第32回釜ヶ崎夏祭りに2000名
  排除収容でなく就労対策を!

 今夏も恒例の釜ケ崎夏祭りが、八月十二〜十六日に行われた。
 「野宿せんでもええ、釜ケ崎をつくろう」のメインスローガンの下、二千名近くの労働者が、第32回夏祭りを楽しんだ。三角公園の舞台の大立看には、「排除収容より、就労対策を!府・市は路上からの野宿脱出の責任をはたせ!自衛隊のイラク派兵反対!」と、書かれている。
十五日六時よりは、今年六月に亡くなった組合の藤井利明さんを始め、無名の路上死の仲間を一緒に、ふるさとの家の本田さんによる慰霊祭が、手製の灯籠に火がともされる中、三角公園に集まった労働者によって行われた。
 一方、中之島公園での野営闘争は、七月二十五日で三百日を突破、この九月末には、大阪城公園での突入より一年を迎えようとしている。泊りは三百名、三食の炊き出しは地区を中心とした野宿の仲間が集まり、一千食近くが配食される陣型となっている。
 京阪電車の延長による工事着工が目論られている中、去る八月八日の夜半、大阪を襲った台風十号により、中之島の野営のテントは、九日の満潮時はやり過ごしたものの、一時間後、突然の大川の決壊により腰までの冠水を被った。当日、大阪市内唯一の「床上浸水」七棟三百名避難となってしまった。荷物をとりに戻ろうとする労働者を必死にとめ、負傷者を出さずにすんだのがなによりだった。市は、水を被っても何の対応もしない。九日午後、水が引き始めてやっと市幹部が訪れる始末だった。
 現地の野営陣地は、二、三日のうちに復旧作業を大枠終え、まだテントを乾かすためシートをはねた状態ながら、労働者は続々戻り、炊き出しを復旧した。中之島野営闘争陣地は、不死鳥のように復活、闘争体制を整えた。
 六月、実質的な代表だった藤井利明さんを失った「釜ケ崎講座」は、冬の「越冬闘争ツアー」に続き、十五日「夏祭りツァー」を実施した。山田反失連共同代表より、反失業・野営闘争の近況報告をうけた。名ガイド・藤井さんの代わりには力不足とあやまる渡辺代表が、釜ケ崎地区内を案内、八日、冠水の被害にあった中之島野営陣地を見学し見舞いに。現地責任者から状況を聞き、釜へ戻る。
 「釜講座」は、秋に、「釜ケ崎百年」の講演集会を企画中だ。(関西S通信員)
 

雑誌『 ビックイシュー』9・11創刊
  野宿者が売って収入に

 『ビックイシュー』は、英国を始め世界二十四の国で発行されている、ホームレスしか売り手になれない雑誌である。日本においても、「ホームレスの仕事をつくり自立を応援する」として、大阪市西区に「ビックイシュー日本(有)」が成立され、九月十一日発売予定で発刊準備が進められている。A4版カラー、32頁で、五万部の発行を目指す本格的な雑誌である。
 販売員に応募した野宿者は、一冊二百円の雑誌十冊を無料で受け取り、決められた街頭に立ち、IDカードをつけ、「八項目の行動規範」を守りながら販売する。十冊売れたら収入二千円を原資に、次は九十円で雑誌を仕入れ、また販売活動に立つ。一冊売れば百十円の収入だ。
 なお、現在アルミ缶を一日かけて集めてキロ百円。中之島野営陣地では、民間業者より五円高く買い取る。自転車一杯に、ビニール袋につめこんで精々十五キロから二十キロだ。千五百円から二千円の収入で、上出来である。
 同情を売るのではなく、雑誌を売って、野宿者が収入を得る雑誌なのだ。八月六日、西成市民舘で、説明会が開かれた。現在の所、登録は百名を予定しているとの事。八月末に販売員登録が締め切られ、九月十日の配本を待っている。
 この雑誌に興味のある方は、ナンバ、ウメダ、天王寺の街頭に、野宿者の販売員がIDカードを身につけて販売しています。買って、手にして下さい。同情でなく、「おもしろい雑誌」への批評を!「ビックイシュー日本」では、支援、賛同者も募集中。電話〇六−六五三一−五六三九か、bigissuejapan@ybb.ne.jp へ連絡を。(S)


京都
  8・15を問いつづける京都集会
    ―教育基本法改悪の動き検証

 五八回目の八月十五日は、戦時法制下で迎えることとなった。時代は、再び「戦争の時代」に入った。
 この日、京都では、今年も市民、宗教者や五十数人が京都市内の洛陽教会に集まって、恒例の『8・15を問いつづける京都集会』(二四回目)をひらき、反戦・平和の取り組みを重ねた。主催は、京都「天皇制を問う」講座実行委員会。
 今年の8・15集会は、「戦争ができる国づくりのなかで」をテーマに、「日の丸・君が代」に反対する関西ネットワーク代表の黒田伊彦さんが、「教育基本法改悪と天皇制」と題して講演を行なった。黒田さんは、まず「一九四五年八月十五日は京都に原爆が投下される日であった。と文献を紹介しながら「この日」を検証した。そして二〇〇三年の八月十五日の政治・社会状況と問題点を、教育基本法改悪の動きをていねいに分析する中でから批判した。
 集会は、質疑応答のあと、国立追悼施設の反対する宗教者ネットワークの山本浄邦さんから新国立「戦没」者追悼施設建設の反対するアピールを受けて、終えた。(関西D通信員)


第10回「統一マダン」東京が大成功
  戦争反対を高く掲げ

第十回統一マダン東京が、八月三十一日夕刻より、在日朝鮮人韓国人が多く住む、東京・荒川区三河島の真土小学校跡でおこなわれた。
 天候不順が続く東京で、当日も雨が心配されたがどうにか持ちこたえ、マダン開始前には夕立も降り会場の校庭跡を実行委員会参加者が排水する一幕もあった。
 梁炳龍・韓統連東京本部代表委員から開会の挨拶が行われるころは、続々と人がつめかけ例年にまして一杯となった。朝鮮学校の生徒の舞や、歌、民族楽器の演奏、そして会場を囲むマダン参加団体による出店と例年に増す盛り上がりをみせた。
 マスコミと排外主義右翼分子による、朝鮮バッシングの嵐にもかかわらず、地域住民・市民とともに共生の文化を訴え続けた統一マダンは、今回、朝鮮半島南北統一と戦争反対を真っ正面から掲げ、荒川地域に訴え続けて当日の大成功をかち取った。
 最後の頃には、喜納昌吉が登場し最高潮に達した。閉会の挨拶は、部落解放同盟荒川支部の高岩昌興さんから行われた。(東京Ku通信員)