるからには、雑誌自身が「読みたい雑誌」となる事が不可欠の、第一の要素である。二〇〜三〇歳台をターゲットにした雑誌内容に対し、記事内容に対し、編委に対し、積極的な意見が寄せられている。厳しい意見も多いという。
 何よりも雑誌が、野宿労働者の販売員自身が自ら積極的に販売し、「仕事」として成長している事が大事である。
 ともあれ、「ビッグイシュー日本版」は動きだした。本紙読者が、街頭で、販売員から「購入」し、意見を寄せていただく事を望みたい。(ビッグイシュー日本の連絡先 電話〇六−六五三一−五六三九、HPはhttp://www.bigissue.com/japan)
                                   (関西S)

 
11・29第6回釜ヶ崎講座
    水野 阿修羅 氏
  釜ヶ崎百年を語る

 去る十一月十六日、大阪府高槻市の高槻城跡公園で行われた「ピースフェスタ2003in高槻」に、釜ヶ崎講座は出店とパネル展示で参加した。
 「ピースフェスタ」は、高槻の市民グループが呼びかけ、「共に生きる地域を目指して 人権・平和・環境・共生のつながりを広げましょう」をテーマに、三十余の出店やフリーマーケット、パネル展示や、ステージでの音楽や舞踏などが行われたもので、三千余の市民が参加した。
 高槻在住の「講座」参加者よりフェスタ参加の要請があり、「講座」としても他の地域の中に出向き、積極的な取組みをやってみようと、会員に呼びかけて取組んだものである。
 釜ヶ崎講座は、出店では「豚汁」を出し、パネル展示では、NPO釜ケ崎の協力で出来あがった市民向けの「ホームレス問題」のパネルが並んだ。また、「ビッグイシュー日本」の販売も宣伝を兼ねて行われた。三名の販売員が出張し、出たばかりの二号を販売した。
 「ビッグイシュー」の販売員も、ノボリを持って販売、昼休みの中央ステージのアピールでは、「講座」代表のあいさつの後、ひとりひとりが「本の販売」の仕事への思いを語った。
講演のつどいや釜ツアー企画以外に、「講座」が地域でこのような取組みを通し、釜ケ崎のPRを図る活動を始めた意義は大きい。
 さて、釜ケ崎が形成されて百年の今年、「釜ケ崎百年、過去・現在・未来」とタイトルをつけた第六回講座の集いが、十一月二十九日夜六時半より、エルおおさかにて行われた。参加者は、大雨の事もあり、前回よりは少ない五五名だった。
 講師は、七〇年代初頭より、暴力手配師追放の闘いの先頭を担い、以降一貫して釜ケ崎で闘ってきた水野阿修羅さんで、釜ケ崎百年を、「釜ケ崎・部落・朝鮮人・遊郭」のサブタイトルの下で、ひもといてみる講演だった。
 水野氏は、「釜ケ崎」の形成について、「貧乏人はどう移動させられたのか」に軸をすえ、大阪での渡辺村の部落形成、西浜部落への移動、そして現在の西成・浪速の部落へ至る歴史を江戸時代からの五枚の地図を資料に解説した。更に、千日前−鳶田−飛田と続く、刑場や墓所の移動・廃絶の歴史をそして遊郭の形作りをひもといた。そして、本来通史として触れられているスラム・木賃宿街の長町−恵美須から釜ケ崎への移動をひもといた。
 ここで通してみられるのは、常に都市において最下層の人々、人のいやがる仕事、しかし都市生活において不可欠な仕事を担う人々の町が、常に作られ存在している歴史である。そして氏は、それ等が常に都市から排除され街の周辺においやられた事実にも触れた。
 一方で仕事の面からは、ふん尿処理、死体処理、掃除などの人々が担わされた仕事の変化を、更に世界共通にみられるスラム街でのマッチ工場、タバコ工場について、大阪でも、現在の釜ケ崎形成においてもみられる事を語った。従来いわれる単身男性労働者の力仕事、車夫、土工、仲仕の変せんについて、釜ケ崎形成の中で解説した。釜ケ崎はそれ等の集約地として、常に部落や、朝鮮人、沖縄の人々の場として形作られ、存在してきた歴史をひもといた。
 氏は、最後に、現在、これ等、人々が忌み嫌う仕事の押しつけが、伝統産業の解体が、そして力仕事の釜ケ崎からの流出が、大きく釜ケ崎の町を変えている事をのべ、これからの釜ケ崎を考えていく視点を提出した。
 今回の講座の集いは、質疑がかわされ、従来の講演の集いとは異なった意味で有意義な集いだった。釜ケ崎講座は、越冬に向け、今後、支援への取組み、ツアーの企画を行うことを確認して終了した。(関西S通信員)


 11・21キューバ革命50年記念集会
   医療、有機農業に注目

十一月二十一日の夕方から、東京の大塚で、キューバ革命五〇年記念の集会がおこなわれた。主催は、オルタナティブの広場。
 集会では、神奈川県勤労者医療生協港町診療所所長の天明佳臣氏と、フリーライターの樋口聡氏から報告がおこなわれた。
 天明氏は、労住医連に医薬品支援を呼びかけられたのがきっかけで、九五年に九人のチームでキューバを訪問した。その時の見聞をもとに、キューバの医療システムについて、報告された。それは、乳児死亡率(一〇〇〇人当たり)が、中南米平均で一五〇〜三〇〇人なのに対して、九〇年のキューバのそれが一〇・七人ということだけでも、いかに人々にとって進んだものであるかがわかる。
 樋口氏は、ソ連崩壊の年・九一年いらい毎年のように訪問し、キューバの現状を観察しつづけ、それをもとにキューバの現状を報告した。教条的な理論にとらわれず、試行錯誤しながらも民衆のための社会建設をすすめているキューバが、これまでの「貧困の中の平等」の段階から今後どのように発展するかが問われているのではないか、と感じられた。 キューバは今、ソ連崩壊によってかつてのような経済関係がたたれたが、その困難な中から有機農業に乗り出し、皮肉なことに、帝国主義の植民地主義いらいのモノカルチャー経済から脱皮する糸口を見いだしつつあるようにみえる。また、アフリカなど第三世界への医療支援を献身的につづけて国際的に評価されたり、あるいは人民のための医療システムなどにより中南米諸国の医療の模範ともなっている。そこには、ただただ「民衆の利益」という、社会主義の原点がはっきりと見ることができる。 (T)