【沖縄通信からの通信】
  
沖縄の総選挙
   大受けした「政権交替」「高速道路無料化」
     引き出すべき民衆の底力

 「政権交替」「高速道路無料化」は、沖縄人にとって胸のすくようなスローガンである。具体的で、一票を武器にして獲得可能であるのが分かりやすい。このことを切り口に、沖縄での総選挙結果を論じてみたい。
 形を変え存続する天皇制、軍国主義的支配層、アメリカの帝国主義政策と同盟を結んで覇権を求める日本の財界と官僚。それらが支配的地位にあるかぎり、沖縄人はいじめられ続ける。沖縄人は誰もが分かっている。だから、「政権交替」のスローガンは、沖縄人の対立物に大上段から挑みかかるものとして受け取られ、ぼくら沖縄人をワクワクさせたのである。全県的な「政権交替」ムードが生じたが、しかし民主党活動家の不在によって、その沖縄県産の声は少なく、東京産直のスローガンが直接沖縄人の心をとらえるという現象が起きた。実際、このスローガンは、沖縄人が発案したのではないかと思えるほどだ。
 もう一つの「高速道路無料化」のスローガン。沖縄は、今年那覇のほうでモノレールが開業しはしたが、「本土」の地方都市以上に車社会である。「本島」を縦断する高速道が幹線となっている。とくに、北部(やんばる)にとっては、人口の過半数が住む那覇市周辺との交通が重大問題である。行き来の利便性だけでなく、やんばるの人々の資産等々の経済的価値への影響ということからも重大問題である。下の道を通れば那覇まで三時間近く、高速を通れば四十五分。料金一〇〇〇円が取られる。下の道との差別が進めば進むほど、公団がもうかる。やんばるの人権問題である。
 投票日前に、県日刊紙に丸まる一ページを使って、「高速道路を無料化する」「道路公団を廃止する」との民主党の巨大広告が載った。やんばるの人々は笑って喜んだ。
 今回、民主党の「政権交替」「高速道路無料化」のスローガンがたまたま沖縄人に当たったということであるが、沖縄人が日本政府との長期の闘いを前進させていくためには、こういう人々をワクワクさせるスローガン、綱領的な旗印を創造することが迫られていると言えるのかもしれない。
 さて、選挙結果の第一の特徴は、民主党が比例16万票という大量得票を取ったこと。第二は、台風の目・3区における東門美津子氏(社民)の失敗。第三は、保守系実力者たちの反抗、つまり自民党の東京からの支配に揺らぎが生じたことである。
 比例代表での各党の得票数、相対得票率(および前回の率)は次ぎのとおり。
▼自民200198票
  35・7%(32・1%)
▼ 民主161872票
  28・9%(23・2%民主+自由)
▼ 社民 79898票
  14・3%(18・0%)
▼ 公明 66333票
  11・8%(10・1%)
▼ 共産 51855票
   9・3%(13・0%)
 沖縄選挙区では、それぞれ異なった特徴を持った四つの選挙区で戦われた。
 1区は、県都那覇市。2区は、那覇市北側と中部。3区は、名護市を含む沖縄市以北農村部の四市十町村。4区は、那覇市の南部と宮古・八重山の離島。(4区は無風地帯。自民・中村の後継争いで選挙前に決着する)
 1区。社民党を除く、自公、自(非公認)、民、共の四者の争い。非公認・下地幹郎の出馬を阻止できない東京の自民党本部。公共事業予算を手中にし、カネと仕事をネタにした恐喝で、からくも自公・白保台一が勝った。下地が、政府決定とは別の普天間県内移設(嘉手納基地統合案)の立場を取っていることも、自民党本部にとっては許しがたいことであった。
 民主の島尻昇氏、共産の赤嶺政賢氏がどれだけ取るかも興味あるところであった。民主党の島尻氏は、反戦反基地の闘いの歴史を持たず、評価が低かった。「苦労を知らないあんな青二才には入れられない」というイメージが広範にあり、比例における大きな得票とは無関係なってしまった。革新層では、「比例は社民、個人は赤嶺」(社民シンパ)、「比例は民主、個人は赤嶺」(無党派)のパターンを出現させた。島尻氏の得票27209票と1区民主党比例票47050票との、二万票もの差をどのように理解すべきか。
 2区。照屋寛徳氏(社民)の独壇場となった。連合を含め民主の票は彼に行った。氏の反戦平和運動の経歴、広い活動家層の友人、日本政府に対して闘う姿勢、「政権交替」を叫んで「スーツにスニーカー」のあだ名を頂いたいっぱいの運動量、それらが基地周辺の民衆の共感を得て圧勝した。
 3区。最注目区であった。東門氏(社民)と、日本政府直轄代表ともいうべき嘉数(自民公認)、国場(自民非公認)の三つ巴戦となった。
 前回も3区は三つ巴戦で、そのときは東門氏が制した。敗れた嘉数は、辺野古基地建設を抱える日本政府の「特別政治枠」というべきものによって、比例で復活した。この政府直轄的な特別優遇にありついた北部のヒョツ子・嘉数に対し、不当感を持つ自民党員がいる。前回敗退した元幹事長派が今回婿を非公認で出馬させ、「因縁の戦い」を作った。
 東門氏は前回は、大田知事時代の県官僚からの電撃的横すべりで出馬しており、事前の評価を経ておらず、その個性は検証されていなかった。当時、日本政府と政治的対決状態にあった名護のヘリ基地反対協議会のお墨付きを得て、幸運にも勝ったのであった。前回の東門勝利は政治的には、反対協への信認票とみなしても誤りではないだろう。
 今回は前回と違って、反対協の弱体化と政治的対決点の不鮮明化という状況が否定できず、また「政権交替」選挙と言われる全国的激変、自民対民主という雰囲気のなかで、民主候補はいない3区での、情勢に反応しうる政治感覚・判断力を彼女個人が持っているかどうか、力量が問われる選挙戦となった。
 名護市を含む周辺農村部は軽視されている。自民党がそうするのは戦略的にうなずける。与えるものが無いからである。しかし、東門氏はそれに誘い込まれて、大票田の沖縄市に釘付けになっている。せっかく「高速道路の無料化」で期待している人々をウンザリさせている。名護を単なる選対の作業所としてではなく、ここに本部を据えて、「政権交替」「高速道路の無料化」への人々の共感を自陣営に引きつけていく戦術を取ればどうだったか。
 この二つを言わずに、他のいろいろ良いことを言っても、やんばるの民衆の心はつかめない。「ケンポー、ケンポー」「テッキョ、テッキョ」と、反戦平和で実績を評価されていない人が観念的に正論を言っても、言えば言うほど「もういい」「聞きたくない」になっていく。比例における民主党十六万票は、いかに自民党の政府を人々が嫌っているかの現われであるが、東門氏はこの人々からの共感を得る(社民票を大きく上積みする)ことができず、次点に終わった(比例で復活)。
 若い女性からは、「『無料化』より『憲法』が大きい」という声が聞こえた。年配の活動家からは、「実は『憲法』より『無料化』のほうが大きい。照屋、東門の二人が勝てば、日本政府に対する攻勢となる意義は大きく、その結果、『憲法が大きい』ことを現実にもたらすことができる」という意見があった。
 東門氏は、やんばる、3区の人々が望んでいることを、がむしゃらに言いつづけ、「タダなものはない」と言う政府に噛みついていたら勝っていただろうにもったいない。そして、その勝利は彼女個人のものでもなかった。
 日本の権力は、たとえば辻元清美元衆院議員のような、分かりやすい民衆的な言葉を使って、がむしゃらに政府に噛みついていく女性を恐れているのではなかろうか。(それで彼女は、権力側から秘書給与問題で標的とされた)。今回沖縄では選出国会議員がかえって増えた社民党は、全国的には土壇場の状態であるようだ。しかし、辻元氏のような女性を市民運動の中から量産し、法律用語ではなく自分自身の言葉・市民の言葉で「憲法」を語っていくならば、恐れられる存在になれるのではなかろうか。
 沖縄の総選挙結果は、「本土」に比べれば悪いものではなかった。日本政府に一矢を酬いる力を示した。しかし、その沖縄民衆の底力を十分に汲み上げきれない教訓を残したとおもう。(T)