9・21
  関空二期工事・軍事空港化許すな
     ――反空港全国集会は11月羽田・三里塚で

 九月二十一日、大阪泉南市の岡田浦浜にて「二期・陸上飛行・軍事空港を許すな!」関西新空港反対泉州現地集会が、台風が接近する雨の中行なわれた。主催は、泉州沖に空港をつくらせない住民連絡会。集会には、組合バス「勝利号」で馳せ参じた釜ヶ崎労働者五十余名など約七十名が参加した。
 住民連絡会の小山広明さんの司会で、まず釜ヶ崎日雇労働組合の山田実委員長が発言した。「反失業闘争では一年近く野営闘争を続けているが、この七月に出た政府の基本方針では就業機会の確保であり、仕事の確保・提供ではない。生活保護適用で野宿者について区別してはならないとの通達が最近出されたが、社会的に有用な例えば草刈や森林保全やリサイクルの就業などを要求して闘い続けていく」。
 続いて「空港はいらない静岡県民の会」の事務局長が発言。「八月二四日に三五〇名で反対集会を開いた。静岡空港は、事業費千九百億円の内千三百億円を使いながら三〇%足らずしか進んでいない。県民の合意もなく、国土交通省の事業再評価、総務省の行政チェックもあり、県知事のいう十二月に収用という目途はまったく立っていない。四町歩の未買収地もある。全国三大紙が『引き返せ』と社説を掲げる状態にある。二年前、関西で反空港全国連を結成した。昨年は静岡に全国から集まっていただいた。今年は東京でやろう」。
 さらに、関西三里塚闘争に連帯する会の渡辺さんが、「残念ながら三里塚の石井武さん、関西の藤井利明さんが亡くなったが、遺志を継いで闘っていきたい。十一月八〜九日の羽田・三里塚での反空港全国集会を成功させよう」と訴えた。
 住民連絡会の阿部さんが、新福岡空港ストップ連絡会からの連帯メッセージを読み上げ、さらに集会基調を提案した。「関空二期工事がごり押しされ、府に至っては一千億円を投じているが、地盤沈下は止まらず、無用の長物になる。一方、軍事空港化が、PKO派兵出発地としてひっそり行なわれ深まっている。さらに闘いを進めよう」。
 ひどくなる雨でデモを中止し、「勝利」号等に分乗して新空港島に乗り込み、二期工事の無謀な進行状況を視察した。全国の無駄な公共事業の拠点・空港建設に反対し、また軍事空港化を阻止していこう。(関西Si通信員)


9・30東京
 電力会社・国の事故隠しに怒る!臨界被曝事故四周年集会
   事故原因は核燃の危険な注文

 九月三十日、東海村臨界事故・四周年の東京圏行動が行なわれ、午前中は原子力保安院前で追悼・抗議行動、夜は飯田橋のシニアワーク東京で「電力会社と国の事故隠しに怒る!再度の大事故を防ごう!臨界被曝事故四周年集会」が開かれ約一五〇人が参加した。主催は、たんぽぽ舎などによる実行委員会。
 一九九九年九月三十日に東海村JCOで起きた臨界事故は、作業者の大内久さん、篠原理人さん二名の命を奪い、政府発表でも六六七名の被曝が確認されている日本の原子力史上最悪の大事故であった。その後、政府・原子力安全委員会の最終報告が出され、今年三月には水戸地裁で刑事事件の判決が出て、事故原因について世間一般では、バケツを使うなどずさんな作業が行なわれたからであり、責任はJCOにあるという受け取り方になっている。
 今年の9・30集会は、事故原因についてこれに真っ向から反論し、政府・核燃機構(旧・動燃)の責任転嫁を許さない行動となった。
 集会決議は次のように述べている。「事故の最高の責任は、核燃料サイクル機構の危険な注文であった。臨界安全管理のためには6・5リットル以上を一度に取り扱ってはいけない硝酸ウラニル溶液を、40リットルづつ作製するように注文したのであった。この経緯はJCO弁護団の最終弁論と福島瑞穂質問への政府回答によって確認されたので、旧動燃の責任はもはや否定できない。」「動燃の危険な注文の事実が三年間隠されていたこと、その間に事故原因がJCOの杜撰な安全管理と作業者の逸脱行為にあったと情報操作されたことに、私達は強く抗議する。」
 集会では、映画『ヒバクシャ』でも知られる肥田舜太郎さん、「臨界事故被害者の裁判を支援する会」の大泉実成さん、「JCO事故調査市民の会」の槌田敦さんの講演が行なわれた。
 広島の被爆医師である八十六歳の肥田さんの、被爆直後の治療現場の話などは核兵器について認識を新たにさせる迫力あるものであったが、彼は「被爆者が焼けただれて殺されたことは語られていても、放射能でじわじわ殺され続けていることは語られていない」として、低線量被曝(体内被曝)の悲惨を米日政府が隠し続けていることを告発した。また肥田さんは被団協の役員でもあるが、「被団協の国家補償要求などなまぬるい。アメリカ糾弾をやるべきだ」とも述べた。
 また肥田さんは、「核兵器をなくさなければ原発もなくならない、共に核廃絶の運動を」と語った。東海臨界事故は高速実験炉「常陽」の特殊な燃料を製造するための作業中に起きたのであるが、その「常陽」は(米国の圧力で中止されるまでの間に)核兵器用プルトニウムを三〇sすでに作っているという。日本政府でタカ派が台頭している今日、肥田さんの要請は重く受けとめる必要があるだろう。
 集会は最後に、九月三日に水戸地裁に被爆の損害賠償裁判を提訴した大泉昭一さんらに、会場で集めた支援カンパを渡して閉会した。その後、神田方面へデモ行進を行なった。(東京W通信員)
 
 
映画『ヒバクシャ―世界の終わりに』
  ひろがる被曝被害

 去る八月二十三日、大阪市のドーン・センターで開かれた『ヒバクシャ』大阪上映会に出かけた。
 映画は、九一年の湾岸戦争においてイラクで使用された劣化ウラン弾が原因とおもわれる白血病やガンと闘う子どもたちを映す。日本では、自ら広島で被曝した肥田舜太郎医師による低線量被曝の治療からの告白。米国ワシントン州ハンフォードでは、長崎の原爆に使われたプルトニウム製造施設の風下に住んで被曝し、政府に賠償を求め闘う農民達。映画は、これらを五年がかりで撮影し映像にまとめたもの。監督は、鎌仲ひとみさん、製作はグループ現代。現在各地で、自主上映会が開催中だ。
 被害者達の日常の姿と、お互いの会話、被害を告発する闘いへの困難性を淡々と語る姿を静かに描いている。「私を忘れないで」とメモに遺したイラクの十四歳の少女ラミヤの死から、映像は始まる。
 劣化ウラン弾、放射能汚染、あるいは在韓被爆者、原爆症認定の闘い、そして原発での労働者の労働被曝など、世界でヒバクシャが生まれ続けている。私達がまだまだ取り組まなければならない課題を静かに語る映画だ。
 各地の上映会に参加を。(大阪S)


9・27無実の冨山さんの獄死に抗議し、追悼する会
  獄死は間接的死刑執行

 九月二七日、「波崎事件」の冨山死刑囚の獄死(九月三日)、すなわち十分な治療を行なわず、恩赦請求を無視したために発生した事実上の死刑執行に断固抗議し、「無実の冨山さんの獄死に抗議し、追悼する会」が東京・早稲田の日本キリスト教会館で開かれた。波崎事件支援者など約五十名が参加し、「抗議声明」を採択するとともに、当局への今後の追及などを確認した。
 東京拘置所長と中央更生審議会長宛の「抗議声明」は以下の通り。
 
 無実を叫び続けた最高齢の死刑囚冨山常喜さんの獄死に抗議する
 四十年間獄中から無実を訴え続けてきた波崎事件の冨山常喜死刑囚が遂に力尽き二〇〇三年九月三日(水)午前一時四十八分、東京拘置所で息を引き取りました。享年八十六歳でした。
 拘置所当局は死因を慢性腎不全と言っていますが、清水陽一医師(新葛飾病院長)は、「慢性腎不全となるのは、人工透析療法を受けていなかった場合においてのみである。人工透析を受けていた冨山さんの死にあたっては、心不全・感染症など他の原因があるはずである」と指摘されています。死因解明のために私たちは司法解剖を要求しましたが、法務省は「司法解剖は必要ない」との返答でした。このような形で事実隠蔽を図った法務省に私たちは抗議します。
 ほんの三ヶ月前の六月十日の面会時、波崎事件対策連絡会議の篠原道夫さんに「人間は自由がいいね」と語った冨山さん、四十年間その自由を獲得するために、無実であることをバネに不屈の闘志と精神で戦い続けてきた冨山さんの気持ちを考えると無念でなりません。と同時に冨山さんに公正・公平な裁判を受けさせず、特に、二〇〇〇年三月の第二次再審棄却への異議申立てに対する結論を三年以上も引き延ばし、緩やかな死刑執行(獄死)を意図し、遂に断行した司法当局(東京高等裁判所)に対し断固抗議します。(中略)
 第二次再審棄却決定直後から体の調子を崩し始めた冨山さんは、二〇〇二年夏頃から容態が急変しました。命を最優先する立場から、十二月六日に「恩赦出願」を提出すると共に、東京弁護士会を通して東京拘置所長宛に「病状及び治療の照会」をしました。一方、保坂展人議員が衆議院法務委員会で森山法務大臣に「冨山さんに対する緊急救済措置」を強く要請しました。やっと届いた「データ付き病状に関する回答」を新葛飾病院の清水陽一院長が診て、病状と病名が一致していない誤診があり、治療が間違っている等の意見書を東京拘置所長に提出、同時に拘置所内医療体制では治療に限界があるとの判断から、本年二月七日に監獄法四十三条に基づき「拘置所外病院移送」の申請をしました。さらに、三月以降の治療経過データ開示を請求したところ、冨山さんのプライバシーに関わるので開示できないと、理由にならない返答が返ってきました。「恩赦出願」にしても「病院移送願い」にしても当局は何の結論も出さず無視し続けてきました。
 この間の経過を振り返ってみれば、冨山さんの病気悪化は拘置所側の人権軽視の対応によって作られた人為的なものと断言できます。東京拘置所は東京弁護士会・国会議員・医者等の外部の強力な働きかけがあってはじめて、責任追及を恐れ、真剣に治療に取り組むポーズを見せました。その結果一時病状は安定したかに見えましたが、八月末より容態は悪化し獄死しました。
 冨山さんは無実でありながら死刑判決を受けたばかりでなく、拘置所内では人間として扱われず、人権無視の医療、しかも間違った診断による間違った治療しか受けられず、命を奪われたといっても過言ではありません。人間として冨山さんを処していれば、まだまだ充分長く生きられ、再審開始を迎えられる可能性はあったのです。法務省はこの可能性を意図的に摘み取ったのです。゛人間は自由がいいね゛と語り、遂にその自由を生きて勝ちとれなかった冨山さんの無念さは計り知れません。
一、獄死の危機に基づく「恩赦出願(特赦もしくは減刑、または刑の執行停止)」を無視したこと
二、当初病状と病名が一致しない誤診及びその後の治療もほとんど回復に役立たなかったこと、監獄法四十三条に基づく専門の施設及び体制の整った外部への移送を拒否したこと
以上二点に強く抗議します。
 二〇〇三年九月二七日